■「自分の感性、信じていれば」=オウム元幹部、残る悔恨―地下鉄サリン30年
(時事通信社 - 03月15日 07:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=8239669
最初に、お断りしておきますが、
「判例では…になっている」「法律では…になっている」という話は、一切お断りします。こちらは、判例や法律が、おかしい、あるいは限界がある…という話をしています。
これが分からない書き込みは、すぐに消します。
まず、この事件では、麻原が主犯、首謀者…ということになっています。
それは正しいでしょうし、死刑には反対ですが、麻原は刑事責任を問われるべきだと思います。
ただし、この事件は実行犯である幹部の方が、より責任がある事件です。
早い話が、麻原が精神鑑定の結果、刑事責任を問えなかったら、どうなるのでしょう。
麻原無罪、早川、新見、中川、豊田…は死刑ということになります。
首謀者と実行犯というと、首謀者のいうことに従って事件が起きたというイメージがありますが、それは違います。
実行犯たちの妄想を麻原に仮託して起きたという事件であるといった方が正しいです。
たとえば、衝撃だったのは、
「だんご三兄弟」がヒットしたとき、アレフ(麻原逮捕後の団体)のホームページには、「友愛をモットーとするフリーメーソンの陰謀だ」という記事が堂々と載ったことです。自分が真実だと思いたい妄想は、いつの間にかではなく、すぐに真実になってしまいます。
この体質は、麻原が逮捕されてからも全く変わりません。
それどころか、「マイトレーヤ(上祐)、現世で成仏」など、頭がおかしい人の寝言のようなメモが出回り、メンバーがそれを信じるということもありました。
また、空中浮揚も同じです。
前にも言いましたが、髪の毛が逆立っています。浮揚どころか、下降です。
ヴァジラヤーナ。
ちゃんとお経を読んだでしょうか。書き下し文はもとより、現代語訳も出ているはずですが。
そんなことをせずに、自分が信じたい妄想を麻原に仮託してしまった。そして、事件が起きた…ということです。
「目の前に天使が現れても、悪魔でないとは限らない」とは、ロックもカントも言っています。西洋哲学の基本的な考え方ですが、そんな考えも浮かばなかったら、何のための大学進学かわかりません。
ここでいう「悪魔」は表層では麻原のことですが、深層では、全部、自分が正しいと思いたがっているコイツの中に巣喰っているコイツ自身のことです。
そういう、コトの「真相」を端的に表しているのが、コイツの言葉です。
「自分の感性、信じていれば」
まだ、自分の感性が正しいと主張している。オレは正しくて、他がまちがっている。なんじゃこりゃあ。悪いことは全部、他人のせい。おれは正しい。
真実は、もちろん、
コイツの感性がまちがっていたから、麻原を信じたということです。
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