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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第105回『震度ゼロ(後)』チャーリー作(テーマ選択・追悼)

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(※後編です)


この日のことを、冴恵は忘れたくても忘れられない。
もう十三年も前だが、このときの兄の姿はまざまざと脳裏に焼き付いている。
冴恵が高校一年の三月のことだった。
上級生の大学受験に伴い、高校は短縮授業になり、彼女は午後から暇を持て余していた。風紀にうるさい学校だったため、友達と遊びに出かける約束をした彼女は一度帰宅し、私服に着替えてから出かけることにした。家には母だけがいた。夜ごはんの時間までに帰ってきなさいよ。わかった。そんな生返事をして靴を履き、家を出ようとした。まさに、そのときだった。
突然めまいに似たふらつきを覚え、気のせいかと思ったのも束の間、ゴゴゴゴゴ、と大きな揺れとなって彼女を襲った。
かなり年季の入った木造の家はみしみしと音を立ててきしみ、庭の草木はばさばさと左右に揺れた。立っているのが怖くなり、冴恵はその場にしゃがみこんだ。血相を変えた母が家から飛び出してきて、冴恵をかばうようにして抱きしめた。抱きしめる母の手は小刻みに震えていた。これほどの大きな地震を経験するのは初めてだった。
永遠に続くのかと疑わしくなるほどの長い横揺れの後、ようやく揺れは収まった。冴恵と母はおそるおそる立ち上がり、逃げるように家に入った。棚は扉が開きっぱなしになり、壁にかけていた兄の賞状などが落ちて、額縁にヒビが入っていた。幸い、大きな被害はなかった。
胸を撫で下ろした二人は、テレビをつけた瞬間、驚きのあまり画面にくぎ付けになった。
大した被害はないだろうと思われた地震は、二人の想像をはるかに凌駕していた。震源は冴恵の家から遠く離れた東北沖で、日本の半分がたった一回の揺れに翻弄されていた。地震の威力に、冴恵は足がすくんで動けなくなった。あとに聞く、東日本大震災だった。
真っ先に、冴恵が心配したのは父と兄の安否だった。
実はこの日、父は埼玉に住む兄を訪ねていた。数日前に退学処分の通知を受け取った両親は、何度か兄に電話していたものの、全く応答がなかった。仕事が多忙な両親は、息子が心配とはいえ、埼玉までおいそれと出かける時間はつくれない。
しかし都合のいいことに、父はこの日、東京で年に数度、開催される医療研修会の予定があった。研修は午前中に終わり、翌日自分の診療所での勤務が控えているため、日帰りになる。それならと、父は車で東京へ向かい、研修の帰りに埼玉のアパートに寄って兄を車に乗せ、静岡まで連れて帰ろうと考えた。息子から何の連絡もないことに業を煮やしていた父は、自分や母、妹の家族が勢ぞろいする前で、直接申し開きを聞くことにこだわっていた。
母が慌てて父の携帯電話にかけると、二人の心配をよそにあっさり父につながった。すでに兄を車に乗せて静岡に向かっているとのことだった。だが、困難は地震後に待ち受けていた。揺れの影響で高速道路は通行規制が敷かれ、渋滞にはまって父の車は神奈川県で身動きが取れなくなっていた。そうでなくとも、度重なる余震のせいで、父は何度も車を一時停止せざるを得ず、今日中に帰ってこられるかどうか見通しは不透明だった。
テレビで怒涛のごとく伝えられる震災の被害のあまりの深刻さに、冴恵は打ちのめされた。
今どこそこにいる、と断続的に父から母へメールは入っていたものの、それでも冴恵は不安で食事ものどを通らず、何も手につかなかった。いまテレビで映されている悲惨な現地に、父と兄がいて巻き込まれているのではないか。そう思うと、彼女は胸が押しつぶされそうだった。
それでも、父は医師としての使命感が強かった。
研修で病院を一日休んだ分、明日まで二日も続けて診療に穴を空けるわけにはいかない。静岡に地震の影響がどの程度あるのかも未知数だ。建物の倒壊はないにせよ、もしかしたら揺れに驚いて転倒し、動けなくなっているお年寄りがいるかもしれない。まして、埼玉のアパートに引きこもっている長男を連れ出したばかりに、病院を休んだとなっては、患者に会わせる顔がない。父は何よりも、自分のプライベートな都合で病院を開けられないことだけは避けたがった。
午前零時をとうに過ぎ、何時かわからないほど夜の更けた頃、やっと家のチャイムが鳴り、やつれた様子の父が帰ってきた。傍らには久しく姿を見せていなかった兄も所在なさそうに立っていた。兄の姿に、冴恵は少しぎょっとした。彼は幽霊のように見えた。もともと色白で細身の兄は、さらに痩せてまるで生気がなかった。それでも、このときはまだ家族全員が無事だったことを冴恵は素直に喜んでいた。
しかし、一家団らんのときは長くは続かなかった。むしろこれからが、家族にとっては本当の修羅場だった。
ほっと息つく間もなく、父は退学処分について兄を問いただした。
明日にしましょう、と二人を気遣う母を受け流し、父は兄の前に立ちふさがるように仁王立ちになった。兄は固いフローリングにじかに正座して、うつむいていた。
埼玉からここまでの車中は、とても兄の話どころではなかっただろう。それは冴恵の想像にかたくなかった。予想もしなかった兄の退学。降ってわいたような大災害。さまざまな事情から、父には大きなストレスがかかり、感情が入り乱れ混乱している様子だった。普段は穏やかで家族に声さえ荒げない父は、烈火のごとく怒りをあらわにしていた。
警察の尋問のような父の厳しい追及に、兄は泣き出した。兄はすでにこのとき二十五を超えた、大人だった。大の男が泣きじゃくり、声を震わせてこんな趣旨のことを言った。
自分はそもそも医者になどなりたくなかった。診療所を継ぐよう、親から強制され、プレッシャーをかけられ、やむなく医学部に入った。退学処分も留年も浪人生活も大学受験の失敗も、すべては親が悪い。自分は悪くない。親のせいで、自分は人生を棒に振ったのだ……。
兄の言い分に、冴恵は唖然となった。
さっきまで兄の身を心配していた気持ちは、たちまち雲散霧消した。かえって、彼女は裏切られたような思いさえした。身勝手で、こんな子どものような言い訳をする兄を自分は心配していたのか。そう思うと、冴恵は腹が立ってしょうがなかった。
もともと兄とは性差や年齢の差もあり、一緒に遊んだことも共通の話題もなかった。冴恵にとってもたしかに優しい兄ではあった。一方で妹と目も合わせられないほど奥手で、影の薄い兄のことを、冴恵は内心、気持ち悪いと思っていた。
冴恵が小学四年のときに、浪人生だった兄は隣の県にある進学塾の寮に入り、家を出た。そのため、きょうだいが同居していた期間は十年にも満たなかった。浪人時代、兄は年に一度帰省はしたものの、毎年受験に失敗していたため、いつも陰気臭く、家庭内の空気を重苦しくさせていた。そんな兄を、冴恵はますます疎ましく思った。顔を合わせても、兄とまともな会話はなく、兄から話しかけられることはなかった。ようやく兄が大学に合格し一人暮らしをしてから、まったく実家に顔を見せなくなったことに、彼女は安堵したぐらいだった。
加えて、冴恵と兄とは決定的な性格の不一致があった。
真面目で従順でおとなしい兄と違い、冴恵は快活で自己主張が強く、曲がったことを嫌った。自分に厳しい(少なくとも彼女自身はそう自覚していた)彼女は、それ以上に人の間違いや怠慢にはことさら厳しかった。
そのため、兄の言い分は冴恵には全く理解できなかった。冴恵の目には、兄が自分の過失を両親に責任転嫁しているように映った。自業自得で人生を棒に振ったにもかかわらず、すべてを親のせいにして逆恨みしている。そう思えた。
父の前でひざまずき、泣いている兄の横では、深夜にもかかわらず、テレビが災害情報を流し続けていた。
福島の原発は予断を許さない状況が続き、東北から関東の太平洋側では津波が押し寄せ、断片的に伝えられる被害だけでも、文字通りの意味でもしかしたら日本という国は終わってしまうのではないだろうか、という絶望感が漂っていた。テレビで伝えられる映像以外の場所でも、おそらくはとんでもない数の人々が命を落とし、かろうじて助かった人も今まさに命の危険に瀕し、明日生きるかどうかもわからない瀬戸際に追い込まれているかもしれない。その傍らの兄は、いかにも醜悪で情けなかった。
冴恵は思った。
こんな切迫したときに、私や両親はなんてくだらないことに巻き込まれているんだ?
どうして、こんな男のために頭を悩ませていなければならないんだ?
百歩譲って自分がわずらわしい目に遭っていることは許せても、医者という能力や技術や知識を持った両親まで迷惑をかけているのは、どういうことなんだ?
きっと父や母には、こんなことで苦労するよりももっと人のためになる苦労をしていいし、はっきり言えば苦労するべきなのだ。
こんなばかばかしいことに、両親が巻き込まれていいはずがないのだ。
「バカじゃないの」
思わず感情が声となって、冴恵の口から漏れ出た。
冴恵を見上げた兄の顔は、思わず失笑してしまうほど無様に冴恵の目には映った。見苦しい兄の姿を冴恵は露骨に嘲った。
「今のこの状況わかってる? 福島とか東北とか、ものすごいことになってるんだよ? 今このときも誰かが死んでるのかもしれないんだよ? 苦しんでるのかもしれないんだよ? そんなときに、あんたは何を言ってんの? 医者やりたくない? 親に強制された? 人生破滅した? はあ? ふざけたこと言ってんじゃねーよ! そんなクソみたいな理由、どうでもいいわ。
だいたい医者やりたくないなら、なんで最初からそう言わないわけ? なんで授業も出ずにだらだら大学にいんの? さっさと辞めればいいだけの話じゃん。アホなの? 授業料も二人がお金出してんだよ? 全部ムダにしといて、それで親が悪いとか、どこまで自分勝手なわけ? 留年も退学もみんな自分のせいだろうが! 甘ったれたこと言ってんじゃねーよ! 生きて連れて帰ってもらっただけでもありがたいのに。あんたが地震で死、」
「冴恵!」
父の怒鳴り声に、冴恵は押し黙った。
冴恵のあまりに率直な物言いに、兄があからさまに打ちひしがれていた。
兄は、冴恵の足元のあたりに視線を落としながら歯を食いしばってわなわなと震えていた。動揺しているようでも怒りのようでもあった。震える振動が強く、ひざまずく兄から離れたソファでクッションを抱いていた冴恵にもその振動が伝わってくるのではないかと錯覚させるほどだった。冴恵は兄を侮蔑の視線でにらみつけた。
冴恵の物言いを注意しながらも、父は娘の言うことにほとんど同意した。
お前は高校生の頃から医師になる志を見せていたのに、今さらそんなことはまかり通らない。冴恵の言うことももっともだ。お前は自分勝手がすぎる。
父は自分の言葉に、自分で腹を立てていた。
妹に侮辱され、父に責められ、痙攣しているかのように震える兄は、突然怒りを爆発させた。
意味不明な大声を上げると、兄は拳を振り上げ、父に殴りかかった。父はすんでのところでかわしたものの、続けて蹴り上げた兄の足が父の腹に思いきり食い込んだ。よろめいて倒れた父の上に兄が覆いかぶさり、むやみやたらに殴りつけた。
冴恵と母は馬乗りになった兄を必死になって止めようとしたが、兄は母にも妹にも容赦しなかった。兄に突き飛ばされた冴恵は後ろに倒れ、頭を打った。母は父をかばってわき腹を蹴られ、痛みのあまり床に突っ伏した。
騒ぎを聞きつけた近所の人がやってきて、何人かで止めに入り、警察官も駆け付けた。大人の男何人かに兄は羽交い絞めにされ、ようやく修羅場は終わりを見た。
幸いなことに家族の誰にも目立った外傷はなかったこと、警官の事情聴取に兄が素直に応じたこと、父や母が自分たちで後処理することを主張したため、兄は連行させることだけは免れた。
しかしそうでなくても、冴恵のはらわたは煮えくり返ったままだった。
家から引き上げていく警官や近所の人は、明らかに軽蔑の眼差しで家族四人を見ていた。言葉にしなくても彼らの言いたいことは一目瞭然だった。
「地震で大変なときに、お前らはいったい何をやっているんだ?」
冴恵は彼らの白い目にいたたまれなさを覚え、それは兄への怒りにとってかわった。
こいつの世迷言のために、恥をかいた。この瞬間、この三月十一日という日は、冴恵のなかで人生で最もなかったことにしたい日として記憶された。
警官を見送った時点で、すでに外は明るくなっていた。
父は憮然としたまま、疲れ果てた母と一緒に散らかったリビングを片付けた後、二人で支度をして車に乗り込み、診療所へ向かった。翌日は土曜だったため、冴恵は休みだった。彼女はシャワーを浴びず、自分の部屋に入ると固く鍵を閉めて棚を移動してバリケードまでつくり、兄が絶対部屋に入ってこれないようにした。ベッドで布団をかぶり、しばらく気を張っていたものの、あまりの疲れから冴恵は気絶するようにいつのまにか眠っていた。
冴恵が目を覚ましたとき、兄の姿はなかった。冴恵が最後に見たのは、外で事情聴取を受け警官が引き上げた後も、家の前でただ立ち尽くす兄の姿だった。黙って出勤する父に何も言わず、息子を気遣って何か声をかける母の言葉にも兄は何も言わず、ただ黙ってうつむいていた。
兄は書き置きを残して、埼玉のアパートへ戻ったようだった。
震災の翌日の混乱のなか、兄がどうやってアパートまで帰ったのかはわからない。また書き置きに何が書いてあったのかも冴恵は知らない。
しかし、それを読んだ父が兄との絶縁を宣言したことで、おおよその内容は察することができた。
父は母と冴恵に向かって、次のようなことを言った。
兄とは縁を切る。兄が今後家に帰ってくることは許さないし、家族に会いに来ることも許さない。同時に、家族の誰かが兄に連絡を取ったり、会いに行ったりすることも禁止する。毎月、兄に送っていた仕送りは中止され、父は兄にかけていた保険すら解約した。
当然だ。冴恵は思った。むしろ、家族に手まで上げた相手に対して、手ぬるいぐらいだとさえ感じていた。あのまま逮捕されればよかったのに。冴恵はそう唇を噛んだ。
そんな家族のなかで、唯一、兄の味方とも言える立場を崩さなかったのが母だった。
母は父の兄に対する扱いを冷徹だと感じたようだったが、父の鉄よりも固い決意を翻させることはできなかった。何を言っても父は跳ねのけ、しつこい母に対し、兄の話をするだけで不機嫌になった。
父の意思を変えさせることをなくなく断念した母だったが、それでもあきらめなかった。
同時に兄の「親によって医者の道を強制させられた」という告白にひどくショックを受けた母は、兄への罪悪感から父に内緒で仕送りを続けた。診療に忙しい父は自分の給与も含めて病院の経理、家計の一切を母に任せていた。母は父に悟られないよう、自分の給料や貯金を切り崩して兄への仕送りを工面した。
冴恵がそれを知ったのは、彼女が大学生になってからだった。
冴恵が東京都内の大学に進学したことを、母は喜んだが、それは兄への和解の仲介役として冴恵に期待を寄せていたのも理由の一つだった。
都内に住むなら、埼玉に住んでいるだろう兄にも会いに行きやすい。息子の誠は、医者の道を無理強いさせた両親、つまり自分たちを恨んでおり、冴恵のことは恨んではいない。自分たちと会いたくはないだろうが、妹ならきっと誠も会って話す気になってくれるんじゃないだろうか。それをきっかけにして、夫と息子、両方の感情の対立が軟化すれば、いつの日かまた家族四人そろって笑い合える日常が取り戻せるんじゃないか。母は期待のすべてを冴恵にかけた。
もちろん、冴恵は母の期待を足蹴にした。そもそも母の希望は論外だとも思った。
兄が冴恵のことをどう思っていようと、彼女のなかで兄との折衝役になるなど真っ平御免だった。冴恵は兄が嫌いだし、顔も見たくなければ話したいとも思っていない。あの日から何年、何十年経とうと、冴恵のなかで兄にぶつけた言葉は一つもぶれることはなかった。
彼女は今も本気でこう思っていた。
「地震で兄が死ねばよかった」と。


「ねえ。まさか今日電話してきたのって、私に仕送りを頼むためじゃないでしょうね?」
冴恵は怪訝な顔で、電話に向かって問い詰めた。
「え。うん。そうだけど……?」
母は娘の気迫に気圧されながら、あっさり認めた。
「信じらんない」と冴恵は吐き捨てるように言った。
「私にも出せって? アイツの生活費を? なんで私が仕事して稼いだ金をあんなのにくれてやんなきゃいけないのよ?」
彼女の口調はけんか腰だった。
そんな言い方することないじゃない、と母は努めて諭すように言ってから、当たり前のことのようにこう言った。
「だって、家族じゃない。困ってるときは助け合うものでしょう」
冴恵の口から、ハッ、と失笑のような声が飛び出した。
兄との和解の仲介役として、一方通行な期待を寄せる母を疎ましく思ったものの、今の感情はそれを上回るものだった。冴恵は、母に対しても怒りを覚えていた。
「じゃあ困ってるときに、アイツはなんかしてくれたの?」
なんにもしてくれないよね? ただ駄々こねてただけだよね? なんでそれがわからないかな? なんでそこまで迷惑かけられてるのに、そうやってアイツと仲直りしようとか言っちゃってんのかな? 全然意味わかんないんだけど。
「それは、」
と母は、戸惑いながらも、しかし決然とさえ聞こえるような声で言った。
「まーくんはわたしたちの子どもだもの。冴恵ももちろんそうよ。子どもだから、何かしようと思うのは当然よ。母親なんだから」
母の言葉は、まるでおとぎ話の世界で夢は叶うのだと無邪気に信じる少女のように冴恵には聞こえた。
冴恵は呆れを通り越した。すべてを投げ捨ててやりたいような気分になった。家族なんてうんざりだ。こんな人に律儀に毎月お金を送ってる自分がバカみたいだ、と思わず冴恵は思った。
「ごめん」
と冴恵は言葉とは裏腹に、ひどく冷淡な声で言った。
「お母さんにはついていけないわ。なんでそんなふうに思えるのか、私には全然理解できない。忙しいから。切る」
何か言いかけた母の言葉さえ無視して、強引に冴恵は電話を切った。


いたずらに感情をかき乱したまま、やり場もなく、冴恵は最悪の形でそれを吐き出した。
集荷に来た宅配業者に対して、冴恵は八つ当たりとも言える暴言を口にしてしまった。
母との電話を切ってからまもなく、宅配業者は冴恵の家の呼び鈴を鳴らした。
元日の夜にも関係なく、にこやかに接していた若い業者の男は、冴恵の書いた送り先を見るなり、困った顔をした。
記載のある石川の住所へは、配達できる確証がないと、業者は眉をひそめる冴恵に丁寧に説明した。
地震の被害の程度を把握できないかぎり、配達員の安全が確保できず、配送を見合わせることになる。また仮に配送ができたとしても明日、明後日で届けることはまず無理だ。
業者の言い分に、冴恵はつい声を荒げた。被災地に一刻も早く物資を届けなければいけない状況にもかかわらず、それでも宅配業者なのか。上長を出せ、会社の幹部に電話しろ。さんざんクレームをつけた挙句、冴恵は別の配送会社にすると言って、平謝りする業者を家からたたき出すように追い出した。
むしゃくしゃする気持ちのまま、ベッドに入った冴恵は支援物資の入ったダンボール箱を見つめていた。
なぜ、自分の善意は足蹴にされ、どうでもいい兄への援助はしつこく頼まれるのだろうか。
母はあきらめず、今後も折に触れて兄への仕送りを頼んでくるだろう。
そう思ったところで、彼女はある疑念が頭をもたげた。
母が、冴恵の送った金を兄への仕送りに流用しているのではないか、という疑いだ。
母のあの無邪気な様子から察するに、問い詰めても「家族だから」とさらりと言うに違いない。どれだけ私がアイツを嫌ってるか、わかろうともしないで。
「冗談じゃない」
冴恵はガバッと身を起こし、イライラしながら母にLINEを打った。
仮に自分の金を兄への仕送りに使っているのなら、全額を返金すること。そうでなければ、兄に隠れて仕送りを続けていることを父にバラす。
冴恵のLINEはほとんど母への脅迫だった。
被災地が気になり、ニュースアプリを開くと、被災地では余震が頻発し何度も緊急地震速報が出ていた。
地震の被害に遭う人々に思いをはせるほど、冴恵は兄が憎くてたまらなくなった。


なんで、兄みたいなのが生きてるんだろう。
アイツが、アイツこそ、地震で死ねばいいのに。


<了>

コメント(6)

自分がぎりぎりまで作品書いててよむのが遅れました。
ほんとにありそうな話ですね・・・リアリティが醜くて真実味がある物語と思います
お兄さんの側の身勝手でない言い分があればそれも読みたかったような気がします
小説って神さま視点でどちらの言い分も見せてあげられるから
あるいは妹さんの目線でもあれはやむなかったのだと違う視点が見れたら
よかったかもという気がしました。
コメント遅くなり失礼しました。家族への愛憎と日本全体に影響を与えた大災害をうまく絡めて、読ませます。兄妹間の兄妹だからこその憎しみのつよさはとても実感がこもっていますね。この兄は一体何を考えて生きてきたのか、知りたいと思いました。
チャーリーさん!一気読みしちゃいました!!

この兄貴はてっきり「第二のサザンオールスターズになる!」と宣言するのか気になってましたウッシッシ

冗談はさておき、仕事柄色んなドクターを見てきましたが、確かにドクターの家系って方も一定数いますよね〜。
きっと御両親や御祖父母の仕事の姿勢や取り組みを間近で見てきて、尊敬して自分もという方が多いと思うのですが、この作品に出て来るダメダメ兄貴のような方もいそうですよね〜あせあせ

とにかく面白かったです!
今夜お話しできるのを楽しみにしていますぴかぴか(新しい)
>>[1]
コメントありがとうございます!

リアリティにはこだわったので、そうおっしゃっていただけて嬉しいです〜

会でもお話ししましたが、あまりに主人公の一歩通行な描写に終始してしまった気がするので、どうにか兄を掘り下げてやれないか、、ちょっと考えています
>>[2]
ありがとうございます!!

性別の違うきょうだいだからこそ、同性の兄弟姉妹とは違う感情を描けたらいいな、と思って書きました
兄の描写ができなかったのは、反省点ですね。。
>>[3]
ありがとうございます!!
今日お話しできて、楽しかったです〜

友人に、両親が開業医で医師の家系という人が何人かいて、彼らから聞いた話を膨らませてみました。
調べたら、医大受験で留年したり、大学に入っても講義が難しく進級できずに除籍させられてしまう人もいるそうで、医師になるだけでも厳しい世界なのだな…と思いました

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