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2026年10月02日19:42

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お、おう!お茶

今日は晴れの一日。

夏の間は いつも日陰を見つけて寝てた野良猫も、
今日は日向でうたた寝してて、少しは秋に近づいたのかな、と実感した一日なのです。


僕は、いろんなことを知らないんですが 汗 そのぶん教えてもらうことは大好きでして
僕にとって、なるほどぉ!となる瞬間が生きていてよかったと思わせてくれる喜びの大きなひとつなのです。

なので、雑学みたいな浅く広くという知識よりも
狭く深くという知識の持ち主のほうに、感心したり関心を持ったりしがちなのです。
だって僕が興味を持って、もっと深く知りたいと思ったときに
僕のとんちんかんな疑問にも正しく答えてくれるそうなのは後者だ、と考えるからです。


閑話休題


「おーい!お茶」という商品名には男尊女卑の思想がある、という指摘があったのを知りました。
そんなこと考えてもみなかったんですが、確かに「お茶汲み」なんていう表現からも
一般的に女性がお茶を入れてくれるイメージが強いのは事実であります。

それが男尊女卑的なのかはともかく、そういう固定観念に差別意識が染み込んでいる例は珍しくないのかもしれません。

この指摘で思い出したのが名探偵、、、じゃない 笑  国語学者の金田一春彦さんなのです。
今は息子さんの金田一秀穂さんのほうが、クイズ番組等の出演で有名なのでしょうか。

春彦先生は日本語に詳しいだけでなく、日本語の定型文や言い回しへの疑問や視点が独特で
知識が更なる疑問を呼び起こし、深く深く追求していく学者らしい人物だ、と勝手に尊敬していたのです。

なにより優れていらっしゃったのは学者にありがちな?専門用語とか難解な言葉を使わずに
テレビを観てるだけの僕なんかにも、分かりやすくお話ししてくれる、その聡明さなのです。

そんな金田一先生が生前に興味深い表現だとして挙げていたのが、まさに「お茶が入りましたよ」という日本語表現だったのですね。
そこでは残念ながら、金田一先生なりの深い考察や見解までは拝聴できなかったんですが
相変わらず、その指摘は鋭いというほかありません。

だって、これが「お茶を入れましたよ」だったらまさに!命令や請願の結果以外の何物でもないんですもの。
なのに、お茶自身の意思で「入った」と言わんばかりのこの表現、なのです。

僕が愚考しますに、これは「場の主導権」や「場の主人公」とでも言うべきものを
お茶を飲みたいお父さんからも、そしてお茶を入れてくれるお母さんからも取り上げて、
お茶という「恵み」にあずけることによって、その場やその場における人間関係を「止揚」し
優しくゆったりとした空間を創出しようとした、先人たちの「知恵」の賜物なのではないでしょうか。

そして、もしかするとお茶が「入る」のは休憩時間にするための「大義名分」という側面があったのかもしれません。

いずれにせよ、お茶が「入れる」ものではなく「入る」ものなら
「おーい!お茶」も、お茶そのものに呼び掛けている構図に変わってくるわけです。

日本語って面白いですよね。


好きな人に喜んでもらいたい、という気持ちは
男女の関係なく、家事や仕事という役割にも関係なく、いつも尊いものだと思います。

夫婦関係や恋愛関係、家族関係における「おーい!お茶」に
男尊女卑の要素を見出だすことも、客観的には確かに可能なんですが
それが「当人たち」にとって本質か?といえば、それも少し違うように僕は思います。

なぜなら、お父さんがお母さんにお茶を入れるのが常態化している家庭であれば
「本当にお父さんはお母さんのことが大好きで大事なんだねぇ♡」となるはずで
お母さんにそんな気持ちは生じえない、という考えこそ男尊女卑だと思うからです。


「言葉」って、見る人によって景色を変える万華鏡みたいなところがあって
嫌いな人にイヤイヤお茶を入れていた人が「おーい!お茶」に持つ印象と
大好きな人にお茶を入れてきた人が受ける印象は、大きく違っていて当然なのかもしれません。

そういう意味で、この指摘は非常に鋭くて興味深いものであったことは事実なんですが、
万人にとって、あらゆる場面で、とは言えないものであるのも、また事実であって

そこに気づけた理由は、きっと「少しだけ悲しい」ものであることがうっすらと推察できたりもすることで、
僕のリアクションは「お? お、おう!」みたいなものになってしまった、いつまでも おバカな 炊き込みご飯なのです。
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