mixiユーザー(id:12410478)

2026年03月14日07:44

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東日本大震災のときに、宗教について考えました

直接震災とは関係がないかもしれません。
震災をきっかけに、人の命やそのよりどころ、何が他人を支えるかを考えました。

一時、定期的に会食していた、南華密教の家元(昔の呉の版図に伝承した、密教と道家が融合した神秘主義の宗教)である、張明澄(張耀文として著名)さんが、
今の宗教のシステムは、信者を犠牲にして教勢拡大だけを目指していると言ってました。

そのときに例に挙がったのが殉教ですが、
自殺の禁止がそうだと思います。
苦しい人はみんな死んでしまうからです。

死んでから、人はどこに行くのでしょう。
私の老母は、「みんなつながっている」と言います。個人のレベルの話ではないでしょう。なぜならば、少なくとも私は、前世の記憶がないからです。だから、死んだら輪廻しても愛する者とは会えなくなります。
そうすると問題は、愛する者も憎むべきものも一体化した生命というものを肯定できるか…ということになります。
母は肯定しているのでしょうが、私はそのような気持ちになれません。

しかし、一方では生きているということが、アプリオリに貴重に思えます。
アプリオリというのは、前提条件なしでという意味です。
反対にアプリオリに貴重とはいえないのは、人間関係です。たとえば各種のごたごたをみると、「この人さえいなかったらいいのに…」という人がいます。ある友人は、嫁姑の対立を、二人を会わせなければいい…と言っていました。よくわかります。

どうも、世界に対する私たちの気持ちや原理と、人間関係のそれは全く違うようです。
そんなことも考えた震災でした。
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