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聖者の生涯&言葉&聖者についてコミュのバララーム・ボースの生涯

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バララーム・ボースの生涯




 シュリ―・ラーマクリシュナは大抵、信者や弟子たちを、彼らが彼のもとへと来る前から、ヴィジョンや恍惚境の中で見ていました。
 ある日、彼は、チャイタニヤがその弟子たちとパンチャヴァティのバンヤンの樹とバクルの樹の間で歌い、踊っているヴィジョンを見ました。初対面とき、師はバララーム・ボースを見るとすぐに、まるで前々から家族であったかのように、愛を込めて彼を受け入れました。彼は後にこう言いました。

「彼(バララーム)はチャイタニヤの内輪の弟子だったのだよ。彼はこれ(ラーマクリシュナ)に属している。私は恍惚境の中で、チャイタニヤが主な弟子たち、アドワイタとニティヤーナンダと共にその地方に神聖なる愛の流れをもたらし、彼らの魅惑的なキールタンを通じて、その大衆たちに神秘の閃きを与えたのだ。その一行の中に、私は彼(バララーム)を見たのだよ。」

 バララームは1842年の12月に、北カルカッタの裕福なヴィシュヌ派の家系に生まれました。彼の祖父グルプラサード・ボースは、自らの家の中にラーダー・シャーム寺院を設立しました。それが理由で、町のその区域はシャームバザールとして知られるようになりました。
 彼はまた同様に、十万ルピーを費やして、ヴリンダーヴァンのヤムナーの岸にシャーマ・スンダラ寺院を建てました。それは、「カーラ・バーブのクンジャ(林)」と呼ばれました。
 バララームの父ラーダーモハンと叔父のビンドゥマーダヴァは共にオリッサのバレーシュワル地区の巨大な団地を購入し、その経営のためにコタルに事務所を設立しました。
 ビンドゥマーダヴァには三人の息子がいました。――ニマイチャランは団地を管理し、ハリヴァッラブはクッタックで弁護士をし、アチュターナンダは彼らのカルカッタの家に住んでいました。
 ラーダーモハンにも同様にジャガンナート、バララーム、サドゥプラサードの三人の息子と、ヴィシュヌプリヤ、ヘマラタの二人の娘がいました。

 ラーダーモハンは彼の兄弟と甥にオリッサでの彼らの共有の団地の経営を任せ、自分は主にヴリンダーヴァンで暮らしていました。その人里離れた聖地で、彼は聖なる修行を実践しながら、寺院の経営をしていました。家系の慣習に従って、彼は寺院の前の中庭に立ちながらマントラを唱え、そこで瞑想していたのです。他の時間は信仰の聖典を学び、クリシュナの信者への食の施しの準備をしていました。

 バララームはこの父親から、信仰の本質と世俗に対しての無関心さを学び取っていきました。ラーダーモハンのように、バララームは毎朝数時間をジャパと瞑想に費やしていました。そして同様に、彼のいとこに団地の経営を任せ、そして自分は彼らから毎月与えられる分け前で満足していました。
 そして後にバララームは、バブラーム(後のスワミ・プレーマーナンダ)の姉妹のクリシュナバーヴィニーと結婚し、二人の娘と一人の息子を授かったのでした。
 バララームは消化不良のために大変苦しみ、十二年の間、ミルクとお粥で暮らしていました。健康を取り戻すために、この時期のほとんどはベンガル湾の沿岸に面しているジャガンナートの聖地プリーに住んでいたのです。
 そこで彼は、多くのヴィシュヌ派のサードゥと知り合い、霊性の生活への興味を以前以上にかき立てられたのでした。

 彼の父といとこは、バララームが家族を放棄し、出家するのではないかと心配し始めました。バララームが長女の結婚式に出席するためにカルカッタに来たとき、彼のいとこは、そこで暮らすように彼に勧めました。彼をさらに説得しようと、ハリヴァッラブは、ラームカンタ通り57番に家を買って、彼に提供さえしましたが、バララームはそれを受け入れたくありませんでした。カルカッタに住んだら、主ジャガンナートを毎日訪れることも、聖者たちとの交わりを持つこともできなくなるからです。
 しかし、いとこを満足させるために、彼はしばらくカルカッタにとどまることに決め、その後にプリーへと戻りました。

 まだプリーで暮らしていたとき、バララームはケシャブ・チャンドラ・センが編集した本でシュリー・ラーマクリシュナの生涯と教えを読みました。また彼は、彼の家族の祭司の一人であるラームダヤルから手紙を受け取り、シュリ―・ラーマクリシュナの聖なる生涯の詳しい内容を知りました。ラームダヤルは師に直接会い、バララームに彼に会いにすぐにでも帰ってくるようにと書いたのでした。

 
 こうして、カルカッタに着いた翌日、バララームはラームダヤルと共にドッキネッショルに行きました。それはおそらく1881年1月1日のことでした。
 彼らは午後遅くにそこに到着し、ケシャブを含むブラフモーの信者たちで溢れかえっているシュリー・ラーマクリシュナの部屋を見つけました。
 バララームは自己紹介するチャンスを見つけられませんでしたが、端っこに座り、師の話すことを聞いてました。シュリ―・ラーマクリシュナはこう言っていました。

「神は心からの切望なしには見ることはできない。そしてその切望は、世間の経験との関係を断つまでは得られない。愛欲と金に囲まれて生き、それらの経験を未だ終わらせていない者たちは、神を切望することはない。」

 バララームが少し休憩を取ろうとして部屋を出て行くや否や、シュリ―・ラーマクリシュナはバララームの方を向いてこう仰いました。

「何か私に尋ねたいことがあるのではないかね?」

「はい、ございます。・・・・・・神は本当に存在しておられるのですか?」

「もちろんだとも。」

「人は彼を見ることができるのでございますか?」

「ああ。彼は、彼を最も近しき、そして愛しき者として思う信者に、御姿をお見せになるのだよ。彼に一度お祈りして何も返答を得られなかったからといって、彼は存在しないなどと断定すべきではないよ。」

「しかしなぜ、あれほど祈っても私は彼を見ることができないのでしょうか?」

 するとシュリ―・ラーマクリシュナは微笑んで、こうお尋ねになられました。

「お前は本当に、わが息子と同じように愛しく彼を思っているのかね?」

「いいえ、師よ・・・・・・彼に対してそのように強く思ったことはありませんでした。」

 それから師は、甘く、そして説得力のある声で、こう仰いました。

「神に祈りなさい。彼を自分自身よりも愛しいと思うのだよ。
 心からお前に話そう。彼は彼の信者たちを、この上もなく好まれるのだよ。
 彼はどうしても彼らの前に御姿を明かしたいのだ。彼は探し求められる前でさえ、人のところに来られる。人が神に一歩近づいたら、神はその人に十歩近づいてきてくださる。神よりも親しく愛を注いでくださる御方などはどこにもいないのだよ。」

 バララームは非常に感動しました。師のすべての言葉が彼のハートに染み透ったのでした。
 彼はその晩、家に戻りましたが、また次の朝、歩いてドッキネッショルまで戻ってきました。このとき、シュリ―・ラーマクリシュナは部屋に一人でおられました。バララームを見ると、師はこう仰いました。

「おお、来たね! 非常によろしい。さあ、お座り。少しばかりお休み。
 私はちょうどお前のことを考えていたのだよ。どこに住んでいるのかね?」

「バグバザルでございます。」

と、バララーマは答えました。師はそれから、家族の構成や子供たちのことなどを訪ね、最後にこう仰いました。

「ここをごらん。聖なる母が、お前は私そのものであるとお話しになったのだよ。お前は彼女の供給者の一人なのだ。多くのものがお前の家の中に、これ(ラーマクリシュナ)のために蓄えられている。何かを買って、それをここに送りなさい。」

 バララームは、これは幸運なことだと考え、喜んでそれに従いました。
 シュリ―・ラーマクリシュナはしばしば信者たちに、寺院やサードゥを訪ねるときには、小さな贈り物を持ってくるように助言されました。

 バララームには、師が自分自身の身内であるように見えていました。また彼はそれまでの人生の中で、このように卓越した人を見たことがありませんでした。

 彼は、シュリー・チャイタニヤの人生とシュリー・ラーマクリシュナの生涯には類似点があることに気づき、不思議に思い始めました。あのように魅力的な性質を持ち、何度もバーヴァ・サマーディ(神聖なる恍惚)にお入りになる人は、他の普通の人間の中には見いだせなかったのでした。

「もしかして、シュリ―・チャイタニヤが再び降誕されたのだろうか?」

 心中にこのように考えながら、バララームはカルカッタに帰り、いくからの食べ物と物品を、師のために選びました。それから彼はドッキネッショルに馬車で戻りました。シュリ―・ラーマクリシュナは彼を温かく迎え、甥のフリダイにそれらの贈り物をしまうようにお頼みになられました。
 このときから死ぬまで、バララームは、米、シュガーキャンディー、穀粉、サゴ、大麦、バーミセリ、タピオカなどの食べ物を師に供養し続けたのでした。

 師はよくこう仰っていました。

「バララームの食物は非常に純粋だ。先祖代々、彼の家系の人々はバクタであり、サードゥや乞食を手厚くもてなしていた。彼の父は隠退生活をヴリンダーヴァンで送り、そこで主に呼びかけながら時を過ごした。
 私はバララームの食物をただ受け取るばかりではなく、それに喜びを感じるのだよ。」

「彼の家系のすべての人々は、同じ理想に合わせて生きていた。
 主人や女主人から子供たちに至るまで、皆が神に信仰を捧げていたのだ。彼らは決して祈りを唱えないでは、水の一滴をとることもなかった。
 そして、彼らは敬虔であるのと同じように慈悲深かった。」

 言うまでもなく、シュリ―・ラーマクリシュナは常々バララームの家から歓迎を受けておられました。師はなんと百回も彼の家を訪れました。バララームはその記録を取っていたのです。
 師はバララームの家で一泊する必要があるときにはいつでも、その家で毎日礼拝されている家系の神ジャガンナートのプラサードを召し上がられました。
 師はときどき冗談で、ドッキネッショルを『マザー・カーリーの砦』と、そしてバララームの家は『カルカッタの砦』、またあるときは、『居間』と呼んでおられました。
 Mは、「シュリ―・ラーマクリシュナの福音」の中でこう書いています。

「カルカッタのバララームの家は、師の存在によって何度も聖別化されていた。
 そこで彼は踊りながら、歌いながら、神のことを話しながら、サマーディの中で頻繁に忘我の状態にお入りになった。
 ドッキネッショルに行くことのできなかった師の弟子や信者たちは、そこに師を訪ねてやって来て、教えを受けていた。
 師はよくバララームに、ラカール、バヴァナート、ナレンドラのような若い弟子を彼の家に招くようお頼みになり、こう仰っていた。

『この純粋な魂たちは、正真正銘、神の顕現なのだよ。彼らに食を施すことは、神ご自身に施すことなのだ。
 彼らは特別な神の性質を持って生まれてきた。彼らに奉仕することで、お前は神に奉仕させていただくのだよ。』

 よって、師がバララームの家を訪れるときは毎回、信者たちはそこに集まったのだった。
 それはカルカッタにおける、師にとって最高のブドウ園であった。信者たちがお互いに親交を深めたのもそこであった。」


 毎年、バララームは、彼の家で主ジャガンナートの山車祭を祝っていました。師の存在は大いにそのときの歓喜を高めてくださったのです。信者たちは主ジャガンナートの小さい木製の車を布や花や旗で飾り、その中に像を置いたのでした。
 上階のベランダに囲まれた家の真ん中に、小さい中庭がありました。礼拝の後、信者たちはキールタンが続く間、信仰歌を歌いながら、そのベランダで車をぐるぐると回すのです。
 これは数時間続きます。スワミ・サーラダーナンダは、1885年の山車祭について、こう述べています。

「キールタンの団体が来た。師と信者は車が引かれると、彼らの歌に参加した。
 師の至福の流れ、溢れんばかりの信仰、神聖なる恍惚境、そしてあのように魅力的で優美な踊りを、他にどこで経験したり、見たりできるものか。
 敬虔なる家系の純粋な愛に喜ばれ、主ジャガンナートは、馬車の上の像とシュリ―・ラーマクリシュナの御身体に間違いなく顕現なさった。
 それは稀有なる光景であった!
 溢れ出る信仰の流れにわれを忘れ、無神論者の心でさえもが溶けてしまったのだ――信仰とは何というものであろうか!
 そのキールタンの数時間後には、料理がジャガンナートに捧げられた。それから師はプラサードを召し上がられ、それに続いて信者たちもいただいたのだった。その至福の市は夜遅くまで終わらなかった。」
 バララームが何度も懇願をした末に、彼の父ラーダーモハンは師に会いにヴリンダーヴァンからカルカッタにやって来ました。
 シュリ―・ラーマクリシュナは、ラーダーモハンがヴィシュヌ派の忠実な信者であることをご存知でしたが、彼の宗教的見解をより広大にしたいと思っていたので、彼にこのように仰いました。

「『彼』は間違いなく、すべてのものを調和させた真実なる御方です。
 ほとんどの人々は、片方に偏っている。しかし私は、すべての見解は一つであると悟りました。一切の見解――シャークタ、ヴァイシュナヴァ、ヴェーダーンダ――は、真実には一つであるのです。
 無形である彼は、形も持っておられる。さまざまな姿でお現われになるのは彼なのです。」

 また別の機会には、師はバララームの父にこう仰いました。

「すべては神を愛するため、彼の甘味を味わうためにあるのです。
 彼が甘味で、信者がそれを楽しむ者です。信者は神の至福の甘露を飲む。さらに神は蓮華であり、信者はミツバチです。信者は蓮華の蜜をすするのです。
 信者が神なしでは生きられないように、神もまた、彼の信者なしでは生きられません。そのときは、信者が甘味となり、神がそれを楽しみむ者となるのです。信者が蓮華となり、神がミツバチとなります。
 御自らの至福を楽しむためにこれら二つにおなりになるのは神なのです。それがラーダーとクリシュナのエピソードの深い意味です。」



 バララームは家族の団地の経営には全く関わらなかったので、彼はいくらか父といとこの管理下にありました。
 彼らは毎月の収益を彼に分配していました。このせいで、彼は出費に対して非常に注意深くなり、ある人々はそれをケチとみなしていました。
 彼はシュリ―・ラーマクリシュナに惜しみなく多額のお布施がしたかったのですが、経済的な理由でそれができませんでした。
 しかし、シュリ―・ラーマクリシュナはお布施の量よりも信者の心の方により深く関心を向けておられました。

 しかしときどき、シュリ―・ラーマクリシュナはふざけて、バララームの経済観念に対して冗談を言われました。 
 ある日、シュリ―・ラーマクリシュナは、歌に伴奏する楽器がないので、雰囲気が出ないとお気づきになり、こう仰いました。

「バララームはどうやって祭典のやりくりをしたか知っているかね?
 彼は牛を飼育しているケチなブラーフミンのようなのだよ。
 牛はほんの少ししか食べられないが、滝のようにミルクを出さなければないないだろう。お前は自分で歌って、そして自分でドラムを叩きなさい。
 これがバララームの発想なのだよ!」

 そしてまた別のときに、師はこう仰いましった。

「バララームは私にこう言っていた。

『どうか船でカルカッタまで来てください。どうしても必要なときにだけ、馬車をお使いくださいませ。』

 いいかね、彼はわれわれに今日ごちそうを出してくれた。だから午後には、われわれ皆を踊らせようとしているのだよ!
 ある日彼は私のためにここからドッキネッショルまで馬車を雇ってくれた。
 彼は、馬車賃は十二アナだと言った。私は彼にこう言った。

『御者が私をドッキネッショルまで十二アナで連れて行ってくれるのか?』

『おお、その値で十分でありましょう。』

と、彼は答えた。
 われわれがドッキネッショルに着く前に、馬車の片側が壊れた。さらに、馬がときどき止まるのだ。それに全然前に進まなかった。時折御者が馬を鞭で打つと、眼と鼻の先ほどの距離だけ走るのだ。」




 スワミー・ヴィヴェーカーナンダの兄弟の一人であるマヘンドラナート・ダッタが、バララームの性格を表すおもしろいストーリーを記しています。
 バララームには召使いがいて、その召使いは高い給料をもらっていませんでした。なので彼はときどきものを盗んでいたのです。そしてまた彼には悪い気性があり、家族のメンバーは彼をあまりよく思っていませんでした。
 ある日、スワミ・ヨーガーナンダは、その召使いを解雇するようにバララームを説得しましたが、バララームはこう答えました。

「ご覧ください、ヨーギン。召使いは大抵、貧しく教養のない家系からやって来ています。何かを盗んでしまうのはあたりまえのことでありましょう。その上、私が彼を追い出してしまったら、彼は何処へ行くというのでしょうか?
 愛欲と金を放棄し、盗むことなく働いてくれる召使いなど、どこに見いだせるでしょうか?」

 シュリ―・ラーマクリシュナの弟子たちは後に、この発言を冗談にして、こう言っていました。

「よし、バララームのために、すべてを放棄した召使いを見つけて差し上げよう。」

バララームは高貴な貴族であったにもかかわらず、人は彼の振る舞いからそれを知ることは決してありませんでした。彼はヴィシュヌ派の教えにある、次のような態度の権化だったのです。

「草の葉よりも謙虚であれ、そして樹のように忍耐強く、根気強くあれ。自分自身を褒め称えるな。皆を褒め称えよ。絶えず主の御名を唱えるのだ。」



 Mは福音の中で、バララームの自分を表に出さない性質をいくつか描いています。
 
 一八八二年三月十一日、彼はこのように書いています。

「午前八時ごろだった。シュリー・ラーマクリシュナは計画していたように、カルカッタのバララーム・ボースの家に行った。
 それはクリシュナと関係のある春のお祭り(ドルーヤートラ)の日だった。
 信者たちと師は、神聖なる情熱の状態で歌い、踊った。彼らの中の数人は、恍惚のムードにあった。 
 音楽が終わると、信者たちは食事のために座った。バララームはそこに謙虚に立っていた。誰も、彼がこの家の主人であるとは思わなかったであろう。」

 
 一八八二年八月五日、シュリ―・ラーマクリシュナはイーシュワラ・チャンドラ・ヴィッダシャーゴルを訪ね、夜遅くまで神について彼に話しておられました。Mはそのときの出来事をこのように述べています。

「シュリ―・ラーマクリシュナはヴィッダシャーゴルにいとまを告げられた。
 彼は仲間たちと共に、師を正門まで見送りに来た。
 師と信者たちが門に着くや、彼らは予期せぬ光景を目の当たりにし、立ち止まった。彼らの前には、色白で三十六歳くらいの、あごひげを生やした紳士がいたのだ。彼はベンガル人のような身なりであったが、頭にはシーク教徒風に白いターバンをまいていた。
 彼は師を見るや否や、彼の前にひれ伏した。
 彼が立ち上がると、師はこう仰った。

『誰だ? バララームか? こんな夜遅くにどうしたのか?』

バララーム『師よ、ずっとここで待っておりました。』

師『なぜ入ってこなかったのだね?』

バララーム『皆があなたのお話を聞いておりました。あなたの邪魔をしたくなかったのでございます。』」
 われわれは聖者方の伝記で、信仰者たちの神への愛を読むことができますが、神の限りなき信仰者たちへの愛はほとんど記録されていません。なぜならば、それは普通の人間にとって、理解することが不可能だからです。
 シュリ―・ラーマクリシュナの姪のラクシュミー・デーヴィーは、師のバララームと彼の家族への愛の物語をこのように語っています。

「あるとき、バララームが妻と子供と共に船でドッキネッショルにやって来ました。
 彼らはしばらく師とおしゃべりすると、午後にはカルカッタに帰ってしまいました。
 師は自ら、チャンドニ・ガートに彼らを見送りに行きました。彼らに対して、師は微笑みながら、『またおいで』と仰いました。
 船が岸を離れていくと、師は彼らがかなり遠くに行ってしまうまで、そこで立って見送っておられました。
 すると、その間に嵐が吹き始め、空はすぐに雲で暗くなってしまったのです。
 私は、師が大変心配しておられることに気づきました。彼は落ち着きのない少年のように、そわそわとそのあたりを行ったり来たりしておられました。
 船が激しく揺れ動いているのを見て、師の心配はどんどん募っていきました。
 我慢ができなくなり、師は皆にこのように訪ね始めました。

『どうなってしまうのだ?
 バララームとあいつの家族は、この嵐から助かるのか?
 ああ! どうなってしまうのだろう?
 人々は、バララームがドッキネッショルのろくでもない不幸な聖者に会いに行ったばかりに、帰らぬ人になってしまったと言うだろう。
 教えてくれ、どうなってしまうのだ?』

 徐々に船が視界から消えていきました。師は憂鬱な顔で、心を非常に動揺させながら部屋へ戻ってきました。
 彼は再び、落ち着きなくひっきりなしにあちらこちらを行きつ戻りつつしながら、このように嘆き悲しんでおられました。

『マーよ、あなたは私の顔を曇らせるおつもりですか?
 私の祈りを聞いてくださらないのですか?
 マーよ、一体どうなってしまうのですか?』

 師の心の状態を理解し、ヨーギンは何も言わずに、嵐の中、バララーム・ボースの消息を手に入れるためにカルカッタへと向かいました。彼はアランバザールで乗り合い馬車を拾い、数時間の内に、日が暮れる前には戻ってきて、バララームと彼の家族が無事に家に着いたということを師に報告したのでした。それを聞いて師は大変お喜びになりました。
 また別の折り、バララームの妻クリシュナバーヴァニーが深刻な病にかかってしまいました。
 その知らせがドッキネッショルの師のもとに届いたとき、彼は急いでホーリーマザーにこう仰いました。

「どうか、彼女に会いに行っておくれ。」

「私はどうすればよろしいでしょうか? どこにも移動手段がございません。」

とホーリーマザーがお答えになりました。すると、

「何だと!」

と、師は仰いました。

「バララームの家族が災難の淵に立たされているのだぞ。
 そしてお前は乗り物がないからといって彼らに会いにいかないとは!
 歩けばよいではないか!
 歩いて行きなさい!」

 幸運にも籠が見つかり、ホーリーマザーはそれに乗って彼女に会いに行かれたのでした。


 クリシュナバーヴァニーは、夫のバララームのように師を信仰していました。
 シュリ―・ラーマクリシュナはあるとき、『彼女はラーダーの八人の近しい友達の中の一人だ』と仰りました。師の甥のラームラルは次のようなことを語っていました。
 ある午後でした。シュリ―・ラーマクリシュナはこう仰いました。

「ラームラル、私は寺院の台所から持って来たミルクに何の味も感じないのだよ。
 私のためにいくらかのピュアで甘いミルクを持ってきてくれないかね?」

 市場で探しても見つからず、ラームラルは乳搾り屋のもとへと行きましたが、そこでもピュアミルクを得ることができませんでした。彼が手ぶらで師のもとに帰ると、師はこう仰いました。

「やれやれ、どうしたことか。」

 そのときクリシュナバーヴァニーは、カルカッタの彼女の台所でミルクを煮沸させていました。
 ヨーギン・マーもそこにいて、クリシュナバーヴァニーは彼女に向かってこう嘆き悲しみました。

「ねえ、シスター、このピュアで甘いミルクを師に捧げられないなんて、なんという不運なのでしょう。在家の人々だけがそれを楽しむことができるというのに。
 あなたがついて来てくださるなら、一緒にドッキネッショルに行って、これを師にお捧げいたしましょう。
 今はもう暗いですし、裏口から出れば誰も気づかないわ。」

 それから彼女たちは、ミルクの入った小さな瓶を持ってドッキネッショルへと歩いて行きました。彼らが師の部屋に入ると、彼はこう仰いました。

「おお、お前は私のためにミルクを持ってきてくれたのだね? 今日の午後からずっと、ピュアで甘いミルクを飲みたいと思っていたのだよ。」

 クリシュナバーヴァニーとヨーギン・マーは驚き、このようにして師のお望みを叶えることができたことを喜びました。
 それからシュリ―・ラーマクリシュナは、彼らをカルカッタに馬車で送り返しました。
 また、彼女たちが師に会いに行ったのだと説明するために、ラームラルに彼女たちについて行くようにお頼みになりました。
 霊性の生活における障害は、信者を強くします。自らを神に捧げた者たちのために、神はすべての障害を取り除き、すべてのものを有益にしてくださいます。
 バララームは師にお仕えすることができて幸せでした。1885年の後期、シュリー・ラーマクリシュナが癌の治療のためにドッキネッショルからシャームプクルに移されたのと大体同じ頃に、バララームのいとこのハリヴァッラブは、バララームについての情報を知って困惑しました。
 彼はさまざまな人々から、バララームは非常に頻繁にシュリー・ラーマクリシュナに関わっていて、シュリー・ラーマクリシュナはしょっちゅう彼の家を訪ねており、そして彼らの家族の女性でさえも、師の御足の塵を取るという、家系の尊厳に相応しからぬと考えられている慣習を行なっていると聞きたのです。
 バララームは毎日シュリー・ラーマクリシュナを訪ね続けましたが、彼のいとこが何か問題を起こし、師の人生におけるこの極めて重大なときに、彼を無理やり師から離れさせないかが心配でした。

 しかし、師の眼からは何も隠すことができませんでした。
 バララームの心配そうで憂鬱な顔を見ると、師は彼にいくつか質問をし、そのいとこが彼の不安の種であると知りました。
 そして師はこう仰いました。

「彼(ハリヴァッラブ)はどのような人間なのだね?
 彼をいつかここに連れてきてくれないか?」

 バララームはこう言いました。

「ええ、彼は人間として、善良であり、学識があり、知的で、寛大で、気前がようございますが、他者の評判から私を誤解しております。
 彼は私がここに来ているからといって、私に悪感情をもっています。
 なので、私は彼が私の頼みでここに来るとは思えません。」

 すると師はこう仰いました。

「ならば彼に尋ねなくてもよい。どうかギリシュをここに呼んでおくれ。」

 ギリシュはそこに赴き、ハリヴァッラブを師のもとに連れて来ることに喜んで同意しました。彼らは学校のクラスメイトだったのです。

 翌日の午後、ハリヴァッラブがギリシュと共にやって来ました。師は温かく彼を歓迎し、彼に触れると、こう仰いました。

「あなたは私の身内のように思えます。」

 それからシュリ―・ラーマクリシュナは、神への信仰、献身、そして自己の明け渡しについて語りました。
 師の弟子の中の一人が歌を歌い始め、師は徐々にサマーディにお入りになられました。
 師の魅力的な御姿を見、霊性を呼び起こす言葉を聞くと、ハリヴァッラブは眼に涙を溢れさせ、非常に心を動かされました。
 日が暮れると、彼は恭しく師の御足の塵を取り、帰路につきました。
 このようにしてシュリー・ラーマクリシュナはハリヴァッラブの心を変え、そしてバララームから心配と不安を取り除いたのでした。
 シュリ―・ラーマクリシュナが北カルカッタのシャームプクルの家に移り住む前に、彼はバララームの家に一週間滞在されました。師の病の間、バララームは彼の食物の一切を施し続けました。なぜならば、師は寄付として他の金持ちの人々が持って来た食物を拒んだからです。

 師が1886年8月16日に亡くなった後、住むところがなくなったホーリーマザーが、バララームの家に一時的に引っ越してきました。そしてバララームは彼女をヴァラナシ、ヴリンダーヴァンなどの聖地へ巡礼に連れて行く手配をしました。彼の家はホーリーマザーとシュリ―・ラーマクリシュナの弟子たちのために、常に開放されていました。

 出家した弟子たちはついにはバラナゴルに僧院を作りました。バララームは定期的に彼らを訪ねました。ある日、彼は出家者たちが貧しさのあまり米とホウレン草しか食べていないことに気づきました。
 家に帰った後、彼は妻に、「私は食事には米とホウレン草しか食べない」と言いました。
 彼女は最初、彼は胃が弱いためにそのような質素な食事を要求したのだと思いましたが、後にその本当の事情を知り、ただちに僧院に食物とその他の品を送ったのでした。
 そのとき以来、バララームは、師に食物を捧げるために、毎日一ルピーを僧院に布施しました。
 さらに彼は、義理の兄弟であるスワミ・プレーマーナンダを通じて、そして料理人を通じて、僧院の食物の食糧事情の記録をつけていました。


 スワミ・アドブターナンダは以下の出来事を、バララームの回想の中で述べています。

「バララーム・バーブは自分の家の家計を節約し、それを出家僧たちに奉仕するために使っていた。だから彼の縁者たちは彼をケチだと思っていた。
 私は彼がどれほど裕福であったのかが全くわからなかった! ある日私は、彼が狭いベッドに横たわっているのを見た。私は言った。

『なぜあなたはもっと大きなベッドに寝ないのですか? これはあなたには狭すぎます。』

 彼が次に何と言ったかわかるかね?

『この地元素でできた肉体は、いつかは大地に帰っていく。聖なる人々のための奉仕に費やすことができるならば、なぜ自分のベッドなどに金を費やさなければならないのですか?』

 バララーム・バーブの一番下の娘クリシュナマイーの結婚披露宴は大規模に行われた。(バララームの弟が手配した)
 しかしバララーム・バーブは、結婚式にそのように大金を費やすことに賛成しなかったのだ。彼はよくこう言っていた。

『縁者への宴会など、霊への宴会に等しいのです。』

 その結婚披露宴の日、スワミ・ヨーガーナンダが偶然に彼の家を尋ねてきた。バララーム・バーブは気をよくして、彼にこう言った。

『僧たちは結婚式には参加しないということは存じておりますが、あなたが少しでも甘いものをお食べになられるならば、私はこの莫大な出費を価値あるものを考えましょう。』

 スワミ・ヨーガーナンダは彼の懇願に答えて、少しばかりを食べたのだった。」
スワミジ(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)はバララームに対して、大いなる愛と尊敬を抱いていました。以前、スワミジは彼にこう言いました。

「われわれとあなたとの縁は独特です。あなたがわれわれを玄関口から追い出したとしても、われわれは再び裏口から入るでしょう。」

 バララームは常に師の弟子の脇に立ち、心を込めて彼らに仕えていました。けれども、ある日バララームはスワミジにこのように嘆きました。

「あなたと私は二人とも師のもとへと行きました。
 しかし、あなたは今、家を放棄し、サードゥとなりました。あなたはジャパと瞑想を実践し、短い間におびただしいほどの進展を遂げられました。
 それに対して私は、変わらずに縛られた魂のままです。
 私は何も達成していません。」

「いいですか、バララームさん。」

 スワミジは答えました。

「あなたの家系は三代に渡って聖者へと奉仕してきたのです。あなたはそのようなことが実を結ばないなどとおっしゃるのですか?
 そのような善行の結果として、あなたはシュリー・ラーマクリシュナのような偉大なる魂にお仕えする機会を得たのです。
 あなたの一族の栄光は賛美されるでありましょう。
 あなたは放棄や厳しい苦行を実践する必要はありません。
 あなたが師と出会い、お仕えしたというのは、あなたの善行の果報なのです。そして、あなたは師がどれほどあなたの家を訪ねるのをお喜びだったことか、どれほどあなたの供養を好まれていたことかをご存知でしたでしょう。
 あなたは天国や解脱などで何をするのですか?
 それ(師の愛という果報)が不十分だったというのですか?」

 バララームはそれを聞いて喜びました。彼は彼の師への奉仕は瞑想や苦行と同じであり、師から受けた愛は天国や解脱よりも大きな果報であったと悟ったのでした。


 1890年に、カルカッタでインフルエンザが流行し、多くの人々が命を失いました。バララームもまたその流行の犠牲者となり、1890年4月13日に亡くなりました。
 スワミ・シヴァーナンダは、バララームの死についての物語を以下のように語りました。

「師の信者たちの死にはそれぞれ、不思議な出来事が起こったものだ。
 バララーム・バーブの旅立ちにおいてもまた、同様に不思議なことが起こったのだった。
 彼の病気が深刻になり、皆が心配していた。ある日彼は『はあ、私の兄弟たちはどこなのですか?』と言い続けていた。
 この知らせがわれわれに届くと、われわれはカルカッタのバグバザルの彼の家へと急いだ。われわれは彼の側に滞在して、彼を看病した。彼が逝く前の約二、三日の間、彼は親類縁者が自分に近づくのを許さなかった。彼は兄弟弟子のわれわれだけに近くにいてほしかったのだ。
 彼が話すごくわずかなことは、ただ師のことばかりだった。
 ある日、最後の旅立ちの前に医者が来て、彼はもう手遅れだと宣言した。 
 最期の時に、われわれは彼の周りに座っていた。そして言い表せないほどの悲しみに打ちひしがれていた彼の妻は、ゴーラープ・マーやヨーギン・マーたちと共に住居の中にいた。
 その折、彼女は空に浮かぶ黒い雲の欠片のようなものに気づいた。それは徐々に深く濃くなり、降下し始めたのだった。そしてすぐにそれは馬車の形に変わり、バララーム・バーブの家の屋根に舞い降りた。
 すると師がその馬車から現れ、バララーム・バーブが横になっている部屋へと近づいて行った。
 師はバララーム・バーブの手を取って、再び馬車へと戻っていった。そしてその馬車は高く登り、空へと消えていった。
 このヴィジョンは彼女の心を、嘆きや悲しみが触れることができない非常に高い次元へと引き上げたのだった。
 彼女が普通の状態に戻ったとき、彼女はこれをゴーラープ・マーに語り、さらに彼女がこれをわれわれに伝えたのであった。
 バララーム・バーブは、彼女がそのヴィジョンを見たほんの少し前に亡くなったのだ。」

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