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光市事件裁判弁護団コミュの現在の弁護方針に至った経緯について

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光市裁判の弁護人である安田好弘弁護士の講演録(2008)です。

現弁護団が現在の弁護方針に至った経緯について等が詳しく説明されたものです。
各鑑定と合わせてお読みください。


電球この講演録に出てくる『自白』とは、警察官および検察官が作成した供述調書の内容のことを指しています。

コメント(23)

CD安田好弘さんの講演録CD


光市事件裁判について

―弁護人の立場から事件の再発防止を考える―

安田好弘

1 はじめに
2 事件との出会い
3 適用される法律とその問籠点
4 検察官・裁判所の事実認定とその検証
5 今回の最高裁判決とその問題点
6 おわりに――事件の再発防止と弁護士の役割


CD安田好弘さんの講演録つづくCD
CD安田好弘さんの講演録つづきCD


1 はじめに

 皆さん、こんにちは。弁護士の安田といいます。きょうは時間をいただいて光市の事件について弁護人が何を主張し、何を調査し、どういうことを解明してきたかということを皆さん方に説明して、皆さん方の御質問に答えたいというふうに思っています。コンビュターを使いますので、座って話をさせていただきます。

 今画面に映っていますのが、これが事件の起こった光市の衛星写真です。光市は、瀬戸内海に面した人口5万人ぐらいの町です。町の中心部に、新日鉄の大きな工場があります。新日鉄の企業城下町といっていいだろうと思います。事件はこの中の、新日鉄の社宅の中で起きました。社宅といいましても、金網で囲まれた20棟からなるマンション群です。この事件はこの中の一番南側の左側にあるマンションの4階で起きました。1999年4月14日夜、マンションの4階の1室の居間の押し入れの中から、23歳の家庭の主婦と生後11カ月の女の子の遺体が発見されました。4日後、同じ社宅に住む18歳1カ月になる少年が逮捕され、殺人・強姦致死・窃盗で起訴され、山口地方裁判所で一審無期懲役、これを不服として検察が控訴しましたが広島高裁でも同じく無期懲役、検察はさらに最高裁に上告しました。検察は、あくまでも死刑を求めたのです。


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2 事件との出会い

 私がこの事件と出会ったのが今から2年少し前の2005年の11月30日でした。当時の最高裁の弁護人から私に連絡がありました。それは、最高裁が弁論を開こうとしているが、どうすればいいかという問い合わせでした。最高裁で弁論が開かれるというのは、死刑事件は別としまして、原審の判決が破棄されて差し戻されるのが通例です。弁護人としてはまったく予想外のことだったと思います。といいますのは、殺人被害者が2名であっても、少年であれば、死刑は回避されるというのが過去の判例でしたから、原審、つまり広島高裁の無期懲役の判決が破棄されるとはおよそ考えられなかったからです。しかし、そうであるとすれば、弁護人として事件を根本から見直し、弁論の準備を十分にしなければならず、そのための十分な時間が必要になりますので、そのことを最高裁に申し入れたわけです。しかし、最高裁はこれに応じようとしない。それで、私に対しどうすればいいかという問い合わせがあったわけです。ところが、その矢先に、最高裁は一方的に2006年の3月14日に弁論を開くということ決めてしまいました。このことによって、最高裁の弁護人からの連絡は途絶えました。
 
 翌年の2月になって、最高裁の弁護人から、ぜひ被告人に会ってもらいたいという要請が入りました。それで私は2月の27日ですけれども、広島拘置所に出かけて彼に会いまLた。どういう彼だったかを皆さんに理解していただくために、あえて事件当時の彼の写真をお見せします。少年法により少年の写真については新聞などに載せることを禁止されていますが、これは少年の将来の更生を妨げるようなことをしてはならないという趣旨から行われているわけですけれども、あらかじめ本人の了解も取っていますし、きょうはぜひ皆さんにこの事件の本質を理解していただきたいので、彼の写真をお見せしたいと思います。

 これが彼です。これが事件を起こした当時の彼の容貌です。皆さん、どのような印象を持たれましたでしょうか。私が彼に会ったのは2006年の2月、この事件があったのが1999年の4月ですので、約7年経過しているわけですけれども、この写真と余り変わらない顔立ちだったわけです。私は実に幼いという印象を受けました。長期間勾留されている刑事事件の被告人の人たちとか、受刑を終えて出てきた人たちと会いますと、若いなあという印象、年をとっていないなあという印象をいつも受けるわけです。それはどういうことかといいますと、拘禁によって日常生活や人間関係というものが絶たれてしまって、心の悩みとか憎しみとか怒りとか悲しみとかを経験する機会を奪われてしまう。これが、人間に年齢をとらせないのではないかと思うわけです。喜怒哀楽があって、初めて人は年をとる。しかし、彼の場合はそういうものを差し引いてもなお幼い、という感じを禁じ得なかったわけです。


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3 適用される法律とその問題点

 まず、この事件に適用される法律とその問題点を考えてみましょう。第一に刑法が問題になります。彼は刑法の殺人と強姦致死と窃盗で起訴されています。彼は人を死亡させているわけですから、殺意があったかどうかによって殺人か傷害致死に、仮に殺意がなかったとすれば、次に暴行ないし傷害の故意があったかどうかによって傷害致死か過失致死に分かれます。ですから、彼がどういうことを考えて、つまりどういう心理状態で本件行為を行ったか、彼の内心が重要な問題となるわけです。

 さらに、彼は犯行時18歳1カ月の少年でしたから少年法が適用になります。それで、彼は警察・検察の捜査の後、家裁送致といいますが家庭裁判所に送られ、鑑別所に収容されて調査されて、刑事裁判にかけるべきだとされて、逆送といいますが、再び検察官に送り返され、検察官によって起訴されて刑事裁判にかけられます。ここから通常の刑事裁判となるのですが、日本の法律では少年に対しては成人の裁判とは違って、特別の刑事裁判を行うことを求めています。それが少年法50条の規定です。少年に対する刑事事件の審理は少年法の9条の趣旨に従ってこれを行わなければならないと規定しています。そして9条では「なるべく少年保護者または関係人の行状、経歴、素質、環境などについて医学、心理学、教育学、社会学、その他専門的智識、特に少年鑑別所の鑑別の結果を活用して、これを行うように努めなければならない」と規定しています。成人の刑事事件ですと、その人が何をやったか、つまり有罪か無罪か、有罪であれば刑はいくらかということだけで裁判は終わってもいいわけですけれども、少年の場合は、それだけではだめであると。弁護士や検察官というような法律の専門家だけで、事件の真相を解明していくということは避けなければならない。むしろ環境とか、生育歴とか、あるいはその人の素質などについて医学、これは精神医学を主に想定しているわけですけれども、心理学、そして教育学、社会学等の法律以外の専門的智識を利用する、つまりこれらの専門家の意見を聞いて、事件を解明していくべきだとしているわけです。これが日本の法律の少年の刑事事件に対する基本的な態度なわけです。つまり、彼が何をやったかというだけでは足りない。彼がなぜそのようなことをやってしまったのかということ、そしてその原因は一体何なのか、そしてそれを克服していくためにはどういう問題を、どのようにやっていけばいいのかということまでひっくるめて審理して事案を解明していこうというのが少年に対する刑事裁判の指針であるわけです。


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 それからさらに少年法51条があります。本件については殺人が問題となっていますから、死刑の適用が問題になります。51条には「罪を犯すとき18歳に満たないものに対しては、死刑をもって処断すべきときは、無期刑を科する」と規定されています。そこには、少年犯罪に対しては少年だけではなくて、大人たちが、そして社会全体がその責任を引き受けていこうという考えがあるわけです。そして、それは、子供たちに死刑という過酷な刑罰を科すべきでない、死刑ではなくて無期という形で本人を更生させていこうではないかという思想に裏づけされてもいるわけです。その視点からすると、18歳に満たないというのを、いわゆる暦年齢で見るのか、それとも実質年齢で見るのかという問題が生じます。18歳であっても精神的に15歳や16歳の未成熟な子供を死刑にしてよいかという問題です。裁判所は形式的な公平性を重視して暦年齢説をとっていますが、学説的には法律の趣旨と実質的な公平性の観点から実質年齢でいくべきだという説が有力ですし、私もそうであるべきだと考えています。刑事関係の法律は、常に、権利を剥奪され制限される側の人、つまり被告人に有利に解釈され適用されるべきであると考えているからです。

 以上が刑事裁判に関係する法律、つまり司法に関係する法律ですが、本件に関係する法律はそれだけにとどまりません。児童虐待防止等に関する法律という法律があります。この事件が起きた1年後に成立した法律ですが、第1条に児童に対する虐待が児童の心身の成長及び人格の形成に重大な悪影響を与えるという社会科学的に実証されている事実と社会のコンセンサスが規定されています。そして4条には、国及び地方公共団体、これには裁判所や検察庁や警察も含まれるわけですが、これらの機関はこういう児童虐待をなくするために、あるいは児童虐待を受けた子供たちを保護し被害を回復するために努力をしなければならないし、学校の教職員、これは私立・公立を問わず小・中・高を問わずすべての学校の教職員、あるいは福祉事務所の職員、医師、保健婦、さらに弁護士、その他児童の福祉に職務上関係のある人たち、この中に裁判官も含まれるのですが、児童虐待の早期発見に努めなければならないとしています。つまり、国家、社会全体が、児童に対する虐待の防止に向けて努力することを定めているわけです。これは、行政法の部類に属する法律ですが、刑事裁判にたずさわる裁判所や私たち弁護人にも広く適用され、裁判をするにあたっても心がけなければならない法律であるわけです。


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4 検察官・裁判所の事実認定とその検証

 先ほど申し上げたとおり、私は2年前の2月末、初めて彼と面会しました。後に一緒に最高裁の弁護人となる人、当時最高裁の弁護人であった人も一緒でした。面会するや否や彼は「強姦するつもりはなかった」と言いました。そして、次の面会の時、「殺すつもりはなかった」と言ったわけです。びっくり仰天です。私が事前に聞いていましたのは、彼は、強姦も殺人も認めていると聞いていました。もっとも強姦の故意の発生時期、つまり最初から強姦の目的があったかどうかについては争いがあるとも聞いていました。当時の弁護人もそのように認識していました。裁判所も、強姦目的で被害者宅に入り、強姦しようとして被害者に襲いかかったところ抵抗されたので、殺害してから強姦しようと考え、殺害し、強姦した。また子供さんに対しては泣き止まないことに腹立たしくなって殺害したと認定していました。ところが、最高裁の最後の段階になって、突然彼が「強姦の目的はなかった、殺害の目的はない」と、全面否認したわけです。

 私たち弁護人は、本人の話を重視しますが、それだけによって心証を形成するわけではありません。私たち弁護人がまずやることは、事実を客観的事実と主観的事実に、証拠を客観的証拠と主観的証拠に振り分けていきます。客観的事実というのは場所や物の形状とか位置・量など客観的に確認し検証しうる事実で争いの余地のない事実のことをいいます。客観的証拠というのは、人の主観が入る余地のない証拠、例えば写真とか録音とかです。もっとも、その証拠によって何を証明しようとするかによって主観的証拠にもなります。他方、怖いとか痛いとか見た見ないなどという事実は人の認識に関係する事実であって第三者が客観的に検証しようがありませんから主観的事実と言います。また、あのときあの人があのように走っているのを見たというのは、これは個人の認識の問題ですから、どうしても主観が入る可能性があります。ましてやそれが供述調書というような形で証拠にされていると、記憶を調書にする過程で作成者つまり警察官や検察官による強調とか誇張とか隠蔽など、さらに彼らの主観が入る可能性があります。これらの主観的事実、主観的証拠は事実を見誤らせるおそれがありますので、まずこれらを排除して、客観的事実、客観的証拠だけで事件をとらえるということ、単純化して言えば、被告人や被害者や参考人の供述などを排除して、事件現場の状況や遺体の状況だけでまず事件を見直してみて、これらから一体何が言えるかを考えるわけです。その上で、主観的事実や主観的証拠と対比し、被告人供述や被害者供述や参考人供述が本当に真実なのかどうかをチェックしていくという作業をやるわけです。私たちは、この事件でもそういう作業をやりました。同時に、検察官あるいは裁判所はどの証拠によりどのような事実を認定したかについても、それが合理的であるかどうかを徹底的に検証します。


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 この事件は自白事件でした。つまり、被告人は捜査段階において、警察・検察の嫌疑を認める供述をしていたわけです。検察官はこの自白に基づいて事件を構成して主張し、裁判所は検察官の主張どおりに事実を認定しました。弁護人及び被告人は、裁判では自白を翻して、強姦の故意は途中から発生したものであって最初からあったものではないと一部否認しましたが認められませんでした。

 ここに現場の地図があります。上の○印の場所が彼が家族と住んでいた所です。下の○印が事件が起こった場所です。直線で約200メートルの距離です。当日ですけれども、事件は午後2時から3時までの間に起こったようです。正確な時刻はわかりません。彼は昼に自宅に帰ってきて昼食を食べ、午後2時前に自宅を出て、自転車を置いていた場所に戻りました。

 これからは検察官の主張です。自宅から自転車の置いてあるところまで歩いている間に――歩くと2分位ですが――彼は強姦を決意したというわけです。その理由としては、事件が起こったのは4月14日でしたが、その2週間前の4月1日に就職をしたばかりでして、その間新しい生活環境になれなくて疲れてしまって自慰ができなかった、だから欲望がたまっていた、それで歩いている最中に強姦したいと決意したというんです。この社宅のマンション群の中に住んでいる若い奥さんをたまたま上着のポケットに入れていたカッターナイフと自転車の前龍に入れていたガムテープを使って強姦しようと思い、自転車のところに戻った。彼は4月1日から水道工事屋さんに勤めていましたが、カッターナイフはそこでもらったものでしたし、ガムテープは、その日の朝、自宅から持ち出したものでした。彼は、強姦の獲物を探すために第10号棟、つまり自宅に一番近いところから戸別訪問をして回ったというわけです。マンションの玄関ドアの呼び鈴を押して「○○設備から来ました」と言いました。これは彼が勤めている会社の名前です。出てきた家人に対し「下水の検査に来ました、トイレの水を流してください」と言って、トイレの水を流してもらって次の部屋に行くということを続けました。出てきたのはお年寄りや男性や子供だったというのです。次に9号棟、これは無人でしたので飛ばし、8号棟、7号棟と来て、その4階の部屋に来たとき、応対に出てきた人が若い女性だったと。そして、この人を見たとたんこの人を強姦しようと決意したというわけです。しかもそれだけではなくて、ほかの部屋だと応対に出た家人は中に入って水を流すだけだったけれども、ここでは都合よく「上がってください」と言われて、中に招き入れられたというわけです。


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 被害者宅は3DK、玄関を入るとすぐトイレがあり、台所と居間は奥にあって廊下でつながっています。彼はトイレに入りドアを閉めて検査をしている振りをする。次に風呂場に入り、そこでも検査のまねをLて、被害者に「ベンチを貸してください」と頼む。そしてペンチを借りると、もう一度トイレに入る。そのとき、トイレの柵にトイレマジックリンが置いてあるのに気づき、「よし、これで被害者に目つぶしを食らわせて強姦しよう」と決意し、ペンチとガムテープとトイレマジックリンを持ってトイレを出た。すると廊下を11カ月になる子供さんが廊下をハイハイしていた。それでそのお子さん――以下、被害児と言います――を抱いて、被害者のいる居間に入った。被害者は座いすに座ってテレビを見ていた。そして被害児を床の上に置いた。すると被害者が立ち上がって被害児を抱こうとして前屈みになった。彼はその際を突いて後ろに回った。そして、被害者を後ろから抱き、トイレマジックリンを顔面に噴射した。すると被害者が暴れて抵抗したので、仰向けに引き倒して馬乗りになったと。このまま暴れられたら困る、殺してから強姦しようと決意して、両親指で喉仏付近を「指先が白くなるまで」力一杯押さえた。しかし抵抗されて親指がはねのけられたので、今度は両手で全体重をかけて首を絞めた。馬乗りの姿勢のままということですね。絞め続けると相手は抵抗をやめて、ばたっと手を床に落として静かになった。それでも彼は不安だったので絞め続けたと。その結果、被害者は死亡した。まさに計画的な強姦目的による殺害が行われたとしているのです。検察官も裁判所も、ここまでの事実をとらえて、強姦は計画的であり、殺害方法は極めて執拗だと言っています。両親指で絞め殺そうとし、さらに両手で絞めただけでなく、相手が抵抗しなくなってからでもなお絞め続けたというわけです。

 彼は被害者が気絶しているだけで息を吹き返すのではないかとか死者が生き返るのではないかと思ったので、持ってきていたガムテープで口と鼻を封じ、さらに両手にガムテープを巻いて縛った。次いで、上半身の肌着と下着をたくし上げ、カッターナイフで切り、乳房をもてあそび、下半身を脱がして脱糞をタオルとティッシュペーパーでぬぐい、姦淫した。客観的には死姦ですが、判例上は、被害者が死亡する前から強姦の故意を有しているため強姦罪が成立するとされています。そして、被害者を死亡させていますから刑法上は殺人罪と強姦致死罪が成立することになります。

 被害児はこの間、被害者の側で泣いていました。それで彼は、そのままでは近所に気付かれてしまうと思われ被害児をだっこして泣き止むようにあやしました。しかし、被害児が泣き止まないので、バスタブに入れて蓋をしました。しかし、鳴き声は響いてかえって大きくなりますので、今度は押し入れの天袋に入れましたが、鳴き声は依然として響きました。それで、いよいよ彼は腹をたて、被害児を殺してしまおうと考え、被害児を逆さに抱きかかえて、頭上の高さから後頭部を床に思い切りたたきつけた。すると被害児は一旦は静かになったものの、すぐに動き出し母親である被害者の遺体に向かってハイハイして行った。彼はそれを引きはがすように連れ戻して、仰向けにして両手で首を絞めた。しかし、首が細かったのと手が縮かんでいたためうまく首を絞めることができなかった。それで、たまたまズボンのポケットに入れていた剣道のコテの紐を思い出しこれで首を絞めて殺そうと考え、被害児をうつぶせにして首に紐を二重に巻き、うなじで紐を交差させて思い切り引っ張り続けて被害児を絞殺し、紐の両端を蝶々結びにした。この行為は刑法の殺人罪に該当します。

 それから彼は、被害者を押し入れに、被害児を押し入れの天袋にそれぞれ入れ、ペンチとトイレマジックリンと被害者の財布を持って部屋を出た。財布を持ち出した行為は、刑法の窃盗罪に該当します。なお、ガムテープですが、彼は被害者宅に忘れてきました。それには彼の指紋が残っていました。また、被害者の連体からは彼と同一のDNAの体液が検出されました。ですから、彼が本件事件を犯したことは客観的にも間違いないことだといえます。


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 以上が、彼が捜査段階で自白し、検察官が主張立証し、裁判所が認定した事実です。この事実からすると、特に被害児に対する殺害方法というのは3度にわたって行っているわけですし、その態様も叩きつけ、被害者から引きはがして殺害と、極めて執拗・残忍・冷酷でして、死刑になる可能性も否定できないケースです。しかし地裁、高裁は、彼が少年であること、彼は精神的に著しく未成熟であること、生育過程でお母さんを自殺で亡くするという不幸な事態がありこれが本件事件を犯す性格や人格や行動性向に影響を与えていることを理由に、死刑ではなく無期懲役を選択しました。検察官は、死刑にすべきであって無期懲役は著しく不当であって正義に反すると主張して、控訴し、さらに上告しました。

 これに対し、最高裁は「死刑にすべきであって、無期懲役は著しく軽すぎて正義に反する。不幸な生育歴とか少年だということだけは死刑を回避する理由にならない。ほかに理由があるかどうか調べ直す必要がある」として、高裁の判決を取り消して、審理をやりなおすように広島高裁に差し戻したわけです。


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 しかし、私たちは、以上の裁判所の認定した事実、これは捜査段階の彼の自白であり、検察官が主張した事実と同じなんですが、それに対して大変大きな疑問を持ちました。はたして本当であろうかと疑ったわけです。もちろん弁護人であれば、いつでも物事を疑ってみることが必要なわけですけど、しかしそのような一般論ではなく、現実に重大な疑問を持ったわけです。

 1つは、彼は本当に強姦する相手を求めて戸別訪問をしたのかどうかという問題です。彼が戸別訪問したとき、胸元に勤め先のネームが入った制服を着ていました。しかも彼は、男性が出てきても、年配の人が応対に出てきても、「○○設備から来ました。下水の検査に来ました。トイレの水を流してください」と言っているわけですね。戸別訪問が強姦の物色行為であったとしたら、会社のネーム入りの制服や自ら会社の名前を名乗るでしょうか。そして、彼が最初に戸別訪問した10号棟は自宅からわずかに30〜40メーターしか離れていませんでした。それだけではなく、男性や年配の人が出てきても正対して話をするでしょうか。強姦の物色行為であったとしたら、ドア越しに男性の声を聞いただけで退散したはずです。しかも、新日鐵の現業部門は24時間操業ですから昼間でも男性が自宅にいることは通常でして、主婦が一人だけで自宅にいるとは限りません。そして、自宅から自転車のところまでの歩いてせいぜい2分というわずかな時間で強姦を思いつきこれを実行しようとする決意をするでしょうか。そもそも、彼には強姦の経験はもとより性体験さえなかったのです。とすると、本当に彼の行動は強姦の物色行為なのだろうかという重大な疑問がわいてきます。それだからと思うのですが、彼は自白調書で、毎日セックスがしたくて強姦のことを考えていたと述べています。しかし、もしそうであるとすると、事件当日まで、のぞきや、強制わいせつなど、どうして性的な行為に出なかったのでしょうか。ましてや、彼は、事件の当日もその前日も会社をサボっているのですが、前日は、一日中、ゲームに明け暮れていたわけですし、当日も午前中はゲームをしていましたし、午後からも友達とゲームをして遊ぶ約束をしていたわけです。説明がつきません。


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 さらに次の問題にいきます。彼の自白だと、強姦を決意したとき、カッターナイフで脅して強姦しようと考えたと述べています。強姦というのは、いきなり暴力を働く場合もありますけども、一般的にはまず脅しから始まるわけです。しかし彼は、強姦に際しカッターナイフを全く使っていないのです。カッターナイフは、胸ポケットに入ったままでした。そして、彼は被害者宅のトイレでトイレマジックリンを発見し、これで目つぶしを食らわせて強姦しようと決意したというのです。途中で話が変わっているのですが、どうして話が変わったのか、全く説明がなされていません。

 そして、これからが重要なのですが、彼は実際に被害者に背後からいきなり抱きつき、抵抗されたのでトイレマジックリンを被害者の顔面に吹き付けたというのです。それで、私たちも実際にトイレマジックリンを顔に吹きかけてみました。これがその写真ですが、顔をラップせずに直接吹きかければもっとよかったのですけども、ひと吹きで顔面のほぼ全体を白い泡が覆うほどの量になります。さらに別途、シャーレに吹き付けて入れてみました。それでそのまま放置して時間経過をみました。するとおわかりになるでしょうか、蒸発しないのです。一定程度、水分は蒸発していきますけど、最終的にはゲル状態になるのです。この写真が12時間経過したときの状態です。半透明のゲル状の物体がシャーレの底に残っているのがおわかりになると思います。ところで、この事件が起こってから遺体が発見されるまで、約10時間たっているわけですけども、遺体の顔には、トイレマジックリンがゲル状の状態で付着していなくてはならないのですが、実際にはそのようなものは一切顔に付着していなかったのです。ましてや彼はその直ぐ後に顔面にガムテープを貼ったと言っているわけですから、そのトイレマジックリンでぬれているところにガムテープが粘れるかどうか、ガラスで実験してみました。この写真です、全くガムテープはくっつかない。貼れないのです。トイレマジックリンにはペパーミントの強い香料が入っています。しかし、そのような臭いがしたという報告も全くありません。先ほどの強姦の物色行為だけではなくて、強姦しようとした行為そのものにも、不合理にして不自然で、しかも客観的事実との不一致がある。トイレマジックリンを使ったという痕跡が全くないのです。とすると、トイレマジックリンを発見してこれを被害者の顔面に吹き付けて目つぶしにしようと考え強姦を決意したという自白はもとより、実際に、被害者の背後から抱きついて騒がれたためトイレマジックリンを被害者の顔面に吹き付けたという自白は、一体何なのでしょうか。被告人がわざわぎ嘘をつく理由も見あたりません。なぜなら、このことは罪を重くすることはあっても、罪を軽くしようとする事実ではないからです。とすると、トイレマジックリンを使ったとの嫌疑を持った捜査官がそのように誘導して彼に自白させたというほか考えられないのです。なぜなら、彼は被害者宅からトイレマジックリンを持ち出して捨てているからです。捜査官は、トイレマジックリンを犯行に使用したからこそ、これをわざわざ外に持ち出して捨てたと考えたわけです。


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 さらに私どもは遺体と同じ大きさの首をつくりました。遺体を解剖した鑑定書によると、被害者の首にはこのような傷や皮膚の変化があったとされています。これがその様子を図示したものです。被害者の右側頚部から前額部にかけて、1、2、3、4本、上から下に行くに従って太く長くなる、一番上は、長さ3.2センチ、太さ1.0センチ、一番下は、長さ11センチ、太さ1.3センチの蒼白帯があります。これは、傷ではなく皮膚の色の変化です。皆さん、腕を出せる人はちょっと出してみてください。腕を残りの片方の手で思いっきりつかんでみてください。たとえば左の腕を右手で思い切りつかんでみてください。いいですか、そして右手をばっと放してみてください。どうなりましたか? 4本の白い部分つまり蒼白帯が出てきませんか? 出てきましたでしょう。その蒼白帯がこの遺体の右側頸部から前頸部にかけて残っていたのです。しかし、今、私たちが腕を握った後にできた蒼白帯は、10秒後には消えてなくなっています。もとに戻ってしまっているんです。どうですか? 私の言ったとおりでしょう? これはどういうことかといいますと、握るとその圧力によって皮下の毛細血管にある血液は外に押し出されてしまうのです。ですからその圧力を受けた部分が蒼白帯として残るのです。しかし、私たちは生きていますから、血圧がありますから、その血圧によってもとのように毛細血管には血液が入ってくるのです。これによって皮膚の色はもとの色に戻るのです。ところが押さえたままの状態でそのまま死亡してしまえばどうなるかというと、死亡とともに血圧がゼロになるわけですから色はもとに戻らないのです。つまりこの4本の蒼白帯というのは、被害者が死亡したときにこの4本の部分に圧力が加わっていたことを示しているわけです。

 それからさらに喉仏付近ですけども、ここには皮内出血という傷がありました。表皮には傷がないけれども、表皮のすぐ下のところに小さいほんの針の先ぐらいの小さな点々の出血があったと。これは外から外力が加わった結果でしょう。それからその直ぐ左側、向かって右側になりますけど、そこには表皮剥脱、つまり皮膚の表面がむけたり崩れたりする表皮剥脱がありました。この部分で物体が皮膚の表面をこすったか当たったかしたわけです。さらに左顎の下の部分ですけどもこの部分に丸い表皮剥脱あったわけです。傷といえばこの3カ所だけです。私はいろいろな事件を弁護してきました。強姦事件や殺人事件もありました。加害者は無我夢中、被害者も必死に抵抗しますから、首をつかむ手も右に動いたり左に動いたり、つかみ直したり、腕が当たったり、爪でひっかいたりと、多数の傷が首とか顔とか胸と手とかに残るものなのです。しかし、この事件では、先ほど言いましたが、わずかに3個の傷しかなかったのです。しかも、それぞれ、小さな皮内出血や表皮剥脱だったわけです。異常というほかないのです。


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 まずこの喉仏付近の2つの傷は何でできたのでしょうか。自白によれば、検察官はもちろん裁判所も白白と同じ認定をしているのですけれども、被害者を殺そうと思って馬乗りになり、被害者の喉仏付近を両親指でその指先が出っ白になるほど力一杯押さえた、そのことによる傷だとしたわけです。私どもはこの二つの傷と同じ大きさの傷をスケッチしてそこに親指を当ててみました。ご覧の写真とおり、実は親指を当てると分かるのですが、傷の大きさは親指とはこれほど違うのです。その傷というのは皮内出血では幅0.5センチ、長さ1センチと極めて小さいものです。表皮剥脱の方は幅1センチ、長さ2センチ。これもまた親指に比べて非常に小さいのです。私たちの親指は大体幅2センチ以上、長さは3.5センチ以上あります。これを力一杯押しつけたとすると、それを超える傷ができるはずです。皮膚には弾力ありますから押すとへこみ、力を抜くと平面に戻ります。押されたときには弧状になり、その後、平面にもどるわけですから、広さは広がることになるわけです。つまり実際の指よりも大きな傷がつかなければならないわけです。もっとも弾力などによりいくらかは縮みます。しかし残っていた傷は、逆に指よりもはるかに小さかったわけです。

 また、これほど大きな力を加えられるとすると、喉仏付近の下は軟骨つまり気管が通っているところ、甲状軟骨といいますが、これが骨折、折れてしまうのが通例です。そして、甲状軟骨がつながっている舌骨、舌のつけ根ですが、これも折れるのです。もっとも若い人たちは弾力性がありますから、なかなか折れないのですけれども、しかしこれほど強い力で押さえたとなると、折れる可能性は強くなるのです。しかし甲状軟骨も舌骨も全く折れていませんでした。

 傷の大きさと言い、傷の場所といい、自白や裁判所の認定した事実と全く合致していないのです。ここでも、被害者の喉仏付近にあった傷から、捜査官が両親指で押さえたことによって生じたものであると推理し、そのように彼に自白させたとしか考えられないのです。

 彼は、両親指で力一杯押さえても被害者は死亡しなかったので、今度は両手で全体重をかけて力一杯絞めたと自白しています。両手で絞めたというのですから、右頚部だけではなくて左頸部にも圧力が加わるわけですから、どちらにもその痕跡が残るはずです。しかし、先ほどお話ししましたとおり、被害者の右頸部には4本の蒼白帯があるのですが、左側頸部にはまったくその痕跡がないのです。しかも、右頸部の4本の蒼白帯に手を合わせ見ますと、見てください、位置が異なるのです。写真に写っている人の手は彼とほぼ同じ大きさですが、この手で被害者の頸部を両手で絞めますと、蒼白帯の位置をはるかに超えて首の後ろの方、つまり側頭部から後頸部まで及ぶわけです。つまり、両手で首を絞めたとすれば蒼白帯の位置と合致しないのです。そして、もっと重要なことがあります。先ほど説明しましたとおり、蒼白帯は上が短くて細く、下に行くにつれて長く太くなる。実際にやってみてください、第2指――人差し指ですけれども、第2指の跡が一番長く太くつくのです。第5指――小指ですけども、この指がー番短く細くなる。つまりこのような4本の蒼白帯がつくとすれば指で押さえた跡しかないわけですが、その指の跡がこういう順番でつくとしたら逆手でしかないことになるわけです。つまり、片手でしかも逆手で首の右頸部を圧迫した、つかんだり紋めたりしたのではなく押さえた。そして、その状態で被害者は死亡したということになるわけです。これは、「殺す」という行為とは異なることになります。そうだとすると、馬乗りになって両手で全体重をかけて絞め続けて殺害したという、この事件の核心部分が客観的事実に全く反することになります。


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 それではどういう状態であれば、このような逆手の跡になるのでしょうか。この写真は、日本医科大の先生が弁護人の首を実際に絞める実験をした写真です。そうしたらこのように、ちょうどきれいに4条の蒼白帯が出てきたわけです。まさに遺体と同じ状態が出てくるわけですが、さらに親指を折り曲げて押さえてみますと、ちょうど折り曲げた親指のところが表皮剥脱の部分にピッタシ当たるんですね。私たちは、彼から細かく事情を聞きました。彼は私たちに説明しました。実は最初「お母さん」と甘える気持ちで、座っている被害者の後から抱きついた。そうっと抱きついた。ところが、被害者がびっくりして立ち上がろうとしたため、一緒に重なるようにもんどり打って仰向けに倒れた。で、騒がれたので、仰向けに倒れたまま、下に彼、その腹の上に被害者がいずれも天井を向いて重なって倒れているのですが、そのまま羽交い締めのような形で、スリーパー・ホールドというのですけども絞めた。すると被害者が動かなくなった。これは大変だと思って被害者をはねのけて起きた。どうしようかとちょっと呆然としていると、そこを後ろからガツンと金属状のもので殴られた。びっくりして振り向きざまにドーンと被害者を押さえつけた。仰向けに倒れている被害者に覆い被さるように押さえつけた。被害者が暴れるので、ずーっと押さえ続けたというのです。どこを押さえていたかは覚えていないけども、恐らく自分の頭よりも上の方を押さえ続けていたと。ちょうどそれが相手の首付近に当たるわけですね。そうすると被害者が動かなくなったと言うのです。この話を再現すると、ぴったしなのですね、片手で逆手、その位置もピッタシカンカンなのです。そして、片手の逆手で押さえたということになると、彼に殺意があったかどうかが問題となります。殺意があったなら、片手というのは不自然ですし、ましてや逆手で押さえたというのであれば殺害行為とも言えません。殺意があったなら、当然、両手で首を絞めていたはずですし、そうしようと思えば容易にそうすることができたからです。


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 さらにもう1つあるのですけども、裁判所は、左顎の表皮剥脱ですが、この傷が何で起こったかについて全く認定していないのです、不問に付されているのです。検察官も沈黙しています。自白もありません。つまりこれは説明できなかったのです。なぜかというと、こういう傷ですけども、直径1.2センチのほぼ正円の傷です。しかも辺縁部つまり境が鮮明な傷なんです。人間の指ではこんな丸い跡はつきません。事件現場にもこれに該当するものは見あたりません。ですから捜査官は推理することができなかった。だから彼を誘導して自白をさせることもできなかったんです。私たちは秘密の暴露と言いまして、これが自白にあるかどうかによって、自白が真実であるかどうかを判断するということをします。秘密の暴露とは、たとえば凶器を捨てた場所のように、犯人しか知らないことを捜査機関が発見する前に自白し、これが後に真実であったと確認されることを言うのですが、この顎の傷は、秘密の暴露とまでは言い切れませんがそれに類似したものであったわけです。彼が私どもに言ったのは「スリーパー・ホールドで絞めちゃった」ということでした。これは大学の先生が気がついたのですけども、彼が着ていた作業服ですけども、袖のところに金属製のボタンがついているのです。そのボタンを粘土に押しつけました。こういう真ん丸い形です。そしてこれに傷を重ねたわけです。ボタンの大きさは1.5センチ、傷は1.2センチとわずかに大きさが違いますが、押しつけられた後、元に戻すと皮膚は縮みますし、死亡により皮膚は乾燥して縮みます。ボタンの方が傷より大きくなければならないのです。この点においても一致します。ちょうど左腕の袖をたくし上げたところにあるボタンがスリーパー・ホールドの際、被害者の左顎に当たるのです。つまり彼が私たちに話したことは、傷がある理由を説明してくれている、捜査機関にはわからなかったことを説明してくれているわけです。

 実はこの被害者の手はガムテープが巻かれていました。このガムテープが巻かれている状態を見て、捜査官も気がついたし、私たちもすぐ気がついたわけです。ガムテープと皮膚の接着面に全く乱れがないのです。つまりガムテープで巻かれた後、被害者の手は動いていないということなのです。これは被害者が死亡した後にガムテープが巻かれたことを意味します。しかしガムテープは4重に巻かれていて、極めて執拗に巻かれていました。口や鼻にもガムテープが貼られていました。これは生きている人に対するガムテープの巻き方であり、貼り方です。そもそも死んだ人をガムテープで縛る必要はありません。また、口や鼻を塞ぐ必要もありません。とすると、彼は、被害者が死亡したと思っていなかった。あるいは、死者が生き返ると思っていた。そのいずれかだったということになります。もし、前者だとすると、はたして彼に殺意があったかどうかが問題となります。また、後者だとすると、彼は生と死の区別が理解できていなかったということになります。


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 以上からしますと、彼には被害者に対する殺意があったかどうか、つまり殺人罪が成立するかどうかが問題となってくるわけです。自白は、客観的な事実とことごとく齟齬しています。もちろん、この自白に基づいて事実を認定した1蕃、2審、3審の判決も間違っている、仮にそこまで言えないとしても、重大にして合理的な疑問が生じるわけです。疑わしくは被告人の利益にという刑事司法の原則からすれば、それだけでも殺人罪は無罪ということになるはずです。

 さらに話を進めていきます。これは被害児についての話です。自白では、被害児を殺そうと決意して、被害児を押し入れの天袋から取り出し、両手で逆さに持ち上げて、頭上の高さから床に向けて力一杯投げつけて、後頭部を床にたたきつけたとなっています。床は畳の上にホットカーペットが敷かれていました。しかし、そのような傷は被害児にはなかったのです。被害児ほ当時11カ月、7kgの重さでした。7kgの物体を頭上から思いっきりたたきつけるとなると、これは大変な衝撃になります。これによって、頭蓋骨の骨折、陥没、あるいは脳損傷や脳内出血が起るはずですが、あるのは側頭部から後頭部にかけて3個の皮下出血があるだけ、つまり投げつけられた痕は存在しなかったのです。

 また彼は、被害児を投げつけた後、さらに両手で首を絞めようとしたが首が細くて絞めることができなかったと自白しています。しかし、しっかりとこのように首を絞めることができるわけです。

 さらにですけども、彼は首を絞めることができなかったから、今皮はひもで殺害したと自白しています。ひもで首を絞めると、当然ひもの痕――索溝あるいは索条痕と呼んでいますが――ひもが当たった痕が皮膚に残るんです。ところが、被害児の索条痕は、右前頸部で消えているんです。つまりこの部分については、ひもが強く皮膚に当たっていなかったことになるわけです。もちろん、ひもと皮膚との間に衣類などが入る余地もありませんでした。実際にやってみれば分かりますが、ひもで締めた場合、ひもはほぼ均一に皮膚に当り、1周する索条痕が残ります。しかし力が弱いと均一に皮膚には当らない。索条痕もはっきりしない。しかし、そうであるとすれば、つまり緩く絞めた程度ならどうして死亡するのであろうかという疑問がわいてきます。そこで、指にゴム輪をはめた状態を思い出してほしいと思います。しばらくおいておくとうっ血状態になって指の方が膨らんできて、輪ゴムはますます強く皮膚に食い込んでいくわけです。皮膚の厚さが薄いところはそれほど食い込まない。脂肪などで皮膚が厚いところは強く食い込んでくる。そういうことが起こったのではないかとみられるわけです。


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 さらに彼はひもを被害児の首に二重に巻き、その両端を握って力一杯絞めたと自白しています。このひもは剣道のコテひもですから、頑丈にできていますし、アクリル製ですから堅いです。これで頸部を絞めた場合、当然に、ひもが当たった場所に、表皮剥脱や皮下出血が生じるはずです。しかし、被害児の頸部にはそのような痕跡は一切ありません。ましてや、うなじの部分でひもを交差させて力一杯絞めたというのですから、ひもが交差した部分は皮膚が左右反対方向に引っ張られて強い力を受け傷がつくことは避けられません。しかし、うなじにはそのような傷はもとより痕跡さえ一切ないのです。確かに、被害児の遺体の頭部にはひもが巻かれ、ひもの端が蝶々結びで結ばれていましたから、首にひもが巻かれていたことは事実ですが、殺してやろうと思ってひもで力一杯絞めたという痕跡は一切なく、むしろ緩やかに絞めたという痕跡があるだけだったのです。とすると、ここでも、本当に被害児に対する怒りのあまり殺してやろうと思ったというような殺意が果たしてあったかどうか、重大な疑問が生じてくるのです。彼は、私たちに被害児を殺そうとなんて全く思わなかった、床にたたきつけてもいないし、手で首を絞めようともしていない。ひもで絞めたことについては覚えていないと言っています。これと合致してくるのです。

 つまり、強姦目的も殺害目的も、そして強姦の物色行為や殺害行為も、すべて不自然・不合理であったり、また客観的事実と矛盾しているわけですし、むしろ、彼の新しい供述、つまり私たちに話した内容の方がより客観的事実に合致しているのです。 そこで、もう一度彼の自白を振り返ってみます。彼は最初から一貫してこんなことを自白しています。まず強姦についてですけども「美人な奥さんと話したいな。そんな人がいたらレイプしたいな」と思ったと自白しています。しかし、前半と後半とは完全に矛盾していませんでしょうか。レイプは強姦ですから、「奥さんと話したいな」というのと「レイプしたいな」というのは全然話が違うのです。どうしてこんな矛盾した供述が一番最初に出ているのか。彼は「レイプ」というのを「強姦」というふうには認識していない、せいぜい少し強引にセックスするという程度にしか考えていない、だから「話をしたい」という思いと「レイプしたい」いうのが共存するのではないか。つまり彼は強姦とは認めていなかったのではないかと言うことです。


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 さらに見ていきましょう。この1戸ずつ回る戸別訪問についてですが、これは家庭裁判所の記録ですけども、そこで彼はこのようなことをしゃべり、そして家庭裁判所の調査官はこのように認定をしているのです。「少年は時間つぶしと称し仕事のふりをして戸別訪問をしている。仕事をサボって外にひとりでいると、社会からひとり取り残されていくような気分がしたという、そうした孤独感が上記行動の背景にあったと考えられる」と。つまり強姦の戸別訪問をしたのではなくて、寂しさや孤独感、何か人にすがりたい、あるいは何か「仕事のふり」をしたい。ある心理学者に言わせれば、学校に行けない子供が自宅で近所の子供を集めて学校のまねごとをする。仕事に行けない彼が仕事の格好をして、いかにも仕事をしたようなふりをする。つまり「ごっこ」をしたのではないかというわけです。そして彼はこう言っているのです。これは1審の法廷です。「まず時間つぶしというのが目的で、あとだれか話し相手が欲しかったというのもあって、仕事の服装で気取ってみたかったのです」と。強姦で物色したという話ではないのです。

 そして殺害についてですが、彼の最初の自白はこう言っているのですね。「奥さんを倒して上に乗り、これは右手――左手とも読めるのですが、この人の字は大変な癖字で右と読むのだと思うのですが――右手で首を絞め続けたのです」と。被害者を両手で絞めたという話ではないのです。両親指で押さえたという話もないのです。片手で絞め続けた。そして被害者については「これでは僕がやったことがばれる、大人がやったように見せようと思って、ベランダ近くにあったひもで赤ちゃんの首を絞め、結んだのです」と。しかも殺したという話になっていないですし、ひもは自分が持っていたものではなくベランダにあったものと言っているのです。彼は、ひもの所在さえ記憶していなかったのです。以上が、彼が逮捕された当日の最初の調書なのです。取り調べて調書を作成したのは警察官ですが、これが2日後に検察官が調べて、その後、話が一変し、どんどん詳しくなっていくんです。自白は大きく変遷を繰り返し、最終的には、私が先ほどから説明している内容にまとめ上げられていくのです。彼の捜査段階の調書は21通ありますが、多くは検察官が作成したものです。ですから、検察官主導の捜査だったと思います。検察官の下で、「親指で押さえました。それでも死ななかったから両手で絞めました。子供さんは最初手で絞めました。それでも死ななかったのでひもで絞めました」という話に変わり、さらにその後、「頭に来て子供さんをたたきつけました」という話が加わり、そしてそれが「殺そうと思ってたたきつけました」という話に変わるわけです。つまり検察官が彼に事実を聞くのではなくて、遺体の写真を見て、ああだこうだと推論を働かせて、その結果を彼にしゃべらせたわけです。つまり、彼の自白というものは、検察官のストーリーだったわけですし、自白の変遷は、検察官の見方が変ったのが原因だったのです。


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 事件発生直後、山口大学の医学部で法医鑑定が行われており、鑑定書が作成ざれています。そこには、「(被害者の4条の蒼白帯は、)例えば加害者が左手で被害者の右ほおに向けてあてがい、強く扼圧したために生起されたものとして特別矛盾がしない」と記されており、右手か左手かに違いがありますが、すでにこの段階から片手ではないかという鑑定が出ていたのですが、検察官はこの鑑定の結果さえも無視したわけです。

 彼は1審の法廷でこのように述べています。「最初は考える力はありましたが、やはりすごく抵抗されて大声を出されるので、頭の中が真っ白になるというか、何も考えないというか、とにかく声だけをとめようというようなことしか考えられなくて、声をとめるにはどうしようかなという感じもこのときには冷静に判断ができなくて、首を絞める羽目になりました」と。つまり、彼は、殺してやろうと思って殺したということを否定しているのです。しかし、裁判所はもとより弁護人さえも彼のこの否認供述を全く無視したのです。


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5 今回の最高裁判決とその問題点

 実はこの事件が起きた2年前ですけども、1997年神戸で酒鬼薔薇事件と呼ばれている事件が起こりました。このとき、少年犯罪が凶悪化している、何とか少年法をかえて厳罰化していかなければならないという大きな流れが生まれました。法務省は前々から少年法を厳しくしようと目論んでいましたが、多くの反対があって頓挫していました。そして、その翌々年にこの事件が起きたわけです。そしてそのもう1つ翌年、ですから2000年ですけども、少年法が法務省の目論見どおりに大改正されました。何が行われたかというと、まず第1に今まで16歳以上の少年が刑事責任を追及されていたわけですけれども、それが2歳引き下げられて14歳になったのです。それからもう1つ、従来は家庭裁判所の全面的な裁量で、大人と同じく刑事罰を科すか、少年事件として保護処分にするか、というのが決められていたわけですけれども、重大な罪については、原則として刑事罰を科すという法律の大改正が行われたわけです。その改正にあたって、この事件がキャンペーンに使われたのです。ですから、そもそもこの事件は凶悪な事件でなければならなかったのです。

 そして今回の最高裁判決ですけれども、みなさん、判決書をお読みになればおわかりになると思うのですが、死刑の適用基準について、従来の最高裁判決を実質的に変更したのですね。従来の最高裁判決である永山判決では、死刑はやむを得ない場合にだけ適用されるべきだとしていました。しかし、今回の最高裁の判決では凶悪な事件については原則として死刑である。この死刑を回避するためには、それなりの合理的な理由がなければならないとしたのです。裁判員裁判が始まるのを前にして、また世間の厳罰化の要請に応えて、凶悪な事件は特別な事情がない限り原則として死刑だという基準を打ち立てたのです。


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 この二つの政治的な背景の中に、この光市事件はあったのです。捜査段階では、検察官によって凶悪な事件にストーリーを変えられ、1審では彼の訴えは無視されました。そして2審では、検察官から彼が隣の房に収容されている者に出した手紙が証拠として提出ざれ、これがマスコミに大々的に報道されました。そこには、被害者を冒涜し、事件を反省していない言葉が記載されており、社会の彼に対する怒りをわき起こしましたし、被害者に対する同情もわき起こりました。しかし、憲法が保障している通信の秘密はどこにいってしまったのでしょうか。彼は、これがきっかけで手紙を書くことができなくなりました。人間は、他者とのコミュニケーションによって成長し、個としての自分を確認し、自我を確立していく。コミュニケーションを通して他人の痛みとか思いとかを知り、共同性とか社会性をつちかっていくわけです。ですからコミュニケーションの自由の保障、その一つが通信の秘密なんですが、特に彼の場合は獄中にいますからその主なコミュニケーション手段は通信に限られるわけですけど、これが、奪われてしまったわけです。彼は、ここでも成長が止まってしまったのです。私ども弁護人からすれば、すべての手紙は拘置所当局に一字一句検閲され、問題があれば書き直しや発信禁止になり、あるいは問題のある場所は黒く塗りつぶされるのですから、彼がこんな手紙を書くなら、大人として叱るべきだったのです。しかし、それがすんなり通ってしまう。しかも、彼の問題とされている手紙は、彼が進んで出した手紙でなく、隣の房の人間が、「お前は立派なやつだ、18歳で人を殺すなんて見上げた人間だ。偉人だ」と持ち上げて挑発するのに応えた手紙なんです。彼は、右隣の房に収容されている大人にも手紙を出そうとしました。すると、係官から、その右隣の大人は、拘置所の処遇に反抗しているタチの良くない人物だからということで文通をしないようにと指導しているんですね。彼が挑発に乗せられて出した不謹慎な手紙はフリーパスで通ってしまって、しかも、彼は手紙の中で、自分の手紙は絶対に第三者に見せるなと何度も書いているにもかかわらず、それが検察の手に渡って、死刑判決を誘導するための資料として証拠に使われたわけです。そこには、政治的な作為を抱かずにはおれません。そして、最高裁では、弁護人の延期申請、弁論の続行請求にもかかわらず、強引に弁論期日が強行され、結審し、判決が出されました。どの場面でも、検察や裁判所によって異常なことが行われてきたわけですが、司法とは別の意図が働いているのではないかという思いを禁じ得ません。


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6 おわりに――事件の再発防止と弁護士の役割

 もう1つ私どもは彼の責任の程度と内容を問題にしています。つまり彼のパーソナリティーの問題です。それが心理鑑定であり精神鑑定であるわけです。鑑定書がありますので、それを読んでいただければと思います。彼の精神年齢は何歳ぐらいだったのだろうか。「高校を卒業しているんだから、精神年齢が劣るはずないじやないか」という話があります。しかしこれは完全な誤解です。高校を卒業するというのは知識の問題であって、精神の発達の問題ではありません。知識の発達のレベルが精神的な発達のレベルを意味しているものではないのです。卑近な例を挙げれば、例えば小学生の年齢で大学に行くぐらいの知識を持っている人もいますし、大学生であっても中身は子供である場合もあります。

 彼は、幼い頃から父親の激しい暴力を受けてきました。常に恐怖の中で生きてきました。安心して人とつきあえない、常にびくびくしながらも相手から暴力を受けないように相手に迎合する。父親の暴力は母親に対しても行われていました。二人は互いに寄り添うように生きてきました。こういう中にあって、彼は人間関係を作ることが困難でした。こういう状況は、彼の精神的発達を阻害してきました。そして、中学校1年生の時に決定的なことが起きました。母親が自殺したのです。精神科医は、このときから彼の精神的発達は止まったと鑑定しています。父親の暴力によってもともと十分に発達することができていなかった上に、母親の自殺により精神的な発達が止まったというのです。彼は、母親が死亡したことを未だに受け入れることができていない、父親の暴力から未だに解放されていない、生と死と現実とファンタジーとが混在しており区別できていないと鑑定されています。母胎回帰、つまり女性を性の対象としてみるのではなく、母親としてみる。そういう彼をぜひ理解しなければなりません。彼は魔界転生の話をしました。セックスをして死者を生き返らせようとしたというのです。またドラえもんの話をしました。彼は被害者と被害児の遺体を押し入れに入れて、ドラえもんに生き返らせてほしいと願いました。彼にとって、押し入れは特別の意味を持っていたようです。彼は家出をすると言って、実は押し入れの中にじっと閉じこもっていたりしたこともたくさんありました。「押し入れはお母さんの匂いがする」というわけです。彼にとって、そこは心が安まる場所であり、父親の暴力から逃げることができる場所であったわけですけど、そこにドラえもんの話が二重写しになるわけです。彼は予期せぬ事態を引き起こしてしまったのです。それは、二人を、死亡させるという全く予期しないできごとだったわけです。そういう場合人間はどうなるのでしょうか。はかない、あるいはばかげた期待や願いにすがりつくわけです。私たちは、大なり小なり同じような行動をとります。例えば国家試験に受かりたい、受かるはずがないのに神頼みをすると。何とか生き返らせて欲しいという願い、決してかなえられない願い、結局はドラえもんにすがらざるを得ない、追い詰められた心理状態で彼はそう願ったわけです。これは人間として決しておかしなことではないですし、彼の幼さからすれば決して否定できるものではないわけです。彼が置かれた状況や視線で、この事件をとらえていかなければならない。警察官や検察官、そして裁判所が作り上げたものではなく、ありのままの彼や客観的事実から、この事件は一体何だったのか、というのを解明しなければならない。そして、そういう作業をとおして、どうすればこういう不幸なことが再び起こらないようにすることができるかということを考えていかなければならないと思うのです。


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 私は、犯罪はその人のパーソナリティーだけで起こるのではないと思います。それは、私たちが生きている社会の病理であると思うのです。そしてそれに対して私たちはどのように対処するのか。彼を切り捨てるのではなくて、彼をもう一度生き返らせる。彼の中の人間性を回復させるということ、彼に生きる道しるべを指し示すということ、それができて初めて私たちの社会は社会としての意味があるのだろうと思いますし、それが司法の役割だろうと思います。私たち弁護人はそういう願いを込めてこの弁護をやっているわけです。しかし、社会の圧倒的な多くの人たちには、犯罪に対する敵意があり憎しみがあります。ですから、今のような話はほとんどの人たちには理解されないし、共感も得ることはできません。しかし私たちは職業としてそれをやらざるを得ない。もしそうでなければ復讐があり、リンチがあり、社会の中は、敵意に満ちた殺伐とした暴力の社会に陥らざるを得ない。私たちは、もう少し理性的で、もう少し冷静で、そしてもう少し前向きな社会でなければならないと思っています。私たちは、その一助となるためにこの弁護人という仕事をしているわけでして、もしこの皆さん方の中に法曹を職業として選ばうと考えている人がいらっしゃったら、裁判官とか検察官よりも、むしろ弁護人になって孤軍奮闘していただきたいと思っているわけです。

 私は、弁護人の職責というのは、本人と一緒になって、どうしてこのような事件をやってしまったのかを考え、同時に、今後どうやって罪を償い生きていけばいいかを考え、そして、彼が気づいていないことを発見し、また彼が言えないことを彼に代わって言い、法律が公正にそして適正に適用されるようにする、そういうものだと思って、やってきました。以上がきょうお話したかったことです。長時間おつきあいいただきまして、ありがとうございました。これで私の話を終わらせていただきます。


追記
 本稿は、2008年1月16日、本学B301教室で行われた現代法学部学術講演会における安田好弘氏(弁護士)の講演記録である。ここに収録するにあたり、速記録をもとに、安田氏自身による加筆・修正をいただき、編集委員会の責任において表題、見出しなどをつけさせていただいた。


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