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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュのパウロとナザレのイエスの隙間について。

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コミュ内全体

さて、皆さんご承知の通り、タルソスのサウロは、ガリラヤ伝道中のナザレのイエスに接したことはありません。
その教えを聞いたこともなければ、感銘を受けたこともありません。
使徒行伝での彼の初登場シーンは、教会の迫害者です。

で、キリストの声を聞いて回心し、使徒行伝後半の主人公として活躍、新約聖書の書簡の対部分は彼の名前で書かれた文書です。

はて。

ご存知の通り、ナザレのイエスがガリラヤ伝道中に語ったのは、ユダヤ一般の観念以外で言えば、
終末論です。
後付けとは言え、第二神殿の崩壊を伝え、「その日、妊婦は不幸だ」として、まさに黙示録的な裁きの終末論を語っています。

ところが。

パウロが語る終末論はなんと楽観的、召集のラッパがなると死んだクリスチャンらが蘇り、共に天に引き上げられる、というもの。
そこには、ナザレのイエスが「その日は子も知らない」と戦慄を帯びて伝えた悲壮なイメージはありません。

そもそも論として、パウロが言う「第二のアダム」としてのキリストなど、福音書にはありません。
ルカ伝では犠牲による贖罪の教理すら否定され、ヨハネ伝では「私はある」と言う、ヤハウェの自称に模した表現を自分で主張していました。

皆さんは、パウロと、ナザレのイエスとの隙間について、どう思いますか。
ちなみに、イエス・キリストの実在をそもそも疑う人は参加をご遠慮願います。議論になりませんので。

コメント(45)

さて、パウロはギリシャ人向けの伝道者、使徒として、律法の無効を主張します。
そりゃそうで、ファリサイ派の信仰からすれば、律法を皆が守ってないのに復活した人間がいたら、律法は終末の必要条件ではなくなるわけです。

ところが、一応福音書のナザレのイエスは、「律法の成就者」であり、「一点一画も消え失せることはない」と明言してます。
まあ、マタイ伝の言葉は多少割り引いて考えなければいけませんし、「人の子は安息日の主である」とマルコ伝でも言ってますが、
食物規定の無効も割礼廃止も主張はしていません。

福音書で描写されるイエス・キリストは、パウロの主張とはやはり隙間が多いと考えるべきでしょう。
悲観論のキリスト、楽観論のパウロとでも言いますか。

キリスト者としては、ナザレのイエス(として描写されているキャラクターがテキスト上で話している教え)と、
パウロ書簡での彼の主張との差を、どう考えますか。
>>[6]

イスラームの13世紀から14世紀初頭のものと思われる「رقايق الحلل فى دقايق الحيل 」(ラカーイク・アル・ヒラル・フィー・ダカーイク・アル=ヒヤル「繊細なる策略につつまれた薄布の外套」)というアラビヤ語の古文書(邦訳 「アラブ人の知恵の泉 策略の書」 ルネ・R・カーワン編 読売新聞社)に(写本 http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b11003019c)"ジューヌースの復讐"というユダヤ人ジューヌース(パウロ)がキリスト教に復讐を果たす物語がありましたね。

ジューヌースがキリスト教に入り込んできて、ある学識ある者にはこう教え、別の者にはまたああ教えと、それによってキリスト教はジューヌースが教えた三人の代表者に従って、ヤコブ派とネストリウス派、メルク派に別れたなんて話までありましたね。

>>[7]

ま、実際のところ、初代教会はグノーシス主義の挑戦を受けていたわけで、
パウロ書簡にも党派争いがやまほどあったことが示唆されていますな。
>>[8]

古いものはエビオン主義やグノーシス、パウロの書簡では月や星・暦に関係したものや天使崇拝なんてのも出てきましたね。
そもそも、イエス様がサウロの目を開かれたので、私は信じる様にもなったわけですが。(聖書全体を)
>>[9]

月や星ら辺への言及は、前にこのコミュにも書きましたが、
古代ギリシャの多神教に基づく、有名な自然神学からの引用です。
ユダヤ人は、ゼウスをヤハウェと言い換えて、結局影響を受けたんですけど。

ナザレのイエスは自然神学に類する言及はないですな。
>>[11]

イエスは神からの直接啓示というよりも直接対話でしょうね。

>>[12]

その意味では、パウロにとっては、自然神学に注意を払わないといけないぐらい、
復活のキリストのインパクトはキリスト者には薄かったかもしれませんな。

復活伝承自体は他の宗教にもあるし、地中海密儀宗教には、死と再生の儀礼が山ほどあります。
キュベレイとアッディス、イシスとホルス、オリエントのタンムズなど、
死からの復活は、当時、珍しい伝承ではなかった。

パウロにとってはオンリーワンでも、
多くのクリスチャンにとっては、ワンオブゼムだったわけだし。
>>[14]

死と再生は神話の基本ですね。

古代オリエント世界の神話では一神のみの方が珍しいですね。
>>[13]

パウロの人間観・罪観はギリシャ・ローマにはインパクトはありそうですね。
>>[16]

問題は、パウロのそれは本当に共有されていたのか、ということですなあ。
原罪思想の発生ですらテルトゥリアヌスまで待たないといけない。
まして、ナザレのイエスがそう考えていたかどうか。
>>[17]

福音書自体が、パウロ書簡が回覧書写されていた時代の産物ですから、福音書の目的はパウロの書簡と目的が異なり、相互補完の意味合いも出てくる可能性もありますね。パウロで語られている思想が福音書で改めて伝承結集されなくても問題ないのでは?

>>[18]

新約聖書がそうだから初代教会ではパウロ主義が主流に錯覚しますが、
マタイ伝やヨハネ伝を報じたグループはそれぞれあったわけで、
特にヨハネ共同体などは、明らかにペトログループと対立してます。

ヨハネ福音書では、三人の弟子が信仰の三つの態度を象徴するように描かれていて、
つまり、イスカリオテのユダは裏切り、ペトロは無理解と不忠実、そして「最愛の弟子」が完全。
ヨハネ福音書では奇蹟もエピソードも弟子も全て意味が込められているので、この意味ではヨハネ共同体とパウロの関係は不明確でも、少なくともローマ教会系とは分かれていたと考えられます。

つーことは、パウロの言う「私はキリストにつく」派というのがヨハネ共同体のように存在していたのでは?
無論、ペトロ書はペトロのものではないし、パウロの補完みたいな書簡ですが。

ただ、ヤコブ書のように、パウロの信仰義認系とは違う考えが正典に載るように、パウロが主流であったというのは後世のバイアスに過ぎず、あくまでもワンオブゼムであった可能性が大きいとは思われますな。
…ただし、ヤコブ書は三世紀まではほとんど用いられず、四世紀になってから激しい議論の後に受け入れられたわけですが。
ルターは「藁の手紙」扱いしましたが、福音派などは、「行いの伴わない信仰は死んだものである」と、ヤコブ書を援用してたりしてますな。
>>[19]

ヨハネ共同体と言っても、ヨハネ福音書のベースを書いた一世紀末の共同体とヨハネ福音書を編集(追加・削除した)しヨハネの手紙第一を書いた二世紀の正統派教義の人たちでも違いはありますね。

アポロにつく云々はルカ文書に記録されていますし、エルサレム教会とヘレニスタイの軋轢など、早い段階からそういうことがあったとされていますから、それぞれの地域や家教会でも考え方は違っていたでしょうね。

また、文盲なことが当たり前の時代に、文字を読み書きできる指導的な人たちや著述家以外の一般信徒での温度差になればさらに広がるでしょうね。




>>[21]

まあ、カルヴァン主義とウェスレー、アルミニウスの末裔ですから
「イエスとパウロ」は根本的で良い問いかけだと思います。
パウロは地上のイエスにあったことなく、そうしたイエスを知るまいと良いキリスト論を展開して、キリスト教を成立させた訳です(勿論、イエスに萌芽はみられた訳ですが)。
>>[24]

そうしたか、どうしたか、のイエスを知るまいとはありませんでしょ。w

十字架にかかられたイエス以外は知るまい。でしょ?w

セネカの兄弟であるガリオンに
パウロは出頭してますが、
ガリオンがアカイア州の地方総督だった頃、地方総督府はコリントにあり、
デルフォイで発見された碑文によって、
ガリオンが地方総督だったのは51年から52年、あるいは52年から53年。

パウロは出頭の約18ヶ月前にコリントに到着し、
出頭後程なくコリントから出立してるので、
パウロがコリントに滞在したのは50年から51年。

コリントに到着するまで、シリアのアンティオキアからの長い旅を行っていたわけで、
アンティオキアを出立したのは48年か49年。
これはガラテヤ書2章のエルサレム会議の数ヶ月後。

エルサレム会議は、パウロがエルサレムを訪れた時から14年経っているので、
14年前のエルサレム訪問は、34年か35年。

このエルサレム訪問は、復活のキリストからの啓示を受けてから3年後(ガラテヤ1章)。

従って、啓示は32年頃の事で、イエス磔刑の約2年後となります。
ローマの長老カイウスは、3世紀の始め、彼の教会に二人の使徒の記念物が、
一つはバチカンに、もう一つはオスティア街道にあると述べてます。

バチカンのそれはペトロで、
オスティア街道のそれはパウロだから、パウロは恐らく、オスティア街道で処刑されたでしょう。

で、ローマのクレメンスが示唆してるように、
ローマに来たペトロとパウロは激しく対立する。

もしパウロの死が62年なら、使徒行伝で書かないわけにはいかず、
また、ペトロとパウロの対立を描きたくないからこそ、使徒行伝はあんな形で終わったと思われます。
恐らく、ペトロのグループと、
パウロのグループの相互告発の為に、
帝国当局は容易にペトロらとパウロらを摘発し処刑出来たのでしょう。
プロテスタントでのパウロの読まれ方は、
基本的に、ルターの見方に沿った読まれ方。

ユダヤ教に満足出来ないパウロが、律法のわざによって得られる功績の宗教としてユダヤ教を捉え、
その宗教からの解放としてキリストたるイエスに従うことになった、というもの。

19世紀以降の宗教史研究だと、
パウロは神秘主義宗教や中間時代のユダヤ教に土壌があるてされて、
少なくともルターのような解釈は自明ではなくなってます。
歴史的には、中世カトリック教会では、パウロはあまりクローズアップされてない。
まあ、トマス・アクィナスによるロマ書の注釈はありますが。

パウロを再発見したのは、何よりルターらプロテスタント。
これが19世紀に至り、近代主義者から、イエスの「心の宗教」を堕落させたとして、
パウロに対する非難が生じた。

パウロが再びキリスト教の中心になるのは、カール・バルト以降の動き。

バルト主義が後退した現在では、果たしてどうか。
>>[19]

私はカトリックですから、やはり、聖母マリアは使徒ヨハネらと生活を共にしたのか、気になりますね。スレチ失礼。
>>[31]

伝説ではヨハネと共に生きたとされてますが、
主の兄弟、義人ヤコブがエルサレム教会の長になったわけで、
まあ、エルサレムに残っていた可能性もありますな。

他にマリアを養う一族の者と言えば、ヤコブの弟ユダぐらいだし。
そもそもピューリタンたちはパウロの信仰義認を継承してない。

植民地時代のアメリカ、マサチューセッツでは、日曜日の礼拝を理由なく続けて休むと、
政府に罰金を支払わないとダメだった。

一月以上の欠席は10シリング、日曜日に音楽を楽しんだり、ダンスやスポーツをすると5シリングの罰金。

一時間以上、礼拝で牧師が祈る事もあり、長ければ長いほど評価された。

複数の牧師がリレー形式で祈ると当然時間は長くなり、最長の記録は、1625年のある礼拝でになされた九時間の祈り。

祈りの後には、二時間ほど説教が続いたそうな。

礼拝中には献金係が長い棒を持ち、
子供が居眠りすれば先端についている玉で頭を小突かれ、
大人が居眠りすれば、他方の端についている狐などの尾で顔を撫でられた。

礼拝中にお喋りしたり、笑ったりすれば、罰金。

朝だけでなく、昼を挟んで、午後からも礼拝があったそうな。

紛れもなく、ヤコブ書の精神で信仰生活を生きてたようですな。
まぁ、至って単純に素朴に言うのであれば、
サウロさんて、この方はガチのユダヤ教徒(律法学者)
しかも、彼は法的にはローマ帝国の市民権を持っていて
学問的にもギリシャ哲学にも精通し、
同時にユダヤ教で
ガチのパリサイ派の厳しい訓練を受け
いわゆる文化的二重国籍の持ち主なわけだったでしょ?w

彼は、旧約の伝統に基づく(パリサイ派)信仰を持ちながらも、
ヘレニズム世界でも馴染みを持つ
当時の文化人な方だったわけでしょ?
(使徒行伝を読めば、サウロがどの様な立場の方だったかは、おおむね、おわかりになられる通り。)

ま、そんな彼はキリスト教徒らの迫害する立場にいたのだからこそ、
異邦人向けの伝道者にはもっとも、強烈なインパクトを与えるに
相応しい人物だったというお話なわけですよね?w
あれ?
言葉足らず、たらず・・なのですが・・

至ってシンプルに簡素に素朴に思いました。(^^;

で、ペテロは当然のこと、キリスト派なわけよね。w
で、パウロは異邦人伝道派なわけよね。w
でもって、その摩擦から生じるものも、確かにあるにはあるかもしれないけれど。w
そんなの、小手先の深読みのお話しぢゃないのかしらね?w

んで、わたくしメらは、どちらかと言わなくとも、パウロ派なわけで。w
見ないで信じる「信仰」を主キリストから頂いているわけよね?
















共観福音書から
キリストに出会えたらよろしいね。

サウロならぬ、目から「ウロコ」ぢゃないの?w
使徒行伝ならぬ物が何冊も記録できるかも。

(現代使徒行伝:第一章:36節)でした。(笑)

お邪魔しました♪


>>[23]

カルヴィンストは、実質的には行動義認ですからね〜

>>[36]

だからストロー(藁・ヤコブ書のこと)で一生懸命に行為を吸い上げるのでしょうね。
>>[37]

カトリックでは 今日6/29は 使徒聖ペテロパウロの祝日です。

初代教会から祝われていたと、ミサ典礼書では教えていますね。

大祝日で 式服は 赤ですね。

その日に、このような書き込みを読むのも ためになりますね。
>>[38]

今日はルーテルでは、使徒ペトロの記念日になっていますね。

通常ルーテルは平日の記念日には礼拝はないので(宗教改革記念日を除く)式服姿の牧師は見かけませんね。

ルーテルでは大祝日とは「聖誕祭」・「復活祭」・「聖霊降臨祭」の三大祝日だけで、あとの主日は「祝日」となります。

それ以外の信仰の模範となった聖徒の記念日は、「記念日」と呼びます。それはカトリックとは違うところでしょうね。

>>[39]

近くて遠く、でもキリストの名によって 結ばれている感じを受けます。

>>平日の記念日には礼拝はないので

公会議以降、日本では日曜日に していますね。

バチカンでは 典礼通りです。
>>[36]
もし、最後の審判があるとしても、救いの要件は良くどんな罪をしたかより、どれだけ隣人に愛の行為をしたかだという話を聞きましたが? 相手が心底して欲しいことをする?
神は+評価と習いました。
>>[41]

救いの要件は信仰の有無ですよ?
>>[41]  こんにちは♪

隣人愛。それはとても素晴らしい事です。

そして、聖書もそのようにも確かに教えてはいます。
ですが、
信仰者らがここで、けして見落としてはいけないのは
エサウを憎んだ。と、神のご意志、評価もまた然りなのですが、
罪による救いの要件とは
神の御赦しが大前提だと思うのですが?当たりまえの話ですが・・
いかがでしょうか??
まずは、罪による神の御赦し、
そのことによって、はじめて成す「隣人愛」を聖書は解き、
また教えているのではなかろうか?と。存じますけれども・・
己の罪滅ぼしの為にも似たような
隣人愛など、所詮ただの自己義認、自己満の
何物でもないものに、成り下がってしまうものです。
そんな物が神の評価による「救い」の要件だというのでしょうか?
まさに「行動義認」の何ものでもありませんよね???

先ずは「救い」とは「神による御赦し」だと、ふつーの信者ならば
救いの要件は理解をするものなのですが・・?

平和を作る者は幸いです。
ですが、平和を作れない者だという自覚が先ず、第一ですんでね〜♪。

神の栄光が世々限り豊にあります様に。(^人^)amen
お邪魔すますた。
あせあせ
世々限りの有限・・・???
アカンわげっそり
失礼いたしました。m(__)m

神の無限の御愛、が世々限りなく!豊に・・でしたm(__)mあせあせ(飛び散る汗)

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