▲赤いイクラ。 ▲黒いイクラ。
青缶=ベルーガ。赤缶=オセトラ。
黄缶=セブルーガ。
〓ええっと、きのう、「チョウザメ」 の語源を書いてなかったですね。漢字では、
蝶鮫
と書きます。これは、ウロコ (硬鱗 <こうりん> という) が羽根を広げたチョウの形をしていて、体全体の形がサメに似ているので、「チョウザメ」 の名があります。
〓種は特定されていませんが、かつては、日本沿岸で捕獲されたという記録もあります。北海道の地名に今でも残る、アイヌ語の
「ユベ」 という単語は、「チョウザメ」 の意味であり、おそらく本土で早くにチョウザメが絶滅したのちも、北海道では、かなり遅くまで、チョウザメが川を遡上し、産卵していたと考えられます。
〓チョウザメというと、ナンだかカスピ海にしかいないようですが、現在でも、もっと広い範囲に、さまざまな種が棲息していて、古くは、さらに広域にチョウザメが分布し、世界中の川を遡上していました。
〓黒海を除くヨーロッパ沿岸でもっとも普通に見られる種は、
バルトチョウザメ Baltic sturgeon
Acipenser sturio [ アキ ' ペーンセル ス ' トゥリオ ]
です。チョウザメ目の主要な属である 「アキペーンセル属」 の Acipenser というのは、ラテン語で、「美味なことで高く評価されていたナンらかのサカナ」 を意味していたらしい、ということがわかるだけで、具体的にどの種を指していたのかは今日ではわかりません。
〓ひと昔前までは、ヨーロッパでも、多くの川でチョウザメが遡上しており、その肉は、王侯貴族に珍重されるほどオイシイものとされていました。それで、チョウザメ目の属名の1つとして、便宜的に
acipenser 「アキペーンセル」 というラテン語の魚名が流用されたのです。
〓種小名の
sturio 「ストゥリオ」 というのは、昨日書いたように、sturgeon の語源とも成った、「チョウザメ」 を指す 「古期高地ドイツ語」 の語彙ですね。
【 「キャビア」の語源 】
〓ヨーロッパでは、チョウザメは肉を食べるものだったようです。それというのも、卵が小粒で、食用にするという発想を生まなかったからなんでしょう。
〓チョウザメの卵を塩漬けにして食べる、という習慣が生まれたのはペルシャであろうと言います。小アジアで、13世紀末に勃興し、「オスマン帝国」 を立てたトルコ人が、その習慣を採り入れました。
〓「キオスク」 の例でもわかるように、
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=397735143&owner_id=809109 (「キオスク」 と 「キヨスク」)
“世界の田舎” から登場して天下をとってしまったような民族は、近場の “高度に洗練された文化” をあわてて採り入れようとする傾向があります。トルコ人は、ペルシャ人やアラブ人から多くのものを学んだようです。そのひとつに、
塩漬けのチョウザメの卵を食す
という食習慣がありました。
〓現代トルコ語では、キャビアを、
havyar [ ハヴィ ' ヤル ] キャビア。トルコ語
と言いますが、オスマン時代のトルコ語では、
khāviār [ はーヴィ ' ヤール ] キャビア。オスマン語
と言ったようです。これは、トルコ語化していないペルシャ語からの借用語で、
خاويار khāviyār [ はーヴィ ' ヤール ]
※ kh は、[ x ] の音。ドイツ語 Bach の ch。ロシア語の х。
と言い、「卵を抱いたもの」→「産卵するサカナ」→「チョウザメ」→「キャビア」 と転義したもののようです。
〓現代ペルシャ語では、
خاويار khāviyār [ はーヴィ ' ヤール ] は “キャビア” を指し、「チョウザメ」 は、
ماهی خاويار māhī-ye khāviyār
[ マー ' ヒーイェ はーヴィ ' ヤール ] キャビアの魚
と言います。
〓「コーヒー」 にせよ、「キオスク」 にせよ、ヨーロッパでトルコの文化をいち早く採り入れるのは、「イタリア」 なんですね。もちろん、隣接していたからでしょう。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=233619608&owner_id=809109 (「コーヒー」 はアラビア語の 「カフワ」 に由来するという話)
caviaro [ カヴィ ' アーロ ] キャビア。
古イタリア語。14世紀よりのち
〓現代イタリア語では、
caviale [ カヴィ ' アーれ ] と R が L になっています。語末の母音も o → e と変化しているところから、ラテン語の -us, -um に由来する形式である -o という語末音に当てはめられてイタリア語化されたものが、-ia- という母音連続を持つがゆえに、
*cavialis [ カヴィ ' アーりス ] ラテン語
→ イタリア語化すると caviale になる
というラテン語の形容詞であるとカン違いされたものでしょう。ちょうど、ラテン語に、
cavus [ ' カウゥス ] 穴、凹所。ラテン語
cavum [ ' カウゥム ] (体内の) 腔。ラテン語
という “それらしい単語” があったことが原因かもしれません。
〓イタリア語の caviaro がフランス語に伝わって、
cavyaire [ カヴィ ' ヤイル ] 古期フランス語。1432年初出
caviar [ キャヴィ ' ヤール ] 現代フランス語形。1877年初出
となっています。
〓英語に伝わったのは、16世紀末。
caviari [ カヴィアリ ] キャビア。近代英語
※
caviary, caviare などの異綴も生まれる
〓のちに、フランス語の
caviar が再度借用されて、現代英語の標準語形
caviar [ ' k æ v i , α : (r) / , k æ v i ' α : (r) ]
[ ' キャヴィ , ヨー(ァ) / , キャヴィ ' ヨー(ァ) ]
になりました。
〓スペイン語、ポルトガル語などは、フランス語、イタリア語などが混乱して伝わったようで、現代フランス語形に落ち着くまでは、19世紀でも、
cabial, cabiar, cavial いずれも 1844年のポルトガル語形
というぐあいに混乱していたようです。現代ポルトガル語では、
caviar [ カヴィ ' アル ] に統一されているようですが、現代スペイン語では、
cavial と caviar が併存しています。
〓現代ヨーロッパ諸言語の 「キャビア」 を並べてみましょう。
caviar [ ' キャヴィ , ヨー(ァ) ] 英語
caviar [ カヴィ ' ヤール ] フランス語
caviale [ カヴィ ' アーれ ] イタリア語
cavial [ カビ ' アる ]、
caviar [ カビ ' アル ] スペイン語
caviar [ カヴィ ' アル ] ポルトガル語、カタルーニャ語
caviar ルーマニア語
Kaviar [ カヴィ ' アール ] ドイツ語
kaviaar オランダ語
kaviar スウェーデン語、デンマーク語、ノルウェー語
kavíar アイスランド語
kaviaari フィンランド語
kaviár [ ' カヴィアール ] チェコ語、スロヴァキア語、ハンガリー語
kawior [ ' カヴョル ] ポーランド語
kaviārs ラトヴィア語
havyar [ ハヴィ ' ヤル ] トルコ語
havjar アルバニア語
χαβιάρι khaviari [ はヴィ ' アーリ ]
現代ギリシャ語。トルコ語から
ајвар ajvar [ ' アイヴァール ] セルビア語、クロアチア語
خاويار khāviyār [ はーヴィ ' ヤール ] ペルシャ語
كافيار kāfiyār [ カーフィ ' ヤール ]
アラビア語。フランス語からか
キャビア 日本語
캐비어 [ けビオ ] 韓国語
〓英語では、
caviare という古い綴りも使われます。特に、「豚に真珠」、「猫に小判」 の意味の成句
caviare to the general 「庶民にキャビア」
では、出典がシェイクスピアということもあって、caviare を使うようです。
【 米国 】
caviar 1,350,000件 97.8%
caviare 30,400件 2.2%
──────────
caviar to the general 267件 39%
caviare to the general 412件 61%
【 英国 】
caviar 404,000件 99.8%
caviare 671件 0.2%
──────────
caviar to the general 29件 43%
caviare to the general 38件 57%
【 「イクラ」 の語源 】
〓ところで、上の 「キャビア」 一覧の中に 「ロシア語」 がないのに気がついたでしょうか? そうなんどす。
ロシア語では、キャビアをキャビアとは言わない
のですね。ソ連邦消滅後は、外来語がドッと入ってきた関係もあって、ネットで検索すると、
кавиар kaviar [ ' カヴィアル ]
という単語が使われていないでもありません。しかし、Яndex で検索しても、その数は、わずかに 2,107件であり、そのうち、2,100件は、英綴 caviar との併記です。
〓では、ロシア語でキャビアは何というか?
черный икра chornyj ikra
[ ' ちょールヌィ イク ' ラー ] 「黒いイクラ」
と言います。
〓日本語の 「イクラ」 は、ロシア語からの借用語です。しかし、ロシア語では、икра ikra は、「イクラ」 を意味するのではありません。
икра ikra [ イク ' ラー ]
魚卵
という意味です。これは、英語の
roe [ ' ロゥ ] に当たる単語です。
〓ロシア語で、単に 「イクラー」 と言った場合、「イクラ」 を指すのか、「キャビア」 を指すのかはわかりません。
красная икра krasnaja ikra
[ ク ' ラースナヤ イク ' ラー ] 赤い魚卵
→
イクラ、筋子 (すじこ)
черная икра chornaja ikra
[ ' ちょールナヤ イク ' ラー ] 黒い魚卵
→
キャビア
〓ロシア語で用いられるのは、実質的に上の2つだけです。
〓 икра 「イクラ」 という単語は、インド=ヨーロッパ語族の中の
「スラヴ語派」、「バルト語派」 にのみ共通に見られる単語です。
〓現代スラヴ語などの語義からするに、もともと、「魚の卵」 を意味していた単語、ということでよいようです。ロシア語の икра 「イクラ」 の語義を3分割して、他の言語でも同じ意味を持つかどうか調べると、次のようになります。
【 ロシア語 】 икра ikra [ イク ' ラー ]
【 ウクライナ語、ベラルーシ語 】
ікра ikra [ イク ' ラー ]
(1) 魚の卵
○ (英語 roe)
(2) カエルなどの卵
○ (英語 spawn)
(3) 食用にする魚卵
○ (英語 roe, caviar)
【 セルビア語、クロアチア語 】
икра, ikra [ ' イクラ ]
(1) 魚の卵
○
(2) カエルなどの卵
○
(3) 食用にする魚卵
×
※
ајвар, ajvar 「キャビア」 と言う
【 チェコ語 】 jikry [ ' イィクリ ] 複数形
※単数形は jikra [ ' イィクラ ]
(1) 魚の卵
○
(2) カエルなどの卵
×
※ žabí vajička [ ' ジャビー ' ヴァイィチカ ] と言う
(3) 食用にする魚卵
×
※
kaviár と言う
【 ポーランド語 】 ikra [ ' イクラ ]
(1) 魚の卵
○
(2) カエルなどの卵
×
※ skrzek [ スク ' シェック ]
(3) 食用にする魚卵
×
※古ポーランド語では
ikro [ ' イクロ ]
現代ポーランド語では
kawior [ ' カヴョル ]
【 リトアニア語 】 ikrai [ ' イクライ ] 複数形
※単数形は ikras [ ' イクラス ]
(1) 魚の卵
○
(2) カエルなどの卵
○
(3) 食用にする魚卵
○
【 ラトヴィア語 】 ikri [ イクリ ] 複数形
(1) 魚の卵
○
(2) カエルなどの卵
○
(3) 食用にする魚卵
×
※
kaviars [ カヴィアールス ] を使う。
〓スラヴ祖語形は、
*jьkra (*jĭkra) [ イィクラ ]
魚卵
です。面白いのは、印欧語族で見渡したときに、「肝臓」 をあらわす単語に似ているものが見つかります。
jecur [ ' イェクル ] 肝臓。ラテン語
جگر jegar [ ヂェ ' ガる ] 肝臓。ペルシャ語
жигар jigar [ ヂ ' ガる ]
肝臓。ウズベク語。ペルシャ語から
〓また、南スラヴ語を中心として使われる 「肝臓」 という語彙は、「イクラ」 の k が t と交替した単語のように見えます。
јетра, jetra セルビア語、クロアチア語
jétra スロヴェニア語
játra [ ' ヤートラ ] 肝臓。チェコ語
〓ことによると、古代のバルト人・スラヴ人の共通の先祖は、魚の腹を割いたときに出てきた腹子を、「肝臓のようだ」 と思ったのかもしれません。
〓きょうは、キャビアで始まって、最後は、ラテン語の 「肝臓」 jecur まで来ました。この jecur が、明日、何になるかはお楽しみ、ということで……
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