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大畑稔浩コミュの大畑稔浩論 1 【「人間」を見つめる視点】

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「郵便配達夫は境界を越える。- 大畑稔浩の画業をめぐって」


 大畑稔浩は十代の後半からの数年間を、島根県の山間部で郵便配達の仕事をして過ごしたそうです。自動車はおろかバイクですら進入できないような奥深い山道を徒歩で巡り、そこに暮らす人々に郵便物を届けていた少年が、何故突如画家への道を志したのか。それについて大畑は「ふと思いついて。」という以上語ろうとはしませんが、私などはついそこに啓示的なものを感じてしまうのです。
 当時大畑の受け持ち区域の民家は、自家用の蜂蜜を採取するために大抵玄関先に養蜂箱を設置しており、それを狙う熊が頻繁に出没したといいます。実際彼も配達業務の最中に何度か出くわしたことがあるそうで、野性の猛獣に対峙した際の人間の心境を切々と語ってくれた事があります。大畑の風貌からいつも感じられる何か原理的なものを探ろうとするかのかのごときまなざしは、案外このような体験から培われたのかもしれません。原理的なもの…それは彼の師である野田弘志の言葉を借りれば「人間」ということかもしれません。いずれにせよ大畑がこの山暮らしの中で、以後正面から取り組んでゆくことになる絵画に対するモティベーションを育んでいたことは間違いない事実です。少年がある職業を志すとき、そこには大抵憧れの先人の存在があります。それは美術家においても同様で、「誰某のような画家になりたい。」と思う事はあっても、「絵が描きたい」という衝動だけで画家をめざすというのは意外にも稀有な事なのです。
 かつて写真家藤原新也は作品集「メメントモリ」で、ガンジス川に葬られた遺体を野犬が貪る映像に「人間は犬に喰われるほど自由だ。」という一文を添え発表し、一大センセーションを巻き起こしました。それはバブル経済の狂宴へと突き進もうとする日本社会への強烈なアンチテーゼであったのです。そしてそれは1980年代の初頭、まさに大畑が山を降り画家への道を歩みはじめたその時でした。

コメント(1)

【画像説明】

「漁のあと-漁師の群像」大畑稔浩

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