■米中首脳会談 AIについての対話維持で一致
(TBS NEWS DIG - 09月25日 05:49)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=8962290
この間、恐ろしい話を聞きました。
わが職場は(いろいろありますが全部)、学者が同僚であることが多いです。
若者は、ポスドク、年配者は名誉教授が家にいるとボケるからと非常勤で来たりと。
ある数学の先生が言っていました。
「大学入試は廃止されるかもしれない」と。
なぜなら、AIの方が問題が解けるからだそうです。
誰もが出来なかった証明問題を解決するなんてケースもあるそうです。
体育を例にとって考えましょう。
車は人間以上の速度で疾走しても、人間も走る必要や走る意義があります。
数学はどうでしょうね。
純粋な知的な喜びや感動はあるでしょうし、示唆もあります。
だが、そのためだけに数学を勉強するのは、コスパが悪すぎるからやらないのではないでしょうか。ほとんどの人間にとって。
たとえば、私は数学から、
無限集合と有限集合では適用される原理が違う。
直角二等辺三角形で、無理数とされる長さを有理数と定義する(たとえば√2を1とする)と、有理数とされていたものは無理数になる。
などから大きな示唆を受けました。
前者は、諸法無我ということかもしれません。
後者は説明するのが難しいですが、
人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を亂想して萬法を辨肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして箇裏に歸すれば、萬法のわれにあらぬ道理あきらけし。(道元『正法眼蔵』)
を連想させます。
だがこのような示唆をうけることは、稀です。
語学と同じです。
文学の創作は楽しいです。研究も楽しいから、私のような快楽に耽溺する質のものもやります。
しかし、語学は苦しいからやりません。
↑は個人的な観点からですが、社会的観点から考えるともっとすごくなります。
予算を付ける必然性が見いだせないということです。
数学科がつぶれたら数学科に行けなくなりますから。
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