「家族みんなの笑顔を残したい」 …… その一心で。
旅行や行事のたび、私は専属カメラマンとしてシャッターを切り続けてきました。
液晶越しに家族の幸せを見つめることこそ、自分なりの献身だと信じて。
けれど子供たちが成人した今、ふと振り返ると、そこには少し残酷な“温度差”がありました。
アルバムに私の姿はほとんどなく、記録上は「存在しない人」。
「お父さんも撮ってあげるよ」と言われた記憶もない。
気づくのが遅すぎたのかもしれません。
妻は「素敵な写真ばかりね」と、あの頃と変わらない温かい笑顔。
その笑顔を見るたび、胸がチクリとするのに、どこかホッとする自分もいます。
私がシャッターを切るたびに三人の絆は深まり、
その分だけ、私の存在は透明になっていく。
そんな皮肉なシステムに、いつしか自分を納得させていました。
もはや「透明な記録媒体」こそが父の使命なのだと。
ただ、ふと不安になる。私の「遺影」はどうなるのだろう。
まあ、昨今のことだからAIでもいっか。
家族の笑顔という作品を残し、自分の未来はAIに託すのも悪くない。
……せめて、実物より3割増しの男前に作ってくれよな。
それでも思うのです。
透明でも、そこにいた証はきっと残っているはずだと。
家族の笑顔のどこかに、私の影がそっと寄り添っているのだから。
ほんまかいな!^^;;
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