Chihiro Sato-Schuh
【プロパガンダ支配からの脱出】
ITアナリストで市民活動家の深田萌絵さんが、八王子警察に逮捕されるかもしれないと言って、数千人の支援者が街頭演説に集まった事件について、萌絵さんを批判するコメントがいろいろと出ていた。
一つは、逮捕される罪状が反乱罪だと彼女が言ったことで、そんなことがあるわけがないから、彼女は大げさに言って演出したのだ、というものだった。
それから、他人が書いた投稿記事を、萌絵さんが自分の著作に無断で転載したり、歪曲したりしたから、不誠実な人間であり、信用するべきではない、というもの。
そして、彼女が衆院議員の萩生田光一について誹謗するようなチラシを撒いていたから、名誉毀損罪で逮捕されても当然だ、というものだった。
シンガポール在住のある女性は、Xに萌絵さんのことを書いたら、たちまちこうした批判のコメントが来たと言って、それについて日本は情報鎖国なのを感じる、と書いていた。
この人は、シンガポールに長年住んでいて、華僑の人たちがどれだけ浙江財閥を恐れているかも見てきている。
それは、恐いから誰も触れないようにしてきたテーマだったのだ。
ところが萌絵さんは、浙江財閥が日本の闇支配の根幹にあるということを、おおっぴらに語ってしまった。
そうしたことを知っていたら、反乱罪だろうと何だろうと、萌絵さんが逮捕されて拘留される危険に身をさらしているのは、すぐにわかる。
2020年1月のアメリカ議事堂乱入事件でも、警備員に誘い入れられて議事堂に入ったトランプ支持者たちが、クーデターを起こそうとしたといって、逮捕され、裁判もなしに拘留されていた。
こうしたことの背景にいるのは、いわゆるディープステートというグローバル金融資本家たちであり、浙江財閥も同じなのだ。
そうしたことを見ていたら、萌絵さんが逮捕されると言ったのは、決して誇張でも何でもないことがわかる。
それなのに、反乱罪なんてバカバカしい、彼女の言うことは信用できない、と言っている人たちは、世界で何が起きているかを知らないのではないか、日本にはそうした情報が入らないのかと、そのシンガポール在住の人は言うのだ。
日本を含めた西側諸国では、情報操作にかなりの資金を投入していたから、情報の壁のようなものが作られていたことは確かだ。
それでも、テレグラムやXなど情報検閲されていないネットワークを使って、真実の情報を集めていた人たちはたくさんいる。
その一方で、そういうネットワークにも、プロパガンダ工作員が入り込んで、情報操作を行っていた。そのため、一体何を信じていいのかわからない、といった情報の混乱状態もずいぶんある。
このシンガポールの人もそうなのだけれど、面白いことに、萌絵さんを支援する人たちの多くは、いろいろな批判のコメントに対して、何だってそんなことが問題なのかわからない、といった反応だった。
それを見て、日本もついにプロパガンダの壁から脱出し始めたと思った。
萌絵さんを批判する人たちは、彼女が浙江財閥について語ったことに関しては、何も言っていなかった。
だけど、萌絵さんが盗作したとか人を誹謗したとかで、彼女は信用してはいけない人物だと言ってくる。
萌絵さんを支援する人たちにとっては、それは重要な点ではない。
彼女が浙江財閥について語ったというそのことが重要な点であり、だからこそ彼女を支援している人がほとんどだったのだ。
萌絵さんを支援する人たちは、彼女が誇張したものの言い方をすることや、解釈が一面的だったりすることがあるのも、よく知っている。
もともと清廉潔白な正義漢といった人ではないし、非常識なことをしたりすることがあるのも知られている。
だから、ほとんどの人たちは、彼女の言うことがすべて正しいとも思っていないし、そういう意味で彼女を全面的に信用しているわけでもない。
ただ、彼女が今やっていることは、日本の闇支配の根幹に触れる重大なことだということで支援している。
意識の封じ込めは、あるものを鬼だとか悪魔だとか言って、見たり触れたりすることもいけないと思い込ませることで作り出すことができる。
こうした手法は、昔から行われてきた。
情報操作では、ある人が言ったことを封じ込めるために、その人が信用できない人物だということを吹き込もうとする。
それで、ヴィキペディアには、まるで詐欺師か何かのように書かれたりすることが、これまでもよく行われてきた。
そうやって、人々がその人が言っていることを聞かないようにして、聞いてもすべて嘘だと思い込むように仕向け、ある領域について、一種の思考停止状態を作り出すのだ。
萌絵さんを批判する人たちは、彼女がどこでこういう悪いことをした、ということを言うのだけれど、それはプロパガンダが使う意識の封じ込めの典型的なやり方だ。
それはまるで、100%完璧な人間でなければ、一切信じてはいけないというかのようだ。
彼女が100%信用できる人間なのか、それとも100%信用できない人間なのかの2つしか、選択肢がないかのようだ。
批判のコメントをしてきた人の中には、かつて萌絵さんを支援してきた人たちもいた。
彼女を信用して支援してきたけれど、いろいろ非常識なことをしていたのを見て、離れていったということだった。
そうしたことは個人の選択だから、それはそれだと思うのだけれど、だからといって萌絵さんを信用するべきではないと言うのは違うと思う。
100%信用できる人間ではなかったから、100%信用してはいけないのだろうか? いずれにしてもこの人たちは、100%信用できる人を期待していたから、萌絵さんに失望したのだ。
活動家や政治家に100%完璧であることを求める人は、自分が支援する人が言うことを何でも信じようとするのだろう。
いちいち自分で考えるのではなく、その人に依存していたいのだ。
そうしていれば、自分は正しい側にいられると思っていたいのだろう。
こうした二択しかないような思考こそは、プロパガンダが大衆を操作するために条件づけてきたものだ。
右なのか左なのか、とどちらかを選ばせて、たがいに戦わせる。
それぞれが、自分たちが100%正しいと思って、それぞれの教義に従うのだ。
ところが、萌絵さんを支援する人たちの多くは、どうやらそうした思考からは抜け出しているようなのだ。
だから、萌絵さんを批判してくるコメントに対して、多くの人たちは、一体どうしてそんなことで絡んでくるのかわからない、といった反応だった。
批判が正しいか正しくないかではなくて、そこが重要なことではないから、争おうともしていない。同じ土俵に立っていないのだ。
萌絵さんを支援する人たちは、彼女が言うことすることがすべて正しいとは思っていない。
ただ、今、彼女がやっていることが重要だと思うから、支援している。
彼女に依存しているのではなく、自分で考えて判断しているのだ。
日本人は特に、まわりと同じように考えて、まわりに合わせて行動するようなところがある。
だから、誰かが出てきて支持を集めると、ワッと一斉に考えを変えたりすることもある。
日本はこれまで、まさにそうした性質を利用されて、支配されてきたようなところがある。
そのために、コロナ対策などでも、西欧諸国では法律で取り締まって、営業許可を取り上げられたり、高額の罰金を課されたりといったことがあったけれど、日本ではそんなことをしなくても、ほとんどの人たちが従った。
しかし、この数年で、自分で調べて自分で考え、判断する人たちが、少しずつでも増えていったようだ。
萌絵さんを支援する人たちは、全体からしたら少数なのかもしれないけれど、それでもとにかく、ある人に依存するのではなく、自分で判断し、重要だと思うから協力するという自立した人たちが、これだけいたのだ。
これはある意味、ついに日本の目覚めが起きた、と言えるようなことに思える。
この数年で、大衆操作があらゆる領域に入り込んで、人々を正反対のところへ導いていってしまうのも、私たちは見てきた。
自由を求める運動が、独裁的なシステムを支持するように持っていかれたり、平和を求める人たちが戦争を推進することになったりといったことが、世界中で自在に起こされていくのを見てきた。
それというのも、「どちらの側が正しいのか?」という二択の思考で判断しようとしてきたからなのだ。
こちらが正しいと思わせられて、反対側へと持っていかれる。
そのとき、自分で考えて判断しないように条件づけられているから、思考停止状態で誘導されてしまう。
ここから出ていくには、「どちらの側が正しいのか?」という二択の思考からシフトしていくしかない。
誰もが自分で考えて判断する力があるということを、信じられなければならないのだ。
一極支配から多極化へは、まさにこうしたプロセスを経ていくのだと思う。
誰かの言うことに依存して、自分は従えばいいというのではなく、一人一人が自分で考えて判断し、協力するなら協力する。
そこにピラミッド型の構造はなく、ある人がやっていることが重要だと思うなら、その都度、同じように考える人たちが自ずと集まってきて、協力のネットワークができる。そんな風にだ。
いずれにしても、今のようにプロパガンダ工作がものすごい状況では、一人一人がそういう風に自立していくしか、支配を抜け出していく道はない。
だからこそ、一人でも意識の依存から抜け出して自立していこうともするのだろうし、それはある意味、恩恵だとも言える。
とにかく多極化へ次元シフトしていくプロセスはすでに進行中で、もう止められないところまで来ているのもわかる。
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