とある若いお母さんが、子どもに失敗させたくない、と話していたとか。
直接俺が言われたわけじゃなくて、そういう話をしてましたよ、と聞いただけのことなんだけどね。
うーん、と思ったのだ。
子どもに失敗させたくない、ってなにか、ちがうんじゃないかなぁ、と。
むしろ、親とか教師とか、大人の役割って、子どもに上手に失敗させてあげることなんじゃないだろうか、と。
上手に失敗させる、とは確か、糸井重里がどこかで書いてたと思うんだけどね。
あるいは内田樹のブログで読んだことだったと思うんだけど、たくさんの高校球児が甲子園目指して切磋琢磨している。
でも、その目的が勝利とか優勝であるなら、あれだけある高校の野球部の中で価値を見出せるのは優勝校だけになってしまう。
勝利以外のもの、むしろ負けていった側にこそ甲子園を目指した価値を見出せる、ということでなければ、あれだけ多くの球児がめざす意味はないんじゃないか、みたいなことを言っていた。
まぁうろ覚えだけど。
明石家さんまは競馬やギャンブルをする意味について、負けた時に引き際をしるためにする、みたいな話をしていたとか。
競馬は負けがこむと一発逆転を狙って大金を賭け、かえって傷口を広げる。
お笑いもスベッたと思うと、大きな笑いをとろうと、かえって痛々しくみえて傷をひろげてしまう。
そのあたりの機微をしるのにいいんだ、といったというのは、はて、何で読んだんだったか。
大人だって失敗や間違いはする。
むしろ、その方が多いくらいだ。
そこでいかに乗り切るかを知るためには、どっかで失敗するというのが一番ストレートな道だと思うんだけどね。
「私、失敗しないので」というのが名医かというと、現実はむしろ逆でさ。失敗したことがない、ってつまり、成功をしらないってことなんじゃないの?って怖い話になっちゃうんだよね。
そのあたりの機微を、若い人にわかってもらうのは、なかなか難しいものですかのぅ、なんてことを、波平さんよりも年上になった今、ふと考える。
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