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2025年08月10日21:37

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「日本のサッカーと言えば釜本」だった。

サッカー元日本代表・釜本邦茂さんが死去 81歳「肺炎のため」Jリーグが発表
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=8428419
サッカー元日本代表で、日本サッカー協会の元副会長も務め、参議院議員でもあった釜本邦茂、亡くなる、ですか。Jリーグが公式サイトで発表したそうで、曰く、
「日本サッカー協会の元副会長の釜本邦茂氏はかねてから病気療養中でしたが、8月10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため、逝去されました。
釜本氏は、元日本代表(1964〜1977年)としてプレーされ、メキシコオリンピックでは7得点を挙げ、得点王に輝きました。2005年、日本サッカー殿堂に掲額。81歳でした。
ここに謹んで哀悼の意を表し、お知らせいたします」
とのこと。
その経歴は、京都府生まれで府立山城高校、早稲田大学を経てヤンマーディーゼルのサッカー部(JSL。現在のセレッソ大阪の前身)に入団、早稲田大学時代には4年連続関東大学リーグの得点王となり、ヤンマーディーゼルでは251試合出場、202得点を記録し、1968(昭和43)年に敢闘賞受賞。得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、年間最優秀選手賞7回受賞と、Jリーグ発足のはるか昔の昭和40〜50年代の日本のサッカーを代表する名選手として様々な記録を打ち立て、特に日本代表として1964(昭和39)年の東京、1968(昭和43)年のメキシコシティと2大会連続で五輪に出場、特にメキシコシティ五輪では日本代表の銅メダル獲得に貢献、7得点を挙げて得点王となりました。ヤンマーディーゼルでは1978(昭和53)年に監督兼任となって1984(昭和59)年に現役引退。その間、JSL1部リーグ優勝1回、JSLカップ優勝2回を達成、1991(平成3)年から1995 (平成7)年まで松下電器(→ガンバ大阪)の監督に就任してJリーグ発足に立ち会い、退任の同年の参議院選挙で自民党(比例区)から出馬し当選、1998(平成10)年に日本サッカー協会副会長に就任、2002(平成14)年のFIFAワールドカップ(日韓共催)日本組織委員会理事、開催の年に強化推進本部長をつとめ、大会の成功と日本代表の強化に尽力、2005(平成17)年に日本サッカー協会殿堂掲額ということで、後年には様々な衝突の時期もあったようですが、サッカーに詳しくない人でも、「日本のサッカーを象徴する人物」として、また「日本のサッカーと言えば釜本邦茂」として広く知られた人でもありました。
さて、今日(8月10日)は、釜本邦茂(享年81)の他、NPBの広島や阪急で活躍した強打者で打撃コーチとしても活躍した水谷実雄(享年77)、大相撲の元関脇で平成3(1991)年の七月場所で平幕優勝の琴富士孝也(享年60)と、日本のスポーツで活躍し、一時代を築いた、一つの閃光を輝かせた3人の訃報が相次いで報じられた日でした。合掌。
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