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2025年02月15日10:40

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松原照子の「世見」(転載)

本日の世見  2025年2月15日(土曜日)

『聖徳太子の謎』

古代の飛鳥地方は凄く狭かったといいます。
南北3km、東西約700mの小さな盆地が飛鳥でした。
飛鳥時代はどんな時代だったと思いますか。
この飛鳥地方が政治の舞台になったのは、難波と伊勢を結ぶ横大路が東西に通り、南北には紀伊と山背を結ぶという交通の要所だったからです。

飛鳥時代は、元明天皇が平城京に遷都するまでの期間をいいます。
「推古元年」といえば、日本初の女帝として推古天皇が即位したのが一番の出来事でしょう。
又、聖徳太子が摂政に任じられた年でもあります。
法隆寺が建立されたのも推古天皇時代です。

でもね、「聖徳太子は存在したか」の謎が未だに明かされずにいます。
かつては、歴史の教科書でもとても重要人物として登場していましたが、平成27年度から「聖徳太子は実在したのか」と、高校の日本史教科書にはこのように記載されています。

聖徳太子の謎を解く鍵は斑鳩にある、と私は思うようになってしまった。
飛鳥の地から20km近くも離れている斑鳩に、法隆寺や中宮寺、そして法起寺を建て、一説では聖徳太子は宮を建て一家と移り住んだというではありませんか。
第30代敏達天皇の皇后だった炊屋姫(かしきやひめ)が、殺害された第32代崇峻天皇(すしゅんてんのう)の後を継いで推古天皇なったあたり、かなり興味が湧いてくるのです。

朝鮮半島の高句麗(こうくり)から僧がやって来たあたり、かなり高句麗の影響を受けたのがわかります。
あの時代、日本が朝鮮半島の戦に関わっていたのがよくわかります。
あの頃の外交面を見ると、新羅征伐の計画もあったりしましたからね。
吉田秋光氏が描いた聖徳太子画は、厩戸皇子がモデルだと言われていますが、こんなお話も残っています。
『伊予國風土記』の中に、聖徳太子は愛媛県松山市にある日本最古の道後温泉を訪ねた、と記されているのです。
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