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半蔵門かきもの倶楽部コミュの 第百六回JONY作「少年易老学難成」(三題噺『新入社員』『花見』『水面』)

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 今は、2024年の4月はじめ、開花の遅い今年は今が『花見』の季節だ。俺の店の近くには、千鳥ヶ淵の『水面』に映る桜が見られ、昔は『新入社員』による宴会のためのシート席の確保などが風物詩だったが、コロナが転機になり、今はそんなシーンも見られなくなった。
 ところで、今月の作品である。毎月、私小説もどきの駄文を書きなぐっているが、このようなものを読んでくれる奇特な方もそうそういないと思われる。そこで、前回(2024.3月)は、小説という体裁を捨て、現在、自分を悩ませて止まない「楽典」についてそのままを書いた。それが自分にとって、思いのほか心地良かった。おそらくは、愚痴を言ってスッキリするのと同じ効果なのだろう。なので、今回も、読者諸氏が面白がってくれるかを特に考えず、小説という形を取らずに、ストレートに自分の思いを書く。俺にとって文芸部の原稿の意味は、自己満足しかないようだ。まあ、世の中の殆どの作品も似たり寄ったりと書けば言い過ぎになるのだろうか。

 昔は、無限にあるように思えた人生の時間も、気づけば、いつしか、残りを気にするようになった。しかし、ものは考えようで、おろし立ての新しい生地は汚したり傷つけたりしないように、ハラハラしながら大事に扱わなければならないが、人生も残り少なくなれば、もう怖いものは無い。散々、俺の生地は汚れ、破れ、擦り切れて、元の白い色は分からないほどに赤黒く変色してしまった。今更、もう、何でもアリと言う気になって来る。特に会社を背負って従業員とその家族の生活を背負っていた時期は兎も角、自分が病気で長期入院している間に、クーデターにあって、会社を失うような経験をすると、責任を持たねばならないのが、周りの家族ら数名しかいないと言うのは信じがたい気軽さである。しかも、子供はウチにもソトにも一人もいない。周りにいるのは俺と同年代の人間だけ。誰が先に死んでもおかしくない状況では、金儲けなど、最早、どうでも良い。どうせ、少しくらい金が増えても早晩相続人無しで国庫に行く運命にある(その前に10年かそこら妻と外国に住む独身の妹に相続されるとしても)。

 それよりは、「少年老い易く学成り難し」。未だに成っていない学を何とかしたいという欲望が大きい。
 学とは遊びでやっている哲学とか文学ではない。曲がりなりにも、これで学位をとった理論刑事法学である。なぜ、いまさら? キッカケは、直近の2024年前期(170回)芥川龍之介賞受賞作「東京都同情塔」である。
 読んでない方の為に、下記に、e-book Japanの商品説明を、コピペしておく。
 『ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名は、仕事と信条の乖離に苦悩しながら、パワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書』
 (なぜ、いきなり、生成Aiなのかを補足すると、作者九段理江が、本作の内の、登場人物が生成AIを使って書く部分などを実際にAIを使って書いたと言っているからである)
 この小説は、差別について考察しているSF小説である。
 Wikipediaによれば、差別(英:discrimination)とは、特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為である。
 この属性には犯罪者も含まれる。現状では犯罪者であるかの認定は裁判所に独占され、逮捕や起訴の報道がされても犯罪者の烙印は押されず、被疑者、被告人でしかない。犯罪者である可能性があると言うだけの被疑者、被告人が差別されてはならないのはもちろんだが、この小説ではそこは扱ってない。
 またこの小説は、よく社会問題となっている出所後の元服役囚への差別問題もテーマにはしてない。テーマにしているのは、現役の、懲役・禁錮の受刑囚への差別についてである。
 つまり、この小説は、囚人への差別の可及的廃止を小説内で実現している。
 そもそも、懲役刑、禁錮刑の本質は一定の場所に隔離し自由を制限することである。最高裁判所は、「懲役刑は、受刑者を一定の場所に拘禁して社会から隔離し、 その自由をはく奪すると共に、その改善、更生を図ることを目的とする」(最判 昭和 60 年 12 月 13 日第2小法廷)と判示しており、その基準に準拠すれば、懲役に付随する刑務作業は、囚人の能力的特性や将来性を考慮して各種作業が割り当てられなければならず、間違っても、生産性や労務そのものを目的とはしてはならない(法務省のホームページなど)。
 この考えを進めれば、懲役刑・禁錮刑(両者を自由刑と呼ぶ)においては、自由を制限する以外の、テレビを観る権利や、読書・学習をする自由、趣味・娯楽を楽しむ権利などは、保障されなければならないと言うことになる。なぜなら、それらは自由刑の内容即ち一定の区画から外へ出ることを禁止する刑罰の内容にはなっていないからである。
 ノルウェーに、ハルデン刑務所と言う施設がある。その内容を示すため、以下に、Wikipediaからの抜粋を載せておく。
 『従来の刑務所に見られる有刺鉄線、電気柵、監視塔、狙撃手などはハルデン刑務所には存在しない。ただし、安全ガラスや6m×1500mのコンクリートとスチールの壁、警備員が所内を移動するためのトンネルは張り巡らされている。刑務所の敷地内に監視カメラはあるが、独房、独房の廊下、休憩室、教室、作業場などほとんどの場所には設置されていない。』
 『各監房は10平方メートルの広さで、薄型テレビ、机、小型冷蔵庫、シャワー付きトイレ、光を多く取り入れるために、格子が無い縦長の窓が設置されている。10〜12の房ごとに、キッチンとリビングにわかれる共有スペースがあり、キッチンにはステンレス製の食器、磁器製の皿、ダイニングテーブル、リビングにはモジュール式のソファとコンピュータゲーム機が設置されている。刑務所では食事が提供されている一方で、囚人たちは所内の食料品店で食材を購入し、自分たちで料理を作ることもできる。』
 『午前8時から午後8時までジョギングコースやサッカー場での練習の他、木工、料理、音楽のクラスも用意されている。ミキシングスタジオでは、受刑者が楽曲をレコーディングしたり、地元のラジオ局が毎月放送する番組を録音したりすることができる。雑誌を含む各種書籍や、CDやDVDを備えた図書館、インドアクライミング用の壁があるジム、チャペルなどもある。』
 『受刑者は週に2回、2時間の間、家族やパートナー、友人と個人的に面会することが許されている。1人で面会する場合は、ソファや流し台、シーツやタオルにコンドームまで置かれた戸棚のある個室が用意されている』
 『囚人が家族の面会を受け、24時間一緒に滞在できる山小屋風の離れもある。この家には、小さなキッチン、2つの寝室、バスルーム、ダイニングテーブルにソファやテレビのあるリビングルーム、そしておもちゃの用意された屋外のプレイエリアがある。』
 引用が長くなったので、念の為に言っておくが、上記は、現在現実にあるハルデン刑務所であり、『東京都同情塔』の世界では無い。
 
 小説『東京都同情塔』では、囚人が収監される刑務所は新宿御苑に立つ外観や室内はタワーマンションと変わらないものになっている。そのタワー内には、プールやジムを備え、最上階には眺望の良い図書室を備えている。
 この小説世界の進んだ差別廃止感覚では、囚人に囚人服を着せるなどはもってのほかで、彼等は通販でユニクロやGUなどの服を取り寄せて着、刑務官もサポーターと呼ばれ囚人と同様の服装で勤務している。なので、タワー内はパッと見には誰が囚人で誰が刑務官かの区別が難しい。
 もちろん、タワーマンションとの違いは、囚人が、自由に外出出来ないことである(そうでなければ刑務所でなくなってしまう)。
 
 この作品は刑事政策学を学んだ者を刺激する。刑事政策学には、『スティグマ』と言う概念が出てくる。『スティグマ』とはレッテル貼りのことである。(因みに、『スティグマ』と言う用語は医学会で、エイズや統合失調症患者への偏見の問題でも出てくる)
 もともと、刑罰として『スティグマ』は、用いられていた。語源は、古代ギリシアで「身分の低い者」や「犯罪者」などを識別するために体に強制的に付けた「印(しるし)」に由来している。
 日本でも、江戸時代には、入墨刑が行われていたのは有名だが、古くは日本書紀にも、住吉仲皇子の反乱に加担した阿曇連浜子に、『即日黥』(その日に罰として黥面=顔に刺青する刑罰=をさせた)との記述がある。
 刑罰が、その地域その時代の文化度を知る指標になるとしたら、江戸時代の我国は刑罰として入れ墨を用いる程度に野蛮だった。因みに勿論拷問もあり、明治12年の太政官布告まで公式に認められていた(実際には警察での拷問は第二次大戦終戦まで事実上行われていた)。
 しかし、我国は、GHQが起草した日本国憲法を持ったことで、文化度もかなり上がった。犯罪者にも我々同様の人権があり、前科によって差別してはならないと言うコンセンサスもようやく出来上がっている(と思う)。そもそも、戸籍謄本を取ったところで、前科の記載などの欄は無いのだから、他人の前科を知ることは困難であるので、出獄した元受刑者への『スティグマ』問題は現代ではかなり解決されていると見てもよいのかも知れない。

 問題は、今現在、まさに刑に服してしる受刑者に、我々は、レッテルを貼って差別していないか?それを、作者九段理江は、問題にしている。ちょうど、医療関係者が、入院中のH I V患者や統合失調症患者へのスティグマを問題にしているのと同様に。
 差別を取り除いていく理念がもたらしたひとつの帰着が、『東京都同情塔』になった。
 古来から受刑者には食餌を与えなければならなかったにしても、受刑者に『東京都同情塔』のような高級タワーマンション生活をさせることになるのはおかしくないかの逆差別の問題提起を作者が企んでいるのか。それは俺にとり、どうでも良い。
 大事なのは、このひとつの理念を追求した思考実験の小説が、俺がやっていた学問、刑事法学に含まれる刑事政策学への、研究好奇心を刺激したことだ。
 あるいは、これも一つの天の啓示なのかも知れない。残り少ない人生、哲学とか、文学とかで遊んでいると、本来、やるべきだった学問が中途半端なままで、時間切れになるぞ、と。何も俺は今更もっと上の学位が欲しい訳じゃ無い。ただ、実存哲学問題で日がな一日ぐでぐで考察して駄論などを書いているいる暇があれば、本来の理論刑法学の形而上的本質問題や法哲学などで頭を悩ませるのが、残り時間の少なくなった俺の後悔しない生き方だと天意も示してくれたのではないか。
 小学生のころ、担任の先生に、意味も表面的にしか解らないのに暗唱させられた
 少年易老学難成
 一寸光陰不可軽
 未覚池塘春草夢
 階前梧葉已秋声
 という朱熹(しゅき)とかいう朱子学者の漢詩。
 今になれば、実感である。
                            終

コメント(4)

おもしろいですね

生活の不安失くすくらい
身軽なのがうらやましい

そんなとき学問のやり残しをやりたいというのはとてもうなづけました

僕は絵を描いて電子工作にあけくれて配当金でくらせたら
天国かなとおもったところです


まだまだ夢ですけど

ところで刑務所とその小説はやはりすごくてついていけないかもてす

スティグマがひょっとしたら
報道されちゃったとかだと
本人だけでなく家族まで一生背負うこともあるだろうし
罪のないようによっては
本人は背負わなきゃあかんでしょとおもったりします
読んでいただき、コメントをありがとうございます。
絵と電子工作に明け暮れる生活ですか。良いですね。
でもおそらく何にしても、明け暮れる時間が無いからこそ、楽しいのかもしれませんね。
とても面白かったです!

安定のA子シリーズも良いですが、先月から続くこのようなスタイルも個人的にはとても好きですね〜!

朱熹の漢詩もその通りですよね〜!
時間を無駄にせず勉強せよ、と。
勉強や学習は果たして机で本やノート(最近はタブレット端末も?)と睨めっこするだけではなく、実際に様々な経験をすることからも学ぶことは多いと思うんですよね。

様々な人と会って話し合うことでも、視野が広がりますよね。

その点でも、JONYさんの読者会はまさに学びの場であり、とても有効な時間や場所だとも思います。



刑事政策は自分はあまり深く学ばなかったので、是非ご教授いただきたいのですが、「割れ窓理論」で軽犯罪や軽微な犯罪を取り締まることで重大な犯罪を抑止できるとは学んだ記憶があります。

拷問については、いわゆる「拷問」は現代ではないかもしれませんが、人質司法は令和になっても未だにありますよね。

つい最近も「大川原化工機事件」で癌が見つかってるのに入院もさせてもらえず、保釈も認めず、拘置所の医師も適切な処置もせず、もはや無作為の拷問かなと思っちゃいますね。

JONYの知見をさらに伺いたいです。

ありがとうございました。
コメントをありがとうございます。
文芸部らしく、小説を書くべきかもしれませんがそう言っていただくと救われます。
モミーさんもぜひ書いて下さい。

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