1872-1905 本名ミルトン・フランクリン・アンドリュース。 本業はギャンブラーにしてマジシャン。 カードマンバイブルと言われる普及の名著”Expert at the Card Table"(1905)の著者。もともとの原タイトルは”Artifice Ruse and Subterfuge at the Card Table"(1902)。 「身長は6フィート半。目の色はグレイ、髪の毛の色はライトブラウンでウェーブしている。同じくライトブラウンの口ひげ。体重131ポンド。実際より長身に見える。ベストドレッサー…」 まるで指名手配の人相書きのようなプロフィール。 じつはまさにこのアンドリュースは指名手配中のおたずねもの。 殺人犯だったのです。 このプロフィールもコロラド警察署の1905年の2000ドル賞金付の手配書そのものなのです。 アンドリュースは34才の誕生部を迎える少し前、この1905年にピストル自殺を遂げています。 サンフランシスコの安宿に情婦と逃亡中、警官に踏み込まれ、情婦をピストルで殺害し、自らのこめかみにも銃口を向けたのでした。 トピック”Expert at the Card Table" http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=6813515&comm_id=236730
アードネスは誰か?
生前のダイ・バーノンは一貫してこう答えていました。
「ノーバディ ノウ(誰も知らんよ)」
しかし、1991年にジェフ・バスビーが"The Man Who was Erdnase"を刊行します。
その中でバスビーはこう述べています。
「この本によってこれまでのアードネス論争に終止符が打たれた。」
ここからそれまではマーチン・ガードナーが唱えていた仮説が、定説として浸透していくようになったのです。
では、その正体といわれるミルボーン・フランクリン・アンドリュースとはどんな人物だったのでしょう?
ガードナーの説がマジック界に広まったのは1949年、ブルース・エリオットによってフェニックス誌#190のコラムに書かれたことからのようです。
もともとガードナーが苦労してイラストレーターのマーシャル・スミス氏に出会ったことをエッセイとして記載したのが1947年のことです。その年のSAMのコンベンションのパンフレットに発表されました。
それがかの有名な"The man who was Erdnase"なのです。
ただガードナーが最終的にミルトン・フランクリン説に至ったのは、引退した本物のギャンブラー、プラット氏(E.L.Pratt)に会い証言を得たことで結論に達したようです。
"The Expert of the Card Table"のDover版(1995年)まえがきに
E..S Andrews (S. W. Erdnase の逆さ読み)は、Milton Franklin Andrewsであると書かれているのでおそらくマーチン・ガドナーがこのまえがきを書いたものであろう。
この本はWeb上で閲覧できる。
参考;
http://www.google.com/books?id=1FkUmSKUgnkC&dq=Martin+Gardner+Erdnase
マーチン・ガードナーはオリジナル本(1902年)は、覆面作家として William John Hilliar.がErdnase名で発行されたことを探し出したのではないだろうか?
参考; http://geniimagazine.com/wiki/index.php/Erdnase