mixiユーザー(id:1525854)

2026年09月11日20:48

50 view

「チトー(ヨシップ・ブロズ・チトー)」は、東欧の多民族国家ユーゴスラビアを建国し、カリスマ的な指導力でまとめた「建国の父」

ヨシップ・ブロズ・チトー / ヨシプ・ブローズ・ティトー、1892年5月7日 - 1980年5月4日)は、ユーゴスラビアの軍人・政治家。

ヨシップ・ブロズ・チトーが「チトー」という偽名(コードネーム)を名乗るようになった経緯について、本人の説明通り「特に深い意味はなく、思い付きで付けた」というのは有名な逸話です。

この名前の由来については、本人の証言と、後世のユーモアを交えた説(都市伝説的なもの)の2つがよく知られています。

1. 本人の説明(思い付き説)チトー自身は後年、この名前について「ただ単に、当時よくある名前の中から思い付きで選んだだけだ」と語っています。共産党の地下活動(秘密工作)を行うにあたり、本名を隠すための数ある偽名の一つにすぎず、深い政治的・思想的な意味はなかったとされています。

2. 周囲の噂(「お前がこれをしろ」説)一方で、チトーの指導者としてのスタイルから、クロアチア・ザゴリエ地方の方言に引っかけた次のような面白い説も生まれました。

チトー(Tito)の「ティ(Ti)」はクロアチア語で「お前」
「ト(To)」は「これ」

つまり、彼が部下に対して「お前(Ti)がこれ(To)をやれ、お前(Ti)はあれ(To)をやれ」とテキパキと指示を出していたことから、「チトー(Ti-To)」と呼ばれるようになったという説です。

本人はこれを否定していますが、彼の強力なリーダーシップを象徴するエピソードとして、今でもよく語り継がれています。


本名はヨシップ・ブロズ(セルビア・クロアチア語: Josip Broz / Јосип Броз)。

第二次世界大戦時枢軸国の支配下となったユーゴスラビア王国において人民解放軍(パルチザン)の総司令官として枢軸国への抵抗運動を指揮し、戦後は成立したユーゴスラビア社会主義連邦共和国(ユーゴスラビア人民共和国)において初代首相(初代国防相も兼任)、第2代大統領(後に終身大統領)、ユーゴスラビア共産主義者同盟の指導者を務めた。第二次世界大戦からその死まで、最もユーゴスラビア国内に影響を与えた政治家であり、「チトー(ティトー)元帥」という呼び名でも知られている。




チトーとユーゴスラビアの主な功績

パルチザンを率いた英雄:第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの侵略に対してゲリラ部隊(パルチザン)を組織して自力で国土を解放しました。

「モザイク国家」の統一:多種多様な民族・宗教・言語が入り乱れ「バルカンの火薬庫」と呼ばれた地域を、「「兄弟愛と統一」」のスローガンのもとで一つの連邦国家にまとめ上げました。

ソ連(スターリン)との対立:社会主義国でありながら、ソ連の支配を拒み独自路線を貫きました。怒ったスターリンから何度も暗殺者を送られましたが、チトーは「これ以上送るなら、こちらからモスクワに一人送る。二度目を送る必要は無い」と脅し返した逸話が有名です。

非同盟運動のリーダー:冷戦期にアメリカ(資本主義)にもソ連(共産主義)にも属さない「第3極」として、アジア・アフリカなどの新興国をまとめる外交を展開しました。


1980年にチトーがこの世を去ると、彼という「重し」を失ったユーゴスラビアは1990年代に激しい内戦(ユーゴスラビア紛争)を経て解体されていくことになります。彼の激動の歩みは ヨシップ・ブロズ・チトーのWikipedia などでも詳しく紹介されていま


漫画『チ。』作者・魚豊の新連載発表 『ハルシネーションミート』週刊スピリッツで開始時期は未定も「年内だと思います」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=8945225
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年09月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930