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お好み焼 味幸コミュの『パリ・テキサス』を觀て

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『パリ・テキサス』を觀て

 土曜日の晩に、背の高い友人がによつぽりと現れて、『パリ・テキサス』をレンタル・ヴイデオで借りて來たといふので、早速、映畫を鑑賞する事にした。
 この映畫の『パリ・テキサス』と言ふ題名(タイトル)は、單なる地名だと思つたら大間違ひである。


 普通「パリ」と「テキサス」といふ地名を知つてゐる者が、「テキサス」から「パリ」へ行かうと思ふと、昔なら船旅(ふなたび)が主流だつたが、今ならば空港へと向ふのが當り前だらう。
 主人公から「パリ」へと言はれた時、その弟も兄の無理難題に應(こた)へるべく、當然のやうに空港へと向つた。
 しかし、主人公は「テキサス」にも「パリ」といふ處があると言つて、仏蘭西の首都である「巴里」ではない、と明らかにする。


 この映畫は、主人公が「テキサス」の荒涼とした土地をさまよひ、とある一軒の給油所(ガソリン・スタンド)で助けられた時に、禮(れい)さへも言はないところから始まつてゐ、心配した弟が、やつとの思ひで自動車で追ひついた。だが、その車に乘せられても、主人公は弟との會話に參加しようとはしなかつた。


 それは空港で、車の置き場所を係の女性に聞いた場面でも同じで、規則で教へられない、といふ女性から無理やり聞き出して禮を述べたりする。
 これらの全てに、理解する方法としての言葉といふものの不確かさを、象徴してゐるやうに感じられた。


 やがて弟の家に連れて行かれて、自分の息子に會ふが、實は主人公とその妻は、子供を弟夫婦に預けた儘で、二人とも家を出てしまつてゐて、自分の息子との親子關係を、どちらもが取戻せないでゐた。
 弟夫婦が氣を使つて、以前に撮影した映像を映寫機で投影した。
 そこに寫し出された、幸福さうな二組(ふたくみ)の夫婦と赤ん坊は、主人公にとつて辛くもあつたが、又、一緒に見てゐる息子の大きくなつた姿を見ると、もう一度やり直さうといふ氣持にもさせた。


 次第に言葉を取戻した主人公は、弟夫婦に預けられたかたちの自分の息子との絆(きづな)を繋(つな)ぐ事に成功し、別れて行方不明になつた妻を、捜しに出かける。
 今度の旅は一人ではなく、實の息子も一緒で、それも妻(母親)を捜すといふ、しつかりとした目的さへあつた。
 しかし、子供と父親の會話が、近くの場合は勿論、遠くの時でも購入した無線機で交わされ、それは子供に母親の寫眞を見せて、その子供が母親を見つけ、父親に聯絡をする時も同じく無線機で話し、主人公は子供と一緒に、自動車で妻の乘つた車を追ひかける。


 嘗て、妻だつた女の勤め口が解つた。
 それは、マジツク・ミラア越しに男と會話若しくは自由戀愛をする、といふ如何(いかが)はしい職業で、現代風にいふと風俗營業で働いてゐたのだが、二人は鏡(ミラア)越しに會話を始める。
 この鏡は、あつてもなくても同じで、人間が互ひに理解し合へない「不毛の關係」、といふやうな象徴として立ち塞がつてゐる。
 言葉があらうが、なからうが、人間は解り合ふ事が出來ないとでもいふやうに……。


 主人公は女の元へ二度通ふ。
一度目の時に女(妻)に附合ふやうにいふと、女から、
 「さういひ事は今までもした事がないし、これからもさうする心算はない」
 と聞かされ、子供の處に歸つて、
 「お前の母親は、親として立派だ」
 といふやうな事を息子に傳へる。


 二度目の時、主人公は自分の妻の事を語り始める。
男は、愛する年の離れた妻の爲に、一生懸命働いたが、愛する故に、いつも傍にゐたかつたし、仕事で離れるのさへ狂ほしい程で、金が出來ると妻の傍にゐたいが爲に、その都度、會社を辭めるといふ生活を繰返してゐたが、妻がその生活に、息苦しさを感じ始めたらしく、用事があると言つては、外の世界へ出かけた。


 自分の事とは氣づかなかつた女が、男の言葉に、次第に動揺を示した。
 男は更に話し續ける。
 つひに妻は子供を置いて出て行つてしまひ、自分もゐたたまれなくなつてなつて、言葉の要らない世界へ旅立つたのだ、といふ男の言葉に、女は、

 「あなた」

 といつて泣き出し、今度は女が語り始める。


 女の獨白が頂點に達し、自分の部屋の電氣を消して、

 「あなたの顏が見たい」

 と言ふ。
 男は女の要求を聞き入れながら、ホテルにゐる子供の居場所を教へ、引止める女の言葉を振切つて、ライ・クウダアの音樂が流れる夜の都會に姿を消して、映畫は終わるのである。


 詰り、この映畫は主人公が會話といふものを信じてゐない、といふところから始まつて、何故さうなつたのかといふ部分に觸れ、再び言葉を手に入れて、又、言葉の無力さを知るといふ鹽梅(あんばい)になつてゐて、「言葉」がこの映畫の解決語(キイ・ポイント)となつてゐるやうに思はれるのだが、それにしては結末を見終つて感じた事は、それだけの美辭學(レトリツク)を樂しんだだけとしか思へず、寧ろ、教訓的であつたやうに思へる。


 この映畫は、舞臺の方が効果があつたやうに思へる。
 言葉といふものが、見えてゐるものの心の影でしかないといふ考へは、餘りにもありふれてゐて、私には物足らなかつた。


 人間と人間の絆が、言葉だけで成り立つてゐるものではない、といふ事は確かにさうかも知れないが、言葉を正しく使ひさへすれば、納得出來るものの方が多いと思ふから……。


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