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NHK大河ドラマ 平 清盛コミュの第九回 ふたりのはみだし者

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第九回「ふたりのはみだし者」


崇徳帝(井浦新)は、即位してから15年の歳月がたっても鳥羽院(三上博史)に疎まれ続け、子もなしていなかった。
そんな崇徳の弟である四の宮・雅仁親王(松田翔太)は兄の苦悩を横目に街中をうろつきまわっていた。今様にのめりこむこの親王が、のちに為政者として清盛(松山ケンイチ)と争うことになる後白河法皇の若き日の姿であった。


2012年3月4日(日)
[総合] 午後8:00〜8:45
[BSプレミアム] 午後6:00〜6:45

※都合により放送時間が変更となる場合があります。ご了承ください。

☆上記NHKホームページより引用☆
『平清盛』オフィシャルHP
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/index.html

今日が2人のイケメンの出会いになるのですね。
清盛がはみだし者だというのはわかりますが、
後白河法皇もまた、はみだし者だったとは
興味深いですね。

コメント(166)

>モッチー殿

まぁ、それはそうなのですがね。
なかなかそれだけではいそうですかとはならない日本です。
だって、そうじゃない人たちが殺しちゃうでしょ?
特に清盛が気の毒なのは「何も残せなかった」人だということです。
>127 赤福パフェぞう さん

ひと言で片付けちゃったよ(笑)
good job !
> 廃人底辺show@Ganryuzさん
いってみれば生まれたのが早すぎたからともいえるかもしれません
>モッチー殿

でも、そうなると、そういう人はいつの時代もいるということにはなってしまいますね。
「王家の犬」ではなく「新平家物語」のように「公家(くげ)の番犬」にした方が無難だったかも。
でもそうすると、「北面の武士などは院庁に仕えていたのであって、摂関家が雇っていたわけではない」とか突っ込む人が出てくるだろうか。
そう苦言を呈しなさんなwww

なんかこのトピ、だんだんおかしくなってきたぞ(爆)

清盛と後白河のすごろくのシーン、見応えがありました。
もし視聴率が高かったら、これを機に世間ですごろくに関心がもたれて、ロフトや東急ハンズあたりで売り出されるやも知れなかったのに、現状では無理そう…

父になった清盛。東国で地盤を築き始める義朝。
一方、この二者とは対照的に堕落しようとする義清。
当初は無頼の清盛とは違い模範的な「北面の武士」であったのに、皮肉です。
再放送見ましたわーい(嬉しい顔)第8回は、都合があって見れなかったけど

毎回面白い、45分あっとゆうま・・

彰子さんは「愛おしい」とは、どうゆう事なのか解らない。と涙してました、それを義清は見て男心をくすぐられたのかしらexclamation & question

最後の方でヒシッと手を触り、抱きしめていた!えっexclamationデキちゃうのexclamation & question
これまた、ややこしや〜の状況に・・・

清盛が鳥羽院におめでとうございます。と言って、少しして鳥羽院がいなくなり、もう1人の家の中に居た人と会話した時に、その人が全く歯(お歯黒?)が無くて笑ってしまった。
先週『追悼令の宣旨』なんてありましたか???




…真剣に考えてしまいましたわーい(嬉しい顔)

そう言うの結構好きでするんるん
> みやさん

そんなのなかったです。
ガイドブックのあらすじにもないし。
> MASAさん

そんなのはドラマにもガイドブックにも無かったですよ(笑)

だから考えちゃったのですわーい(嬉しい顔)

『二人のはみ出し者』とは…?ウッシッシ
自己レスです

何だか誤解されそうだったのであせあせ

『追悼令の宣旨』はどじょうをどうじょとか
だじゃれ連発に対して、ご自分におっしゃっていたのですよね。

第九回の雅仁親王が後々されることにかけて。

私はだじゃれは嫌いでは無いのですよ。王家でOKOKとか言われると何だかどうでも良くなるし。

誤解を招くような書き込みだったらごめんなさいm(__)m

>『ふたりのはみだし者』に、追討令の宣旨
とは、管理人により退会させられた人が2人発生したということでしょう。
「管理人から」のトピ コメント386にありました。
>てれじあGさん、花鳥風月さんを退会処分といたします。

本編ではそんなことはありませんでした。
『ふたりのはみだし者』かぁ〜。

知識が豊富な方達だったので、なんとなく寂しい気もします。
管理人様もやむを得ない判断だったのではないかと思います。

清盛さんと後白河さんは今後どういくのかなぁ?
対決なのかどこかで共感なのか?今後のお二人の演技が楽しみです!!
私は本当にだじゃれが面白かっただけなんですよあせあせ

「だじゃれを言っているのはだれじゃ?」

なんてね…orz

誤解を生むような書き込みごめんなさいm(__)m


話は変わって、義清は「美しく生きたい。」と言っていましたが

先週の璋子様とのやり取りは美しい行動なのでしょうか?

璋子様が美し過ぎたからあんなことになったのかな?

奥さんもお綺麗なのに…。
126>研究してる人の間では「王家」と呼んでた。
だからといって、議論を呼びそうな言葉を迂闊に使ったのはNHKのミスです。
考証の本郷和人も、この時代には言葉としては定着していなかったと云っている。
「皇家」 と書いて「オウケ」と読ませてもよかったハズ、
そこを「王」という字を使ったのはどうしようもないミスです。

少しでも東アジア世界の歴史を知っていれば、「王家」は拙いということは常識だと思ってたけど、
東アジア世界の歴史を知らない人が多いのはオドロキです。
知っていれば、今の中国の動きも理解できると思うのですが・・・
>みやさん

それ思ったのですが、確かに男目線で見た場合に待賢門院は「いい女」だったのでしょうが、
後白河含めて結構子供がいて、もうあの当時だったら手を出すレベルの年齢じゃなかったはずなんですよね。
佐藤義清の美しさはわかりませんが、現代的なものだったのかもしれませんね。
それがかなわないと絶望した時に彼はすべてを捨てた…のかもしれないです。
>ヒデさん

横ヤリすみませんが、もういい加減この「王家」呼称で騒ぐのやめませんか?
正直、ウンザリですあせあせ(飛び散る汗)

このドラマの時代考証は二人いて、高橋昌明さんの方は正反対のこと言ってます。
つまり、この時代は「王家」という呼称が一般的だったと、著書に明記しています。
NHKは、高橋さんの方を重視したのでしょう。
学者としての地位といい、経歴といい、明らかに高橋さんの方が上ですからね。
東アジア世界の歴史がどうであれ、当時の日本はそれが一般的だったと判断したから使ったまでで、目くじら立てるほどのことじゃないと思いますが。

この問題で議論してる人たちは、単にストレス発散で騒いでるに過ぎません。
雅仁親王は清盛に負けないような奇行ぶりで、彼は崇徳帝とは違い、
鳥羽上皇からは実子と認められていたはずですが、愛情に飢えていた部分があるのでしょうか。彼も後に鳥羽上皇により皇位につけられることになるので、崇徳帝のように疎まれていたわけではないと思いますが。

あと、鳥羽上皇が寵姫美福門院との間に男子が産まれたのにあまり嬉しそうでなかったのが気にかかりました。
> 151 忍豚 さん

拙もうんざりなのですが、
また王家でOKとかコメントがあれば、それはダメですよとコメントせざるを得ません。

>目くじら立てるほどのことじゃないと思いますが。
いいえ、目くじら立てることですヨ。

異論があれば、続きはあっちでしましょう。
ヒデさん、

「王家でOK」は申し訳ありませんでした。
ただ、自分としては歴史的こだわりというよりも、役者が出そろったところで、そろそろ王家のお話はいいのではないかというような意味合いで流れを変えたかったのですが、確かにこの問題を真剣に考えていらっしゃる方々がいる中では軽率な使い方だったかもしれません。

自分としては王家にするかしないかに対してもうこだわりはありません。しいていえば、どっちでもOKなんです。
王家については取りあえず議論トピとか、もしくは別コミュで関心のある方々どうしで真剣に議論されてはいかがでしょうか?自分はそこらへんそれ程詳しくはないのですが、そういうコミュがあったら向学のためにROMってみたい気もします。

自分は9話はもう松翔さんの後白河が良くて、これからがとても楽しみです!子を思う清盛が大人になりすぎてやや不満!二人ははみ出し者同士でガンガン戦って欲しかった気も・・・?
> 廃人底辺show@Ganryuzさん

レスを頂きましてありがとうございますm(__)m

璋子様は義清の確か17歳くらい上で

しかもすでに7人のお子様を産んでおり、

普通に考えたら恋愛対象にはならないですよね。

しかも義清には既にあんなに素晴らしい妻子がいるというのに…。

平安時代の感覚と現代人の感覚には差があるとは言え

義清の気持ちは中々理解し難いです。

ドラマでは帝との歌を通じての友情も描いているので、お友達の母上でもありますしね…。

一番問題なのは璋子様の身分ですが、好きになってはいけない人だから益々のめり込んだのか…

義清の気持ちが本当に気になりますので男性の気持ちが聞けて良かったです。
> チロルチョコさん

鳥羽上皇と璋子様には7人のお子様がいらっしゃって

雅仁親王は四の宮なので弟や妹に父母の愛情がいってしまったと子供心に思ったのかもしれません。

崇徳天皇がいらっしゃるので世間一般の扱いも兄に比べて冷遇されていると感じられたのでしょうか?

そして得子様との皇子様のお祝いの席で鳥羽上皇があまり嬉しそうでは無かった?

良く気が着かれましたね。そう言われてみればそうかもしれません。

上皇は政治の安定を常に望んでいらっしゃったと思いますから

お家騒動の悪い予感がしたとか?

でもこの時点では崇徳天皇の地位は安定していたと思いますが。

細かいところまで観ていくと色々と気になりますよね。
> みやさん
私は、義清の「美しく生きたい」も清盛の「面白く生きたい」も、「心のままに生きたい」というように解釈しました。
義清は美しいものが琴線に触れ、清盛は「面白いもの」が琴線に触れるのでしょう。

しかし、院や公家の方々の衣装はなんとかならないかな〜と思います。
下重ねまで同じ色で、制服みたい。ちょっと野暮です。
藤原摂家が同じ服装と言うのは、ユニフォームみたいに分かりやすくしてるんでしょうが、院や帝の色は、常に家臣とはわけてほしいなぁ。かなりがっくりきています
>みやさん

さらにえぐい話をすれば、義清は出世のつてに手を出したのかもしれないですね。
そんなすべてに嫌気がさして出家したのかもしれないです。
芸術家や正義を重んじる男の行動としてはわかる気がします。
>チロルチョコさん

あの時代の親子関係や、王家の生母と実子の関係等、知識が無いので、現代的
な感覚かもしれませんが、璋子様がおっしゃっていた「いとしいという気持ち
がわからない」は、夫である鳥羽上皇だけでなく、我が子に対してもそうでは
なかったのではないでしょうか?

とすると、母の愛に飢えていたのかもしれないし、得子さまが入内した時、
雅仁が何歳だったのかわかりませんが、父は若い側女にうつつを抜かし、父の
愛情もあまり感じられなかったのかもしれませんね。
しかも兄である崇徳帝が、母の密通によって生まれた子であると知っている
のですから、かなり複雑な感情を母である璋子様に抱いていたのでは、ないかと
思います。
> みっちゃんさん
たしか『義経』での後白河さんは母を亡くした義経に今様狂いの原因は母の愛に飢えていたからかもといってました
皆様、義清に関してレスを頂きありがとうございましたm(__)m

参考にしながら試聴します。
>モッチーさん
あ〜、そうだったんですね。教えて頂きありがとうございますm(_ _)m
その頃大河から遠ざかっていたので、「義経」は見ていないんです。
源氏側から描かれた大河、いつか機会があったら、ぜひ見たいと思います(*'-^)-☆
後白河は清盛とも共通して英明でありながら若いころはうつけに走っただけで、実際はすごい人。
清盛は自分がそうだったのに、それが最後まで理解できなかったのが不思議です。
彼を若き日の遊興三昧に駆り立てたのが何だったのかは結局のところはよくわかりませんがねw

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