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2026年07月06日04:34

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ドイツ第三帝國軍人シリーズ52 Julius Schreck SS中将

 ユリウス=シュレックは、一般的に「SSの父」と見做されている人物です。
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 彼は、1897年7月13日にバイエルン王国の首都ミュンヘンに於いて商人ユリウス=シュレックとその妻マグダレーナ(旧姓プレム)の息子として生まれました。小学校を卒業後、1912年に商業学校に通いつつベルンハルト=バウフの毛皮店で商業の見習いを始め、1915年に修了しました。
 1916年2月1日、シュレックはミュンヘンの軍需皮革商会に商人として入社しましたが、同年12月1日に徴兵されてバイエルン王国陸軍二等兵となり、重砲部隊であるマインツの第1バイエルン歩兵砲兵連隊に配属されました。1917年4月14日にシュレック上等兵は西部戦線へ出陣、休戦協定調印前日の1918年11月10日に伍長へ昇進、1919年2月9日に軍曹、同年4月23日の除隊に際しては曹長へ昇進しました。この間、第二級鉄十字章を受章しています。
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 終戦後、シュレック曹長は、フライコールエップやエアハルト海兵旅団等の様々なフライコール(義勇軍)部隊に所属しましたが、1921年10月5日にナチ党へ入党、1922年1月1日からミュンヘンのコルネリウス通りにあるナチ党事務所で事務員を務めました。
 1923年3月、ナチ党党首アドルフ=ヒトラー個人のボディーガード集団として8人から成る「司令部護衛隊(Stabswache)」が創設され、シュレック曹長は、ルドルフ=ヘス陸軍少尉・ヨーゼフ=ベルヒトルト陸軍少尉・ゼップ=ディートリヒ陸軍上級軍曹《http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1853660879&owner_id=250900》等と共にそのメンバーとなりました。この組織は同年5月に「アドルフ=ヒトラー特攻隊(Stoßtrupp Adolf Hitler)」に拡大改組され、シュレック曹長はベルヒトルト少尉と共に隊長に任命されました。特攻隊の隊員数は約200名で、本部はミュンヘン市のシェリング通りに置かれました。
 同年11月のミュンヘン一揆の際、アドルフ=ヒトラー特攻隊は、警官隊の銃撃で転倒したヒトラーを文字通り盾となって庇い、5名の隊員が警官の銃撃を受けて死亡しています。この時、彼等の血で染まった党旗が残されましたが、ヒトラーは彼等の功績を忘れず、後にニュルンベルク党大会で、突撃隊や親衛隊の部隊にこの「血染めの党旗」に触れさせて忠誠を誓わせる儀式を行っています。
 一揆失敗後、シュレック曹長はヒトラー以下のナチ党幹部と共にランツベルク刑務所に投獄されましたが1924年に釈放され、1925年にナチ党が再結成されると、護衛組織は“親衛隊(Schutzstaffel )”と名称を変更、シュレック曹長はそのトップである親衛隊上級指導者(Oberleiter-SS)と称する事となりました。
 シュレックは1926年に健康上の理由で親衛隊上級指導者の座をベルヒトルト少尉へ譲りましたが、親衛隊には名を連ね続け、以後はヒトラーの専属運転手を務めました。
 1931年9月19日、姪で愛人のゲリ=ラウバルが自殺したとの報告を受けたヒトラーはミュンヘン市へ車で急行する最中、インゴルシュタットの南にある集落バールエーベンハウゼン近くでスピード違反を犯しました。彼の車は法定速度の倍のスピードを出しており、当時の警察ではスピード違反について、道路脇に立つ二人の警察官がストップウォッチを用いてスピードを判定し、違反車はナンバーを控えて後日切符を発行するという手順が採られていたため、3日後、ヒトラーの名で違反切符が発行されました。しかし、その後、ヒトラーは当時運転していたのは自分ではなくシュレックで、彼に対して極力スピードを出して走るように命じていたのだと語り、それ以上の追及もないまま罰金の精算が行われました。
 この「功績」で、シュレックは1932年8月3日にSS中尉、同年11月9日にSS大尉に任じられ、ヒトラー内閣が誕生した1933年1月30日にSS少佐、同年3月21日にSS大佐、1934年1月30日にはSS准将に昇進しましたが、政治的には従属的で事実上取るに足らない役割しか果たしておらず、最初のSS序列リストには総統護衛司令部のメンバーとしてのみ記載されています。
 1934年6月30日の「長いナイフの夜」の際、シュレックSS准将はヒトラー首相に同行してエルンスト=レームSA幕僚長逮捕に携わっています。
 シュレックSS准将は1935年1月1日にSS少将への昇進後、SS序列リストにSS全国指導者特別使用の「z. b. V. RFSS」と記載される様になり、政治的地位が再評価されていた模様ですが、1936年5月16日に髄膜炎のためミュンヘンに於いて37歳で亡くなりました。ヒトラー総統はシュレックの死を悼んで国葬とSS中将昇進の栄誉を与え、ミュンヘン第1SS大隊はユリウス=シュレックの名を冠する事となりました。また、多くの通りがシュレックに因んで改名されましたが、第二次世界大戦後、元の名前に戻されています。
 総統の運転手として彼の後任となったのは、エーリッヒ=ケンプカSS中佐でした。
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