mixiユーザー(id:9389954)

2026年08月18日23:57

51 view

「若嶋津との結婚と引退」から41年、夫との死別から「歌手復帰」を果たすのか。

高田みづえ『うたコン』で“復活” 「硝子坂」「私はピアノ」を歌唱 3月に亡くなった夫・若嶋津さんへの思いも
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=8912417
来週の火曜日(8月25日)放送のNHKの歌番組『うたコン』で、41年前の昭和60(1985)年に同じ鹿児島県出身で当時の大相撲の人気大関だった若嶋津(二子山部屋:師匠は第45代横綱(初代)若乃花)との結婚を発表、惜しまれながら芸能界を引退し、僅か8年間の歌手活動にピリオドを打った高田みづえ(66歳)が出演、「一夜限りの復活を果たす」ですか。16歳でフジテレビのオーディション番組でグランドチャンピオンに輝き、その翌年「硝子坂」でデビュー。その後も「私はピアノ」、「そんなヒロシに騙されて」など数々のヒット曲を発表し、8年の歌手生活で7回の『紅白歌合戦』出場歴を誇り、その伸びやかで美しい歌声で存在感を発揮していたこともあり、歌手としての絶頂期に引退してその身を角界に投じると聞き、「何とも勿体無い」「大相撲の世界でやっていけるのか」などと、複雑な心情を持ちながらその報に接した記憶があります。
若嶋津は、昭和58年の一月場所で念願の大関昇進を果たし、昇進後はほぼ安定して11勝前後をあげ、昭和59年の三月場所に14勝1敗で初優勝、一場所おいた七月場所では15戦全勝で2度目の幕内優勝を果たし、その年の年間最多勝(71勝19敗)を挙げるほどの活躍ぶりで、横綱昇進まであと一歩と言うところで、理想の女性に挙げていた同郷の伴侶を得ることとなったと言うのが、その“結婚前夜”でした。
2人が婚約発表会見をしたのが昭和60年の2月、その直後の三月場所では千秋楽まで優勝争いに絡んだものの、大関朝潮との12勝2敗同士の相星決戦で敗れ、3度目の幕内優勝に届かず。次の五月場所は10勝5敗を挙げたものの、次の七月場所で左肩と肘の負傷で途中休場、以降は怪我や内臓の病気に加えて糖尿病も発症、9月に結婚披露宴を挙げて以降は3勝12敗と大きく負け越す場所もあり、昭和62年の七月場所を以て引退、年寄・松ヶ根を襲名し、平成2年2月に二子山部屋から独立して松ヶ根部屋を設立。
夫の現役時代の昭和61年に長男を、3年後の平成元年に長女(タレントのアイリ)を出産、当時31歳で2児の母となっていた高田みづえは「部屋のおかみさん」となり、力士たちの母親がわりとなりましたが、大相撲野球賭博スキャンダルで部屋の力士が協会の調査の際に事件への関与を相撲協会に申告せずに隠していたことや、長く大阪場所の宿舎として使用しているビルが暴力団関係者の男性から借りたものだったことが相次いで明らかとなり、松ヶ根親方は平年寄へ降格する処分を受けると言う事態がありました。
松ヶ根親方は平成24年に日本相撲協会副理事となり、審判部副部長、巡業部副部長を歴任、1期務めて平成26年には理事となり、その年の12月に年寄・二所ノ関を襲名、松鳳山は小結になりました。協会の理事は平成28年の理事選挙で再選、2期目となり、3月には審判部長に就任しました。
しかし、平成29年の10月、千葉県船橋市内の路上で転倒し頭部を強打したところを通行人に発見され、緊急搬送先の病院にて頭部の手術を受け、一時は意識不明の重体となるほどの症状に陥り、次の十一月場所、翌平成30年一月場所、三月場所を休場する事態となり、平成30年の理事選挙には立候補しませんでした。二所ノ関親方は自身の65歳の誕生日(日本相撲協会の規定で年寄は65歳の誕生日前日限りで停年となる)を前に二所ノ関部屋の師匠を退任、部屋を元関脇玉乃島の放駒親方に託し、後に協会を退職しましたが、今年3月15日、肺炎で亡くなりました。
結婚と引退から41年、苦難も相応にあった若嶋津(こと日高六男)の歩みに寄り添い続けた高田みづえですが、「一夜限りの復活を果たす」とは言っても、2曲を披露すると言う今回の出演を機に、復活するのか注目が集まるのではと思います。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年08月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031