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2025年10月21日09:38

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海原雄山ごっこ ご飯2 水漬けの原型

最も古いご飯の食べ方は、水漬けや湯漬けでしょう。
『宇治拾遺物語』にはこんな話があります。よほど有名なのか、『今昔物語』にもとられています。


今は昔、三条中納言とふ人ありけり。三条右大臣の御子なり。才(ざえ)かしこくて、唐(もろこし)の事、この世の事、みな知り給へり。心ばへかしこく、肝(きも)太く、おしからだちてなんおはしける。笙(しやう)の笛をなんきはめて吹き給ひける。長(たけ)高く、大(おほ)きに太りてなんおはしける。

太りのあまり、せめて苦しきまで肥(こ)え給ひければ、薬師重秀(くすししげひで)を呼びて、「かくいみじう太るをばいかがせんとする。立居(たちゐ)などするが、身の重く、いみじう苦しきなり」とのたまへば、重秀申すやう、「冬は湯漬(ゆづけ)、夏は水漬にて物を召すべきなり」と申しけり。そのままに召しけれど、ただ同じやうに肥え太り給ひければ、せん方(かた)なくて、また重秀を召して、「いひしままにすれど、その験(しるし)もなし。水飯(すいはん)食ひて見せん」とのたまひて、をのこどもを召すに、侍一人(さぶらひひとり)参りたれば、「例のやうに水飯して持(も)て来(こ)」といはれければ、しばしばかりありて、御台持(みだいも)て参るを見れば、御台かたがたよそひ持(も)て来て、御前に据(す)ゑつ。

御台に箸(はし)の台ばかり据ゑたり。続きて御盤捧(ごばんささ)げて参る。御まかなひの台に据うるを見れば、御盤に、白き干瓜(ほしうり)三寸ばかりに切りて、十ばかり盛りたり。また酢鮎(すしあゆ)のおせくくに広らかなるが、尻(しり)、頭(かしら)ばかり押して、三十ばかり盛りたり。大きなる金椀(かなまり)を具(ぐ)したり。みな御盤に据ゑたり。いま一人の侍、大きなる銀(しろがね)の提(ひさげ)に銀の匙(かひ)を立てて、重たげに持(も)て参りたり。金椀を給ひたれば、匙に御物(おもの)をすくひつつ、高やかに盛り上げて、そばに水を少し入れて参らせたり。殿、盤を引き寄せ給ひて金椀を取らせ給へるに、さばかり大きにおはする殿の御手に、大きなる金椀kかなと見ゆるは、けしうはあらぬ程なるべし。干瓜三きりばかり食ひ切りて、五つ六つばかり参りぬ。次に鮎を二きりばかりに食ひ切りて、五つ六つばかりやすらかに参りぬ。次に水飯(すいはん)を引き寄せて、二度(ふたたび)ばかり箸をまはし給ふと見る程に御物(おもの)みな失(う)せぬ。「また」とてさし給はす。さてニ三度に提(ひさげ)の物みなになれば、また堤に入れて持(も)て参る。重秀これを見て、「水飯」を役(やく)と召すとも、この定(ぢやう)に召さば、さらに御太り直るべきにあらず」とて、逃げて往(い)にけり。さればいよいよ相撲(すまひ)などのやうにてぞおはしける。

訳
今は昔、三条中納言という人がいた。三条右大臣の子供である。漢文学に通じていて、唐の事、日本の事、なんでもご存知であった。気立ても賢く、胆力も据わり押しが強くいらっしゃった。笙の笛の名手で実に見事にお吹きになった。背が高く、たいそう太っておられた。

中納言は、太ったあげく、ひどく苦しくなるまで太られたので医師の重秀を呼んで、「このようにたいそう太るのをどうしたらよいか。立ったり座ったりするが、身体が重く、とても苦しい」とおっしゃられるので、重秀は、「冬は湯漬け、夏は水漬でご飯をお食べください」と申し上げた。それで、中納言は重秀の言うとおりに食事をされたが、ただ同じように肥え太ったので、どうしようもなく、また重秀をお呼びになり、「お前が言ったようにしたがどうにもその効き目がない。水飯を食べて見せよう」と言われて、家来たちをお呼びになると、侍一人がやって来た。それで中納言は、「いつものように水飯にして持って来い」と言われたので、しばらくして食卓を運んで来たのを見ると、対の食卓の片方を用意し、運んで来て、中納言の御前に据えた。食卓には箸の台ばかりが据えてある。続いて食器類を捧げて持ってくる。給仕役の侍が食卓に据えるのを見ると、食器類に、白い干瓜を三寸くらいに切って、十ほど盛っている。また、すしにした鮎の大ぶりで見幅の広いのを、尾と頭を押し重ねるようにして三十ばかり盛っている。大きな金属の椀が添えられている。全部の食材を食卓に据えた。もう一人の侍が大きな銀の提に銀のさじを立てて、重そうに持って来た。中納言が金椀を差し出されたのでさじでご飯をすくいながらうず高く盛り上げ、そばに水を少し入れてさし上げた。殿が食卓を引き寄せ、金椀をお取りになると、たいへん大きな殿の御手の中では、大きく見えるも金椀も、不釣り合いではないほどであった。干瓜三きれほどに噛みきって、五つ六つほどお食べになった。次に鮎を二口程に食い切って、五つ六つほど苦も無く無造作に食べてしまわれた。次に水飯を引き寄せ、二度ほど箸をお回しになられたと見るうちにご飯は皆無くなってしまった。それから、中納言は、「おかわり」と言ってさしだされる。それで、ニ三度のおかわりで提の物が空になると、また、提に入れて持って来る。重秀はこれを見て、「水飯ばかりを食べられているといっても、こんな調子で食べられるならば、いっこうに肥満の直るはずもありません」と言って、退散してしまった。それで中納言はますます相撲取りのように肥っておいでであった。

うまい搗き立ての白米(この時代の貴族は白米でした)と、湧き水と馴れずし(握りは江戸後期の華屋与兵衛の発明)と干し瓜。まずいはずがありません。

ちなみに、乾物は、各種の儀軌(仏様をお祭りする方法を述べた秘伝の書物)に、必ず登場します。
酒、水果、根、干物、菓子 と。

お酒と、柿など季節の果物、大根やごぼうなど、大豆やシイタケや昆布など、饅頭
などを捧げよという意味です。

供物ですから魚鳥は入っていませんが、上記は旨いものの代表なのでしょう。
(お茶は、一般的ではありませんでした。栄西が伝えたというのは誤りです。空海以前からありました。しかし、供物にすると、希少性や価格面から地方寺院では使えなくなるから、儀軌から外したのでしょう)
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