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小説・評論:孤城忍太郎の世界コミュの18、『言苑』 言葉を發する

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 この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)の

 『Motion1(Cembalo)』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
映像は服部緑地にある、

『天竺川堤防』

へ出かけた時のものです。
 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。







     18、言葉を發する 『言苑』より


 幾度も言つてゐる事だが、言葉には、

 「話し言葉」

 「書き言葉」

 とがある。
 さうして日本語は、そのどちらもが他の國の言葉に比べて亂(みだ)れてゐる、と言はれてから久しい。


 その亂れが他國とどう違ふのかといふと、日本語は「話し言葉」と「書き言葉」を近づけようとして、「話し言葉」には一切手をつけず、「書き言葉」だけを變化させたのに比べ、西洋諸國の多くは、「話し言葉」をしつかり教育し、「書き言葉」で發音しない文字があつても、所謂(いはゆる)綴字(スペル)を傳統(でんとう)に從つて、保持しようと努めてゐる事ではなからうか。


 この違ひを色々と調べてみて面白い事が解つた。
 それは日本語の教育に、讀書(よみか)きといふ授業で、小學生に國語の教科書を讀ませ、漢字以外に

 「五十音圖(ごじふおんづ)」

 をそれぞれ、

 「平假名・片假名・羅馬字」

 といふ順に書いて覺えさせる。


 「書き言葉」は、そのあとに中學校の義務教育を終へても、高校や大學、實社會(じつしやくわい)と、書物を讀む事で見につける事が出來る。
 しかし、「話し言葉」は、「五十音圖」を覺えたあとは、教科書を讀む以外には教へようとはしてゐない。
 これが日本語の教育にどんな影響を與(あた)へるか、歐羅巴(ヨウロツパ)の言語教育と比較するとよく解るやうに思はれる。


 例へば、NHKの教育番組で、獨逸(ドイツ)語や仏蘭西(フランス)語、伊太利(イタリア)語や英語でさへもが、發音(はつおん)に對(たい)して嚴(きび)しく指導してゐる。
 それは例へば、
 
 「B」

 に對する發音と、

 「V」

 に對する發音では、唇から發する時に異なつて發せられる。
 それは日本語で書く時、その音の違ひを、

 『「B」は(ビ)』

 『「V」は(ヴ)』

 と明治期の人は表記して書分けてゐた。


 飜(ひるがへ)つて日本語ではどうか。

 「あ行」の、「お」と、

 「わ行」の「を」

 の發音を異なつた音で話してゐるだらうか。
 ここに違ひがあつたなんて、考へもしなかつたやうに喋つてゐるが、その違ひは、

 『「お」が(O)』

 『「を」が(Wo)』

 と羅馬字で表記する事で、音の違ひがあつた事が諒解(りやうかい)されるだらう。


 一體(いつたい)、それを誰が教へるのだらう。
 筆者は學校教育で教はつた記憶がない。
 もしかしたら、忘れてしまつたのかも知れないが、教へてゐたとしてもその程度の記憶しか殘らないのならば、教育してゐたとは言へないだらう。
 これは教育しなくても構はないのだらうか。
 家庭で教へようにも、基礎を學校で習つた親がゐないのだから、そんな事は無理で、だからと言つて任意に教へたのでは、それこそ日本語が亂れる元となつてしまふ。


 抑々(そもそも)、「正書法」としては、「話し言葉」と「書き言葉」のずれがあるものの、明治政府によつて、

 『歴史的假名遣(れきしてきかなづかひ)』

 が契沖(けいちゆう・1640-1701)の研究された假名遣を元に制定され、戰後になつて、その言葉のずれを少なくしようと考案された、

 『現代假名遣』

 によつて、一應(いちおう)、こんにちでは「正書法」となつてゐる。


 何處の國でもさうなのかも知れないが、昔の日本語は「書き言葉」と「話言葉」が同じだつたものが、發展するに從つて、音のずれを解消する爲に、「話し言葉」と「書き言葉」を分けるやうになつた。
 解り易いところでは、「候文」がさうである。
 昔と雖(いへど)も、侍が文(ふみ)を認(したた)める爲に「候文」を使用する事はあつても、「候文」で喋(しやべ)る氣づかひはなかつた。


 それが明治期になつて、日常に用ゐられる「話し言葉」によつて文章を書くといふ文體改革運動が、二葉亭四迷(1864-1909)や尾崎紅葉(1867-1903)・山田美妙(1868-1910)などの小説家達によつて實踐(じつせん)された。
 これを「言文一致」運動といふが、この事によつて、「書き言葉」と「話し言葉」の差を一部の人が氣にし出して、「書き言葉」を「話し言葉」に近づけようとする運動が起こつた。
 その詳細は既に色々な所で述べたので、ここでは觸(ふ)れないが、

 「正書法」

 といふ考へがあるのならば、

 「正話法(筆者の造語)」

 といふ考へで生徒を指導しても構はない筈である。


 以上述べたやうに、正しく話すといふ事を學校教育で教へようとしない國は、實は一寸、信じられない事で、

 「正話法」

 といふものを制定して、基本を身につけさせるべきだらう。

 「話し言葉」がどんどん亂れて、

 「書き言葉」を變へなければならないなんて、よく考へれば理不盡(りふじん)極まりない事で、

 「正話法」がないのだから當然と言へば當然の話であつたのである。







     續きをどうぞ

一九、言語問題の誤用を放置すると 『言苑』より
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65321153&comm_id=4699373

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