mixiユーザー(id:12410478)

2026年02月27日08:58

140 view

やっちゃん回想録 甲丙 自己中心性の起源

■自転車と歩行者の事故最多=「青切符」導入控え対策促進―警察庁
(時事通信社 - 02月26日 10:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=8685535

実は、以前から自転車にぶつかりそうになって助かる「あわや」という瞬間が増えたと思っていた。なぜかと。
一つの仮説は、自分が歳をとって反応が鈍くなったということ。ところがよくよく考えてみると、昔と比べて自転車の運転が乱暴になっていて、歩行者である自分のせいではないとわかった。

自動車などの乱暴な運転は、
珍走団などの不良の若者。ダンプの運転手など(なぜかダンプは乱暴だが、タクシーは乱暴ではない。理由があるが長くなるので省略します)に限られていた。だから、「ハハ〜ン、なるほど」と納得できた。
ところが、最近の「あわや」という運転をする自転車乗りは、主婦だとか老人だとか。
どういうことだろう。

そういえば、私は、大変、自転車が好きであった。
田舎にいる時分は、川の土手と二本の橋という箱状のところを何周もした。馬上枕上厠上というが、考え事をするのに便利だからである。

ところが最近では止めた。危険だからである。
大森荘蔵は「(先が予測できないのに今まで生きてきているということは)賭けに勝ってきていることだ」(『流れとよどみ』)と言うが…
道が交差していて横の道から何かが飛びだすか出さないかは、予測できない。だから、いくら今まで勝ってきていても、所詮は賭けに過ぎない。
徒歩の場合、音は聞こえるし顔を出してのぞけるということもあるから、賭けには違いなくても勝つ確率がぐっと上がるといっていい。
これが健全な考えだと思うが、スマホやりながら自転車に乗るとは、一体どういうことだろう。

普通の人が「自分だけは事故らない」という謎の信念を持つようになったのは、
一種の自己中心性であり、自己肯定である。

そこは、やはり世間が不安定であり、自分を信じる(肯定する)しか生きようがない(他の目安がない)世の中だからであろう。

自分を信じるとは言うが…
時間的に長いスパンのものと短いスパンのものがある。
短いスパンのもの、たとえば試験などは自分を信じるのが一番である。だが、長期にわたり自分を信じると、交通法規を無視してかまわない…と言うような自己過信が生じるのではないか。

勉強も同じである。
偏差値が普及していない時代は、全く学力が足りていない人が五年も東大を目指して浪人するということがあったそうだ。
だからこそ、たとえばテストという物差しが存在する。
テストには、自己評価が大きく現実とズレている人に冷静に現実をみせる役割があったが、昨今では「?」である。

特に大学で思うことだが、偏差値的な出来不出来と、その人の能力は違う。しかも、本当に能力がある人は、二番手層に多いような気がする。
裏返せば、能力がある人を選抜できないシステムになっているということだ。

どこかで社会が与える物差しが狂っていると思うからこそ、自己中心的になり、自分は正しいと思うようになるのであろう。

たとえば、マークシートの正解を選ぶ力と自分で文章を書いて論述する力は、ほぼ無関係です。共通テスト95%に人がまったく書けず、68%の人が長くて内容のあるものを書ける場合が少なくありません。
7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年02月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728