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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュのパウロとナザレのイエスの隙間について。

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さて、皆さんご承知の通り、タルソスのサウロは、ガリラヤ伝道中のナザレのイエスに接したことはありません。
その教えを聞いたこともなければ、感銘を受けたこともありません。
使徒行伝での彼の初登場シーンは、教会の迫害者です。

で、キリストの声を聞いて回心し、使徒行伝後半の主人公として活躍、新約聖書の書簡の対部分は彼の名前で書かれた文書です。

はて。

ご存知の通り、ナザレのイエスがガリラヤ伝道中に語ったのは、ユダヤ一般の観念以外で言えば、
終末論です。
後付けとは言え、第二神殿の崩壊を伝え、「その日、妊婦は不幸だ」として、まさに黙示録的な裁きの終末論を語っています。

ところが。

パウロが語る終末論はなんと楽観的、召集のラッパがなると死んだクリスチャンらが蘇り、共に天に引き上げられる、というもの。
そこには、ナザレのイエスが「その日は子も知らない」と戦慄を帯びて伝えた悲壮なイメージはありません。

そもそも論として、パウロが言う「第二のアダム」としてのキリストなど、福音書にはありません。
ルカ伝では犠牲による贖罪の教理すら否定され、ヨハネ伝では「私はある」と言う、ヤハウェの自称に模した表現を自分で主張していました。

皆さんは、パウロと、ナザレのイエスとの隙間について、どう思いますか。
ちなみに、イエス・キリストの実在をそもそも疑う人は参加をご遠慮願います。議論になりませんので。

コメント(104)

>>[63]
しかし、その核心には女たちの復活現象の事実があったことは確かだと思います。
その解釈がキリスト教会の始まりです。
誰も認めないのに、「我こそが、使徒なり」と言った人がパウロだったのでは?

とはいえ12使徒も、ナザレのイエスは命じてないのでは?
福音書編纂者らの創作なのでは?


初代エルサレム教会は、当初三本柱をリーダーとしていたが、徐々に義人ヤコブの権威が増し
主の直弟子ケファは、追いやられてしまった。そしてエルサレム教会は、イエスの父の血統が
継承するようになり、義人ヤコブの跡は、イエスの父の兄弟クロパの息子シメオンが継承した。
それで福音書編纂者らは、エルサレム教会を攻撃し出し、マルコ伝はガリラヤへと招集をかけ
ルカやマタイともなると、イエスの父ヨセフとイエスに血縁関係がないかのようなマリア処女受胎
説を説き、ヨハネ伝は更に降下し受肉するロゴスまで神格化した。12使徒が強調されたのは
イエスの血族によるエルサレム教会支配に対抗するための戦略なのでは?
>>[69]

〉認められてないのに

欠員が出た時に、くじ引きでメンバーを決めてるわけだから、
合意はあまり必要なかったかもしれない。
>>[66]
ある意味イエスを「生まれながらの神の子」にしてしまったのはキリスト教最大の失敗かもしれませんな。
イスラム教のムハンマドみたいにせいぜい最後にして最後の預言者程度にしておけば現代人の教会離れももう少し抑えられたかもしれません。
大体イエスは神の子であり、しかも父なる神と一体の存在であり、天地創造の前から存在していたとか、荒唐無稽にも程があるだろw
>>[71]

その通りかと。
生まれながらに神の子はイエスの死後、50年弱経ったマタイ、ルカの時代で、先在のロゴスは70年経ったヨハネの時代ですからね。
マルコでは高い山での変容を節目として、復活を暗示して終わってます。しかし、パウロの書簡には復活は最初から前提なので40年代に復活信仰は確立していたと思います。 

復活現象は紀元30年強ですので、現在の復活信仰の伝承までに至るのに10年かかったと云えます。以上

復活現象の核心は女たち、特にマグダラのマリアとマリアへの現れだというところまではいえるかと思います。ヨハネ福音書にあるマグダラへの現れはかなり古いと思います。ヨハネにはかなり古くからの伝承が多いとも言われます。

あと、弟子たちの食事への現れやトマスと云われる弟子への現れは誰かの回想かも知れません。

いずれにせよ、現代科学では良く報告されている心理現象としか言えません。

後書き
しかしながら、主観的、信仰を云えば、マグダラのマリアはイエスと接触したし、弟子たちはイエスと食事をとったし、トマスと云われる弟子はイエスの傷跡を確かめた、と言える訳です。
>>[72]
理屈で説明できないことはすぐ神秘とかいって誤魔化す。
だからクリスチャンはオカルティストと紙一重のアホかキチガイのように見なされる。
いい加減聖書から非合理的な記述を排除してクルアーンや論語のような単なる生活規範みたいなもんに改訂すればいい。
そうすれば死にかけのキリスト教も息吹き返すかもしれん。
>>[74]

非合理的な記述を排除したら何も残らん。
パウロの復活の概念は新しい体とか、肉のキリストでなく、霊のキリストとかになるが、案外的を得ているとも云えます。

もしかすると、ルかが使徒行伝、使徒言行録に書いているダマスコ郊外の出会いはパウロの心理的経験だったかも知れない。例によってルカが手にする前にかなり尾ひれがついてたかも知れませんが?
>>[78]
我々が信仰しているのは三次元ではなく二次元のマリア様だと思えばいい。
そうすれば処女がどうやって子供を生んだのかという問題も解消するw
モーセやイエスの弟子たちの見た顕現、エピファニーというのは、やはり残念ですが、机上の研究ではそういう表現の文化しか語れなく、実際にシナイ、ヘルモン等の氷河をこえた登山をする必要があるかと思います。科学のブルーバックスにもあるように、その中で原型を見いだせる訳です。
確かに、何かが有ったと云えます。
キリスト教徒なんてみんなシャーロキアンみたいなもん。
そういう風に割り切ってしまえばいい。
世の中には某漫画に登場した世紀末覇王の葬式を実際にやってしまった人たちだっているんだから。
少なくとも『ワンピース』や『キングダム』は最高のビジネス書だというような連中よりはまだマシだと思えばいい。
>>[89]

まあ、優れたサブカルや文学は、
宗教書並に、人生に影響を与えますからなあ。
「パウロ」「青野、岩波新書」より

《力は弱さにおいて完全になる》
よくあるキリスト教会の説教題だが、逆説である。
パウロは弱きものに十字架の贖い、いわば他力本願という道を示したことに良さがあるわけですね。

福音書のイエス・キリストにおいてはユダヤ教から除外されていた人々への奇跡、神の力が表されているわけです。
>>[69]

>とはいえ12使徒も、ナザレのイエスは命じてないのでは?

いや、もともとペトロ、アンデレあたりはガリラヤの共同体の人間で、知り合いであったことは確かです。徴税人レビとかフェニキアの女は共同体の構成員でないし、明らかにイエスの呼びかけがあったのだと思います。
>>[93]

私はプロテスタントではイエスや弟子たちのみちは努力目標になると思います。
>>[96]
『指輪物語』もキリスト教の影響を大いに受けているといわれていますからな。
最も弱き者(ホビット)が最も強き者(冥王サウロン)を倒すとか。
流石にネパールカレーにはいないので、パキスタンカレー屋に行き駄話をして閃きました。
映像屋とかいうと、映画か? いや学術動画(水とか健康食品もあるが)
アラブ系の顔だな、イスラムの予言者イエスはやってくれそうだな?
ナザレのイエスの動画を考えているのだが、ヘルモンに向かうイエスらの姿とか、氷河を歩く一行(ロードオブザリングのパクリ)が浮かびました。

>>[97]
パウロは宗教的なトレッカーで(数年で2万キロ)、本人はかなり力強かったようですね。
手紙でも競技大会のファンで短距離や拳闘やレスリングが好きなようです。難破しても助かってますから、かなりの泳者だったと思われます。
>>[97]

まあ、姿からして「ロードオブザリング」のガンドルフはゲルマン神話というより、福音書のイエスではと思われます。
新解釈ですね。
昔のトランスヨルダンのVIDEO8の映像を探さないと。不思議な光の世界ですし。まあ、海沢も緑のないときは似ている。ヘルモンは谷川とか扇沢から黒部の稜線だが、エルサレム神殿だけは借用。
>>[94]

イエスが直接声をかけて仲間にされたのかもだけども12使徒というような役職に任命した事実はないのでは? 十二使徒どころか、使徒任命もないように思います。
>>[103]
勿論、使徒は後の教会の用語です。
パウロあたりから使われだしたと思われます。

しかし、当時は今以上に宗教活動は盛んでメシア運動に誘われたとは思ったと思われます。

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