■「二度と起きないように」=やまゆり園で犠牲者の冥福祈る―相模原殺傷事件から10年
(時事通信社 - 07月26日 17:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=8882524
mixiの津久井やまゆり園事件のコメントに、同感し納得できるものはありませんでした。
私は、文系の研究所にいますが、同時に予備校、大学の講師です。だから、いろいろな若者と接しています。いい子もいれば悪い子もいます。
最近、いつも考えるのですが、
後者に混じっているもっともいけない若者(と言いながら多い)の問題点は、
自分の感じ方を絶対だと思っている
ということです。
われわれは自由にものを考える権利を持ちます。
�召箸いν墜訐�は、
「女はバカだ。だからやらせてくれればいいし、価値はかわいさだけだ。教養? 子どもの教育に役立つ。うちのおふくろは、国立大学卒だが、俺を優秀に育ててくれた。そういう意味はある。親父がかわいいと思ったか…それは知らん」
という差別的なことを臆面もなく述べていました。
だが、だからと言って、�召鮗�容所や精神病院に入れるわけには行けません。当然のことです。しかし、収容所や精神病院と近いことをしているのが、学校の道徳の時間です。
あの時間の何と退屈で不毛だったことか…
いじめをやるヤツが、先生の「いじめをやめよう」で、改心するわけがありません
だが、だからと言って、�召論�犯罪を犯してはいけませんし、他の考え方、たとえば女性を観音様(本当は男だと思いますが)やマリア様になぞらえる考え方を否定してはいけません。だから、逆に言うと、ぼくも�召牢岼磴辰討い襪箸六廚い泙垢�、友人としてそこに介入して正そうとは決して思いません。
だから、犯人の植松聖も、いけないのは自分の考えが絶対だと思い、行動に移したというところです。
永嘉大師の『証道歌』がしみじみと心に響きます。
不求真。不斷妄。了知二法空無相
私は真実ですら求めないし、虚妄を退けもしない。を嫌って否定することもしない。真や妄などは、二項空なるもので姿が常ならぬものだと分かっているからだ。
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