「みかへりの塔」1941・松竹大船・白黒16�弌4撞咫Ю郷綛─8供Х�野隆治、豊島与志雄(春陽堂書店)。撮:猪飼助太郎。編:浜村義康。美:江坂実。音:伊藤宣二。出:奈良真養、笠智衆、野村有為子、横山準、古谷輝男、緒方喬、日守新一、大塚紀男、大藤亮、森川まさみ、坂本武、吉川満子、若水絹子、倉田勇助。
清水宏作品の最高傑作と評する方も居る程の名作。欧州では二次大戦が始まっており、日本では日中戦争が泥沼状態、年末には対米英と開戦という時勢にあって、社会不適合者に寄り添い救済を願う作品が許された事にただただ驚きです。【みかえりの塔】とは柏原市高井田の児童自立支援施設『修徳学院』に建つ時計塔
で、原作者の熊野隆治は当時の院長(学長)。ロケも実際の現地と施設で行われましたが現在は戦後に建て替えられたもの。因みに戦前の航空写真では、工場・駅・天皇陵(前方後円墳)などと同様に黒く塗り潰されており戦略目標施設と認識されていた模様です。学校前の線路は国鉄大和路線で『修徳学院前踏切』も当時のまま。
基幹線からやや旧式の『9600型』や『8620型』蒸気機関車に牽引された二等(現グリーン車)一両と三等(普通車)から構成される列車が度々通過し、撮影は絵面が良く成るようダイヤに合わせて行われたと推察されます。学院正面の大和川や、背景の平尾山などを含め歴史記録映像としても一級です。
本筋以外でつくづく思うのは、本作に描かれるような大人達が敗戦からの奇跡の復興を成し遂げ、出演してるような子供達が高度経済成長を振興し、昭和末期の日本が世界二位の経済大国へ到達したのは必然に思えます。また本作の院長のような責任者の為人の重要性も痛感しますね。翻って現代、日本人は何の努力もぜず、
否定と破壊と消費に明け暮れ、根拠無く自分は神だと妄想し自信満々なんですから、逆説的に社会の破綻は秒読み状態と感じます。話を戻して本作に続く『蜂の巣三部作』が実は「みかへりの塔」の続編である事が連続して観ると分かり驚きます。さらに「しいのみ学園(1955)」へ繋がって行く流れも見えてきますね。
「蜂の巣の子供たち」1948・蜂の巣映画部・白黒35�弌4撞咫Ю郷綛─�撮:古山三郎。音:伊藤宣二。出:岩波大介(島村俊作)、夏木絢子(雅子)、久保田晋一郎、千葉義勝、岩本豊、中村貞雄、平良喜代志、硲由夫、三原弘之、川西清、御庄正一、伊本紀洋史、多島元、矢口渡、植谷森太郎。
国策映画「サヨンの鐘(1944)」で揉めて松竹を追放された清水監督は、敗戦後戦災孤児達の面倒を見ながら熱海で隠遁生活を送ってましたが、この子供達が出演する映画を撮ろうと独立プロダクション『蜂の巣映画部』を立上げました。そこで撮られた作品は『蜂の巣シリーズ』とか『蜂の巣三部作』と呼ばれます。
本作の予算は富豪が出資、邦画界追放の身故スタジオや俳優が使えず素人による手作り作品と成りました。今で云う『自主製作映画』ですね。主演のキリッとした引揚げ兵士役は熱海駅の駅員だそうで、お姉さんもデパートの店員だったとか。参照資料によって出演者の名前が微妙に異なり困ります。
撮影場所も元々清水監督はロケスタイルなので問題無し。内容的には下関から東へと西国街道(現国道2号)を徒歩とトラック荷役を繰り返し向かうロードムービー。下関駅ホームの荷役用エレベーターに目が釘付け(当時郵便車は下り側に連結する事で荷役を合理化、郵便局も必ず駅の下り方面側に立地)。
最初の行脚は壇ノ浦〜下関温泉と推定。材木トラックは記憶が曖昧ながら『いすゞTU80』だったかと。最初の港は景観から山口県秋穂村(現山口市)『秋穂漁港』と推測。『信号旗・時報球』用らしき鉄塔があるのが歴史記録的に興味深い。塩田は『三田尻六ヶ所浜塩田』の可能性が極めて高いと思います。
五連木造太鼓橋は岩国の『錦帯橋』。まだ現在の岩国城模造天守閣が建設される前で山には人工物が何も見えません。空襲で瓦礫と化した街はネット上では広島と皆してますが、実際は当時の広島での撮影はGHQによる厳しい管理下にあり、例えば本作と同じ年に撮影された作品が結局1950年のGHQによる検閲を
通らなかった例があります。なのに本作だけが何の制限も受けずサクッと撮影、咎め無くすんなり公開に至ったと主張するならば、その根拠を示して欲しいと思います。結局『空襲被害さえ写れば有無を言わさず広島と断定するのが知的文化人の証』という風潮により、またそれを何の疑いも無く鵜呑みにし孫引きコピペして
広まって行く『誤った真実』の典型例ではないでしょうか?。私は地形や景観から判断するに先に下関で撮影していたのではないかと思います。そして高台は高尾墓地(現向洋町下関運動公園)と考えます。クライマックスの山は瀬戸内海を見下ろす形で背後から陽が差すので設定通り
四国かと思いますが場所の特定は困難です。大きな港町は神戸と推測。そしてラストに到着するのは見覚えのあるあの学院で、余りにドラマチックな展開に腰が抜けそうに。撮影後の蜂の巣の子達は京都『青蓮院』に合宿し、食事や洗濯など生活の面倒をみるのは監督夫人が担ったそうです。
その青蓮院合宿の様子は「日本ニュース第138号<時の話題>昭和23年8月31日『“蜂の巣”の孤児たち 京都』」で観る事が出来ます。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009182332_00000
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