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アイヌモシリ一万年祭コミュの「ウレシパ・モシリ=共に育み育て合う大地」

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⁂アイヌ が 北海道 を言う 「ウレシパ・モシリ=共に育み育て合う大地」 ならば 古くは暴利を生んだ松前藩 =「商場知行制」〜商人 更に 日本政府でこの様なことは無く。 
土地は所有するものではなく、カムイの恵みを分かち合う場
人は自然と共に生き、互いを支え合う存在
交易は暴利ではなく、互酬性(お返しの循環)によって社会を保つ
この世界観がもし国家の根本理念として尊重されていたなら、二つの世界大戦さへ避けられる壮大な恒久平和の世界観だった。

___⚖___
● 国家はアイヌを抑圧した その構造は 
シャモ【敵対する日本人】
開拓=侵略/入植=同化政策/恩を仇で返す日本
これは、北海道の近代史を語るうえで避けて通れない「国家の構造的暴力」の側面です。
・明治政府による「北海道旧土人保護法」(保護の名を借りた土地収奪)
・狩猟採集の禁止、サケ漁の禁止
・伝統的生活の破壊
・言語・儀礼・口承文化の抑圧
神社建立による精神的同化(北海道神宮・開拓神社)
*これらは、アイヌ民族の生活基盤と精神文化を体系的に奪い、「和人中心の国家へ組み込む」ための政策でした。
悲しいかな“開拓”という美名の裏に、侵略と同化の実態があったことは歴史的事実です。

シサム=良き理解者の隣人〜
● しかし現場の一部の和人は、アイヌと共に生き、助け合った。
国家の構造とは別の「人と人の関係」の側面の依田勉三・鈴木銃太郎の物語。

___⚖___
友人のコメント
【知られざる十勝開拓史:アイヌの人々との絆】
北海道の食の宝庫・十勝帯広。
その開拓の祖として、また北海道神宮境内にある開拓神社の37柱の御祭神として武田信廣、伊能忠敬、間宮林蔵、松浦武四郎らと一緒に祀られている「依田勉三」をご存知でしょうか。
アイヌの衣装をまとった彼の有名な写真の裏には、教科書だけでは語られない、人と人との温かい「共生」の物語がありました。
明治16年、静岡から十勝の未開地に入植した依田勉三たち「晩成社」。
「落ちぶれた極度か豚とひとつ鍋」(後に開拓の士気が下がると思い「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」)と詠まれるほどの壮絶な極貧生活の中、飢えと冷害で全滅寸前だった彼らを救ったのは、現地のアイヌの人々でした。
川でのサケの捕り方や山菜の採集方法を教え、命を繋いでくれたのです。
依田勉三はアイヌの文化と厳しい自然を生き抜く知恵に深い敬意を払い、贈られたとされる伝統衣装を大切にしていました。
さらに、依田勉三の右腕であった熱心なクリスチャン「鈴木銃太郎」のエピソードも胸を打ちます。
彼は本隊の入植に先立ち、たった一人で帯広の極寒の冬をアイヌの人々と共に越冬。アイヌ語を学び、絶対的な信頼関係を築きました。
のちに政府の一律なサケ漁禁止令によってアイヌの人々が飢餓の危機に陥った際、鈴木銃太郎は「彼らを餓死させてはならない」と、仲間と共に国(札幌県)に直訴し、自ら進んでアイヌの人々への農業指導を行いました。
その後、鈴木銃太郎はコタン(集落)酋長の娘「コカトアン(のちの常盤)」を生涯の伴侶として迎え、共に芽室(めむろ)の地へ移り住み、そこで新たな開拓の礎を築いていったのです。
時代の荒波や政策の中で、アイヌの伝統生活が失われていったという歴史の影の側面も確かに存在します。
しかし、だからこそ、最前線で命を懸けて向き合った「依田勉三」や「鈴木銃太郎」という個人が示した、対立ではなく、民族を超えたリスペクトと温かい交流の事実は、今を生きる私たちに大切なことを教えてくれる気がします。
今の豊かな十勝があるのは、和人の不屈の闘志だけでなく、それを受け入れ、支え、共に生きたアイヌの人々の優しさがあったからこそです。
そんな歴史の光に、深く感謝したくなるエピソードです。
画像左:開拓を共にした鈴木銃太郎と依田勉三、画像右:アイヌ衣装を着た依田勉三

末尾に、レラさん 入場数500人を超えたアイノモシリ一万年祭後 入院をし面会謝絶である事をそっとお伝えします。
まだまだ、私も皆様もレラさんの助言とチノミシリ【我祈る場】で有る事を心から伝え、あの屈託ない笑顔とカムイ・ユーカラを何度も拝見したいで。 拝礼拝

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