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文芸冬夏コミュの中編『クロな私』著:幽一

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※第15回ジャンプ小説大賞一次落選作品。誤字脱字、たぶん直してない。

 

 1


 西の空に二つの太陽が昇った。
 紫色の太陽は,褐色色の大地を自らと同じ色に変え,黒い尾を引く切り立った岩の影を濃くしていた。紫色の太陽に毒々しい違和感を持つのは,私が地球の太陽を見慣れていたためだろうか?それとも,紫という本来「地球」という星の自然界で毒を連想させる色に,人間の防衛本能が働いて無意識にそれを拒絶するのか?
 この四角の「箱」の透明な壁に放射能,紫外線,人間にたいしてあらゆる有害紫外線をも通さない性質が在ると知っても体を丸めて,紫の日差しを拒絶するのは,やはり後者だっからだ,っと自分で結論を出した。
 体内時計とは正確で,日が昇ると同時に私のお腹は空腹の合図を鳴らす。それを待っていたと言わんばかりに天井の透明な壁をすり抜け「食料」は落とされる。
 食事の時間・・・いや,餌の時間か。
 私一人の食事を妨げるものは今はいない。おそらく皆すでに生きてはいないだろう。
 食事が終わると,窓際に置かれた私の入った「箱」は大きく揺すぶられる。
 「奴ら」の遊びが始まった。今日はどうやら運が悪い。「奴ら」の子供はほんとうにやっかいだ。虫を殺して弄ぶ人間のガキとなんの大差もない。
 だが,私は生きている。生きてやる。
 今は生かされ,弄ばれても必ず生き延びる。
 だが,そんな決意はいつも空しく打ち砕かれる。伸ばされた「奴ら」の手は私を絡め取り,人形のように私を扱う。いや,「奴ら」にとっては私は動く人形に過ぎないのだろう。小さな動く人間の人形。そんな認識でしかないのだ。
 いっそのこと殺して欲しいと切望さえする。ここで死ねたらどれだけ幸せなことなのだろうかと。
 抵抗することをあきらめた私は,人間に飼われている猫や犬の気持ちがなんとなく分かる気がした。泣くことをやめた私の瞳と「奴ら」の感情の籠もっていない眼球が重なる。
 信じる,信じないのレベルなどとっくの昔に超えてしまった。
 今はどのように生きるか。媚びを売ってでも生き延びるか。誇りなど微塵も残っていない。 尊厳などという言葉は今の私にとってはきれい事だ。何の役にもたたない。助けにならない。 人権なんて,人間が生物の最上にいいるからこそ使える言葉。ここには人権なんて言葉は存在しない。あるのは,絶対的な支配階級の生物と,虫同然の「私」の存在。
 食物連鎖の一環,っという言葉ですべてが片づく。
 そんな世界。
 生きているのは私だけ。
 「奴ら」が私に飽きればそれまで,終わり。皆と同じ運命が待っている。そうなった方が幸しれない。透明な壁をすり抜けて「奴ら」の長い手が伸びてくる。まるで植物の根っこのような灰色の触手だ。私はそれを見てつねに象の鼻を想像した。
 絡め取られた私の体は,上下に揺すぶられた後,突如空中に放り出された。重力が小さいので死ぬことはない。私の身体は地面すれすれの所で減速して,それでもなお強く叩き付けられた。
 呼吸が出来なくなる。咳き込み身体を丸めて悶える。動かなくなった私を壊れた物を扱うかのように突いていた「奴ら」の手が遠ざかるのが分かった。それと同時に私の意識も遠ざかる。
 そうして彼らは別の物に興味を示して去っていく。いつ,「奴ら」が戻ってくるかをびくびくしながら私は飼われている。
 私の名前は「クロ」だそうだ。

コメント(24)



 私の生まれた街のはずれに,太古の名残を残す森林が深く青く茂っていた。山の中腹には神社があった。古びた神社で,幼い頃から子供達にとっては格好の遊び場だった。
 神社にはご神体が奉られていた。
 不思議な形を象った木像が何体も積み重ねられて置いてあった。どれも象のような鼻を持って,手が何本もある物が多かった。虎のような顔をした像もあった。どえも大きさはバラバラで小さい準に奥へと並べられていた。一番奥の像は私の身長ぐらいあった。
 子供達は集団で,怪我も恐れず野山を駆けめぐっていた。夏になると雑草が生い茂るが,神社の周りはなぜか円形に雑草が生えず,空き地が出現していた。子供達はそこを格好の遊び場として活用していた。
 野球や,鬼ごっこ。男子が圧倒的に多く,時々は木の上に登ったりしていた。
 そんな時,私は遠くで一人,彼らを眺めながら本の中の内容を想像して空想の世界に浸ったり,ふと大人達の話しを脳裏に思い浮かべ,古く伝わる神社にまつわる話を一人でなんども思い浮かべて一日を過ごしていた。
「神隠しって知ってる?」
 そんな話を幼馴染みのハナちゃんと一緒に話した。ハナちゃんは元気な子で,男の子と混じって木に登ったり鬼ごっこをしたりして,時には男の子達でさえはらはらさせる危険場所にも平気で行ったりしていた。明るい子で,太陽が人の形を象ったようなそんな感じの子だった。
 そんなハナちゃんとは対照的に,私は日陰で片手に絵本を持ってみんなが遊ぶのを眺めているのが日課だった。生まれつき健康的ではないので,あまり走ったりすることが得意ではなかった。それにみんなと混じって泥まみれになって遊ぶ気もしなかった。
 ハナちゃんはみんなの人気者で,彼女の周りには常に人が大勢いた。それを眺めていて羨ましいとは思わなかったが,どこか寂しい気もした。だが,ハナちゃんはみんなに優しいように私にも優しかった。私は太陽の光を受けて光る月のような存在だった。みんな彼女に好意を抱いており,私も彼女が好きだった。
 日陰で退屈そうにみんなの遊ぶ姿を眺めている私を気遣って,時々話し相手になってくれた。そんな時,話のネタが尽きてふと思いだしたこの話をしてみたくなった。
「神隠しって,人が消えちゃうことだよね」
 ハナちゃんは男の子のような格好で,そのまま私の横に腰を下ろした。少年と見間違えそうだ。
「うん。急に消えて,神様が隠したんじゃないかって…でね,知ってる?この山でも神隠しが起こるんだって」
「えー嘘だぁ」
 ハナちゃんは顔に笑顔を作って,私の頭を撫でてくれた。男の子のように切りそろえた彼女の髪とは対照的に私の髪は結構長かった。それを梳くようにしてハナちゃんは撫でるのだ。
「ほんとうかどうかはわかんないけど,お父さんとかお母さんがこの山には近づいちゃだめだって言ってたよね。昔,何人か消えたんだって,その神隠しで」
「ふーん」
 対して興味がないのか,ハナちゃんはバッタのように跳ね起きると空き地を走り回る他の男の子の方に「あ!今何してるのー!」と大声で叫んだ。男の子たちは集まってじゃんけんをしていた。
「今から隠れん坊やるんじゃ。ハナもやるかー?」
 麦わらを被った男の子がちょきの手を大きく振って応えてきた。
「やるやる!私もやるー!」
 ハナちゃんは嬉しそうに彼らの所に走っていた。だが途中で足を止めて私の方にふり返りった。
「サヤも一緒にやる?」
 どうやら私を誘ってくれるらしい。彼女らしい優しい心遣いだ。隠れん坊くらいなら私にも出来ないこともないだろうと思い,私も彼らの所に行った。
「じゃんけーんぽん!あーいこでしょ!」
 私はパーだった。ハナちゃんもパーだ。何人かがグーを出している。チョキはいない。私とハナちゃんはどうやら隠れる側らしい。
「サヤ!行こう」
 ハナちゃんは私の手を握って森の方に走った。私は誘われるままに彼女に続いた。ふり返って後ろを見ると,二回目のじゃんけんで勝った子がやはり別々の方向に走って行くのが見えた。やがて,葉っぱの影に彼らの姿が隠れて見えなくなり,ハナちゃんと私は足を止めた。
「サヤ,大丈夫?」
 私は息が上がっていた。ハナちゃんが心配そうに私の背中を撫でてくれた。
「大丈夫。ちょっと疲れただけだから。どこに隠れようか?」
「こっちに良い場所があるんだ。絶対見つからないよ」
 ハナちゃんは笑顔をでそう答え,薄暗い雑木林の中を駆け抜けた。私はよろけながら彼女に遅れないように走った。こんなに走ったのは初めてだと思う。息づかいがますます激しくなる。
 上り坂で,すこし赤土が見える。森の中を橙の赤土の道が奥へと続いている。私はハナちゃんと一緒にその道を駆け上がった。
 すこし小高い場所に出た。そこには沢山の石が置いてあった。ハナちゃんはそこへと走っていった。私はふらふらになりながら彼女の場所にようやくたどり着いた。
「ここだよ,ここ」
 ハナちゃんは地面に腰を下ろして隣に座るよう私に促した。私は倒れ込むかのように彼女の隣に座った。呼吸が激しく,目眩がした。
「ここなら絶対見つからない」
 ハナちゃんは胸を張って自信たっぷりに言い放った。たしかにここなら見つからない。丁度空き地を見下ろす場所に私たちは居た。下には古びた神社の瓦が見え,私がいつも座っているご神木の針葉樹が尖った頭を空へ向けて伸ばしていた。
「あ,あそこに土谷くんが隠れてる」
 神社の裏側に隠れている男の子の姿が見えた。白いシャツが遠くからでも確認できた。
「あ,山田が鬼なんだ」
 ハナちゃんが空き地の方を指さした。麦わら帽子を被った男の子が辺りを見回しながらうろうろしていた。さっき,ハナちゃんを誘った男の子だった。
「ついてねーな,山田の奴」
 山田は今回に限らず,毎回鬼になる事が多かった。さっきの鬼ごっこでも鬼をやっていた。彼は足が遅くて不器用なのか,彼に捕まることは希有だった。捕まるとしたら私ぐらいだろうと思う。
 ハナちゃんがホントついてねーな,と可笑しそうに笑っていた。山田が鬼なら当分見つかることは無いだろう。
 そうなると暇になってしまう。私は暇なのは慣れていたが,案の定ハナちゃんは数分もしないうちにそわそわし始めた。じっとしているのが嫌いな性格なのだ。
「なにかしよう!暇で死ぬ!山田が鬼だとぜってー見つかんねーから」
「じゃんけーんぽん!あーいこでしょ!」
 私はパーだった。ハナちゃんもパーだ。何人かがグーを出している。チョキはいない。私とハナちゃんはどうやら隠れる側らしい。
「サヤ!行こう」
 ハナちゃんは私の手を握って森の方に走った。私は誘われるままに彼女に続いた。ふり返って後ろを見ると,二回目のじゃんけんで勝った子がやはり別々の方向に走って行くのが見えた。やがて,葉っぱの影に彼らの姿が隠れて見えなくなり,ハナちゃんと私は足を止めた。
「サヤ,大丈夫?」
 私は息が上がっていた。ハナちゃんが心配そうに私の背中を撫でてくれた。
「大丈夫。ちょっと疲れただけだから。どこに隠れようか?」
「こっちに良い場所があるんだ。絶対見つからないよ」
 ハナちゃんは笑顔をでそう答え,薄暗い雑木林の中を駆け抜けた。私はよろけながら彼女に遅れないように走った。こんなに走ったのは初めてだと思う。息づかいがますます激しくなる。
 上り坂で,すこし赤土が見える。森の中を橙の赤土の道が奥へと続いている。私はハナちゃんと一緒にその道を駆け上がった。
 すこし小高い場所に出た。そこには沢山の石が置いてあった。ハナちゃんはそこへと走っていった。私はふらふらになりながら彼女の場所にようやくたどり着いた。
「ここだよ,ここ」
 ハナちゃんは地面に腰を下ろして隣に座るよう私に促した。私は倒れ込むかのように彼女の隣に座った。呼吸が激しく,目眩がした。
「ここなら絶対見つからない」
 ハナちゃんは胸を張って自信たっぷりに言い放った。たしかにここなら見つからない。丁度空き地を見下ろす場所に私たちは居た。下には古びた神社の瓦が見え,私がいつも座っているご神木の針葉樹が尖った頭を空へ向けて伸ばしていた。
「あ,あそこに土谷くんが隠れてる」
 神社の裏側に隠れている男の子の姿が見えた。白いシャツが遠くからでも確認できた。
「あ,山田が鬼なんだ」
 ハナちゃんが空き地の方を指さした。麦わら帽子を被った男の子が辺りを見回しながらうろうろしていた。さっき,ハナちゃんを誘った男の子だった。
「ついてねーな,山田の奴」
 山田は今回に限らず,毎回鬼になる事が多かった。さっきの鬼ごっこでも鬼をやっていた。彼は足が遅くて不器用なのか,彼に捕まることは希有だった。捕まるとしたら私ぐらいだろうと思う。
 ハナちゃんがホントついてねーな,と可笑しそうに笑っていた。山田が鬼なら当分見つかることは無いだろう。
 そうなると暇になってしまう。私は暇なのは慣れていたが,案の定ハナちゃんは数分もしないうちにそわそわし始めた。じっとしているのが嫌いな性格なのだ。
「なにかしよう!暇で死ぬ!山田が鬼だとぜってー見つかんねーから」
「じゃんけーんぽん!あーいこでしょ!」
 私はパーだった。ハナちゃんもパーだ。何人かがグーを出している。チョキはいない。私とハナちゃんはどうやら隠れる側らしい。
「サヤ!行こう」
 ハナちゃんは私の手を握って森の方に走った。私は誘われるままに彼女に続いた。ふり返って後ろを見ると,二回目のじゃんけんで勝った子がやはり別々の方向に走って行くのが見えた。やがて,葉っぱの影に彼らの姿が隠れて見えなくなり,ハナちゃんと私は足を止めた。
「サヤ,大丈夫?」
 私は息が上がっていた。ハナちゃんが心配そうに私の背中を撫でてくれた。
「大丈夫。ちょっと疲れただけだから。どこに隠れようか?」
「こっちに良い場所があるんだ。絶対見つからないよ」
 ハナちゃんは笑顔をでそう答え,薄暗い雑木林の中を駆け抜けた。私はよろけながら彼女に遅れないように走った。こんなに走ったのは初めてだと思う。息づかいがますます激しくなる。
 上り坂で,すこし赤土が見える。森の中を橙の赤土の道が奥へと続いている。私はハナちゃんと一緒にその道を駆け上がった。
 すこし小高い場所に出た。そこには沢山の石が置いてあった。ハナちゃんはそこへと走っていった。私はふらふらになりながら彼女の場所にようやくたどり着いた。
「ここだよ,ここ」
 ハナちゃんは地面に腰を下ろして隣に座るよう私に促した。私は倒れ込むかのように彼女の隣に座った。呼吸が激しく,目眩がした。
「ここなら絶対見つからない」
 ハナちゃんは胸を張って自信たっぷりに言い放った。たしかにここなら見つからない。丁度空き地を見下ろす場所に私たちは居た。下には古びた神社の瓦が見え,私がいつも座っているご神木の針葉樹が尖った頭を空へ向けて伸ばしていた。
「あ,あそこに土谷くんが隠れてる」
 神社の裏側に隠れている男の子の姿が見えた。白いシャツが遠くからでも確認できた。
「あ,山田が鬼なんだ」
 ハナちゃんが空き地の方を指さした。麦わら帽子を被った男の子が辺りを見回しながらうろうろしていた。さっき,ハナちゃんを誘った男の子だった。
「ついてねーな,山田の奴」
 山田は今回に限らず,毎回鬼になる事が多かった。さっきの鬼ごっこでも鬼をやっていた。彼は足が遅くて不器用なのか,彼に捕まることは希有だった。捕まるとしたら私ぐらいだろうと思う。
 ハナちゃんがホントついてねーな,と可笑しそうに笑っていた。山田が鬼なら当分見つかることは無いだろう。
 そうなると暇になってしまう。私は暇なのは慣れていたが,案の定ハナちゃんは数分もしないうちにそわそわし始めた。じっとしているのが嫌いな性格なのだ。
「なにかしよう!暇で死ぬ!山田が鬼だとぜってー見つかんねーから」
「じゃんけーんぽん!あーいこでしょ!」
 私はパーだった。ハナちゃんもパーだ。何人かがグーを出している。チョキはいない。私とハナちゃんはどうやら隠れる側らしい。
「サヤ!行こう」
 ハナちゃんは私の手を握って森の方に走った。私は誘われるままに彼女に続いた。ふり返って後ろを見ると,二回目のじゃんけんで勝った子がやはり別々の方向に走って行くのが見えた。やがて,葉っぱの影に彼らの姿が隠れて見えなくなり,ハナちゃんと私は足を止めた。
「サヤ,大丈夫?」
 私は息が上がっていた。ハナちゃんが心配そうに私の背中を撫でてくれた。
「大丈夫。ちょっと疲れただけだから。どこに隠れようか?」
「こっちに良い場所があるんだ。絶対見つからないよ」
 ハナちゃんは笑顔をでそう答え,薄暗い雑木林の中を駆け抜けた。私はよろけながら彼女に遅れないように走った。こんなに走ったのは初めてだと思う。息づかいがますます激しくなる。
 上り坂で,すこし赤土が見える。森の中を橙の赤土の道が奥へと続いている。私はハナちゃんと一緒にその道を駆け上がった。
 すこし小高い場所に出た。そこには沢山の石が置いてあった。ハナちゃんはそこへと走っていった。私はふらふらになりながら彼女の場所にようやくたどり着いた。
「ここだよ,ここ」
 ハナちゃんは地面に腰を下ろして隣に座るよう私に促した。私は倒れ込むかのように彼女の隣に座った。呼吸が激しく,目眩がした。
「ここなら絶対見つからない」
 ハナちゃんは胸を張って自信たっぷりに言い放った。たしかにここなら見つからない。丁度空き地を見下ろす場所に私たちは居た。下には古びた神社の瓦が見え,私がいつも座っているご神木の針葉樹が尖った頭を空へ向けて伸ばしていた。
「あ,あそこに土谷くんが隠れてる」
 神社の裏側に隠れている男の子の姿が見えた。白いシャツが遠くからでも確認できた。
「あ,山田が鬼なんだ」
 ハナちゃんが空き地の方を指さした。麦わら帽子を被った男の子が辺りを見回しながらうろうろしていた。さっき,ハナちゃんを誘った男の子だった。
「ついてねーな,山田の奴」
 山田は今回に限らず,毎回鬼になる事が多かった。さっきの鬼ごっこでも鬼をやっていた。彼は足が遅くて不器用なのか,彼に捕まることは希有だった。捕まるとしたら私ぐらいだろうと思う。
 ハナちゃんがホントついてねーな,と可笑しそうに笑っていた。山田が鬼なら当分見つかることは無いだろう。
 そうなると暇になってしまう。私は暇なのは慣れていたが,案の定ハナちゃんは数分もしないうちにそわそわし始めた。じっとしているのが嫌いな性格なのだ。
「なにかしよう!暇で死ぬ!山田が鬼だとぜってー見つかんねーから」
ハナちゃんはそう言って私の方を見た。私は困った顔をした。
「なにすればいいの」
「今考えてる」
 そう言ってハナちゃんはあごに手を当てて唸っていた。私は何か無いかと後ろの方を見回した。視線の先に先ほどの石が写った。
「ねえ,あの石何なの?」
 私はハナちゃんに聞いた。石は細長い形をした物が真ん中に立っており,それをぐるりと囲むようにして丸い石が置かれている。真ん中の石はまるで都会の建物のようにそびえ立っていて,その石に向かってやや小さめの細い石が光の集まるような形に配列されていた。
 明らかに誰かが意図的に作った物だということが伺えた。
「ああ,それって結構昔からあるみたい」
 ハナちゃんがそう答えた。石には緑色の苔が生えていた。よく見ると,年代物であることが分かった。いったい何のために昔の人はこれを作ったのだろう。私は興味を惹かれ,石に近づいた。
「そんな物見て楽しい?」
 ハナちゃんが呆れたような声を上げた。私は石の先端に触れた。なめらかな感触を指先に感じ,握ってみるとぐらぐら揺れた。支柱が不安定だ。
「誰が作ったんだろうね」
「さあ」
 私は石から手を離した。
 その時,支えを失った石がぐらりと揺れた。石はそのまま地面へと倒れた。
「あーあ」
 ハナちゃんが額に手を当てて呟いた。
「わわわ…どうしよ,ハナちゃん!」
 私は狼狽してハナちゃんに助けを仰いだ。
「また立て直せばいいじゃん。もう,サヤは挙動不審過ぎ」
 まったく動じていないハナちゃんは,石を元の場所に戻した。今度は倒れないように周りを囲んでいた石を何個か支えに使った。多分,よほどの事が無い限り倒れることはないだろうとハナちゃんは言った。
 私はもの凄く不安な気持ちにかられた。
「どうしたの,サヤ」
 ハナちゃんが私の顔を覗きこんでくる。
「ううん,なんでもない」
 そう返したが,不安は拭いきれなかった。何かこの石に不思議なものを感じたからだ。きっとなにか重要な意味があるに違いない。昔,これを作った誰かがこれを作った理由が。
 急に辺りが静まりかえった。がらりと辺りの雰囲気が一変し,どこか肌寒いものを感じた。草木のざわめきが一瞬にして消え去り,風の音だけが鼓膜に届いた。
 私は恐ろしくなり,ハナちゃんのほうに顔を向ける。
 突如,辺りが暗くなった。
 続いて今度は眩しい光が辺りを覆った。どちらもほんの一瞬の出来事で,カメラのフラッシュがたかれたかのような光だった。
 辺りは先ほどの陽気を取り戻し,優しい風が草木を撫でた。ざわめきも明るい音色に変わり,先ほどの雰囲気が嘘のように思えた。
「な,何だったの?今の」
 ハナちゃんも同じ光を見たらしい。珍しく驚いた顔をしていた。
「わ,分かんない。でも,なんか変な感じ」
 そう言って私は辺りを見回した。何も変わった物はない。広がる自然と雑木林の間から垣間見える光だけが風に歩調を合わせて動いているだけであった。
 空は綿を浮かべたような雲がゆっくりと通り過ぎ,その隙間を群青色の青空が覗いていた。
 その時,背後で草むらがざわめく音がした。
私とハナちゃんは飛び上がるくらい驚いた。
「あ,みっけた」
 脳天気な声が草むらをかき分けて聞こえてきた。山田だ。麦わら帽子を首の後ろに下ろして,ジャガイモのような坊主頭が露出していた。丸い顔に点のような目がちょこんと二つ,きょとんとした様子で私とハナちゃんを捕らえていた。シャツに葉っぱを多くつけている。
「や,山田」
 ハナちゃんが気の抜けた声を発した。
「やっと見つけた。サヤちゃんとハナちゃん。サヤちゃんを先に見つけたから,次はサヤちゃんが鬼じゃ」
 どこまでも脳天気で緊張感のない声音だった。
「ねぇ,山田。さっき変な光見なかった?」
「光?」
 ハナちゃんが落ち着きを取り戻した声で山田に聞いた。山田ははやりきょとんとした様子で首を傾げた。
「知らん,わしはハナちゃんとサヤちゃんが上の方にいるのを見つけただけじゃけ」
「え,どこからここ見とったの?」
 ハナちゃんがありえない,っといった顔をした。絶対みつらないと口語していたからだ。その自信が突き崩され,もの凄く悲しそうな表情だった。
「木の上から見たんじゃ」
 木に登って,そこから見えた。そう山田は説明し,ご神木の大木を指さした。私がいつも座っている所だ。いったいどうやって登ったのだろう。
「あーあ,もうここは隠れ場所として使えんじゃんか」
 ハナちゃんががっくりとして肩を落とす。
「速く他のみんなも見つけようよ」
「そうじゃね,ハナちゃんサヤちゃんも一緒にさがしてよ」
「分かった,あーあ」
 ハナちゃんはぶつぶつ不満を呟きながら草むらへと入って行った。山田も下の方を見下ろしながら「いい場所じゃねー」と言いながら後に続いた。
 私は石の方に視線を移して,真っ直ぐ立っている細長い支柱を見据えた。
 妙な胸騒ぎを感じずにはいられなかった。先ほどの閃光がくっきりと網膜に焼き付いている。太陽の光などではなかったが,それに近いものだった気もする。
 いったい何だったのだろうか?
 不安が雫となって,胸に落ち波紋が広がっていくようだった。きっとなにか良くないことが起こる。そんな気がした。
「サヤー!どうしたん?」
 ハナちゃんの呼ぶ声が聞こえた。
 今行く,っと叫び返して草むらに飛び込む。赤土の山道を駆け下りながら,もう一度私はあの石の支柱にふり返った。
 草に隠れてそれはやがて見えなくなった。
あの時の不安は不幸にも現実のものとなった。
 あの後,ハナちゃんの目まぐるしい探索で十人ばかし居た他の子もあっという間に見つかった。もの凄い洞察力と言うか,探索力と言うか。木の陰や,草むら,神社の本殿の軒の下に隠れていた男の子はみんな見つかった。彼女が鬼になるとすぐに隠れん坊も鬼ごっこも終わってしまう。
 予定通り行けば私が次の鬼のはずだった。だがそうはならなかった。
 土谷という男の子がまだ見つかっていなかった。
 さっき建物の裏側に居た子だ。白いシャツの小柄な子だった。
 夕日が暮れるまで私たちは他の子と探したが見つけることが出来なかった。結局暗くなる前に家に帰ることにした。
 翌日から警察が山狩りをして探すこととなった。町の男たちも何人かが探しに山に入ったが,両者とも土谷という男の子の消息を掴むことが出来なかった。
 カミカクシ。
 そんな噂が小さな町に広がるのはあっという間の事だった。
 警察は山で遭難したのだとして,百人体勢で山を捜索した。だが,在るのは鬱蒼とした木々ばかりだった。痕跡という痕跡が徹底的に消し去られているかのようだった。神が隠したとしか思えないほど見事に彼は消えていた。
 三日目には,新聞の小さな欄に土谷の事が乗るようになった。
 家に土谷の両親が訪ねてきて,最後に見たのはいつか,何処で見たかを聞かれ詳しく話した。土谷の母親は目の下に疲れを溜めこんでいてパンダのような顔になっていた。それを見ているとどこか哀れだった。
 山での遭難,という形で土谷を捜す人の人数は,日に日に増えていった。しかし彼らに土谷の姿を見つけることは出来なかった。
 そんな時,土谷がようやく見つかった。
 発見者は神社を管理している神主の老人であった。
 土谷は神社で発見された。空き地の中央に倒れているのを神社を掃除にきた神主が見つけたのだ。
 神主は草の生い茂った細道を通り抜け,神社への山道を登るときに魚の腐ったような,重ったい臭いが立ちこめていて,最初は狸か何かが死んでいるのかと思ったそうだ。神社に辿りつき円形の空き地になにかが横たわっているのを彼は発見した。最初はそれを人とは思わなかった。遠目にみて,それは人とは言い難い形状となっていた。
 やがてそれから伸びている手足と,蒼白の肌の色を近くで確認してようやくそれが人間の子供であったことを彼は知った。
 まだ少年だった。
 少年の本来目玉がある所には,ぽかりと暗い穴が出現していた。耳はそぎ落とされていて,髪の毛もすべて剃られていたそうだ。
 指の爪は全部矧がされており,歯もすべて抜かれていた。そして腹は切り裂かれ,内蔵が無くなっていたそうだ。
 まるで中に入っていた人がいなくなった着ぐるみのようだったという。性別も分からないくらいにそれは酷かった。警察は近くに放置されていた白いシャツとズボンに書かれていた名前から,彼が姿を消した土谷少年であることを確認した。
 マスコミは一斉に土谷の事を一面記事にして掲載した。ニュースでは慌ただしく報道され,町にはテレビカメラを積んだワゴン車が多く来た。空にはテレビ局の取材ヘリが飛び交い,小さな田舎町を大きな衝撃と動揺で揺らした。
 警察は殺人事件として捜査を始めた。
 マスコミは残虐な児童殺害事件として騒ぎ立てた。私の家にもマスコミの記者や,取材のカメラが来た。警察の人が何人か来て,土谷の母親と同じ事を何度も聞かれた。
 小学校は無期限で休校となり,私は毎日ニュースで捜査の進展を見守った。
 そのうち,土谷の遺体に不自然ことが幾つかあることが分かった。
 司法解剖で,彼の身体を調べてみると,明らかに現代医学では説明のつかない点が多く浮上したのだ。
 まず,首もとから下腹にかけて真っ直ぐに切り裂かれた傷口。とても鋭利な物で切り取られたらしいのだが,いったい何で切ったかが分からない。普通のメスならこんなにシャープには切れない。レーザーメスなら可能だが,それは火傷の跡が残る。だがそんな形跡は見あたらない。
 さらに,医師達を驚かせたのが彼の血液がすべて抜き取られている事だった。あれだけひどく切り裂かれていたのに,地面には血痕一つなかったそうだ。
 そして医師を驚愕させたのが脳だった。頭蓋骨の中身,つまり脳が綺麗に無くなってしまっていたのだった。彼の頭蓋骨を割って中側の見てみると,そこには最初から何もなかったかのような綺麗な白色だったそうだ。いったいどうやって脳を取り出したのか。
警察は殺人事件として捜査を始めた。
 マスコミは残虐な児童殺害事件として騒ぎ立てた。私の家にもマスコミの記者や,取材のカメラが来た。警察の人が何人か来て,土谷の母親と同じ事を何度も聞かれた。
 小学校は無期限で休校となり,私は毎日ニュースで捜査の進展を見守った。
 そのうち,土谷の遺体に不自然ことが幾つかあることが分かった。
 司法解剖で,彼の身体を調べてみると,明らかに現代医学では説明のつかない点が多く浮上したのだ。
  文字通り「中身が無くなった」であった。
 こういった不可解な謎が,さらにマスコミのネタになり,事件は全国規模のものとして世間を騒がせることとなった。
 ワイドショーはこの小さな町で起きた事件を大々的に取り上げ,凶悪な殺人犯の想像図をテレビに流して注意を促した。
 土谷が死体となって発見されてから一週間経つと,ようやく学校に行く事ができるようになった。道には警察のパトカーがうろうろしており,集団登校に保護者が多く連れ添った。
 学校までの道のりはそれほど遠くなかったが,この日はとても遠く感じた。
 学校に着くと,まずは体育館で全校集会があった。
 小さな体育館に三十人ばかしの生徒と,教員。後ろの方には保護者や取材のカメラを持った記者が数名立っていた。彼らはカメラのフラッシュをたくのにまったく余念がなかった。
 校長先生の話が始まり,建物の中はカメラのシャッター音だけとなった。
 最初に残念な話があります。という口上から始まった話は,土谷の冥福を祈る黙祷で終わるまで約三十分続いた。
 その後,クラス事に教室に戻ると,今度は担任の教師が同じ事を話し始めた。みなさんも十分気をつけるように,っと何度も繰り返した後,朝会は終わり担任は教室から出て行った。途端に教室内は騒がしくなった。
 みんな土谷の話題で持ちきりだった。
「ホント信じられない…」
 ハナちゃんがいつもとはうって変わって,暗い顔をして俯いて言った。今にも泣きそうな様子で,きっと土谷のことを考えているのだと私は悟った。
「ハナちゃん…」
 私も泣き出しそうだった。
 そしてとても気分が悪かった。土谷の事は新聞やニュースの鮮明な報道で,詳しくどのように殺されていたのかを想像するのに難しくなかった。
 目玉が取り出され…内蔵が抜き取られ…。
 吐きそうだった。私は想像力が豊富だったのがこの時は不運で,地面に横たわる土谷の姿を今見てきたかのように思い浮かべてしまうのだった。
 土谷とはあまり親しくもなかったし,話しをしたこともなく私にとっては他の男の子と同じような存在にしか写っていなかった。顔もよく覚えていなかったので,まるで描いたような穴が空いた顔の死体を想像した。
 まるで壊れた人形のように,彼の遺体が目の前にあるようだった。それが何もない二つの空洞をこちらに向けて,睨んでいるかのように思えた。ぽっかりと空いた口が何かを叫んでいるかのようだ。
私を恨んでいる。
 なぜがそう思えた。どうしてそう思えたかは分からなかった。だが彼は私を恨んでいる。
 夢にも何度も現れ,無言の怒りをぶつけられているかのようだった。
 まさに悪夢だった。私はすこし寝不足になった。
「どうしてなんだろうね…なんで四郎くんが殺されなきゃいけなかったの」
 四郎とは土谷の下の名前だ。私はすこし驚いた。ハナちゃんが男子を苗字以外で呼ぶことはなかった。
 もしかしたら,ハナちゃんは土谷に好意を抱いていたんじゃないのかと考えた。
「ねえ,もしかしてあの石を動かしたから土谷君は…」
「バカ言わないでよ!」
 ハナちゃんは教室いっぱいに響く声で怒鳴った。雑談をしていた女子が驚いてこちらを振り向いた。男子は,横目でこちらの様子を伺っている。
 教室中の視線が一気に二人に集中した。
「バカ言わないで…」
 もう一度小さく呟くと,ハナちゃんの目の端から透明な液体が流れ出て頬を伝った。
 私は,あの石の事がどうしても気に掛かったが,気丈な彼女が涙を流すのを見て動揺して何も言えずただそこに突っ立っていることで精一杯だった。
 それから小学校を卒業するまで,ハナちゃんと会話を交わすことはなかった。
 石のことなど忘れてしまった。

                3
 
 緑の葉が鮮やかな紅葉に変わり,山々が一気に秋の色へと模様替えを始めた。
 卒業と入学の桜が散って青々と茂っていた面影を残さず,着実に冬への段階を上り詰めているようだ。風もすこし肌寒かった。
 私の住んでいる町より,一つ山を越えた隣町の高校では始業式が終わって冬休みを迎えた生徒が一斉に正門へと殺到していた。
「よう」
 校門の壁に寄りかかっていた男子が,下校しようとしてた私に片手を上げて声をかけてきた。黒い学ランで他校の制服を着ていた。たしか近くの男子校の制服だったことを記憶していた。
「あの…誰ですか?」
 背が高く調った顔立ちをしていた。まったく見知らぬ子で,私すこし警戒した。横を通り過ぎている女子がちらちらとこちらを見ていた。
 格好いいと言えば格好いい,そんな容姿ではあるがどこか抜けたような雰囲気でもある。
「俺だ。山田だ,や・ま・だ」
 そう言って彼はニカっと笑う。
「う,嘘…!」
 私は思わず片手で口を覆った。
「嘘なもんか」
「だって…」
 信じられなかった。あのジャガイモ頭で,マジックで描かれたような点のような目をした顔で,ジャンケンにはいつも負けて鬼ばかりをしていた山田とどこを重ね合わせればいいのか分からない。
 ただ,笑った時の顔に浮かんだ,どこか抜けたようでおおらかな雰囲気だけは,あの姿に頷けるものではあった。
「綺麗になったなぁ,昔からそうだったけど」
 なんのさわりもなく彼は普通にそう言った。
「なんか病気で死にそうな顔は全然変わってないけど」
 私はすこし頬が赤くなったのを自覚した。
 山田とはハナちゃんと同様にあの事件以来話をすることはなく,三人とも別々の中学,高校へと進んだ。なので,約三,四年は会っていなかった。
 人とはこんなに変わるものなのかと私はしみじみ驚いていた。
「ひ,久しぶりだよね」
「ああ,小学校以来だからな。やっぱ,サヤは変わってないよな。顔とかじゃなくて雰囲気とかさ」
 それはお互い様だと思う。
「山田君は随分変わったよね。顔とか身長とか」
「だろう」
 誇らしげに胸を張る彼の姿は子供じみた部分がまったく抜けていないように思えた。今見せられている容姿とはかなりかけ離れたもののように感じ,どうも違和感を覚えずにはいられなかった。
「で,どうしてここに?」
 唐突の再会に困惑しながらも,私はなぜ今更?という疑問も同時に胸に抱いた。
「いや,今日はあの日だろ」
 山田が少し目を伏せ気味にして呟くように言った。陽気な顔が日陰が降りたような表情に変わった。
 土谷の事だと私は悟った。脳裏をおぞましい記憶が通り過ぎる。
 今日は土谷の命日だった。 
 思い出したくない哀しく恐ろしい子供の時の思い出。ふり返りたくないあの日の出来事。それと同時にそれを忘れようとしていた事への後ろめたさが沸き起こってきた。
「俺たちさぁ。あの事があってから喋らなくなったし,卒業してからは土谷のこと忘れたように過ごしてきただろ。なんか,俺,後ろめたさというか何というか…」
 そう言って山田は口ごもる。彼が何を言わんとしているのかは分かるような気がした。私も同じような後ろめたさのようなものを感じていないわけではなかったからだ。
 それで土谷の墓参りをしようと,彼は言った。
 私は黙って頷いた。その通りだと思った。
「ハナも来るそうだ」
「ハナちゃんが?」
私はハナちゃんの名前に反応して驚きの声を漏らした。
「ああ」と彼は頷き顔に無邪気な笑顔を戻した。
「ハナちゃんにも会えるのね。なんだか久しぶり過ぎるなぁ…ねえ,どこにいるの?」
 山田は来いよ,っと言い道路に向かって歩き始めた。彼のすらっとした後ろ姿にはやはり昔の面影は見られなかった。彼の通り過ぎた後を女子生徒が何人もふり返って見ていた。それほどい彼の容貌は昔と変わった。
 ハナちゃんも変わっているのだろうか…。変わっていたならどんな女の子になってるのだろうか…。
 あの元気な少年のようなハナちゃんの姿はいったいどのように変わってるのだろうか。想像もつかなかった。速く会いたいと思った。だが,それと同時に,あの時のハナちゃんの涙も思い出す。
 再会についての期待と同時に複雑な感情が心の中に渦巻いた。
「サヤー!どうかしたのか?」
 いつの間にか思考に浸かってその場で突っ立っていた。山田の声に現実に引き戻され,はっとした私は歩道の先でこちらを眺めている山田の元に駆け寄った。


 私が通う高校がある町は,私が住んでいた町よりも家が多く,店も多かった。瓦屋根が少なく四角い建物の姿が多く目立ち,道路を走る車が帰宅時間につれてその数の列を増やすのだ。
 都会と田舎の中間を行き来する町だ。
 高校は私の通う高校と,近くに男子校が在るだけで,他は市内か遠くの高校に通わなくてはならない。私と山田は案外近くの高校に通っていたがハナちゃんは市内の私立の高校に行っていたそうだ。
 私たちはハナちゃんが待っているという駅に向かった。途中,通学途中の男子校の生徒が山田と私をみて口笛を吹いてはやし立てて通り過ぎて行った。山田の同級生だったらしい。
「山田ー!いつの間に!」
「羨ましいぞ!」
「うるせー」
 山田は彼らに拳を上げて叫んでいた。その様子を見ているととても可笑しかった。
「俺のクラスの奴,ばかバッカばっかだからさ」
 彼はそう言って嘆息をした。
 山田は人懐っこいような顔をしていて,他人から見ても優しそうな顔をしている。人に嫌われるようなタイプではなさそうだ。
 友達も多そうだ。
 それに比べて私は友達が少ない。いや,皆無と言っていいかもしれない。私は昔から人を引き寄せないような雰囲気を醸し出しているらしく,子供の頃と同様に片手に本を持った生活は変わらない。本を読んでいた場所が木下から教室の端の机に変わっただけだった。
 ハナちゃんはきっと彼のように友達が多いのだろうな。また友達になってくれるだろうか。
 友達が居なくて一人で本を読んでいた私の友達になってくれたのは他ならぬハナちゃんだ。土谷のことがなければ私は彼女と同じ高校を選んでいたかもしれない。彼女の後を追っていただろうと思う。
 ハナちゃんという太陽の光を浴びて光ることを許される月のような存在。その太陽を失ったあの時,とてつもない不安が襲ってきたものだ。
「あそこだ」
「あそこだ」
 山田が駅の方を指さした。その先に紺色のジャージを着た少年の姿が見えた。夕日を浴びた茜色の壁に背をもたれ足下にスポーツバックを置いている。だが少年と見えたのは間違いだった。彼女はれっきとした女の子だ。それには彼女の明るい声音で気づいた。
「あ,山田!」
 彼女はこちらに気がつくと元気よく手を振った。
 ハナちゃんだ。今にも飛びはねそうな雰囲気を見ただけで彼女と分かった。短く切りそろえられた髪型との高い姿のせいで,やはり少年のように見える。
「よう,待った?」
 山田が無邪気な笑顔を返す。
「ううん,全然。今電車が着いたとこ」
 そう言ってハナちゃんも笑う。男の子のような格好だが声も笑い顔も女の子の色が十分面に現れていた。やはり彼女自身が輝いてるような感じは昔からまったく変わるところを見せていない。
「部活の帰りだった?」
「うん,まあね。でも来週から試験が始まるから案外速く終わったし,明日からは部活は試験が終わるまで当分ないのよ」
「じゃあしっかり勉強しろよ」
 ハナちゃんがすこし焦った顔をする。適当に誤魔化すように手をひらひらと振って苦笑していた。そういえばハナちゃんは勉強はすこし苦手だったのを記憶している。
「あ,もしかして…」
 ハナちゃんが私に気がつき顔を近づけて来た。私はドキリとして思わず身を後ろに引いてしまった。
「サヤ?」
 彼女はすこし困惑したよう表情をした。不安が脳裏をよぎる。
 私は無言で頷き上目遣いで彼女を見上げた。彼女の背は山田に劣らないほど高い。彼女は腰をすこし前に屈めて私を見下ろす感じだ。威圧感かのようなものを感じてしまって我知らず緊張してしまっていた。
「うっそ!マジで?」
 ハナちゃんの顔がぱっと明るくなった。顔には驚きの表情が浮かんでいる。
「なんか別人みたいだったし!なんか山田の彼女かなにかかと…いや,すっごく可愛くなったから。昔から可愛かったけど」
 喋り方がもの凄く男の子のようだ。明るい粒子が辺りに飛び散っているようだった。
「なんか久しぶりだよね。ていうか三年以上会ってなかったし。え,でも凄く変わったよね,二人とも」
 ハナちゃんはとても懐かしそうな顔をして喋っていた。
「ハナもさ」
「そう?」
 山田がそう言うとハナちゃんは嬉しそうに山田に顔を向けた。彼女の横顔には赤みが射しているように見えた。夕日の加減でそう見えたのかもしれない。
 その後も昔を懐かしがる話しで会話が沸いた。
 私はそんなハナちゃんを見て安堵した。
 昔から変わっていない,性格も喋り方も雰囲気も,私に対する接し方も何もかも。嬉しかった。拒絶されるのではないかとう不安も緊張も薄れていった。彼女の笑顔がそうさせた。
 電柱の影が黒い尾を引き,足下まで伸びてきていた。
 時計の針が六時を示すと,駅の前のスピーカからそれを知らせる音声が流れ出て耳に届いた。私たちはそこで話を打ち切り,とりあえず土谷の家に向かうことにした。
土谷の家に向かうには電車に乗らなくてはならない。ハナちゃんは切符を買って電車に乗った。私と山田は自分の家に帰るためにいつも同じ電車を利用していたので定期が存在した。
 私たち以外に乗客は少なく,ガラガラだった。
 車窓の外を眺めると黒い景色が風と供に後ろへと過ぎ去っていく光景が延々と続いた。民家の点々とした灯りが流星のように尾を引き流れていく。車のライトが列をなしていたが,その姿も徐々に消え,車窓から景色が消えた。漆黒の世界がそこに広がっていた。
 電車に乗ると急に会話が少なくなった。車内は静まりかえり,静寂が降り立ったようだった。唯一電車の機械音がかたんかたんと寂しい音を奏でていた。
 駅に着くと三人は電車から降りて改札口に向かった。ホームに人はいなかった。
 駅を出てようやく山田が口を開いた。
「うーん,懐かしいな。久々に帰ってきたぜ」
 山田が背伸びをしてそう言った。山田は男子校の学生寮で暮らしているそうだ。夏休みも滅多な事では帰らないらしい。
「私も久しぶりやし。ホント三年ぶりって感じ」
 ハナちゃんも市内の下宿で暮らしていると聞いたので帰ってきたのは三年ぶりとなるのだろう。
「お盆とか正月は帰ってこなかったの?」
「うん,なんかね忙しくて帰れなかった。それに帰ってもだれもおらんしさ」
 ハナちゃんの父親は都会に出ていて滅多な事では帰ってこない。彼女はそう言った。
「別に帰ってこんでも構わんし。あんな人」
 とハナちゃんは顔に嫌悪の皺を寄せた。
「私のことなんてどーでもええと思ってる人だしさぁ。母さんの葬式にも帰ってこんかったし」
 彼女の母は小さいときに病死している。小さかったときに私も葬式に参加した記憶がぼんやり残っていた。
「おい,速く行こう。あんまり遅くなると土谷の両親に迷惑だし」
 と山田が言ってきたので私とハナちゃんはふり返り,そうだね,と言って夜道を歩き出した。
 秋を迎えた空気はしんと冷たさをはらんでいた。そのおかげか夜空にはばらまいたように満天の星空が輝いていた。
 歩いて十五分ぐらいで土谷の家に着いた。
 木造建築の一戸建ての田舎で一般的な家だ。私は土谷の葬式以来来たのは二度目であった。家には明かりが灯っていた。
「ごめんくださーい」
 山田が玄関の戸を叩いた。しばらくして家の中から床を踏みしめる音が近づいてきて,磨りガラスの玄関扉に影が映り戸がガラガラっと横に開いた。
 中から初老を迎えた女性が顔を覗かせた。
「夜分にすいません」
「…どなたでしょうか?」
 女性は私たちを一瞥した後,ひときわ背の高い山田に目を向けた。土谷の母親だ。私は見覚えがあった。土谷が姿を消したとき,私の家に訪ねてきていた。あの時の目の下のクマがうっすらと残っているのが痛ましく思えた。
 山田が事情を説明すると,土谷の母親はすこし考えた後,上がってくださいと一言言うと私たちを招き入れた。
「わざわざ遠くから…ありがとねぇ」
 土谷の母親はそう言って襖を開けた。
「いえ,僕たちこそこんな夜遅くにすいません。でも今日が土谷の命日ですから…」
 山田が線香に火をつける。私たちは仏壇の前で手を合わせる。ほんわかと線香の臭いが鼻腔に届いた。
「あの子はほんと活発なこでした。あの日も言うことを聞かずにあの山へ…」
 土谷の母親は呟くようにして語り始めた。やはりどこか拭いきれない後ろめたさと申し訳なに苛まれる。土谷がいやでも山に行きたいと言った理由の背景に自分たちが関係していないわけではなかったからだ。
 あの時私たちが彼を誘わなければ…。そのような事をこの母親は考えているのではないのだろうか。
「…犯人,まだ捕まっていないんですよね」
「ええ」
 土谷を殺害したと思われる犯人は現在も捕まっていない。警察も出来る限りのことはしたのだろうが,犯人についての情報は雲を掴むかのようになにも掴めなかった。もはや迷宮入り寸前の所まで来ている事件となっていた。
「先日,主人にも先立たれてしまって…」と彼女は顔を伏せる。幼い土谷少年の写真の横に,父親の写真が並べて置かれていた。
 しばらくして私たちは帰ることにした。立ち上がりながら時計を見ると九時を回っていた。敷居をくぐり玄関へと向かった私の後から土谷の母親の声が追ってきた。
 私は後ろを振り向いた。
「また来てやってくださいね」
 土谷の母親はそう言っていた。はい,と答えて私たちは土谷の家を後にした。
「サヤ遅くなって大丈夫なのか」
 帰り道,山田が心配そうに私の方を見る。隣にはハナちゃんも居る。三人そろってこの道を通りるのも久しぶりのことだった。
 今日はなぜが「久しぶり」なことが多い。
「うん,大丈夫。今日はどっちも仕事で居ないから。それより,山田君は寮に帰らなくて大丈夫なの?」
「大丈夫さ。いざとなったら窓から入るしね」
「捕まるなよ」とハナちゃんが笑う。
 道の先には点々と街灯が建っており,丸く照らされた道筋をしばらく私たちは歩いていた。
「じゃあな,気をつけて帰れよ」
 と山田が手を振る。ハナちゃんも別々の道の方へ向かって歩いていく。
「ねえ,ちょっといい?」
 私は家路につこうとしていた二人を引き留めた。二人が私をふり返って「どうした?」と言った。
「…あの…もう一度,あそこに行ってみない」
「あそこって?」二人が声を重ねる。
「…,○○神社に…」
 二人の顔がにわかに曇るのが暗がりでも分かった。あの神社は土谷が殺された場所だ。二人が顔をしかめるのも無理がない。
 しかしどうしても気になることがあった。それを確かめたかった。どうしてそのような気持ちになったか分からない。「久しぶり」の言葉がそうさせたのか,結局のところどういう心境でそのような事を口にしたかは自分でも分からなかった。
「い,今から?明日じゃダメなの?」
 ハナちゃんがすこし困ったように言う。私は頷く。土谷が死んだ今日でなければ意味がない。そんな気がしたからだ。
「いいぜ,行こう」
 山田の言葉にすこし驚いた。反対するか面倒臭がるかと思っていたからだ。山田はその言葉を待っていたと言わんばかりの様子に見えた。
「え,ちょっと山田」
 ハナちゃんが困惑したように山田の方にふり返る。彼女も予想外だったのか,珍しく狼狽している。
「そ,そりゃ構わないけど…いったい何があるの」
 ハナちゃんが私の方に顔を戻す。
「ちょっと気になることがあって…」
 私はそう答えた。
                4

「やっぱ帰ろうよ」
 ハナちゃんが懇願のような声を漏らす。夜の山は鬱蒼としていて,漆黒の住処だった。風で草木がざわめくたびに驚いている私よりも,声音がいつもよりも気弱に聞こえる。普段強気なハナちゃんはよほどあの場所に行きたくないのだろう。
「まあ,いいじゃないか」
 山田は率先してあの場所に行きたがっているようにも見えてこれもこれでまた不自然だった。
「サヤはその気になる物を見たら気が済むんだろ」
「うん」
 頷きながら私は山田の後ろ姿を追った。山田は懐中電灯を手に先頭を歩いている。その後ろを私とハナちゃんがついて行く形となっていた。
 昔とほとんど変容していない道のりを進むこと十分。開けた場所が目の前に広がっていた。深い緑の草原がライトに照らされ揺れているのが見える。そこをかき分けて進むと,丸く草がない空き地へと出た。ここはよく鬼ごっこや野球などをしていた場所だ。ここも昔と姿をまったく変えていなかった。
「着いたな」と山田は辺りを照らしながら呟く。
 なつかしいとは誰も口にはしなかった。私は空き地の真ん中へと立っていた。ここは土谷が横たわっていた場所だ。
 ここで臓腑を抜き取られ,脳髄を抜き取られ,血を抜き取られ,目をくり抜かれた土谷の肉体が存在していたのだ。そう思うと,どこか自分が信じられないような気持ちになる。なぜこのような忌まわしい出来事のあった場所に私は来てみたかったのか。単なる興味本位ではないことは自分自身がよく分かっていることだ。普通ならもう二度と来たくないと思うのあ当たり前のはず。ハナちゃんもそうだったに違いない。
 それでも私はここに来なければならない。どこからそんな感情がわき上がってくるのか,それすら分からない。何か不思議な力に誘われている。そんな気がした。
「サヤ…もう帰らない?」
 ハナちゃんはこの場所に一秒でも居たくないようだった。
 遠くにぼんやりと神社が佇んでいるのが見えた。星明かりの下,自ら発光しているように見えないこともない。薄気味悪さがあたりに淀んでいるようだった。
「ねえ,もう一つ行きたいと所があるの」
「えー」
 ハナちゃんが悲鳴に近い声を出した。
「どこに?」
 山田が聞いてきた。
「覚えてる?昔隠れん坊した時,私とハナちゃんが隠れていた所」
 そう言って私は二人をあの小高い崖の上へと誘った。斜面の赤土が夜でも鮮明に分かる。細い小道を登りながら気がつくと二人のほうが先に登っていた。自分だけ呼吸を荒くして苦しそうに登りながら結局今でも体力は人並み以下のなのだということ思い知らされた。
 草むらをかき分けて目的の場所に着いた。
 崖の下は暗かったが,先ほどまでいた場所くらいは分かるくらいの明るさがあった。神社の古びた瓦の模様が判別できる。今日は本当に星空が綺麗であった。
「ねえ,ここになにがあるのよ」
 流石にハナちゃんの声はすこし不機嫌そうだった。
「ハナちゃん。ここに石があったでしょ?」
「ああ,あったね。それがどうかしたの?」
 私はあの石を探した。暗がりなので山田から懐中電灯を貸して貰うとそれで辺りを照らした。
 一メートルくらい手前にそれはあった。
 空に向かって伸びるような黒い影。その周りを取り囲むように丸く置かれた小さな丸い石。まるで何かの遺跡のような石が目の前に照らし出された。
 私はそれに駆け寄った。
「サヤ,なんだそれ?」
 山田も近づいて来た。私はかがみ込んでその石に手を伸ばす。冷たくざらりとした石の感触を感じた。石は倒れないように周りの何個かの小さな石で支えられていた。私が倒した時にハナちゃんが直した時の物だ。石と石の間に苔がびっしりと生えてつなぎ目がよく分からないようになっていた。 
 あの時の不思議な出来事は今でも鮮明に覚えている。
 カメラのフラッシュをたいたような閃光が辺りを包み,周りの音もなにもかもが消え去ったような不思議な感覚。太陽が一瞬で目の前に降りてきたような,そんな感じだった。
 それはこの石を動かした瞬間に起きた出来事だ。
 何か想像もつかない,神秘的な恐ろしい力を感じずにはいられなかった。何か不吉な予感が脳裏を横切った。
 そしてあの日,土谷は居なくなった。
 私はこの石が何か関係していると,根拠もなくそう考えていた。
 土谷の命日である今日,どうしてもこの場所に来てみたかった理由がようやく分かったような気がした。
 もしかしたら,この石に土谷の死に関係する何かが隠されているのでは?
 私は石を掴んで揺さぶってみた。あの時のように簡単に倒れるようなことはなかった。
「おい,これってストーンサークルじゃないか?」
 山田が興味深げに顔を近づけた。
「ストーンサークルって?」
 私とハナちゃんは山田に聞き返した。
「あれだよ,なんだっけ…っと。ミステリー何とかとか,世界の超常現象だとかなんとか…だっけ?」
「わかんねぇって,何だよそれ」
 ハナちゃんが呆れた声を漏らす。
「よくわからないけど,それって大切な物なの?」
 と私が聞くと山田は,さあ,と首を横に振った。
「それがどうかしたのか?」
 山田がそう言った時,私の手から石の感触が離れた。ふり返ると,あまり揺さぶったためか石が後ろに向かって倒れた。あの時と同じだ。
「また倒しちゃたよ,サヤたら…」
「ご,ごめん!」
「いや,私に謝られても…」
 とハナちゃんは困った顔をする。
「直せばいいじゃないか」
 そう言って山田は石を持ち上げて元の場所に立てた。
「ま,待って!山田君」
 私はあわててそれを止めようとしたが遅かった。
あの時と同じように,急に辺りが静まりかえった。
「え,何だこれ?」
 山田が立ち上がり辺りを見回す。あの時のように雰囲気ががらりと変容した。夜なので暗いのは当たり前のはずなのだが,夜の闇がより一層濃くなったように思えた。
「こ,これって…!」
 ハナちゃんが狼狽してさっと身構えた。私はどうしていいか分からず,ただ辺りの変容に,やはりこの石には何かがある,という核心だけを噛みしめた。
 そして唐突にそれはやって来た。
 辺りは昼間のような明るさに包まれ,閃光が鼓膜を刺激した。思わず目を閉じてからは何が起こったかはよく分からなかった。
 奇妙な浮遊感が身体を包み,吸い込まれるように身体が上に持ち上がっていくのが分かった。目を開けようにも,目蓋を通して感じる眩しさがそれをさせなかった。
 何がなんだか分からない。一体何が起きたというのだろう。
 私は光に抱擁されていた。
 それから私の意識は急速に白い靄の中へと消えていった。


 妙な明るさに意識が覚醒した。
 ライトを顔に当てられたような感覚だった。思わず顔を覆って,私は身をよじる。意識がぼんやりとして夢うつつだった。寝ぼけたように辺りを見回した。
 部屋に居た。
 四角い部屋だった。広い部屋で,壁は白かった。床に目を移すと,何かが多く横たわっていた。霞む目を擦ってよく見るとそれは人だった。
 四十人くらいだろうか。たくさんの人が私のように床に伏している。死んでいる訳ではなさそうだった。みんな寝息と供に身体を静かに上下させていた。
 私はハナちゃんと山田の姿を探した。
 二人は私のすぐ横で気を失っていた。
 私は二人を揺すぶった。
「起きて,ハナちゃん!山田君!」
「う…っ」
 山田が呻いて,うっすらと目を開けた。
「…サヤ…?」
 ハナちゃんが上半身を起こして私に焦点の合っていない瞳を向けてきた。
「ここは?何処だ?」
 山田はきょろきょろと辺りを見回しながら,やはりどこか抜けた声音を発した。
「わかんない。なんか沢山人がいるけど…」
「一体何があったの?どうしてこんな…」
 ハナちゃんは混乱していた。周りに倒れて居た人たちが呻きながら目を覚まして,同じように辺りを見回しきょとんとした表情をしていた。
 次第にざわめきが辺りを満たし始めた。みんな同じようなことをほとばしっていた。
「や,山田ぁ…」
 ハナちゃんが山田にしがみつく。とてつもなく気弱になった彼女を見ているとことちらまで気弱になってきた。
「と,とにかく…ここは何処なんだろう」
 そう言って山田は天井を見上げた。壁と同じような白い天井から光が降り注いでいた。10メートルくらいの高さはあった。
「たしか私たち,あの山にいて,そうしたら変な光が…」
あの光。あの光に吸い込まれれて,それから気がついたらこのような場所にいた。
 ここには沢山の人がいた。日本人が多かったが,白人や黒人などの多種多様の人種も居ないわけではなかった。皆,真っ白な囚人服のような服を着ていた。
 私は自分の姿を見てみると,同じような長袖の無地の白いカッターシャツみたいな服と,ズボンをはいていた。薄い生地で,うっすらと下着の線が見えて思わず顔に熱が上った。
 ハナちゃんも山田もまったく同じ服装だった。いったいいつ着替えさせられたのだろうか。
「ねえ,この服どう思う?」
 ハナちゃんがズボンをつまんで不思議そうにそれを眺めた。
「ナイロンのようだけと,絹のようでもあるし,一体何なんだろう?」
「そんなことより,ここから出ようよ!」
 私は一刻も早くこんな場所から出たかった。
「出ようっても…一体どこが出口なんだ?」
 山田は辺りを見回しながらそう言った。たしかに出口のような場所はない。びっしりと白い壁に覆われていてどこから入ったのかさえ不明だった。箱の中に閉じこめられたのと同じであった。
「なあ,何か遠くに見えない?」
 よく見ると壁は本来透明なのだと言うことが分かる。あまりにも強い光で壁の外の景色がぼやけて見えないだけだった。
 まるで水槽の中に入れられた魚のような気分だった。
「何か動いてる…?」
 壁の向こうでゆっくりと大きな影が動いていた。二,三メートルくらいの大きさだろうと推測した。すぐにそれは濁った水の中に消えるようにして見えなくなった。人の姿にも見えないことは無かったが,私にはどこか異質なものに感じされた。
 いったいなんだったのだろうと考えるよりも先に,疲れがどっと襲ってきた。
「とにかく…落ち着こう」
 山田は壁に背を持たれると,低く息をついた。私も壁に寄りかかり,強い光を落とし続ける天井を見上げた。


第二章へ続く。
 第二章 初日
                 1

 何時間経ったのだろうか。
 天井から何かが振ってきた。それに気がついたのはずっと天井を見上げていたからだったが,周りの人々がふたたび壁際に出現した黒い影に指をさし騒ぎ始めたためでもあった。
 影はゆっくりと近づき,「手」らしきものを天井の方へと伸ばした。
 目をこらしていると,壁をすり抜けてなにか黒い小さな物体が落ちてくるのが見えた。
 頭上にそれが迫り,思わず手をかざす。
 柔らかい感触が腕に当たった。それは次々と辺りに落ち,跳ね返ったりして床に転がった。丸くバスケットボールくらいの大きさだ。ころころと足下に転がってきた。私はそれを拾い上げ,ハナちゃんに尋ねた。
「…何だと思う?」
「知るわけないじゃん…」
 膝を抱えて顔を腕の中に沈めているハナちゃんはくぐもった声を返した。声に元気が無く,疲れ切った様子だ。無理もない。私だって疲れと,空腹に苛まれ死にそうであった。
「食い物があればなー」
 山田が呟く。
「ないものねだりですね」
 近くに座っていた男性が山田に答えた。眼鏡をした会社員風の男性で,おとなしそうな顔をそてた。話しかけてきたのは初めてだった。
「失礼ですが,お名前は?」
「あ,私ですか?私は本田と申します。○×△工業に努めていました」
 男性は本田と名乗った。
「あ,俺は山田って言いマス。学生ッス」
 妙にうち解けた雰囲気だった。
「あ,私は西村サヤっていいます。同じく学生です。こっちは藤本ハナコ,同じく学生です」
 ハナちゃんは力なくお辞儀する。
「いやはや,私ほんとついてないですよね。会社では万年平社員ですし,女房には逃げられて借家暮らしで…ようやく定年かと思ったら,こんなわけの分かんないとこに…」
 本田さんは苦笑して頭をかく。本当に運に縁がなさそうな顔をしているわ,などと失礼極まりないことを思った。
「一体,ここはどこなんでしょう…」
 彼も力なく俯いた。
「誰がこんなことをしてるんだろう。許さない,絶対潰すわ」
 いつの間にか元気になったハナちゃんは拳を握ってぼそっと呟いた。切り替えが速いのも彼女らしい所だ。私はすこし安心した。
「そんなことより,食べ物をどうにかしたいね」
 私は手にした黒い物体をくるくる回したりして気を紛らわせようとする。それでも空腹に目眩を感じずにはいられない。
 すると,黒い物体がぼろりと崩れ,足下にぼろぼろっと落ちた。思わず身を引いた。
「な,何なのこれ?」
 崩れた物体を両手に取って顔を近づける。香ばしい香りが鼻腔に届き,空腹なお腹を刺激する。パンのような香りだ。
 気味が悪いが空腹には勝てず,そっとつまんで口元へ持って行く。ハナちゃんや本田さんが顔をしかめる。
「あの,やめた方がいいと思いますよ?」
「同じく。私もそう思うよ。絶対止めといたほうがいいよ?サヤ」
 口に入れてから言われても遅いと思った。
 だが,予想していたより不気味な味はしなかった。コッペパンが堅くなったような感じで,食べれないこともない。身体に害はなさそうだ。
 飲み込むと,急に食欲が沸いてきて手が止まらなくなった。
 大丈夫だよ,と彼女たちにも進めると,最初は気味悪がっていたハナちゃんではあったが,最終的には空腹がそれに勝り,気づけば黒いボールを二たまは平らげていた。
 豪快だ,と思った。
 本田さんもちょびちょび食べていた。山田もいつのまにやら口いっぱいに頬張っていた。
 やがて他の人々もそれが食べ物だと気づき,黒いボールをつまんでいる姿が多くなった。中には取り合っている人がいた。数はあるのだから分け合えばいいのに,と思う。
 そのうち,取り合っていた二人の喧嘩は,殴り合いの取っ組み合いに発展していった。周りがざわめき,中にははやし立てている人間もいる。
「危ないねー。あの人たち」
 ハナちゃんが遠目に彼らを見ながら言った。私は恐ろしくて目を背け身体を丸めていた。
「あ,血出してる…」
 顔を上げて見ると,喧嘩をしているのは二人組だけではなく,数人に増えていた。みんな鼻血を流して殴り合っている。その姿はとても恐ろしい。身体が小刻みに震えた。
「大丈夫だよ,サヤ。こっちまでこないから」
 ハナちゃんは子供に言い聞かせるように言うと,私の背中をそっと撫でてくれる。昔,私とハナちゃんで隠れん坊をしていた頃,私が息が切れて苦しそうにしていた時も優しく撫でてくれたのを思いだした。
「怖いよ…」
「大丈夫だって」
 やはりハナちゃんは太陽だ。
 そう思った瞬間,断末魔に似た叫び声が耳に届いた。私はハナちゃんの顔を見上げる。悲鳴はハナちゃんだけが発したわけではなかった。しかし恐怖に顔を引きつらせて目を見開いている彼女の顔が目にはいると,信じられない気持ちになった。
 私はハナちゃんの目の先にあるものへ目を向けた。
 そこで私も悲鳴を上げた。
 ハナちゃんが私にすがりついてきた。私も彼女にすがりついた。本田さんや山田が驚愕の表情を浮かべ腰を抜かしている。
 他の人間も同様の表情で顔を引きつらせ,叫び声を上げながら箱の中を逃げまどう。さきほどまで喧嘩をしていた二人組など声が出ないのか,口を魚みたいにぱくぱくさせている。妙に滑稽な様子だったが,そんなことを考えている暇は無かった。
 天井から降りてきた異形の物体。
 一瞬蛇かと思った。テレビでアナコンダという大蛇を見たとがあるが,「それ」はアナコンダよりも長く太い。木の根っこのような表面は,まるで脈を打っているかのように波立っている。
 全体が濃い灰色で,それは象の鼻にも見えないことはなかった。
「いあああ,な,何よ!あれ!」
「サヤ落ち着け!」
 恐怖でパニックになった私を落ち着かせようと山田が駆け寄る。私はとにかくハナちゃんにしっかりとしがみつき,目蓋をしっかりと閉じた。
「それ」は触手のようで,くねくねと頭上を旋回していた。まるで獲物を狙っている時の身構えのようだ。
 そしてひときわ高い悲鳴が四角い「箱」の中全体に響き渡った。
 思わず目を開け,それを見てしまった。
 一人の男が触手に絡み取られた。男は叫びながらその手から逃れようとがむしゃらに暴れていたが,それを嘲笑うかのように触手は男の自由を封じた。男の顔が恐怖の色に染まっていくのが分かった。
 あの男はさっき喧嘩をしていた男の一人だった。顔に鼻血が赤い模様のようにこびりついていた。人相が悪く図体が大きく,喧嘩にも強そうな男だ。
 遠くでまた悲鳴が上がった。
 もう一人の男も触手に絡め取られていた。くるくると回りながら二人は天井へと持ち上げられて行く。やがて天井に近づくと,二人の男も触手も溶けこむようにして壁をすり抜けて姿を消した。
 再び触手が伸びてきた。再び悲鳴が木霊した。触手は他にも喧嘩をしていた人間を数名絡め取って持ち去った。
 辺りはしんと静まりかえった。
 震えは止まらず,私はハナちゃん強く抱きしめられていた。彼女も震えていた。
「い,行ったのか?」
 山田が触手と彼らの消えた天井を見上げながら,恐る恐る呟いた。
「な,何なんですか!あれは!?」
 本田さんが今にも泣き出しそうな情け無い顔で叫んだ。
 頭を抱えて蹲っていた他の人も,怯えた様子で天井を見上げていた。誰もが何が起こったのか分からないといった様子で,数人の女性のすすり泣く声が聞こえた。
 私も泣きたくなった。
「ハナちゃん…」
「…だ,大丈夫だよ。心配しないで…」
 泣きそうな私はハナちゃんの顔を見上げた。ハナちゃんは顔に無理に笑顔作って私を安心させようとしている。彼女の手がそっと私の頭に触れた。
 途端に涙がこぼれ落ちた。
「泣くな!」
 ハナちゃんに叱咤され,私は身体をびくりと震わした。
「…私たち…どうなるの?」
 誰もその問いに答えることのできる人間はいなかった。


 食事は一日に三度。
 おそらくそうだと思う。だとしたら,これは昼食だ。二度目の黒いボールが降ってきて,それをついばみながら考えた。
 二度目の食事は実に穏便だった。
 取り合うために争う者も無く,みんな自分の分を手に取ると無言で座りこみそこで食事した。私もハナちゃんも山田も本田も黙り込んで時間が過ぎるのを待った。
 壁の上側がうっすらと透けて,山のような陰が遠くに見えた。よく見ると角張った山脈が見えない訳でもない。空の色がなぜか薄紫色に見えた。
 私は,まずここは自分たちをここに連れてきた人間について考えた。
 いったいなんのために私たちをこんな所に閉じこめるのだろうか。目的は一体なんなのだろうか。ここには男女混合で,日本人以外にも多種多様の人種が居る。黒人も居れば白人もいる。顔だけではよくわからないが髭が多いのはおそらく中東の人だと思う。
 世界中からランダムに集められたようだが,共通点などはまったく見あたらない。ただ圧倒的に日本人やアジア系の人種が多いだけだ。これだけの人間をどうやって集めたたのだろうか。
 そしてこの「箱」。
 四方を曇ったガラスのような白い壁が隙間無く覆っているが,空気などはいったいどこから入ってくるのだろうか。普通,地下室に監禁などをする時でも,どこかに通気口が在るはずなのだが,それすら見あたらない。壁と思われるこの白い物体は実は透明らしい。ガラスのようだが,光でぼやけて下から見ても向こう側は見えない。上のあたりは光があまり当たらない場所があり,うっすらであるが透けているのだ。
 この物体は何で出来ているのか,どんなことをしても壊れない。向こうで何人かが蹴ったり殴ったりしていたが拳を押さえて痛がる姿ばかりで,ひび一つ入らないようだ。
 一体だれがこのような物を造ったのだろうか。それも個人が人を監禁することを目的にわざわざ造ったとは考えにくい。おそらく集団的な犯行だと思う。
 そしてあの触手。
 あの異形な物体はなんなのだろうか。蛇のようでもあったし,木の根っこのようだった。私は象の鼻にそっくりだと思った。それはタコの足のようにくねりながら動き人を絡め取る。しかも襲った人間は争いを起こして流血までした男ばかり。まるで選んでいるようだ。
 もしかしてあの触手には意志があるのかもしれない。
その意志はいったい誰の意志なのか。
 そして連れて行かれた人たちは一体どうなったのだろうか。考えるだけでも恐ろしい。あの灰色の表面を思いだしただけでも背筋に悪寒が走る。
 どうしてこのようなことになってしまったのだろうか。
 あの石…。
 あの石を動かした事が何か関係してくるのではないのだろうか。私があの石を動かしてみんなを巻き込んでしまったのではないかと考えてしまう。ハナちゃんや山田も私の勝手で我が儘な行動に付き合ったばかりに,こんな意味不明な状況に置かれてしまっている。
 罪悪感に苛まれる。とても申し訳ない気持ちになった。
「ごめんね…ハナちゃん」
 私はハナちゃんに謝った。彼女は不思議そうな顔をした。
「ごめんね…山田君」
 山田も不思議そうな顔をして私の方を見てくる。胸が痛くなる。
「なんでサヤが謝るの?」
「本当。どうしたんだ?」
 二人とも疲れ切った顔をしていた。すこし虚ろな瞳に私の姿が映った。
「…だって,私があそこに行こうなんて言ったから…」
「関係ないだろ?」
 山田が顔に脳天気な笑顔を浮かべ私の言葉を遮った。
「ホント,いっつもサヤは自分が悪いと決め込んで勝手に落ち込むんだから。そこがサヤの悪い癖だよ。なんでもすぐ謝って謝って,自分に非がなくても謝るんだから。」
 ハナちゃんは呆れたように言う。なんだか痛いところを指摘された。
「もっと自分に自信を持ちなよ。今回の事だってサヤに非がある訳じゃないじゃん」
「そうそう。こんなことする奴が一番悪いの,それでいいだろ?」
 と山田は笑う。とても明るい笑顔だ。ハナちゃんも顔に微笑を浮かべて山田を見ている。
「サヤみたいな子に泣かれそうな顔されたら,こっちが悪いことしてるみたいだしさぁ」
「ご,ごめん…」
「ほら,また謝る」
 私は首をすくめた。今度は別の意味で涙が流れた。
 泣くなってば,とハナちゃんは苦笑して頭を撫でた。私は涙を拭き,小さく頷き返した。
「帰れるかな?」
「帰れるってば」
 その言葉に安心感が身体に染み渡っていくのが分かった。
 突如,あたりが急に騒がしくなった。
 みんな顔を顔を蒼白にして,ある一点を凝視している。近くの女性が叫んだ。またあの「手」がやってきたのか?ハナちゃんがきゅっと私を守るように抱きしめた。
「ひ,酷い!なんでこんな…」
 本田さんが,身体を震わせてその場にへたり込んだ。一体何起こったというのだろうか。
 その時,ハナちゃんが悲鳴を上げかけた。しかしそこで無理に悲鳴を飲み込んだ。咄嗟に私の顔をハナちゃんの手が覆う。視界がふさがれた。何も見えない。顔を覆う彼女の手に,力が加わる。すこし痛いと思った。
「は,ハナちゃん?どうしたの?」
 私はくぐもった声を漏らした。口にも彼女の腕がしっかりと覆い被さり,自分の吐息の暖かさを頬に感じた。すこし息苦しい。
「ん…ふ…,ねえ,何があるの?」
「見ちゃダメ!」
ハナちゃんが悲痛な声で叫んだ。私はその時,彼女の腕の隙間から皆の視線の先にあるものを見てしまった。
 目を疑った。
 どす黒い物体がぶら下がっていた。全部で五体ある。どれも人の形に近いものをしていたが,もはや人ではなかった。
 どす黒いべろりと垂れた皮のようなものは服が破かれ引き裂かれているらしい。ただ,私が着ている服と違って色がどす黒いのは自身の血によるものだと容易く推測できた。足に絡まって垂れ下がっている同じ色の細長い肉片は…腸だった。
 あまりの生々しさに言葉を失う。
 下に赤い斑点がぽつぽつと落ちて広がる。だらりと垂れた腕から血が滴っている。まるでたたきつぶされた動物をおもしろ半分に吊しているようだ。
 それは何かの警告のようにも見えた。何に対して警告かは分からない。みせしめのようでもあるし,諭しのようでもある。
 もしかしてあれは連れて行かれた人たち?
 考えたくないが,もう帰れない,と強く感じた。考えてはダメだ。私は首をふってそれを振り払おうとした。途端に気が遠くなる。視界が歪み,何を考えて良いのか分からなくなった。手足の感覚がなくなって行く。きっとこれは夢なんだ。きっと悪夢なんだ,と自分に言い聞かせる。そうでもないと正気を失ってしまう。
 だが私は正気よりも先に意識を失った。
「見ちゃダメ…」
 ハナちゃんの声が遠ざかって聞こえる。私は早くこの悪夢が覚めることを祈った。

                2

 目の前に漆黒が広がっていた。どこまでもどこまでも闇の色は濃く,光という物がまったく存在しない空間が続いている。冷たい風が頬をかすめる。意識は朦朧としていた。
 はたしてこれは夢なのか現実なのか,その分岐点は私には分からない。ただ,漠然と自分を認識しているこの意識だけは自分のものであるということだけは自覚できた。
 私はただ延々と続く漆黒の先を見据えているらしい。自分の姿が闇に浮き上がってそこに存在しているのを,まるで傍観者のように私は見下ろしていた。
 私は私自身を見下ろしながら,その私の視界も同時に見ていた。不思議だ。夢には違いなかった。
 遠くで何かがよろめく。私は顔をそちらに向けた。
 暗くてよく分からない。黒い霧があたりに立ちこめ,漆黒をさらに深くしていた。視線は変わらず闇を見据え,一方で私自身の姿を白くぼんやりと映し出していた。
 よろめいた「それ」がゆっくりと立ち上がるのが分かった。
 「それ」は私のほうに視線を向ける。いや,視線ではなかった。「彼」には目がなかった。彼の姿が鮮明に映し出されるのを見て,思わず座り込みたい脱力感に襲われた。
「土谷君…」
私の問いかけに彼は歯のない口を大きく開けて何かを言った。声音はなかった。呻きも叫びもなにも聞こえない。
 それでも私には彼が私にむかって何を言いたいのかが分かる気がした。
 恨みや罵りの言葉のみが脳裏を駆け抜けた。
 魂の咆吼が身体を震わした。そんな気がした。
「ごめんなさい…」
 彼に一体何を謝ったのだろうか。
「ごめんなさい…」
 彼は何について謝られているのか。
「ごめんなさい…」
 あの日,私たちがあの山に誘ったから?遊ぼうと声をかけたから?
 彼は答えず,呪いの言葉のみを並べていた。
「ごめんなさい…」
 気づけば漆黒だけがそこに残った。
 目が覚めた。
 視界は漆黒から白く目映い光に変わった。思わず手を顔の前にかざして私はゆっくりと目蓋を開けた。
 私はハナちゃんの腿を枕代わりにして眠っていたようだ。後頭部に肉の感触を感じる。鍛えられた堅さも含んでいた。スポーツはどのようなものをやっていたのだろう。そう言えば,駅で会った時は,ジャージ姿だった。
「ねえ,ハナちゃんは何の部活してたの?」
 私は眠たげな声音をハナちゃんの顔に押し上げた。
「起きたの?」
「うん…」
「部活?どうしてそんなこと…」
 とハナちゃんは,ハッとしたように言葉を詰まらせた。分かっているのだ。私も。
 気を失う前に見た凄惨な光景。脳裏にこびりついた悪夢はけっして忘れることはないだろう。今,こうして思考のなかにそれを思い出すだけで泣きたくなるような気持ちに胸が満たされそうだった。
 何かこうして別の話題でもいいか,どんな話しでもいいから,気を紛らわし,一時でいいから悪夢をわすれることができるなら無意味な会話も延々と続けたかった。
 ハナちゃんは私の意図を察したかのように,目を細めて私を見てきた。
「部活ね,私は陸上部だよ。陸上部」
「陸上?凄い。長距離とか?」
 短距離,とハナちゃんは答えた。
「でも,長距離も走らされるよ,部員は全員。県の大会にも問答無用で出場させられたしね。まあ,たいしたことはなかったけどね」
「ほえー,何キロぐらい走るの?」
「大体二十キロくらいかな」
「私には無理だよぅ」
 私は苦笑した。今でも体力の,た,の字にも及ばないくらい脆弱な私。子供のころからまったく体力向上に進展がみられない。最近,これは私の悩みの一つでもあった。
「そうだね。サヤだったら死んじゃうね」
「うん,今でも歩くの苦しく感じるんだもん。ハナちゃんが羨ましい」
 そうか?,と首を傾げるハナちゃん。
「私はサヤのほうが羨ましかった」

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