ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

柄谷行人コミュの12・11デモ『全国から電力会社・経産省を包囲しよう!』(仮)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2011年12月11日デモ『全国から電力会社・経産省を包囲しよう!』(仮タイトル)

【集合】13:00  東京・日比谷公園・中幸門(日比谷図書館裏)
    ※千代田線・日比谷線「霞ヶ関駅」C1出口より200m
     丸の内線「霞ヶ関駅」B2出口より300m
     都営三田線「内幸町駅」A7出口より150m
    ※集会開始(原発現地からの参加・発言も予定)
    ※associations.jp参加の集会&デモです。
    ※associations.jpは、全国の原発廃炉を目標にした時限運動体です。

【デモ出発】14:00 東京電力、日比谷、有楽町、東京駅、大手町に散在する各電力会社(再稼働が早いとされる四国電力、関西電力などを含む)前を通り、最後に経産省を包囲デモ、経産省正門前にゴールするコースを検討中。

【呼びかけ】2011・11-12・11再稼働反対!全国アクション実行委員会
http://nonukes.jp/

【アクション登録はこちら】
「12・11」をはじめ、年内の再稼働反対・脱原発の各地でのアクションを
登録して下さい。ウェブサイトの地図上に反映されます。
http://nonukes.jp/admin/regist_action_form.html



※トピ主様へ
 本トピが不適切である場合は削除で結構です。

コメント(32)

※トピ主様へ
 原発が不適切である場合は削除で結構です。
因に上記情報には、柄谷行人さん参加を予定されています。
トピが不適切であれば削除で結構です。
この場合、トピ主はRyojinさんじゃないかと思ったんだよね。言葉の正確な使用法としては。(「管理人様」が妥当なのかな)
情報自体は私を含め、コミュのメンバーの多くにも有意義なものだと思うし、削除はされないし、されるべきでもないと思う。(私は管理人様でも、トピ主様でもないけれど)

柄谷さんは『柄谷行人 政治を語る』の中でデモの重要性について語っているし、原発を後押しする形になった地球温暖化の二酸化炭素原因説には、疑問を表明してきた人でもあるし、こういうデモがあれば、まずは参加する人なんだと思うよ。

思うに、この情報を伝えることが、あなたにとって抜き差しならない大切なことであるならば、※印以下は書くべきじゃないし、不適切だと疑う気持ちがあるならば、最初から、まるごと書くべきじゃない。それが「覚悟」というものじゃないかしら。

{※トピ主様へ
 本トピが不適切である場合は削除で結構です。}
は、mixiではよく使われる言い回しではあるけれど、柄谷さんのコミュで、しかもこういう話で、使って欲しくはなかった。
まあ、茶化した私も悪かった。そこは謝ります。
都合がつけば、私も参加する気でいます。
それでは。
イオ様:「トピ主」の解釈を巡るお話でしたか?..  

『柄谷行人コミュニティ」というトピは「情報を共有したいmixi会員」のためにあると思っている為、受け取りたい人に「情報」が届き、本コミュニティの創設管理者に「敬意」も伝われば良いと思ったまでです。ですから、この情報を書き込んだ「私=自意識」なんてどうでもいいことですし、同様に「何を言いたいのかすら分からないメッセージ=自意識」もどうでもいいことだと思います。

因に柄谷さんが今回デモに参加されているのは1961年以来のことです。これが事実です。一昨日の講演で柄谷さんは「自分の意志で行う” アソシエーション” の一形態 として ” デモ=直接行動 ”は、ITごときに代替されるものではない」と仰っています。「原発科学者」はそもそも利権が絡まなければ「ポスト」も「存在理由」もありません。「" 原子力の平和利用=茶番 ”への異議申し立て」もデモの意味には違いありませんが、今こうしている間にも、金を必要とする弱みと引き換えに「原発労働で人が死んでいます」。また、そもそも「ウランの掘削は誰がやっているのでしょう?」.. こうした「現代の強制力」(誰かが奴隷になること)は契約によるものでありこれが今の『資本主義的な問題』であるとも仰っています。一般の科学者にも多い「地球温暖化への懐疑論」は単に「事実では無い」ということと、米のゴアに端を発するノンカーボン・アクションが政治的対石油政策の利権絡みであることが中心的な理由です。当たり前ですが「原発」が生み出す「核廃棄物の有毒性」は「CO2」とは別のレベルの話です。無毒化不可能な毒物の生産への責任を今負おうとするアクションが「未来人との対話」と喩えられている「責任」のことです。従って、「原発=クリーンエネルギー」という解説自体が元々まやかしであり、<原発を後押しする形になった地球温暖化>などという見解は間違っています。ここに訂正させて頂きます。

私はこのデモの主催団体とは何の関係もない個人です。「共闘の友として立ち上がる人が一人でもいれば是非参加してみようではないですか!」と情報を発信したまでです。言うまでもなく「デモ=人間力」ですし、多くのカラタニアンには元々参加したいと思う理由もあったりします。当日は寒いこととは思いますが... 3.11の災害から始まる「今回の反原発デモ」は「農業問題」とも密接に関わりがあります。つまり、産業ベースではなく、農業ベースの社会作りという永らく忘れられて来たテーマを取り戻す意味も生じます。また、「不幸のどん底にありながら、人は困っている人に手を差し伸べ、見ず知らずの人間が知らぬ間に話し合いのフォーラムを形成する」とされるレベッカ・ソルニット著『災害ユートピア』に象徴されるような「本能的相互扶助論」がよりプリミティブなレベルで発動されていること自体に” 可能性の中心 "があり、戦後ずっと封印されて来た『正当なテクノロジー批判の序章』として時代の大きな結節点となり得るものとも位置付けられます。ご承知の通り、中東・アフリカ諸国では反独裁政権運動が広がり、NYでは不当な格差社会への抗議デモが起こっています。欧州は通貨危機で揺れており、2008年以降の世界経済は今尚事実上の大恐慌へと歩みを進めています。各国の個人がそれなりの理由を持ちアクティビティーを展開している中、今日本が世界に発信できる最も重要な問題は、このデモに集約されているのではないでしょうか?柄谷行人氏が半世紀ぶりに参加しているデモの可能性について是非、自問してみてください!

以上
{<原発を後押しする形になった地球温暖化>などという見解は間違っています。}
<原発を後押しする形になった地球温暖化>が私の書き込みの引用なら、私の書き込み〈原発を後押しする形になった地球温暖化の二酸化炭素原因説〉のポイントは〈二酸化炭素原因説〉のほうでしょう。一般にこの説の研究に、原発推進派系の資金が流れたという話はありますし、原発が環境にやさしい!!!というイメージ形成に利用されたことも事実でしょう。
あなたもご存知というか、あなたのほうがずっと詳しく知っていらっしゃるように思われますので、釈迦に説法ではありましたが。
もちろん、どちらもどちらという側面はあって、政治的に完全にニュートラルな学説というものなどないというところがなやましいところなのかもしれませんが。

それにしても〈柄谷行人氏が半世紀ぶりに参加しているデモ〉。このデモはまあ、今回の一連の反原発デモのことと受け止めますが、逆に言うと、柄谷さんは、半世紀もほかのデモに一切参加されたことがなかったのでしょうか。
私は柄谷さんにもう少し違ったイメージを持っていたので、私の書き込みが、先入観=誤解に基づいたものだったことは認めざるを得ません。
ウーム。半世紀、ある意志=意思において、デモに参加されてこなかった柄谷さんが、今回参加されているということ。そこに、それこそ、「覚悟」を感じました。

PS
今回のムーブメントが完全な成果を収めて、すべての原発の停止が決まったとき、原発政策を推し進めてきた人間がこうつぶやく。
〈原発が不適切である場合は削除で結構です。〉
それじゃあ、済まないというのが原発という存在ではないか、というような思いもあったわけです。
イオ様:
 自問のレベルも覚悟も甘いと思いますよ。(笑) まぁ、悪気は無いんでしょうけど..

・「日本の原子力発電の歴史=1950年代〜」(初代原子力委員会:湯川秀樹 他)
  vs「二酸化炭素原因説=1990年代」(プルサーマル計画=1986年:敦賀原発1号機)

・「政治的に完全にニュートラルな学説」=「ノンポリ」

・「覚悟=精神論者が好む表現」 vs 「倫理=柄谷行人が好む表現」(カントの引用)

・「今回のムーブメントが完全な成果を収めて...=観念的楽観論者」
  vs「闘争:永遠の運動=リアル・アクティビスト」

以上
Ryojinさん

>「不幸のどん底にありながら、人は困っている人に手を差し伸べ、見ず知らずの人間が知らぬ間に話し合いのフォーラムを形成する」とされるレベッカ・ソルニット著『災害ユートピア』に象徴されるような「本能的相互扶助論」がよりプリミティブなレベルで発動されていること自体に” 可能性の中心 "があり、戦後ずっと封印されて来た『正当なテクノロジー批判の序章』として時代の大きな結節点となり得るものとも位置付けられます。

この観点は本当に大切で、今日宝物のように輝いている観点だと思います。
78910さん

コメントありがとうございます。西欧諸国から「被災地東北の 静かな思考と忍耐、助け合い に感銘と共感を覚えた」と次々にコメントが寄せられた時、本当に日本人であることを誇りに思いました。復興途上の今、冬を迎える12.11.デモで声を枯らせてみようと思います。最初に「人」が動かなければ「山」は動きませんからね。
〈自問のレベルも覚悟も甘いと思いますよ。〉
それはまあ、そうかと思うよ。甘ったるい人間ではあるんだ。
いやいや、実に、しかも、〈悪気は無いん〉だね。

〈「日本の原子力発電の歴史=1950年代〜」(初代原子力委員会:湯川秀樹 他)
  vs「二酸化炭素原因説=1990年代」(プルサーマル計画=1986年:敦賀原発1号機) 〉
これは全体が原発をめぐる歴史的なラフスケッチのように私には思える。この〈vs〉と〈=〉の使い方がわからない。

〈「政治的に完全にニュートラルな学説」=「ノンポリ」 〉
政治的に完全にニュートラルな学説などないのが悩ましいと私は書いたわけだから、私はノンポリではないということだよね。

〈「覚悟=精神論者が好む表現」 vs 「倫理=柄谷行人が好む表現」(カントの引用) 〉
坂口安吾が使ったらしい「あっちこっち命がけ」という言葉、その「命がけ」が頭にありました。

〈「今回のムーブメントが完全な成果を収めて...=観念的楽観論者」
  vs「闘争:永遠の運動=リアル・アクティビスト」 〉
しかし原発廃止を政策として決定した国はすでにあったんじゃなかったかな。少なくとも原発廃止というムーブメントが完全な成果をあげうることはリアルなことだと思う。
ただ、放射能がらみだから、そこから先に物理学的時間の長さが必要になってくるわけで、まあ時間はかかるけれど。

今、偶然『探求?』を読み返しているのだけれど。
囲碁と連珠の話があったでしょう。同じ碁石と碁盤を使って、異なったゲームをするという話。
あなたとのやりとりに、なんだかそんな気がすこししています。
他者性は柄谷さんのキーであるわけで、私はあなたにそれを感じます。

『しかし、東洋哲学も結局「哲学」である。これもまた、対関係としての他者を排除するところに成立している。どこでも、内省ーすなわち自己対話=弁証法ーから出発する思考は、その結論がイデアであろうと空であろうと、独我論(モノローグ)であるほかない。いうまでもないが、東洋のブッダも孔子も、そのような独我論をイロニカルに否定することによって、あるいは主客未分の純粋経験といった神秘主義をイロニカルに拒否することによって、ひとを《他者》に向かい合わせようとした。単純にいえば、彼らは「他者を愛せ」といったのだ』
   『探求?』207ページ
既にご存知の方も多いと思いますが、1980年代後半〜90年代にかけて柄谷行人氏最大の著書であった『探求1・2』はゲーデル的アプローチの言わば「文系の数学」として書かれたものです。しかし、その体系論の企ては一旦封印されています。その後『トランスクリティーク』を経て、再び開始された体系論が『世界史の構造』と次著『哲学の起源』です。(ご本人談)ですから近著は益々の力作ですし、これらの経緯を理解して読み進めば尚有意義と言えると思います。


イオ様:
「この情報を伝えることが、あなたにとって抜き差しならない大切なことであるのか?」はイオ様ご自身の発言でしたが、ご自分の発言についても同じ質問(自問)をされていますか?と私はお伝えしたつもりです。話を簡単にすると「暗闇の飛躍」としてある「コミュニケーション」(交通/交換)の「非対称性」(例:教える vs 学ぶ)には「他者性」が重要である。「他者性を欠いたモノローグとしての哲学はすべて独我論だ」が『探求1・2』で書かれた概要ですが... では「最大の他者」とは何か?を著者は「自分に決まってるだろう」と答えています。私は、イオ様の間違った情報(柄谷氏のデモ参加履歴)を指摘し、CO2に関する時系列を無視した拡大解釈も批判しました。これらは単純に「自己批判」で乗り越えられる問題です。例えば「政治的に完全にニュートラルな学説などないのが悩ましい」=「政治的に完全にニュートラルな学説があって欲しい」と理解されるのが普通です。従って「ノンポリ」と批判させて頂いたのですが、そもそも、「政治的に完全にニュートラルな学説」等という比喩と柄谷行人氏は無縁だと思うのです。何故ならイオ様は「原発廃止を政策として決定した国はすでにあった」とも発言されていますが、柄谷行人氏が提示しているビジョンは基本的に「国家を棄揚」することだからです。私を「他者」としてお感じになられるのは光栄ですが、それ以前にご自身の他者性にもお気づきになって肩の力を抜かれるといいと思います。少なくともこう書くことで私はイオ様と真正面から向き合っているつもりです。

但し、「覚悟」という表現を巡りPSで書かれたイオ様の拡大解釈は不快です。A.「本トピが不適切である場合は削除で結構です」をB.「原発が不適切である場合は削除で結構です」と勝手に読み替え茶化されるのは私個人は構わないですが、今現在原発被災地近郊で闘っている人々の対峙している「眼に見えない恐怖というリアリティ」を前にしてこのような軽はずみな発言(簡単に削除できるかのような言葉遊び)を貴方は出来るのか?と問いたいです。何れにせよ本トピの趣旨に初めから賛同しているのならば「個人的倒錯的観念の遊戯」は別な場所でやるべきだと思います。イオ様と私の結論がそう遠くないものでも、こういう「心ない無用な発言」(大人げない判断)をされた上で、今更「覚悟」が云々言われるのは可笑しいと思います。

柄谷行人氏に対する敬意や愛というものを語るのは自由だと思いますが、「情報」を得ようとしている方は他にもおられるはずです。本トピの趣旨もどうか尊重してやってください。

以上
〈私を「他者」としてお感じになられるのは光栄ですが、それ以前にご自身の他者性にもお気づきになって肩の力を抜かれるといいと思います。少なくともこう書くことで私はイオ様と真正面から向き合っているつもりです。 〉
この前のコメントを書いたとき、私がRyojinさんに他者性を感じているとすれば、Ryojinさんも私に他者性を感じているはずだと考えてそう書こうかとも思ったんだけど(これがむしろ一般的な回路でしょう)、そうともいいきれないかもと思って、けずったんだ。
〈ご自身の他者性〉つまり私の他者性が
?〈では「最大の他者」とは何か?を著者は「自分に決まってるだろう」と答えています。〉(これは自分一般に当てはまることでしょう)という意味なのか、
端的に
?Ryojinさんが、私に他者性を感じられるということなのか。
〈真正面〉という言葉遣いから、?を期待するしそうであってくれるとうれしいのですが。そうであれば、まあ私も、すこしは肩の力を抜くことができる。

〈さしあたって、用語法をはっきりさせるために、他者が”他者性”としてあるような向かい合わせの関係を「対関係」とよび、相手が一人であろうと複数であろうと、〈隣り合わせ」の関係を、「一般的関係」とよぶことにしよう。〉
  『探求?』192ページ

どっちなんだろう?

ps 情報はRyojinさんが一番上に書いてくれたから、情報を得ようとしている人は情報を間違いなく得られるよ。トピというのははコメントがつかないよりつくほうが人の目に触れる機会は増える物です。大切な情報をひとりでも多くにという、Ryojinさんの意図にはかなっていると思うけど。
2011.12.11.脱原発デモが完了しました。
柄谷行人氏が半世紀ぶりに参加しているデモです。(写真右端)
改めて「2011年9月29日記者会見@日本外国特派員協会」の声明動画を掲載します。
一連の「全国デモ」には意義があります。
皆さんどうか参加について前向きにご再考ください。
http://jsfda.wordpress.com/
> 木枯さん
妨害1・・・行きの東電本社前で右翼の集団が待っていました。プラカードには「原発左翼死ね」などと書かれていましたが被害はゼロ!まぁ、雇われ右翼のような体ですね。右翼は国粋主義者だと思ってましたが、威嚇の内容は「中指を突き立てる」地方のヤンキー風(米国風?)の歓迎ぶりでした。(笑)
> 木枯さん
妨害2・・・道中は、恒例の「沿道をズラリと列んだ警官」に誘導され放しでしたが、帰りの東電本社前「牛歩」をしたところ、写真のように「警告」を出されて揉み合いになる場面がありました。まぁ、「9.11.デモの12人逮捕」に比べれば軽いモメゴトです。
> 木枯さん
> 解釈より変革 そのためは行動ですね 私も時間を作って デモに参加するようにしています

トピック『発売「世界史の構造を読む」』でも、「震災と原発事故の後 いちいちこの本にアクチュラルなことしか書いていないと… デモに行きましょう!」と書かれていた通りだと思います。

確か?.. 80年代の著書『隠喩としての建築』に「落書きすら無いツルツルの都市東京」というようなコメントがあったと思いますが、基本的に日本の民間のデモや抗議行動は弱体化の一途を辿って来たことは確かで、特にかつて60年代にロックやカルチャーと共に盛んであった「学生運動」は成りを潜めて久しいように思います。今回のデモも東京のアクションには一応それなりの人数も集まっていましたが..(※写真の規模)正直、圧倒的に若者の姿が少ない印象で、「世の中を動かすには、まだまだ力不足だな〜」と痛感しました。志のある方なら誰でも、associations.jp(http://associations.jp/)経由での『デモ参加』を決めて、運動を広めて行かねばならないと強く思いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
柄谷行人氏の著作では、確かにA.『探求1&2』は、哲学的な思考ゲームを好む時期の読者にはインパクトのある秀逸な「メタ批判の書」だったと思います。90年代のそれは、やはりディコンストラクション(脱構築)の理論的解体をドゥルーズやデリダと歩を共にしていたように思うんのですが... かつての雑誌『批評空間』(太田出版)では、中上健次亡き後まで毎号素晴らしい論客を迎えアクチュアルな対談(ダイアローグ)が繰り広げられており「アクチュアリティー」こそが柄谷行人の本領であることが今でも確認できます。その意味で、アクチュアルに飛び出す一歩手前で認識論みたいな読み方(エヴァンゲリオンが引用等.. )をされて盛り上がってしまったB.『探求1&2』はご本人も「失敗作」と認めており、以降、『批評空間』廃刊までに『トランスクリティーク』、途中『NAM』の地域通貨の実践で二度失敗し、されど『世界共和国へ』を経て再び体系論の企てとなった大著が C.『世界史の構造』と次著『哲学の起源』です。3.11.震災後に出版の新刊『世界史の構造を読む』には、A〜B〜Cの変遷(態度の変更:脱アナキスト、脱文明批評、etc.. )も語られています。90年代後半に辛口の論客 福田和也が出て来て以降、「柄谷行人の独創性」に対する解釈が歪曲されたように思うのですが... 戦後の「左か?右か?では無い新しい世代」の最初の巨人として現れた柄谷行人氏の活動を振り返れば.. 先ず日本の批評を「世界に通用するグローバルスタンダード」に乗せる大作業を経て、国内的な問題から「国際的でもある国内問題」を徹底的に議論し横断的な対話で人と議題を繋ぎ、且つ、他の誰も正確に分析できていなかった分野を緻密な作業で開拓し「独自の理論」に至っているのですから、好みはあるにせよ、好みでは語れない「芸術的な領域の柄谷行人ワールド」を代行できる人はこの世に他にはいないことは確かです。その意味で、読者の内、肩を並べて批評家になられた方以外は、皆、同氏の理論は「受売りの意見」(レディー・メイド)としてを共有し「アクチュアリティー」だけに注力し「ユニオン」できれば良いのだし、そうすべきだと思っています。つくづく思うことは、『世界史の構造』の「交換」の視点から解き明かした「資本=国家=ネーションへの対抗運動」に関する理論は”妙に分かり易い”のではなく、『修正に修正を重ねて削ぎ落とされたアクチュアリティーの為の理論』だと言うことです。80〜90年代には有象無象のポストモダニストが沢山いましたが、今、いったい彼等はどこに行ってしまったのでしょう?.. 仮に時代を超える『強度』というのが、単に『嘘が無い』という意味だけだとしても、柄谷行人氏が智を総動員して我々に見せてくれている『思考法』は信頼に足るものだと思うのです。むしろ、海外の方がそれを知っています。

P.S. 木枯さん、長文失礼しました。実は僕も元書店勤務です。木枯さんの「柄谷行人の読み方」にはシンパシーを覚えました。もう、ご存知のことを大分書いてしまいましたが、どうかお許しください。今後も気軽にお声掛けください。どうぞよろしく。
そして、その一番HOTなトピックが『デモ』です!(http://jsfda.wordpress.com/)
今後、11の付く日の『デモ』は、HPでチェックするとして、先ずは、12月17日(土)の無料公開講演に足を運んでみましょうよ!


「<世界史の構造>における中国」(無料公開講演/通訳つき)
 2011年12月17日(土)  14:00〜17:00
 会場:東京大学 駒場キャンパス 21KOMCEE レクチャーホール
 アクセス http://www.komcee.c.u-tokyo.ac.jp/access
 ※汪暉による「中国の直面する問題−国民と民主の概念を再考する」の連携講演
 柄谷行人 公式HP http://www.kojinkaratani.com/jp/

P.S.
12.11デモには高澤秀次氏(「評伝中上健次」他)も参加されていました。(写真左)
> 木枯さん
新宮にも参加されてるんですね。『評伝=ガイドブック』!(爆) 因に1枚目の写真お隣は苅部直さんだと思います。意識せずに撮ったので後で気づいた次第。本トピをご覧の皆さんにも「デモの様子」を見て活動開始のスイッチが入れば幸いと考えます!

『探究1・2』=「積極的誤読を許す本」!(笑)いとうせいこうさんが「探究Rap」をやったぐらいですから、確かにコレに想を得てクリエイティビティーに火が点くという爆発感はありましたよね。僕もスピノザ・モーセの項には相当打たれました。本人には失敗でも、凡人にはまだまだ影響力を持つ秀逸な本です!就活で引き合いにまで出したのは「勇気」があるというか、やっぱり「失敗」でしょうね。大手の上昇志向の社員には「若くてデキル奴は早目に芽を摘む」が鉄則でしょうから...(笑)

なるほど、一つ誤りがありましたね。『批評空間』廃刊時の新刊は『トラクリ』(2004)ではなく『日本精神分析』(2002)でした。出版前の『日本精神分析』は内輪で「探求3」と呼ばれたりしていたように「そういう位置付け」(『批評空間』=「20世紀の総括」と並行)で読めると思います。一方、マルクス+カントの『トラクリ』は、ご承知の通り「倫理」がキータームとなった柄谷行人の現在へと通じるターニング・ポイントというイメージです。この時期に「ドイツ批判哲学のカント引用」というのは結構「えっ?何?..」という感じだったんですが.. 先日の講演では、NAMと並行したこの頃のことを「頭の病気だった..」等と述懐しながら体系論の挫折から復活までを語るシーンも見られました。まぁ、これも本人には病気でも凡人には秀作というものです。木枯さんが後輩に勧めている時期の著作なので何なのすが.. 木枯さんもお気づきのように、『世界史の構造』以降の近著は、これまでモヤモヤしたまま語られていなかった「では、何故カントなのか?」や「何故、上部下部構造ではなく”交換”なのか?」、「何故テクノロジー論ではなく、人間の関係性から考えるのか?」といった凡人に必要な前説が『アクチュアリティー=実践での必然』として目の前の雲が晴れるように明快に目的に向かってホールインワンしようとしている精緻な作業だと思うんです。以前、いとうせいこうさんが「『世界史の構造』に<デモの意味について収録されるスペースが確保できなかったことを残念に思う>とコメントがあったのですが、先日、ご本人にそれを聞いたところ、「翻訳には載る方向なので、そういう意味でしょう」と仰っていました。次著『哲学の起原』も体系論なので本文に収録はないでしょうが、せめてあとがきにでも文書化の痕跡を期待したいものです。

そうですか、繁忙期は残念ですね。また、新しい情報があればお報せしようと思います。
またしても長文失礼しました。
> 木枯さん
流石「文系」!ノリも楽しいじゃ〜ないですか!(笑)
坂本龍一は「日本のR&BとRapには何の主張も無くてクソみたいで面白くない!」と言いましたが... 実は「いといとうせいこう」という最強のラッパーがいたんですね!ライムするフレーズからサンプリングの導入方法まで本物でヤバイですよコレ!本人はポエトリー・リーディングって呼んでますが...

◉ 2011.9.11.脱原発デモ新宿ALTA前ラップ・パフォーマンス:
http://www.youtube.com/watch?v=uHUAWOfN864

◉ 最新の爆笑もの
□□□(クチロロ)/ヒップホップの経年変化
http://www.youtube.com/watch?v=JmPlKSN_ALs&feature=related


◉探求ラップ当時の雰囲気.. (そのものでは無いです。)
「いとうせいこう90年代論」1990/1/3放­送
http://www.youtube.com/watch?v=a2tS9iJCZB4&feature=related

参考まで。(笑)

ログインすると、残り14件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

柄谷行人 更新情報

柄谷行人のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。