mixiユーザー(id:250900)

2026年08月08日00:08

77 view

道東紀行09 金刀比羅神社 / 根室港

 7月31日金曜日は明治公園から西北へ向かい、大物主神(オオモノヌシノカミ)・事代主神(コトシロヌシノカミ)・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)を祭る金刀比羅神社〔県社〕を訪れました。
https://www.google.com/maps/place/%E9%87%91%E5%88%80%E6%AF%94%E7%BE%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@43.3432851,145.5871882,18z/data=!4m14!1m7!3m6!1s0x5f6dc414617f7efd:0xaec22cced829a453!2z6aKo6JOu5rmW!8m2!3d43.3444988!4d145.273652!16s%2Fm%2F0gmdc1d!3m5!1s0x5f6dd2ded3a7f285:0x43798d566fe1c489!8m2!3d43.3438976!4d145.5875182!16s%2Fg%2F120vhcr9?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI2MDgwMi4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D
フォト

 当社は、文化3(1806)年に淡路国出身の廻船業者高田屋嘉兵衛(1769〜1827)が海上安全と漁業振興を願い、讃岐国金比羅神社を勧請(カンジョウ)して創建しました。嘉兵衛は造営資材を箱館で調達して自船で根室へ運び、現在の松ヶ枝町に社殿を建立しました。
 その後、明治14(1881)年に現在地へ遷座して郷社に列し、大正8(1919)年に県社へ昇格しています。昭和11(1936)年には昭和天皇が当社境内に設置された展望台を訪問しています。
 昭和20(1945)年に邪悪なソ連軍が北方領土を占領したため、多楽島(タラクトウ)・志発島(シボツトウ)・水晶島(スイショウジマ)・色丹島・国後島にあった神社の御神体も預かる事となりました。
  平成18(2005)年には創祀200年を記念して社務所や神輿殿が新築されています。令和2(2020)年には、日本遺産「鮭の聖地の物語〜根室海峡一万年の道程〜」の構成物件に指定されました。
 毎年8月9日から三日間行われる金刀比羅神社例大祭〔北海道指定無形民俗文化財〕の際には、「第一祭典区」「第三祭典区」「東部祭典区」「西部祭典区」の四つから成る祭典区毎に先太鼓・金棒・山車・手古舞の奉納が行われます。
フォト

 一の鳥居です。
フォト

 昭和29(1954)年に暴風雨で亡くなった323人の犠牲者の慰霊碑です。
フォト

 昭和11(1936)年の昭和天皇行幸記念碑です。
フォト

 安政2(1855)年建立の石燈篭です。
フォト

 二の鳥居です。
フォト

 神門です。
フォト

 拝殿です。
フォト

 西門です。
フォト

 高田屋嘉兵衛銅像です。
フォト

 嘉兵衛は文化10(1813)年にゴローニン事件を解決した事で知られます。
フォト

 紫陽花園です、冷涼な地ですから、この時期に満開になっていました。
フォト

 金刀比羅神社からは根室港と弁天島を見下ろす事が出来ます。
フォト

 弁天島は、根室港の入り口を扼する面積0.05㎢・周囲1.2kmの無人島で、根室港の自然の防波堤の役割を果たしています。アイヌ語では「大きな島」を意味する「ホロモシリ」と呼ばれていましたが、江戸時代の和人は「大黒島」と呼んでいました。
https://www.google.com/maps/place/%E5%B8%82%E6%9D%B5%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@43.3434958,145.5756171,17z/data=!4m14!1m7!3m6!1s0x5f6dc414617f7efd:0xaec22cced829a453!2z6aKo6JOu5rmW!8m2!3d43.3444988!4d145.273652!16s%2Fm%2F0gmdc1d!3m5!1s0x5f6dd3a4626819f5:0xc8beef47502dd667!8m2!3d43.3427917!4d145.5767725!16s%2Fg%2F11h5qmln86?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI2MDgwMi4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D
フォト

 寛政4(1792)年10月20日に根室を訪れたロマノフ朝ロシア帝国皇帝エカチェリーナ2世の使者アダム=キリロヴィッチ=ラクスマン陸軍中尉は大黒島に乗船エチェリーナ号船を停泊させ、総勢42名で根室に上陸、そこで8ヶ月を過ごしました。その間、ラクスマン中尉は蒸し風呂を作り、凍った海でスケートをしたとされており、これが日本に於けるサウナとアイススケートの始まりになります。
 文化3(1806)年に高田屋嘉兵衛が島に弁財天社を建てた事から、大黒島は弁天島と呼ばれる様になりましたが、この社は天保14(1843)年に豪商山田文右衛門の失火で焼失、元治2(1865)年になって豪商藤野喜兵衛によって再建されました。
 根室湾や、周辺海域の野付水道・根室海峡等は暗礁が多く、航海の難所だったため、明治3(1870)年に日本とイギリス海軍が協力してこの海域の測量を行い、航海安全のため根室・弁天島・花咲の三ヶ所に灯台を建設する事となりました。弁天島灯台は初めは木標でしたが、北海道開拓使の松本十郎が私費で建設費を負担した結果、明治5(1872)年から燈火が灯される様になり、納沙布岬灯台と並ぶ北海道最古の灯台が誕生したのです。
 明治11(1878)年、お雇い外国人だった英国人考古学者ジョン=ミルンが弁天島で貝塚を発見しました。これはオホーツク文化に属するもので、島全体が貝塚となっていて、竪穴建物や大量の動物の骨を伴う物でした。この遺跡はオホーツク文化を研究する上では重要な発見でしたが、その重要性は日本国内よりも主に海外で認識されるに留まりました。
 一方、弁財天社は明治時代に入ってから、地元住民が費用を負担して春と秋の例祭を奉斎する様になっていましたが、明治15(1882)年に村社に列した際に市杵島(イチキシマ)神社と改名しています。
フォト

 昭和20(1945)年7月14日の根室空襲の際に弁天島灯台は破壊されてしまい、再建されませんでした。
 昭和37(1962)年、東京教育大学による弁天島貝塚の本格的発掘調査が実施され、竪穴建物から、羆・蝦夷鹿・海豹(アザラシ)・鯨の骨や、石器が出土、オホーツク人が海獣や獣を狩猟していた事が明らかになりました。
 弁天島は北海道埋藏文化指定地域となっているため、普段は上陸出来ませんが、毎年9月15日の市杵島祭礼日だけは根室港から渡し船が出て、上陸が可能になります。
フォト

 この後、根室港まで赴き、ここで東京在住の親友バカネコ氏と合流しました。
フォト

 バカネコ氏は、この日、羽田から釧路空港へ飛び、空港でレンタカーを借りて根室までやって来たのです。
フォト

 今回の車はYARISでした。
フォト

《続く》
9 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年08月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

過去の日記

2026年
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
  • 01月
  • 02月
  • 03月
  • 04月
  • 05月
  • 06月
  • 07月
  • 08月
  • 09月
  • 10月
  • 11月
  • 12月