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聖者の生涯&言葉&聖者についてコミュの聖者の生涯「ガウリー・マー」

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ラーマクリシュナの女性の弟子の一人、ガウリ―・マーの生涯のご紹介です。

コメント(21)

 一般的に、この世界には人間の三つのタイプが見出せます。
 第一のタイプは、主に世俗的な楽しみに関心を持ち、第二のタイプは、この世を楽しみつつ同時に神にも心を留め続けます。そして第三のタイプは、神の探求に完全に専念します。
 主は、様々な方法で彼らと遊ぶことができるように、様々な気質や傾向をもつ人間をお創りになられました。
 ガウリー・マー、またはマザー・ガウリーは、上記の第三のグループに属しています。彼女は完全に神に身を捧げました。

 ある日、ある聖者が道中に、南カルカッタにあるカーリーガートへ母なる神を訪ねたとき、彼は、彼に敬意を払いたいと思った年配の女性によって呼び止められました。
 当時9歳だったガウリー・マーは、すぐ近くで何人かの女の子と遊んでいましたが、その聖者を見たとき、たまらない魅力を感じ、彼のもとに駆けつけておじぎをしたのでした。

 聖者は尋ねました。

「あなたの友達は遊んでいるのに、あなたは私のもとに来た。どうしてだい?」

 ガウリー・マーは答えました。

「ああ、みんなはああいうふうに遊ぶのが大好きなんです。でも、私は好きではありません。私はハートを惹きつけられる魅力を感じたから、あなたのもとに来たんです。」

 聖者は少女の頭に手を触れて祝福し、言いました。

「あなたがクリシュナへの無私の愛に到達しますように。」



 後にガウリー・マーは、この聖者がカルカッタから10マイル北にあるベルガリアのニムタにアシュラムを持っていたことを、偶然、彼女たちの近くにいた年配の女性から聞きました。
 ガウリー・マーは、両親に何も言わず家を出て、人々に道を尋ねながら、そのアシュラムに向かいました。
 彼女が到着したとき、聖者は自分の小屋の中で瞑想していたので、彼女は待っていました。
 しばらく経ってから、聖者は心から彼女を歓迎し、彼女が近くの家に滞在するための手配をしました。

 その翌日はラーサプールニマ――クリシュナがゴーピーたちと遊んだ秋の夜の満月でした。
 聖者はガウリー・マーにガンガーで沐浴するように指示し、彼女が沐浴から戻ってきたとき、彼は彼女をイニシエートしました。

 一方、彼女の実家では、彼女の留守が発覚し、ひどい騒ぎになっていました。彼女の兄は、彼女がニムタに行ったと年配の近隣の女性から聞いて、彼女を連れ戻しに行きました。

 彼が到着したとき、聖者は言いました。

「どうか彼女を叱らないでください。彼女はほんの幼い少女です。黄色い鳥を鳥籠で飼うのは難しいことなのですよ。」

 その後、彼女はグルの許可を得て、家に帰りました。
 家族によって与えられたガウリー・マーの本名はムリダーニーでしたが、彼女はまたルドラーニーとも呼ばれました。彼女の出家名はガウリー・プリで、シュリー・ラーマクリシュナとホーリーマザーはよく彼女のことをガウル・ダーシー(ガウラーンガのしもべ)と呼ばれました。
 また、彼女の肌の色がシヴァの配偶者である母なる女神ガウリーのそれのように黄金色だったので、彼女はガウリー・マーとして知られるようになりました。

 ガウリー・マーは7人の子供の4番目として1857年に生まれました。彼女には、2人の兄弟と4人の姉妹がいました。彼女の父親パールヴァティ・チャラン・チャットパーディヤイと母親ギリバラ・デーヴィーは、ともに熱心に神に献身していました。
 パールヴァティ・チャランは正統派のブラーフミンで、彼は、ときどきヨーロッパ人の上司に嘲笑されているにもかかわらず、額に宗教的な印をつけて会社に行っていました。
 ギリバラはとても心優しく、また非常に有能でした。彼女はたくさんの宗教歌や賛美歌を作曲し、それらはナーマサーラとヴァイラーギヤ・サンギーターマラで出版されました。彼女は、自分の父親の富や財産を相続していたので、家族全員がカルカッタの邸宅でほとんどの時間を過ごしていました。

 かつて、ある占星術師がガウリー・マーについてこう預言しました。

「この少女はヨーギニーになるだろう。」


 幼少の頃から、彼女は家族の聖堂を飾ることが好きで、彼女独自の方法で主を礼拝していました。
 彼女はしばしば貧しい人たちや無力な人たちに施しを与えていました。また、彼女は厳格な菜食主義者であり、おいしい食べ物やおしゃれな服を欲しがったことは一度もありませんでした。

 ある日、彼女は兄とボートである場所に出かけました。その途中で、彼女は思いました。

「どうして女性は宝石を身に付けるの? もしわたしがどんな装飾品も持ってないとしたら、わたしは不幸でなければならないのかしら?」

 彼女は手首に家族が与えてくれた金の腕輪をつけていました。ふと思いついて、彼女はそれをはずし、噛んでみました。金にまったく味がないと分かったとき、彼女はそれをガンガーに投げ捨てました。
 その後、もちろん彼女は両親に叱られました。
 彼女は叔父のチャンディに、インドの聖地についての話、特にヒマーラヤ地方の人たちのことを聞くのが大好きでした。これは彼女の想像力を掻き立て、彼女自身、それらの場所へ旅行することを切望していました。

 子供であるにもかかわらず、ガウリー・マーは、恐れ知らずで妥協しませんでした。また、どんな外的な苦難も、彼女が正しいと思った決心から少しも彼女を逸脱させることはできませんでした。
 彼女は最初に、彼女の学術的な才能が認められ、金メダルを与えられた南カルカッタのキリスト教の伝道者の学校に送られました。
 しかし、彼女は学校を去りました。なぜなら、彼女は宣教師たちの偏狭な宗教観を容認することができなかったからでした。他の少女たちもガウリー・マーの前例に続き、彼女たち全員がヒンドゥー教の学校に入学しました。

 ガウリー・マーは鋭い知性と優れた記憶力を持っていました。10代のはじめの頃、彼女はサンスクリットの文法を学び、多くの神と女神への賛歌を記憶し、同様に、ギーター、チャンディ、ラーマーヤナ、マハーバーラタの一部を暗記していました。

 ガウリー・マーがイニシエーションを受けてからしばらく後、ヴリンダーヴァン出身の出家尼僧が彼女の家の客として訪れました。
 この尼僧は、彼女が毎日礼拝していたダーモーダル・シーラというヴィシュヌの石像を持っていました。

 旅立つとき、尼僧は彼女の最愛のヴィシュヌをガウリー・マーに与えて、こう言いました。

「この神の像は私のすべてのすべてで、生きているのよ。でも彼はあなたと恋に落ちたので、彼をあなたにさし上げるわ。
 わが子よ、彼を礼拝しなさい。それはあなたのためになるでしょう。」

 ガウリー・マーはこの貴重な贈り物を受け取り、自分の夫としてこの主の像を見なしました。これ以後、彼女の人生の残りの間ずっと、彼女はどこへ行くときも主を持ち運び、主に奉仕しました。


 俗世間に対する彼女の無執着に気づいた彼女の親戚は、彼女が10歳になったときに、結婚の手配を試みました。
 しかしガウリー・マーは、はっきりとその考えを拒絶して言いました。

「私は、絶対に死なない人と結婚します。」

 彼女は彼女の最愛の夫、主ヴィシュヌで心満たされていたのでした。

 しかしながら、彼女が13歳になったとき、彼女の意志に反して花婿が選ばれ、結婚の日取りが決められてしまいました。ガウリー・マーは極めて大きなショックを受けました。
 ある日、彼女はとても憤慨して、結婚式のためにまとめられたものを捨て始めました。その後、彼女はヴィシュヌの像とチャイタニヤの写真を持って部屋に入り、部屋の中から鍵をかけました。親戚の多くが彼女を慰め、結婚することを説得しようとしましたが、彼女は譲りませんでした。

 その夜、彼女の母親は、彼女にドアを開けて中に入れてくれるように彼女に頼みました。ガウリー・マーは母親の言うことに従いました。
 娘の苦痛や苦悩を見て、ギリバラは言いました。

「わが子よ、あなたは俗世間への本当の無執着を持っているから、私はあなたが結婚することを強制すべきではないわね。
 私は今をもって、あなたを神に捧げるわ。主があなたをすべての危険からお護りくださいますように。」


 ギリバラは、夫と他の親戚たちが彼女を叩きさえするかもしれないほど彼女を怒っていたのを知っていたので、ひそかに裏口を通り、隣の家にガウリー・マーを送り出しました。そして親戚たちの怒りが落ち着くまで、ガウリー・マーをそこに隠しました。このようにして、神は結婚の束縛から彼の信者をお救いになったのでした。
 すべての人々を同じカテゴリーの中に入れることはできません。ある人々は在家の生活を送らなければならず、他の人たちは出家生活のために生まれてきました。それぞれが、自身の場所において偉大です。

 ガウリー・マーは遍歴の出家尼僧になることを切望していましたが、一人旅は少女にとっては容易ではありませんでした。
 彼女はチャンスを待ち、彼女の道が示されることを神に祈りました。


 1875年、彼女が18歳のときに、ガウリー・マーはガンガーサーガル(ガンガーとベンガル湾の合流点)への巡礼に、叔父と叔母、そして何人かの近隣の人たちと共に出発しました。

 滞在3日目に、彼女は巡礼者の群集の中に姿を消しました。親戚や近隣の人たちは彼女を探して3日間無駄に過ごした後、カルカッタに戻りました。
 ギリバラはその知らせを聞いて悲しみに打ちひしがれ、病に倒れました。家族は彼女を見つけた者には千ルピーの報酬を与えると公表し、インドのさまざまな聖地に使者を送りました。


 親戚から逃げた後、ガウリー・マーは彼らの動きが観察できる場所として、彼らのテントの近くの茂みの中に身を隠しました。そして彼らが去ったのを見るとすぐに、彼女はヒマーラヤ地方から来た僧と尼僧の集団に加わりました。彼女は、彼女だと分からないように、尼僧のような服を着ました。
 一団は電車、または徒歩による移動でさまざまな聖地を訪れ、最終的にハリドワールに3ヵ月後に到着しました。
 ガウリー・マーはかつて、苦行を実践する苦行者たちの場所であるハリドワールやリシケシについて、彼女の叔父のチャンディから聞いたことがありました。
 今や、ヒマーラヤとガンガーのパノラマのような景色を実際にその目で見て、神の悟りに対する彼女の情熱は、今まで以上に呼び起こされました。


 ガウリー・マーは、リシケシから、デーヴァプラヤーガ、ルドラプラヤーガ、ケダルナート、バドリナートを訪れ、その後ハリドワールに戻りました。
 その後間もなくして彼女は、ヤムノートリー(ヤムナー河の源流)、ガンゴートリー(ガンガーの源流)、ジュワラムクティ、カシミールにあるアマルナートも訪れました。
 彼女は親戚に捕まるのを恐れて、平野には下りて行きませんでした。自分を隠すため、彼女は髪を切り、黄土色の衣を身に着けるか、またはときどきは、長いローブと男性がよく身に着けるようなターバンを巻いていました。彼女はまた自分の肉体に灰や泥を塗りつけることで身体的な美しさを隠そうとし、さらに時には、誰も彼女に近づきたがらないように、わざと狂ったふりをしました。
 彼女はヴィシュヌの像を首にかけて持ち運び、包みの中には、少しの日用品およびカーリーとチャイタニヤの絵、そしてチャンディとシュリーマド・バーガヴァタムの2冊の本を持っていました。
 彼女は滅多に話しませんでしたが、彼女の身元についてしつこく尋ねられたときは、自分は結婚しており、夫と共に暮らしていたのだと言いました。言うまでもないことですが、それは主ヴィシュヌが彼女の夫であるという意味でした。


 この遍歴時代、ガウリー・マーは、例えば断食、沈黙行、瞑想、経典の学習などのさまざまな苦行を実践しました。
 ときどき彼女は、日の出から日没まで、自分のマントラを繰り返しました。
 彼女はしばしば托鉢のために家々を回りましたが、いくらかの場所では、村人が彼女のために食事や住まいを提供するのを買って出てくれました。このようにして3年間、彼女は険しいヒマラヤ地方の聖地を徒歩で旅し、その間、寒さ、飢え、そして他の試練に耐えました。
 この後、ガウリー・マーは、彼女の最愛のクリシュナが遊ばれた場所であるヴリンダーヴァンへ向かいました。

 ガウリー・マーの叔父の一人が、マトゥラーの近くに住んでいました。
 ある日、彼は寺院でガウリー・マーを見かけました。彼は彼女に一緒に家に帰ることを強要し、また彼女を見つけたことを、こっそりとカルカッタにいる彼女の両親に伝言しました。ガウリ・マーは叔父がしたことを推測して、ジャイプールへと逃げました。

 そこから彼女は、プシュカール、プラバース、スダマプリー、ドワーラカーや、他の西インドの聖地を訪れました。

 あるとき、ある地方の支配者が彼の宮殿にガウリー・マーを招待しましたが、彼女は断りました。この支配者は子供を授かっていなかったので、ガウリー・マーに祝福を求めました。
 ガウリー・マーは寺院で神を指し示し、彼に言いました。

「あなたは主よりも良い子供を得ることはありません。どうぞ、あなたの心と魂すべてをもって主を愛してください。そうすれば、あなたは安らぎを得られるでしょう。」


 スダマプリの近くの村でのコレラの流行についてガウリー・マーが聞いたとき、すでに多くの人が亡くなっていました。すぐに彼女は村長のもとへ行って、病人の看病の手伝いの奉仕をすることを申し出ました。彼女はまた病人の世話をするための委員会を組織し、三日間の特別な儀式を行なうために12人のブラーフミンを雇いました。
 このようにして村人たちの気力が高められ、流行病は沈静化しました。
 ガウリー・マーはそこからドワーラカーへ向かいました。
 ある日彼女は、クリシュナ寺院の前で自分のマントラを繰り返している間、少年の御姿のクリシュナのヴィジョンを経験しました。
 しかしそのヴィジョンは一時的なもので、それは彼女を満たすどころか、彼女の憧れをいっそう増大させました。彼女の最愛のクリシュナとの別離の苦しみを深く感じた彼女は、再びヴリンダーヴァンへと戻りました。
 彼女はそこで精力的な苦行を始めました。彼女は恐れずにラリタ・クンジャ(木立)のもとで生活していましたが、ある夜、突然圧倒的なヴィジョンを得て、外界の意識を失いました。
 翌朝、数名の女性たちが、ガウリー・マーが意識を失って横たわっているのを発見しました。彼女たちは彼女が誰かを知っていたので、献身的にその世話をしました。


 一方、ガウリー・マーがヴリンダーヴァンへ戻ってきたというニュースが広まり、それを知った彼女の叔父は、彼女を自分の家へと連れていきました。
 そして彼はガウリー・マーに、悲しみに打ちひしがれた母親が書いた手紙を見せて、彼女に彼とともにカルカッタに戻ることを承諾させました。
 ギリバラが娘を見たとき、彼女は泣いて、娘を抱きしめました。ガウリー・マーの家族は、彼女が帰って来てとても幸せでした。


 しかし、一つの場所にとどまることは、自由を味わった彼女にとっては苦痛でした。
 さらに、快適さと気楽な生活は、禁欲的な修行には障害となります。
 ある日ガウリー・マーは、主ジャガンナートを訪れるためにプリに行ってすぐに戻ってくると母親に話しました。
 こうして彼女は再び家を出て、放浪の生活に入ったのでした。
 その後ガウリー・マーは、プリからサクシゴーパール、アラルナート、ブヴァネーシュワリーに行き、いくつかの僧院を訪れました。

 1880年、ガウリー・マーは、北カルカッタの裕福な地主であるラーダーモハンと知り合いになりました。彼はオリッサ州に大きな土地をもっており、またヴリンダーヴァンに隠遁所を持っていました。
 クリシュナの信者であるラーダーモハンは、ガウリー・マーの放棄と信仰に感銘を受けました。
 1882年、ガウリー・マーは彼のカルカッタの家に滞在するという招待を受け入れました。そしてそこで彼女は、彼の息子で、ラーマクリシュナの偉大な信者であったバララーム・ボースに出会いました。またバララーム・ボースは、ガウリー・マーの兄の友達でもありました。


 彼女がその家に到着してすぐ、バララームはガウリー・マーに言いました。

「シスター、シュリ・ラーマクリシュナを訪ねにドッキネッショルに行きましょう。あなたはあれほどの素晴らしい聖者に一度も会ったことはない。彼は時折サマーディに入ります。あなたが彼に会わないならば、あなたは確実に人生において大事な何かを逃すことになるでしょう。」

 ガウリー・マーは微笑んで答えました。

「私は今までたくさんの僧たちに会ってきたので、これ以上他の方を見る望みは持っていません。あなたの聖者が本当の力を持っているならば、彼がわたしを引き寄せてくださるでしょう。」


 そしてその引き寄せは、神秘的な方法でついにやって来ました。
 ある朝、ガウリー・マーは、神への日々の儀式を始めました。
 彼女は最初にヴィシュヌ神の石像を沐浴させ、その後、祭壇の上に像を置こうとしたまさにそのとき、彼女はそこに、肉体がない生きた人間の二本の足を見ました。最初、彼女はそれを錯覚だと思いましたが、何度も何度も注意深く観察しても、この二本しかない人間の足はそこにありました。
 ガウリー・マーは怖れました。彼女の体の毛は逆立ち、彼女の手は像を落としてしまうほど震えだしました。
 そして彼女は意識を失って、床に倒れこみました。
 数時間後、バララームの妻が、ガウリー・マーが意識を失って横たわっていることに気づきました。彼女は何度もガウリー・マーを呼んだものの、ガウリー・マーはまったく返事をしませんでした。
 間もなくバララームがそこにやって来て、彼女がサマーディに入っていることに気づきました。
 それからしばらくして、ガウリー・マーは少し外界の意識を取り戻し、彼女自身の胸を指さしました。彼女は、誰かが彼女の心にひもを結びつけ、引っ張っているように感じていました。そしてそのまま彼女は半意識状態で一昼夜を過ごしました。


 次の日、ガウリー・マーは誰にも言わずにそこを去ろうとしましたが、門番が彼女を止めました。そのときちょうどそこにバララームがやってきて、彼女に言いました。

「どこに行きたいのですか? シスター、ドッキネッショルの師に会ってみてはいかがですか?」

 ガウリー・マーは何も答えませんでしたが、バララームは彼女の沈黙が同意を意味しているということを理解しました。彼はすぐに馬車を用意するように御者に命じ、そして彼らはバララームの妻と数名の女性をともなって、ドッキネッショルに向かって出発しました。

 彼らが到着したとき、彼らは、シュリー・ラーマクリシュナが部屋に座って、杖の周りに糸を巻きつけながら歌ってらっしゃるのを見ました。


「おお、母よ ヤショーダーのためにあなたは踊っておられる
 彼女が汝を大切な『青い宝石』と呼んだとき
 あなたはどこにその愛らしい御姿をお隠しになっておられるのか?
 おお、ひどいシャーマーよ
 私のために、一度だけでもそのように踊ってください おお、母よ!』


 彼らが到着したのに気づくと、シュリー・ラーマクリシュナは糸を巻きつけるのをやめて、心から彼らを迎え入れました。
 ガウリー・マーは、シュリ・ラーマクリシュナが糸を巻きつけているという行為が、彼が彼女の心をその糸によって引きつけていたことの象徴であると理解しました。

 それからガウリー・マーは、シュリー・ラーマクリシュナにおじぎをしました。するとそのとき彼女は、前日に祭壇で見たのと同じ、あの二本の足を見ました。彼女は喜びと驚きに圧倒されました。シュリー・ラーマクリシュナはただ微笑まれました。

 彼はガウリー・マーについてバララームに尋ねられ、それから彼らに霊的生活について話されました。そして師はガウリー・マーにおっしゃいました。

「またおいで。」
 翌日、ガンガーで沐浴したあと、ガウリー・マーは、二枚の衣と、自分と分けることのできない伴侶である主ヴィシュヌを伴ってドッキネッショルへ行きました。
 師の部屋に入るとすぐ、彼はおっしゃいました。

「わたしはお前のことを考えていたのだよ。」

 ガウリー・マーは彼女自身のことと、祭壇での師の御足のヴィジョンについて彼に話しました。

「父よ、私はあなたがここにお隠れになっていたことを知りませんでした。」

 師は微笑んでおっしゃいました。

「もっと早くに私と会っていたら、お前はそれほど多くの苦行を実践してきたかね?」


 それからシュリー・ラーマクリシュナはガウリー・マーをナハバトへ連れていき、彼女をホーリーマザーに紹介しておっしゃいました。

「やあ、お前は仲間を探していたね。ほら、これがお前の探しものだよ。」


 これ以降、ホーリーマザーがいらっしゃるときはいつでも、ガウリー・マーはドッキネッショルで生活しました。ホーリーマザーが彼女の実家に行かれるときは、バララームの家に滞在しました。また彼女はときどき師のために料理をし、心地よい声で師のために歌いました。

 シュリー・ラーマクリシュナは彼女について、かつてこうおっしゃていました。

「ガウリーは完全な魂――ヴリンダーヴァンのゴーピーなのだよ。」
 ある日、ケダルナート・チャットパーディヤイはシュリー・ラーマクリシュナに、彼の友人のウィリアム氏を紹介しました。
 師は神について話されたあと、バララームの家にいるガウリー・マーに会うように勧められました。
 最初、ウィリアム氏がガウリー・マーを見たとき、彼は非常に強い霊的な振動を感じ、彼女を聖母マリアと呼び、彼女の祝福を受けるために彼女に祈りました。ガウリー・マーは彼の深い信仰心に感銘を受けました。彼女は少しの間、彼と話をし、いくつかのプラサードを彼に差し上げました。


 シュリー・ラーマクリシュナはガウリー・マーを通じて特別な使命を果たすことを望んでおられました。彼は特に教育の分野でインド社会の女性がひどく軽視されていることに気づかれ、ガウリー・マーが彼女たちのために働いてほしいというのが彼の望みでした。

 ある日、彼は彼女におっしゃいました。

「ジャドゥ・マリックの家族の女性たちはお前と会うことを望んでるよ。どうぞ彼女たちを訪ねてやっておくれ。」

 しかし、ガウリー・マーは答えました。

「それはあなたのお仕事です。父よ! なぜあなたは他人に向かって、そんなにも私のことを称賛なさるのですか?」


 別のおりにガウリー・マーがナハバトの近くで花を摘んでいたとき、師は水瓶を持ってそこに来られました。そして片手でバクル樹の枝をお持ちになり、もう一方で水を注ぎ始められました。それから彼はおっしゃいました。

「ガウリー、私が水を注ぐので、お前は泥をこねなさい。」

 驚いて、ガウリー・マーは答えました。

「ここに泥はありません。どのようにして泥をこねることができましょう? この場所は小石でいっぱいです。」

 師は微笑んでおっしゃいました。

「何と! 私が言ったことを、お前がそう理解したとは!
 この国の女性たちの状態は非常に貧しく、つらいのだよ。お前は彼女たちのために働かなければならないだろう。」

 しかしガウリー・マーは、この考えを好みませんでした。

「世俗的な人と付き合うのは、私にとって難しいことです。」

 彼女は師に話しました。

「私はあらゆる喧騒に興味がありません。私に何人かの少女をお与えください。私は彼女たちをヒマーラヤへ連れていき、彼女たちの人格を形成するでしょう。」

 しかし師は頭をふって、おっしゃいました。

「いやいや、お前はこの街で働かねばならないのだよ。お前はもう十分に霊的訓練を実践した。たった今から、お前はお前の霊的エネルギーをもって女性たちに奉仕しなければならないのだよ。」
 ガウリー・マーはシュリ・ラーマクリシュナとホーリーマザーを自分の両親として見なしていたため、彼らに対して遠慮をしませんでした。
 また同時に彼女は師がアヴァターラであると認識しており、彼とチャイタニヤが同じであると信じていました。

 ある日、シュリー・ラーマクリシュナがナハバトでホーリーマザーとガウリー・マーと話しているとき、師はガウリー・マーをからかい始めました。彼はガウリー・マーがホーリーマザーのことをとても愛していると知っていたので、このように聞いたのでした。

「お前は誰をより愛しているかね?――彼女かね? 私かね?」

 ガウリー・マーは歌で答えました。

「おお、横笛を奏でられるクリシュナよ、あなたは決してラーダーより偉大ではありません
 困難にあるとき、人々はあなたを呼び求める
 しかしあなたが困難にあるとき、あなたの横笛の音色はラーダーの御名を歌う」


 ホーリーマザーは、とても恥ずかしい思いをしたと言って、ガウリー・マーの手を握り締めました。師はお笑いになり、その場を去っていかれました。



 ある早朝、ホーリーマザーは、ガンガーで沐浴をするためにガートの階段を下りていました。
 まだ暗かったので、彼女は鰐が階段の一つに横たわっていることに気づきませんでした。幸いなことに、彼女がそこまで下りる前に、彼女の近づく音で鰐は川に飛び込みました。ホーリーマザーは叫び声を上げて、ナハバトへ走りました。ガウリー・マーは彼女を抱きしめ、彼女を慰めようと冗談を言いました。

「それは鰐ではありませんよ、マザー。それは主シヴァなのです。彼があなたの御足に触れるためにやってきたのです。」

「冗談はやめて。」

 ホーリーマザーはおっしゃいました。

「私はまさに恐怖で死にそうなのですよ。」

 ガウリー・マーは言いました。

「あなたは無恐怖の権化なのですよ、マザー。どのようして恐れることができましょうか?」
 あるときシュリ・ラーマクリシュナは半円形のベランダにお立ちになって、こう言われました。

「おお、マーヤー。どうぞ来ておくれ。」

 ガウリー・マーは驚いて、なぜマーヤーを呼ばれたのかを師にお聞きました。
 師は、彼の心の自然な流れが非常に高い領域に上昇し、それを下げるのが大変だったことを説明しました。
 師は、彼の心が低いレベルにとどまり、彼の弟子たちを助けることができるように、マーヤーと呼ばれたのでした。
 これは、師が彼らのために抱いていた愛を示しています。


 師はよく瞑想のためにドッキネッショルのさまざまな寺院やパンチャバティに弟子たちを向かわせました。師は一人一人に監視の目を向け続け、弟子たちが過度な苦行や断食を行なっているのに気づいたときは、こうおっしゃいました。

「どうか規則的に食事を食べて、それからお前のジャパと瞑想を実践しておくれ。母なる神は他人ではない。彼女はお前自身のものなのだよ。
 彼女はお前が最初に食べてから彼女を呼んだとしても、怒ることはない。
 カリユガにおいては、人間の肉体は過度の苦行に耐えられないし、健康状態が良くないと、霊的訓練の実践も難しくなってしまうのだよ。」

 師の命令を受けて、ガウリー・マーは、彼女が自分の子供と見なしていた師の弟子たちのためによく食事を作りました。


 ある日、ラカール(後のスワミ・ブラフマーナンダ)はとてもお腹がすいていたので、それを師に話しました。当時はドッキネッショルにレストランや菓子屋はなかったので、師はガンガーの岸に行って、大声で呼ばれました。

「おーい、ガウル・ダーシー! どうか来ておくれ。私のラカールがお腹をすかせているのだ。」

 しばらくして、ボートがカルカッタのほうからやってきました。
 ボートが寺院の庭のガートに停泊したとき、師は、バララームとガウリー・マーその他の者たちが、ラスグッラ(甘いシロップに浸したチーズボール)を持ってやって来たのを見つけられました。彼はすぐにラカールをお呼びになり、言いました。

「来なさい、ラカール! 彼らがラスグッラを持ってきてくれたよ。来て食べなさい! お前、お腹がすいたと言わなかったか?」

 ラカールはとても恥ずかしい思いをしました。彼は師に言いました。

「師よ、なぜ他の者たちの前で私がお腹がすいていると話したのですか?」

「何の問題があるのだね?」

 師はおっしゃいました。

「お腹がすいてるのだから、食べるのは当然だよ。そう言って何が悪いのだ?」


 師はさまざまな恍惚的なムードの中でドッキネッショルでの日々を過ごされました。ある日、彼はバラ園でサマーディにお入りなられ、衣服がイバラの茂みの中で絡まりました。ガウリー・マーはそんな彼を見つけ、彼の部屋へと彼を連れて帰りました。
 彼女は数回ほど、沐浴ガートの階段で恍惚状態になっている師を見つけました。
 ガウリー・マーはドッキネッショルでとても幸福でしたが、人里離れた地で多くの苦行を実践したいという望みを持っていました。師は彼女の意向を理解されていたので、彼女をお止めになりませんでした。
 ある日、彼女はヴリンダーヴァンへ出発し、そこで9ヶ月間、日の出から日没までジャパと瞑想を実践しました。その一方で、シュリー・ラーマクリシュナは、聖なるお遊びを終える準備をしていらっしゃいました。

 1886年8月16日に師がこの世を去る数日前、彼はガウリー・マーについてこのように話されていました。

「彼女はとても長い間、私ととても近かった。しかしもう、私を見ることはできない。私は彼女に対する深い愛情を持っているのだよ。」


 バララームはヴリンダーヴァンに彼女について問い合わせる手紙を書きましたが、誰も彼女がどこにいるかを知りませんでした。


 師が亡くなられた後、ホーリーマザー、ラクシュミー、Mの妻、ゴーラープ・マー、スワミ・ヨーガーナンダ、アベーダーナンダ、アドブターナンダは、共に巡礼に出かけました。
 ヴリンダーヴァンの近くのラーダーの生まれた場所で、偶然、スワミ・ヨーガーナンダは、ガウリー・マーが瞑想に座っているのを見ました。彼は彼女の邪魔をせず、すぐにホーリーマザーに知らせました。
 翌日、みなでガウリー・マーに会いに行きました。彼女が師についての悲しい知らせを聞いたとき、彼女は嘆き悲しみ、ホーリーマザーを抱きしめました。二人とも、その後もひどく泣いていました。
 ホーリーマザーは、師がお亡くなりになった後、腕からブレスレットをはずし、伝統的な未亡人の服装を身に着けようとすると、師が彼女の前に現われ、彼女にそうすることを禁じられたのだということをガウリー・マーに話しました。そして師は、ガウル・ダーシーに相談するようにとマザーに告げました。
 そのことを聞くと、ガウリー・マーは言いました。

「マザー。師は永遠であり、常に存在していらっしゃいます。そしてあなたは女神ラクシュミーでございます。」

 それからヴァイシュナヴァ・タントラを引用し、自分の夫がクリシュナであるならば、人は未亡人になることはできないと説明しました。


 その後、彼女は再びガンゴートリー、ヤムノートリー、ケーダールナート、バドリナートを訪れました。
 そして彼女はカルカッタに戻り、コレラにかかったため、しばらくバララームの家族と共に暮らしました。
 ガウリー・マーが回復すると、彼女の母親が彼女を家に連れて行きましたが、ガウリ・マーは再び高熱をともなった病気にかかりました。
 彼女は生まれついての出家尼僧であり放浪者であったので、家族と一緒に住んでいる間は心が落ち着きませんでした。
 そこである程度身体が良くなるとすぐに、彼女は誰にも告げずに南インドに旅立ちました。

 彼女はティルパティ、カーンチ、マドゥライ、ラーメーシュワルやカンニャークマリを訪れました。
 ラーメーシュワルにて、彼女はガンゴートリーから持ってきた水で主シヴァを礼拝しました。そして中央インドのいくつかの聖地を訪れた後、彼女はカルカッタに戻りました。
 1894年、スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、アメリカから兄弟弟子へ、このような手紙を書いています。

「あなたがやって来て何か善を為したいなら、あなたの儀式を船の外に投げ捨てて、生ける神を礼拝しなさい。人なる神――人間の御姿をまとったありとあらゆる存在――普遍的、そして個別的な神――この考えを広めなさい。村から村へ、家から家へと行きなさい。――そうすれば、唯一の真実の仕事が果たせるでしょう。
 私たちは男性と女性の両方を求めている。魂に性別の区別はないのです。ガウリー・マーはどこですか? われわれは幾千ものそのような気高い活動的な魂をもつ母を必要としているのです。」

 ヴリンダーヴァンにて、ホーリーマザーもまた、ガウリー・マーに思い起こさせました

「師は、あなたの人生が女性たち――生ける女神たちへの奉仕のためにあるのだとおっしゃっていました。」


 ガウリー・マーは20年に渡る旅によって、直接的にインドの人々、特に女性の問題について知ることとなりました。
 そしてついに彼女は、シュリー・ラーマクリシュナが彼女に指示された使命を果たすための内側の衝動を感じ始めました。

 1895年、ガウリー・マーは、カルカッタの北14マイル、バラックポールのガンガーの岸に、女性のためのシュリー・シュリー・サーラデーシュワリー・アシュラムを設立しました。
 そのアシュラムには25人のメンバーがおり、ガウリー・マーはインドの古くからの伝統に従って、彼女たちを訓練しました。
 全員が早朝に起きて沐浴し、それからジャパと瞑想を実践しました。その後、家事をして、ガウリー・マーの監督のもとに教えを学びました。
 アシュラムは木々に囲まれた藁葺きの小屋で、村のように設計されていました。校舎はなかったので、ガウリー・マーは木の下か、または藁葺き小屋のベランダで授業をしました。
 あるときホーリーマザーがアシュラムを訪ねてこられ、ガウリー・マーの先駆的な仕事を祝福されました。
 あるときホーリーマザーは、ガウリー・マーの確固たる愛と信仰を称賛してこうおっしゃいました。

「ガウル・ダーシーがどのようにして主の石像を手に持って彼女の人生を過ごしてきたか。驚くべきことですよ。」

 ガウリー・マーは、彼女の生きている夫として像を扱っていました。

 ある午後、彼女は昼寝をしようとしていましたが、なぜか落ち着きませんでした。そして彼女は、昼食に主にミルクを捧げていないことを思い出しました。主は十分に食事ができていなかったので、睡眠を少しもとっていらっしゃいませんでした。
 すぐに彼女は起き上がり、聖堂へコップ一杯のミルクを持っていき、主に捧げました。それから彼女は少し休むことができたのでした。

 別のとき、ガウリー・マーは病気にかかったので、規則的な食事の変わりに、いくらかの甘いお菓子と果物を主に捧げ、早く休みました。しかし真夜中に彼女は突然起き上がり、キッチンへ行って主のためにいくつかのルチ(揚げパン)を作りました。 
 キッチンで物音がするのを聞いて、生徒たちがそこに行くと、ガウリー・マーは微笑んで説明しました。

「うたた寝していると、主が私に話しかけられたのよ。主がお腹をすかせていたので、私は料理を始めたのです。」
 最初アシュラムはバラックポールにありましたが、運営のための資金は、カルカッタの信者たちからの援助に頼っていました。
 この理由から、1911年に、彼女は、北カルカッタのホーリーマザーのお住まいからそう遠くない場所にアシュラムを移しました。
 50人の献身的な女性たちがアシュラムに加わり、300人の少女たちがそこで教育を受けました。ガウリー・マーは、資金を調達し、建物の建設を監督し、家事を行ない、そして奉仕者の訓練に気を配らなければなりませんでした。
 数名の師の直弟子たちと数名の信者たちが財政的に彼女を助けましたが、それではまだ十分ではありませんでした。

 あるとき彼女は、自分たちとサラデーシュワリー・アシュラムの目的を説明するために、会合を設け、カルカッタの裁判官と多くの著名人を招待しました。
 彼女は、女性のための教育が社会の再生のために不可欠であると強調し、また古代インドの偉大な女性たちの理想と貢献を彼らに説きました。
 徐々に、何人かの寛大で高潔な人々が、彼女の仕事に賛成し、彼女を助けるために名乗り出るようになりました。
 彼女はまたインド各地に旅し、インドの女性たちへの教育の必要性について講義を行いました。
 彼女は、寛大な性格と、人々を説得する力を持っていました。彼女は無一物の出家尼僧でありましたが、師への信仰が彼女に成功をもたらしたのです。


 人を偉大にするのはその人の行動であり、評判ではありません。
 偉大な人々はこの世界では少数です。そしてガウリー・マーは真にその一人でした。


 あるときホーリーマザーは信者たちに、彼女についてこうおっしゃいました。

「ガウル・ダーシーは彼女のアシュラムで見事に少女たちの世話をしています。誰かが病気になれば、彼女がその人の世話をすべて行います。
 彼女は以前はそのようなことを決してしませんでしたが、今は師が彼女にそのようにさせていらっしゃいます。これが彼女の最後の生なのです。」
 カルカッタでのある朝、ガウリー・マーは数名の生徒とガンガーに沐浴に行きました。そこで彼女は、ある少女が川に流されていることに気づきました。
 何人かの人々が少女を見て嘆いていましたが、彼らは彼女を救うための努力を何もしていませんでした。ガウリー・マーは彼らを叱り、自分の衣を腰の周りに結ぶと、

「母なる神に勝利あれ!」

と叫んで、少女を救うために川に飛び込みました。
 しかしガウリー・マーは泳げなかったのです! それを知っていた彼女の生徒たちは悲鳴をあげました。
 そうこうしているうちに二人の男もまた川に飛び込み、彼らが少女を救いました。ガウリー・マーもまた幸いにも一命を取りとめました。


 ガウリー・マーはときどきは粗野な外見を見せていましたが、その心は愛と優しさに満ちていました。
 あるとき、裕福な大酒飲みが彼女に敬意を払いにやってきましたが、彼女ははっきりと彼に言いました。

「私は酔っ払いが私の足に触れるのを許しません。」

 男は傷ついて言いました。

「あなたはすべての者の母であるのに、酔っ払いの母になることを嫌がられるのはなぜですか?」

「いいでしょう。」

 ガウリー・マーは言いました。

「あなたが酒を飲むのをあきらめるなら、私はあなたの母になるでしょう。」

「ならば私を祝福してください。母よ。」

 酔っ払いはそう言うと、頭を下げて去っていきました。

 後にガウリー・マーは、彼が本当に飲酒をあきらめて、生き方を変え、神の信者になったことを知りました。
 学校を設立した後も、ガウリー・マーはインドのさまざまな地域へ巡礼を続けました。
 彼女は多くの興味深い人々と会い、多くの経験をしました。アラハバードのトゥリヴェニで苦行を実践していたとき、高級な服と宝石を身に付けた美しい女性が、ある日、彼女のところにやって来て、泣き始めました。

「なぜ泣いているのですか?」

 ガウリー・マーは聞きました。

「私にどんな希望があるでしょうか? 母よ。」

「何があったのですか? なぜあなたはそんなに落ち込んでいるのですか?」

 女性はガウリー・マーに、彼女の悲しい人生と、過去に犯してしまった道徳的な過ちについて述べた後に、言いました。

「どうぞ、わたしがどのようにして平安に達することができるかをお話しください。」

 ガウリー・マーは彼女に話しました。

「平安への道は極めて困難です。世俗的な楽しみへの切望を放棄することなしに、誰もその道を歩くことはできません。
 あなたが人生において真に平安と至福を欲しているならば、神に呼びかけることです。振り返ってはなりません。何が起ころうとも、どんなことが起ころうとも、それを忘れなさい。」

 ガウリー・マーからいくつかの霊的な指示を受けた後、彼女はヤムナー川に宝石を投げ捨て、長い髪を切り、普通の衣服を見に着け、苦行を実践するためにリシケシへと向かいました。
 何年も経ってガウリー・マーは彼女に再び会い、彼女の変化に感銘を受けました。


 ガヤーにいるときは、数名の女性の巡礼者が、貪欲で不誠実な祭司たちによって、お金のために苦しめられていることを聞きました。
 祭司たちも、自分たちの要求が満たされない限り彼女たちに街を離れさせないと言って、彼女たちを脅し、監禁していました。
 ガウリー・マーはその地でとても尊敬されていたので、問題の解決策を見出すために、祭司に会い、彼らから巡礼者たちと話をする許可を得ることができました。
 その中の一人が、ガウリー・マーにこのように尋ねました。

「母よ、あなたは女性です。もし彼らがあなたを捕らえたなら、あなたはどのようにして私たちを救うつもりだったのですか?」

 ガウリー・マーは微笑んで答えました。

「誰がわたしを捕らえられるでしょうか? 心配はいりません。神は私と一緒におられます。そして主はあなたをお救いくださるでしょう。」


 その後、彼女は祭司たちにお金を持ってくるふりをして立ち去り、すぐに個人的に知っていた警察官と一緒に戻ってきて、女性たちを解放しました。
 ガウリー・マーは、彼女自身が勇敢な女性であり、他の女性のなかにもこの性質を見ることを望んでいました。数名の女性信者たちは、彼女がときどき男性の遊行僧のように、長いローブとターバンを身に着けていることを知りました。
 ある日ふざけて、彼女たちはそれらの服を着た姿を見せてほしいとガウリー・マーに頼みました。しかしガウリー・マーは、そうするとあなたたちは怖がるでしょうと言いました。
 ある早朝、男性たちが仕事で留守にしていたとき、ガウリー・マーは、ローブとターバンを身につけ、竹の杖を持って、それらの女性信者たちの前に現われました。それをガウリー・マーと気づく事ができなかった彼女たちは、建物のなかに見知らぬ男がいると思い、叫び声を上げました。
 それからガウリ・マーは正体を明かし、彼女たちを叱りました。

「これは何ですか? なぜあなたたちはそんなに男を恐れるのですか?
 あなたたちが見た見知らぬ者が建物のなかに立ち入ってるときに、なぜ彼に何かを投げつけることをしないで、叫んだりしたのですか?
 三人の女性が一人の男を追い出すことは不可能ですか?
 それは良い主婦として良いことではありません。主婦は強くならなければならないし、自分自身を護ることを学ばなければなりません。」


 1916年のある日、ガウリー・マーはベルル・マトを訪れました。スワミ・ブラフマーナンダは快く彼女を歓迎し、どのようにして師と会ったか、また彼女の遍歴の日々について、そしてタパシャー(苦行)について彼女に聞くことを僧たちに勧めました。
 一人の僧が言いました。

「私たちは、あなたが家を出たときはまだ少女だったと聞いています。あなたは一人で旅をするのが怖くなかったのですか?――少しのお金も持たずに。」

 ガウリー・マーは答えました。

「わが子よ、すべての恐れは肉体に関するものです。私は、誰も私を傷つけることができないような何かを持っていました。」

 それから、彼女はきっぱりと言いました。

「師の恩寵によって、私は貪欲な人たちを蛆虫のように見なし、彼らの場所はいつも足下にありました。」



 非協力運動の際、マハトマ・ガンジーがカルカッタにやって来たあるとき、ガウリー・マーの弟子のラージャ・ラオは、ガウリー・マーがチッタランジャン・ダースの家で彼に会うための手配をしました。
 ガンジーは彼女が流暢なヒンディー語で話したことに感動をおぼえ、その後、彼女の活動について尋ねました。
 彼女は彼に、バガヴァッド・ギーターに従ってニシュカーマ・カルマ(非利己的な活動)について、そしてシュリー・ラーマクリシュナとスワミ・ヴィヴェーカーナンダの「人々を神と見て、奉仕しなさい」という現代にとっての理想について述べました。
 また彼女はインドの女性の教育の重要性をガンジーに説明しました。ガンジーとチッタランジャン・ダースはともに彼女の個性に圧倒され、彼女の仕事を高く評価しました。
 「オーム、シュリー・ラーマクリシュナに礼拝を捧げます。

 人間は、無気力と、世界のささいな事柄に関わることが原因で、人生の義務を忘れてしまっています。マーヤーに夢中になり、彼らは神を忘れているのです。シュリー・ラーマクリシュナは、人々の心に神の意識を目覚めさせるために、この時代にお生まれになりました。彼の100周年の祝祭は、永遠の真理――彼の人生が与えるメッセージ――を人類に思い出させます。

 私がシュリー・ラーマクリシュナを思うときはいつでも、ドッキネッショルでサマーディに入っておられる彼を心に思い描き、彼の心地よい歌を聴きます。

『おお、母よ あなたの愛で私を狂わせてください! 知識や理性でできた私など、何の価値がありましょうか?』

 この吉兆なときに、私たちはドライな議論と知的な推論をあきらめて、燃えるような信仰と神への完全なる明け渡しを、私たち自身の内に燃え立たせましょう。
 師の不滅のメッセージを実現しましょう。
 そして修行を通して、自己を犠牲にして、彼の使命を果たされ、夫を助けられた偉大な女性、シュリー・サーラダーデーヴィーに私たちの敬意を払いましょう。

 シュリー・ラーマクリシュナは単に理想的な僧や生きながらにして自由な魂であっただけではなく、シャクティー(聖なる力)――偉大なシャクティーの源――の敬虔な信者でした。
 彼の力は今、すべての方向に広がり、彼の御名の下、さまざまな慈善団体が生活のなかに入って来ています。
 彼の心は、貧しい人や苦しめる人のために哀れみを起こされました。スワミ・ヴィヴェーカーナンダは師から生ける神(人間の姿の中の神)を崇拝するという考えを得て、この考えを世界中に広めていきました。

 私たちがシュリー・ラーマクリシュナの神聖な人生について述べられることには終わりがありません。
 言葉や表現は、彼の無限の性質を述べるのに不十分です。さまざまな信仰と宗派や多様な考えが、彼の中で混じりあっています。
 彼の理想のなかに、区別や嫌悪、または衝突はありません。――偉大な調和と統一のみがあります。
 人生が行動と叡智と信仰の融合であった偉大な魂、シュリー・ラーマクリシュナを忘れないようにしましょう。それによって自分自身を浄化しましょう。

 シャーンティ、シャーンティ、シャーンティ」
 「組織が成功するのは、それが大きいからでも、または長い歴史を持っているからでもなく、その中に、それで生活し、それに眠り、それを夢見て、それのために未来の計画をする者たちがいるからである」という言葉があります。
 ガウリー・マーは、彼女の人生でこれを実践しました。師が彼女に求められたことに従って、彼女は近代インドの女性の教育の先駆者の一人になりました。
 彼女はインドの古代の理想に従った教育機関の基礎を築き、アシュラムの女性たちを訓練しましたが、いつも彼女は自分自身を「アシュラムの召使い」と見なしていました。そして彼女はそのように純粋で献身的で質素な生活を送っていたので、生徒たちのためのすばらしい模範となっていました。
 ガウリー・マーは彼女たちによくこう話していました。

「覚えておきなさい。女性の美しさは、衣服や化粧品を通じてではなく、肉体と心の純粋さを通じて高められるのです。」


 ガウリー・マーは年をとるにつれて、体が機能しなくなり始めましたが、さまざまな霊的ムードで日々を過ごしていました。
 ある日、彼女は二人の出家尼僧に話しました。

「見てごらん。私はヴリンダーヴァンに行くでしょう。だから私のために泣いてはなりませんよ。」

 このとき、ある者が世俗的な質問をすると、彼女は言いました。

「今後もう私に世俗の話はしないでください。私が喜びを得、あなたが幸福を得られるように、師についてのみ話しなさい。」


 愛着も妄想も死の恐怖も、ガウリー・マーに触れることはできませんでした。彼女は常に至福の中に没頭していました。



 1938年2月28日、シヴァラートリー(主シヴァの春の祝祭)の日、ガウリー・マーは言いました。

「師が糸で引っ張っていらっしゃる。」

 その日の午後、彼女は最期の出発の準備を始め、生徒に服を着るのを手伝うように頼みました。彼女はまるで本当に旅に出るかのようにシルクのサリーとショールを見につけて、花輪を首にかけました。そうして彼女は、師の馬車が自分を迎えに来ているということを示されたのです。
 その夜、彼女は彼女のお手伝い人のドゥルガー・デーヴィーに、間近に迫った師の祝祭について話し、伝統に従って彼女に助言しました。


 翌朝、1938年3月1日の火曜日、ガウリー・マーはドゥルガー・デーヴィーに、彼女の最愛のヴィシュヌの像を手渡しました。彼女は安心した様子でした。
 その日、彼女は一日中とても陽気で、師についてしきりに話をしていました。そしてその夜、彼女は三度、声に出して言いました。

「グル、シュリー・ラーマクリシュナ」

 そして彼女のマントラを静かに唱え始めました。

 そして午後8時15分、ガウリー・マーはこの世を去りました。彼女の肉体は、翌日、最愛のグル、シュリ・ラーマクリシュナの肉体が火葬された場所であるコシポルの火葬場で火葬されたのでした。
とても印象深いお話でした。ありがとうごあいました。

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