突然だけど。
自分にとって一番好きなロボットアニメである超獣機神ダンクーガがどういうアニメだったかを少し語ってみたいと思う。
最初に、これは一個人ACMの意見であり、ダンクーガファンの代弁などでは決してないことを強く言っておく。
と言うより、こういう見方をしていた人は本放映当時から凄く少ないと思ってしまうのだ自分は。
だからと言って自分が少数派だと酔いしれるつもりももちろんないが。
さて、本放映は、時間的に恵まれたとはいえなかったと思う。金曜日。午後5時。TBS。
自分も、当時再放送されていたウルトラマンタロウの後に偶然やっていたのを見たのが最初だったが、いつしかのめり込んでいた。
そんなアニメがなぜ自分をここまで捉えたのか。
まず、それまでのいくつかのロボットアニメのお約束を覆す存在だったことが挙げられる。
その段階で自分個人が見ていたロボットアニメは決して量は多くなく、直接的に影響を与えられたものは再放送のグレートマジンガーだった。
マジンガーシリーズの2作品は、とにかくマジンガーも基地も毎回徹底した攻撃を受け、徹底的に破壊される。グレートに至っては完品状態で勝利したことを思い出すのが難しいほど毎回どこかしらがやられていた。
基地も「秘密基地」と言っておきながら早々と敵に見つかり攻撃対称となる。バリアーなどあっという間に突破され、毎回戦闘獣を1体撃破するごとに基地のメンバーもまた満身創痍となっていた、自分はそんな印象を今も抱いている。
そして、マジンガーシリーズに限らないロボットアニメのお約束。「ロボットには同サイズの人間型兵器でしか対抗できない」。
ダンクーガは、これらの疑問に一応ではあるが答えてくれたのだ。
まず、基地は「ジャミングシステム」(当然小学生にその意味は理解できないが)によって守られているという設定。
イーグルの機体の裏にロボットの手がついているところから、何らかの人間変形することは間違いないのだが、でもなかなか変形せずにイーグルは機体をバリアで包んで、他のメンバーは獣形態に変形して敵を倒していた。
とにかく、変形ロボットものでありながら(ロボットに変形し、合体することはオープニングでなんとなく示唆されていた)、ロボットに変形することなく物語を片付けてしまうというのが子供心に凄く新鮮だったのだ。同時に、変形後の無敵ぶり(特にイーグル)は、グレートマジンガーでしこたま痛めつけられた子供心を癒すのに十分だった。
そして、15話16話での初合体。中国でシャピロの罠にはめられて脱出不能の死の包囲網に取り囲まれた獣戦機は、ついに最後の力「超獣機神ダンクーガ」を発動させる。アクシデントといくつかの犠牲を払ってようやく誕生したダンクーガは神の戦士の名の通り、神がかり的な強さを発揮するスーパーロボットだった。敵将軍デスガイヤーをも一撃で倒す!
このときかかっていた音楽が「灼熱の怒り」であり、灼熱の怒りに心底惚れ込んだ自分はこれ以来、灼熱の怒りが聴きたくてダンクーガを見続けるほどになった。
ダンクーガはその後も毎回登場したわけではない。そのことから「最終最後の兵器」であることはこちらにも印象付けられていた。
もっとも、音楽に惚れ狂っていた自分にそんな理屈がわかるはずもなく、合体しないとわかるとテレビのスイッチを切ってしまうことも一度や二度ではなかったと思う。
さて、この後。獣戦機基地が攻撃を受けてガンドールが発進する前後で自分は一時的にダンクーガから離れてしまう。
どうしてかというと、基地が攻撃されるのが我慢ならなかったからだ。結局こいつもグレートマジンガーと同じように基地が攻められて追い込まれてしまうパターンなのか、と嘆息してしまったのだ。
悲しいけど、一度離れた心は戻ってくることはなくて。
その後、ブースター初登場の回から再びダンクーガを見続けた自分だが、自分の中でダンクーガはグレートマジンガーなどと同じ「普通のロボットアニメ」になってしまっていたのだ。
どうしてそんな風になったのか。
灼熱の怒りが訊けなかったからなのか、それとも灼熱の怒りを背に受けてなお苦戦するダンクーガに我慢がならなかったのか。
その辺がずっと疑問のままだった。
そして、つい最近、ダンクーガを全部見直してようやく自分が何に惹かれていたかを理解した。
それは、前半が、話のバラエティに富んでいて、それなりに侵略と、侵略からの開放としてのゲリラ戦、その過程で死ぬ者、生きる者などが(あくまで荒唐無稽な範囲ではあるが)きちんと書かれていたことが、「侵略戦争に立ち向かうヒーローロボット」の物語展開を際立たせていたと自分が考えたことだ。
それは、獣戦機基地が攻略対象となるまで続いた。
日本だけではなく、アメリカ、南米、ヨーロッパと世界中を飛び回って獣戦機隊はムゲ帝国から地球を守りぬいたのだ。
自分の中のロボットアニメの定説を覆してくれた作品を好きでいられないハズはない。
後半、ガンドールが登場してからはムゲ帝国の目的も地球侵攻ではなく、その障害となるダンクーガを片付けるためのものへとシフトしてしまい、それが「敵が常にダンクーガを倒すこと」しか考えぬ物語の画一化を生んでつまらなくしたと考える。
その後、色々なロボットアニメをあらためて見たが、ここまで侵略、侵攻と解放に説得力を持ったものを見た覚えがない。
灼熱の怒りを聴くとコワれてしまうため、自分がダンクーガを好きな理由はそれのみなのかと思っていたが、ようやく理由がある程度言葉にできた。
ともあれ、これが、自分がダンクーガを今も好きでいる理由だ。
 
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