12月22日から23日未明にかけて、こぐま座流星群が極大になる。
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<横浜みなとみらい 第5回目 テーマ曲「take me to your dream」>
前年同期 2023年12月10日(日)テーマ曲「クリスマスタイム」
・後編 ベトナムのクリスマスと同国の歴史
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12月15日(日)、2024年第5回目となる横浜みなとみらいライド、テーマ曲は、12月24日でリリース30周年を迎える、13thシングル「あなたを感じていたい」C/Wに収録された「Take me to youre dream」である。スパニッシュなギターのイントロが特徴的なバラードナンバーは、クリスマスを越えて、新年に向けて、一段と気持ちを引き締める青年像を描く。同曲をテーマに、自宅のアパートで、戻ってこない恋人を待ちながら、西洋館巡りを回顧する一人の青年を主人公に置いて、物語を進めていく。クリスマスの装飾が施された山手西洋館巡りが始まる。
写真 掲載元 Katszo's world 2015年12月24日
http://blog.livedoor.jp/katsuzobebizo/archives/52719154.html
第1章 物語の始まり 公共施設めぐり ユーラシア文化センター、シルクセンター、西洋館めぐり
必 午前10時に訪れた神奈川歴史博物館の模様については前日公開した。
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午前11時から日本大通駅構内のユーラシア文化館とニュースパークへ足を運ぶ。ユーラシア文化館開催の「思い出のチマチョゴリ」は、原則撮影禁止、見本の1枚のみ認められた。ニュースパークの方は常設展に関して撮影自由である。出展された1枚。1932年5月15日の犬養毅総理大臣殺害事件を報じた朝日新聞の1面。陸軍将校によるクーデターは、満州国の承認に反対した犬養毅総理大臣を引きずり下すため画策された。後に日付の数値から「五・一五事件」として語られている。活字離れが進む中、新聞紙は事実を広く伝える手段として、今なお細々と発行され続けている。

シルクセンターの方は、毎年12月の第3日曜日に「シルキー・クリスマス」と題して、一般の人々に無料にて公開する。展示室には、市内の小学生による繭で作成したクラフト作品が公開されていた。原料の絹繊維は、しなやかで弾力性に富む。吸湿性にも優れ、色を付けやすい。目や口を書き込むことにより、表情が豊かになる。
ZARDの歌詞「Take me to your dream」は、幸せだった頃を振り返りながら、未来を見据える若者の姿が映る。
歌詞:「灯りの消えたアパートメント、あいつの帰りを待って、シャンパン抱きしめながら 月の魔法に魅せられて」
冬の夜、ひっそりとたたずむアパートで、静かにクリスマスを過ごす主人公、消えてしまった恋人の分までグラスを用意した。確かに一人では心細い。小さな窓のシルエットカーテンを開けると、澄んだ空にお月様がかかっていた。満ち欠けをする月に、古くから人々は太陽と共に、崇拝の対象としてきた。
12月15日は満月の日だった。占いによると、スピリチュアルな意味や影響があり、エネルギーの高まりと共に、心身が浄化される。
歌詞:「二人は白いシーツを泳ぐ魚になる」
シルエットカーテンから漏れる明かりにより。生き写しのように、人影が動く。外から見ると、華やかな家族像を描く。それは、光に反射して、水中を揺れ動く人形にもたとえられる。実におとぎの国へと誘ってくれた。
サビの歌詞:「take me to your dream また新しい未来が始まる この世界中に」
黙っていても時は確実に過ぎていく。いかに次へ向って歩むか、気持ちを引き締めていた。
歌詞:「take me to your heart その手に受けて大いなる愛を 目ざめたら 誰より happy new year」
失恋を引きずっていた一年だった。アクションを起こして、自分自身新たな世界へ飛び込めば、次の一年は充実できると、思い直した。
<Aメロ終わり>
次の舞台は、山手西洋館巡り。開催中の「山手の丘 世界のクリスマス2024」の観覧は、12月1日以来2週間ぶり二度目、山手通り沿いの山手234番館からイタリア山庭園にかけて、紹介する。
第2章 ブルガリアのクリスマス 同国の歴史
山手234番館は「ブルガリア共和国」のクリスマス装飾が施されていた。1階のリビングルームには、派手さはないものの厳かな雰囲気のディナーが並に包まれている。立てかけられた肖像画は聖母子像イコンという。崇拝対象のイエスと母のマリアの2人を差す。家族一同祝福の意味をこめて、手料理を振る舞い、ピタと呼ばれるパンを出す。控え室では、刺繍を施した民族衣装「ノシア」が飾られていた。

ブルガリアは、宗教的にキリスト教東方正教会に属する。毎年12月25日に合わせて、40日前から肉類を慎む斎戒をする。2023年次点で人口643万、面積は日本の3分の1となる11万平方キロメートル、首都ソフィアは2021年時点で人口122万である。人口の8割がスラブ系ブルガリア人。トルコ系ブルガール人と、スラブ人が同化したことにより形成された。他トルコ系、ロマ、アルメニア人も暮らす。今回、2度に渡って形成された国家の原型となるブルガリア帝国の歴史を紹介する。
(1)第一次ブルガリア帝国 正教を受容
ブルガリアは、一時は東欧随一の長大な国家を築いた。西暦681年に当時カスピ海周辺の利権を手に入れたハザール人との戦いから西へ逃れ、ヴォルガ河中流に定住した民族による王国の形成に由来する。後に第一次ブルガリア帝国と呼ばれるブルガール人による国家は、緩やかな国家のまとまりだったビサンツ帝国と凌ぎを削った。アスパルフ=ハンに率いられてビザンツ帝国領のドナウ川南岸のバルカン半島北東部に進軍した。スラブ系住民に協力をとりつけ、ビザンツ軍を打ち破った。ビサンツ帝国と和議を結び、正式に領土獲得に成功し、戴冠を果たした。現在のブルガリア政府は、ビサンツとの和議を結んだ西暦681年を建国元年に定めている。都ははじめプリスカにおかれ、後にプレスラフに遷った。北西に接するフランク王国の影響により、キリスト教も広まっていた。大国化を果たしたのは9世紀のボリス1世(在位852年から889年)からシメオン1世の統治下である。ボリス一世は、カトリック連合に入ることを目指して、ローマ教会の使者を受け入れた。
写真=ボリス一世 ウィキペディアより
正教のビサンツ帝国とカトリックのフランク王国の狭間に位置するブルガリアは、地政学上緩衝地帯として安定する。ブルガリアのカトリック連合入りは、正教国家ビサンツも許しがたい。西暦864年に、ブルガリア国内で飢饉が起こると、真っ先にビサンツのミカエル三世が救いの手を差し伸べた。援助と引き換えに、正教の受容を迫ったのである。暦書によると、西暦864年頃に起こったと記されている。ローマ教会も、飢饉に乗じて、勢力圏の取り込みは許しがたい。西のローマ教会と東の正教との間で対立が生じた。西暦869年にコンスタンティノプールで開催された第9回公会議により、ブルガリア帝国は東方正教会の一員と認められた。つまりは、コンスタンティノプール総主教の管轄下に入ることを意味する。熱心な正教徒のボリス一世は、ビサンツとの間の領土問題を棚上げにしていた。続くシメオン一世の治世下では、征服欲からビサンツとの間で幾度となく戦いが起こった。西暦894年には、アドリア海沿岸まで南進して、現在のアルバニア一帯を治めた。ビザンツ帝国はアドリア海沿岸から撤退して、戦略を練り直した。新たにドナウ河口のデルタ地帯を収めていたアジア系のマジャール人に支援を要請した。一連のビサンツの建て直し戦略は、ブルガリア帝国に筒抜けだった。シメオンはマジャール人を潰すべく、北に領土を接したペチュネグ人に圧力をかけて、戦闘部隊に投入する。南からブルガリア帝国群が攻撃に加わることにより、マジャール人は挟撃され、ビサンツ帝国から離れざるを得なかった。西方に逃れ、パンノニアに入り、広大なステップ地帯に住み着き、後にハンガリー王国を建国する。いわゆる現代語の情報戦でも、ブルガリア帝国は、ビサンツ帝国の一歩上をいく。バルカン半島全域を手中に治め、海洋貿易の権利を手に入れた。さすがに兵隊を犠牲にすることを避けたかったのか、コンスタンティノプールへ進軍は諦めていた。西暦913年、コンスタンティノプールの総主教は、領土拡張するブルガリアに恐れをなしたのか、自ら「皇帝(バシレウス)」の称号を与え、住民の安全を守り、さらなる戦火拡大を避けた。はれてシメオン一世の時代に帝国になったのである。ブルガリア正教としては、9世紀から10世紀に活動した聖職者7人は列せられた。7聖人は、キュリロス(Кирил〈キリル〉)と兄メトディオス(Методий〈メトディー〉)および彼らの5人の弟子だった。ゴラズド(Горазд)、ナウム (Наум)、クリメント(Климент)、アンゲラリオス (Ангеларий〈アンゲラリー〉)、サヴァ(ブルガリア語版)(Сава)である。弟子のクリメントはブルガリアにおいて、言語発達に貢献した。聖職者として、従来のギリシア語やラテン語を外し、国民性を反映させるべく、スラブ語でキリスト教の礼拝と説教および著述活動を行った。現在、「スラブ文学の父」の一人とされる。
写真=ブルガリアの領土を示した地図 世界史の窓より
https://www.y-history.net/appendix/wh0602-079.html
ブルガリアは領土拡大により、資源は豊富になる。経済的には恵まれる一方、監視体制が脆弱になりやすい。領土内に暮らす人々は、皇帝に対して反感も抱いていた。帝国へ格上げされて101年後の1014年、ビサンツ帝国マケドニア朝バシレイオス2世が、ブルガリア帝国領へ進軍し、無差別虐殺を行った。西暦1018年に、ブルガリア帝国は、ビサンツに屈した。
(3)再独立、専制的な兄弟による第2次ブルガリア帝国が再建される
ビサンツ帝国も長年から変わらず、正教で統一していたものの、王権が弱かった。地方勢力の台頭により、分裂の危機に陥る。ブルガリア内では、擬似的な封建的プロノイア制により、搾取されていた。シチリア王国との戦端が開くと、さらにブルガリア国内で徴税が強化される。西暦1187年、圧制に苦しんでいたブルガリア人は、立ち上がる。ペタルとアセンの兄弟が、タルノヴォの聖ディミタル教会の聖別式でブルガリア国家の再興と挙兵を宣言した。ブルガリア人修道士ヴァシリィは年長のペタルに皇帝(ツァール)の位を授けた。西暦1182年に、皇帝ペタルとアセンの兄弟の下で、ブルガリア人は蜂起する。第一次帝国の首都だったプレスラフを制圧すると、西暦1187年に東ローマ皇帝イサキオス2世軍との正面衝突を避けて、一端ドナウ川の北へ逃れ、クマン人に協力を要請する。
写真=ドナウ川の位置関係 掲載元 Rowingの志 2007年7月31日付
http://rowingcox.blog.fc2.com/blog-entry-326.html
イサキオス2世は、ブルガリア人の反乱の芽を摘むべく、穀倉地帯を焼き払い、首都コンスタンティノプールへと帰還した。穀倉地帯を失っても、アドリア海に面した肥沃な土地を抱えるブルガリア帝国は再建を果たす。遊牧民クマン人と同盟を結び、東ローマに反感を抱くマケドニアやトラキア、ロドピの住民らも味方につけて、決戦に挑む。西暦1188年にタルノヴォに進軍する東ローマ軍をロヴェチにて迎え撃ち、3ヶ月にわたる包囲戦に耐え抜いた。東ローマ軍も進軍を諦め、和平を申し出る。ペタルとアセンは、独立を認めてもらう代わりに、弟のカロヤン・アセンを人質として送った。カロヤンは、1187年に国家承認と引き換えに、コンスタンティノプールに送られたものの、ひそかに脱出の機会をうかがっていた。2年後の西暦1189年に救出され、帰郷を果たしている。
ブルガリア帝国は、宗教的に違いはなかったものの、東ローマとは常に敵対関係だった。自国の安全保障には心強い味方が必要だった。1189年に第3次十字軍の遠征の際、神聖ローマのフリードリッヒ1世との同盟を申した。領土回復のために、協力して、東ローマを倒す狙いを伝えた。4万人の挙兵を提案したが、断られたという。クマン人を味方に、東ローマとの争いにも決着をつける。西暦1190年、天然の要害タルノヴォでの戦いに耐え抜くと、トリャブナの戦いにて大勝し、帝冠、笏、衣装を手に入れた。同年にペタルは弟のアセンに帝位を譲り、自身はプレスラフを中心とするブルガリア北東部とドブルジャ地方を統治した]。
ブルガリアの軍事活動は、とどまることをしらない。失地回復を掲げ、第一次帝国を凌ぐ領土獲得をもくろむ。バルカン山脈南部の東ローマ領に達し、スレデツを回復した。北方のハンガリー王国との戦いでも勝利を収め、ベオグラードとブラニチェヴォを奪還した。
中央集権的な政策を採るアセン1世の元で、領土拡大と引き換えに、統制がとりにくくなった。にわかに独裁者への反対勢力が立ち上がっていた。西暦1196年に宮廷内のクーデターによってアセン1世は暗殺される。首謀者は、アセン1世の従兄弟イヴァンコだった。プレスラフを統治していた元皇帝である兄のペタルの元にも一報が入った。帝国再建のパートナーだった弟を失った悲しみは大きく、軍を従えて、立ち上がった。東ローマに逃れたイヴァンコを牽制し、事実上追放処分と化した。弟の死によって、皇帝の座に帰り咲いたものの、反乱分子によって、西暦1197年に暗殺された。
空位となった皇帝の座には、コンスタンティノープルから逃亡してブルガリアに帰国していたアセン兄弟の末弟カロヤンが就いた。
(3)カロヤンの恐怖政治から13世紀の最盛期、
人質の身から脱出した敬虔のあるカロヤンは、専制君主としてにらみを利かした。皇帝に即位した2人の兄を殺害された経験から、監視の目を光らせる。長大な国家構想を掲げ、当事分裂状態だった東ローマ帝国を叩きにいく。1205年にアドリアノプールの戦いで、大勝した。ブルガール人を賊民呼ばわりしたボードゥアン一世には復讐心を募らせていた。生け捕りにしたうえに、公開処刑した。横暴なカロヤンに対して、同盟国は反感を抱く。トラキアは、東ローマ側へと寝返っていた。カロヤンは裏切り者への報復行為として、徹底的に町を破壊しつくしたのである。強権的な手法で、仲間に対して恐怖心を植え付け、反乱分子を押さえ込んだ。国王に従っていても、いつかは自らの立場も危うくなる。西暦1207年、テッサロニキ(現在のギリシャ)包囲戦の最中、部下のクマン人の将軍の裏切りにあい、死亡した。
第1次ブルガリア帝国が滅んで1世紀後、ペタルとアセン、カロヤンの兄弟により、領土を回復した。第2次帝国の王に権力を集中させる統制のとれた社会は、東ローマ帝国を凌ぐ力を発揮した。権力の集中は諸刃の剣、監視体制が緩むと間隙を突かれ、結果的に3人とも仲間の裏切りにより、落命したのである。帝国の最盛期は13世紀のイヴァン・アセン2世の時代だった。エピロス専制侯国、ハンガリー王国、セルビア王国、ニカイア帝国と政略結婚を通して、巨大な同盟を築き上げたのである。今なおブルガリアの人々は、栄華を誇った時代を歴史の教科書で学ぶ。13世紀には東ヨーロッパを席捲するモンゴルの支配下に入り、15世紀にはオスマン帝国の領土に組み込まれた。モンゴルから、宗教の自由を認められ、正教は擁護された。引き続き緩やかな専制国家といわれたオスマン帝国の統治下でも正教は受け継がれた。1909年にオスマン帝国の弱体化に伴い、晴れて共和国として独立を果たした。宗教的遺産は、1983年に世界遺産に登録されたリラの修道院である。首都ソフィアから南へ117km離れリラ山にたたずむ。第2次帝国を築き上げたペタル一世の統治下で建てられた。
写真 掲載元 世界遺産マニア リラ修道院より
https://worldheritage-mania.com/heritage-rila/#google_vignette

タマネギ型のドームを白黒が混ざった石柱で支える。特徴的な外観から、茶色一色の岩山の中で存在感を増す。壁、柱、梁、天井に渡り、中は極彩色のフレスコ画で彩られる。時を経ても色あせることなく、信仰心を守り通した修道僧の拠り所だった。知られざる東欧国家ブルガリアは、EUとNATO入りを果たし、民主主義国家として歩んでいる。
第3章 クリスマス装飾巡り
山手234番館の左斜め向かいのエリスマン邸「ドイツのクリスマス」、小さな通りを挟んで左隣のベーリックホールの「フィンランドのクリスマス」の飾り付けを見学する。エリスマン邸の展示室は、自然のモミの木を配した簡素な飾り付けだった。木の根元でゆりかごに収まるテディーベアの姿から懐かしさがよぎった。Bメロの歌詞では、郷愁に浸る主人公を描いている。
歌詞:「メインストリート 走ってく 無邪気な子供たちを見送って」
山手通り沿いも、親子やカップルが訪問していた。一人だと確かに寂しい気持ちもある。展示物に視線を注ぐことで、メルヘンチックな世界に吸い込まれるようだった。

次のベーリックホールは、西洋建築の中でも風格がある。瓦屋根の煙突、クリーム色のスタッコ仕上げのスパニッシュスタイルの外観は、異国情緒な雰囲気をかもしだす。中の1階リビングルームのきれいに皿が並べられたディナーから、賑やかな家族の姿を想像した。
歌詞:「公園の噴水でキスを 冷たい指先が震えたよ」
確かに自分は、厚手のコートにマフラーを身につけ、かじかむ手で彼女に触った。温かい格好をしてきたのに、繊細な指先の感覚は麻痺していた。
歌詞:「幸せはすぐそばにあるのに。近くて見えない」
目の前に彼女がいるのに、その先の姿を見失っていた。自宅のリビングルームでディナーを並べる青年は、ふと我に帰った。レースのカーテンを開けると、お月様が高く上っていた。一筋の明かりに照らされて、再び思いにふけった。
ベーリックホールの2階へ登っていくと、妖精が住む森を彷彿とさせる水晶が、装飾飾り用の柱に取り付けられていた。夜間照明を落すと、暗闇の中の道標のように、小さな明かりを放つ。
サビの歌詞:「take me to youre dream 何処かで小さな 生命が生まれる 大地の宝物」
森の中は、常に命が循環している。朽木がキノコ類に分解され、新芽を育てる。我々人の祖先も、遠い昔は森の中に身を寄せていた。
歌詞:「take me to your heart 伝えたいよ この胸の鼓動を どこまでも ついていきたい love forever」
森と湖の国といわれるフィンランド、長い夏休みは、森の中のコテージでしばし休暇を過ごす習慣があるという。我々人の生命力を引き出してくれるようだった。
<Bメロ終わり>
BメロからCメロへ繋がる歌詞:「果てしなく続く Widing Road 駆け抜けろ Who…」
装飾巡りはまだ先がある。山手通りから左に折れて、山手公園内のテニス発祥記念館に向った。窓際の一角に、シーツのテーブルかけの上に、ディナーが用意されている。さすがに生ものではなく、葉を重ね合わせて、いかにも豪勢な料理が振る舞われているように見る者を錯覚させた。
テニスコート利用者の控え室を兼ねる「旧山手68番館」は、韓国のクリスマス展だった。照明を程よく落とすことにより、淡く装飾品を照らした。暖炉の上で見守る2体のライオンの脇で、女性用のチマ・チョゴリ、男性用のパジ・チョゴリが展示されていた。大正ロマンを感じる和洋折衷インテリアが並ぶ室内は、暖房が効いている分、安らぎのひと時を提供してくれた。

山手通りを走り、石川町駅へ続く傾斜地の途中、イタリア山庭園内のブラフ18番館、スイスのクリスマスの飾りつけが行われていた。リビングルームには、向かい合う2つのふかふかのソファを拵え、背もたれ部分には白の毛皮シーツがかけられる。間のテーブルには、スイス人が好むチェスが置かれていた。息抜き用として、2つのパンが添えられている。素朴で温かみのある空間に包まれる中、ダイニングルームに用意されたスイス名産のチーズが彩りを添えた。

キリスト教の文化が根付くヨーロッパでは、クリスマスは年に一度の特別なイベント、恋人と過ごしたイブは確かに懐かしい。過去を振り返りながら、新たな文化に出会い、今在る幸せをかみ締めた。
第4章 日暮れ時 大桟橋
日暮れ時向うのは、山下公園から海に突き出た大桟橋、若い学生風のグループ、男女のカップルが、見晴らしの良いデッキで場所を確保し、茜色に染まる西のみなとみらいの町を見渡した。東北の方角から昇る満月の光により、海面に一筋の帯が出来る。隣接する山下埠頭には、午後5時から工場夜景地帯を巡るツアー船が出港する。黄昏時、伴侶と訪れた人々は、希望を語り合った。
Cメロのサビの歌詞(Aメロと一致):「Take me to your dream また新しい未来が始まる この世界に」
ビルの合間から富士の稜線が顔を出した。

いつのまにか対岸の赤レンガ倉庫のクリスマスツリーの装飾が点灯していた。人口370万人の横浜市随一の規模となるクリスマスマーケットが開かれる。西洋の町並みを再現し、家族連れらが、買い物に出かけ、温かいチキンやフライドポテトを手にとる。みなとみらいの町名の通り、将来性豊かで、一段と活気を帯びていた。
歌詞:「Take me to youre heart その手に受けて 大いなる愛を Woo 目ざめたら 誰より最初に Happy New year」
<歌詞終わり>
午後5時には、対岸の赤レンガ倉庫の背後に聳え立つ観覧車コスモクロックの色合いが青や赤、緑へと刻々と変化した。次第に色が混ざり合い、極彩色になる。七変化する様子に、桟橋にたたずむ人々は、心を一つにしながら鑑賞した。

最後に2024年全5回にわたったみなとみらい・山手地区の旅を振り返る。
1回目 1月8日(月・祝)テーマ曲「BOY」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986749089&owner_id=32437106
写真=上記の日記より 山手西洋館イギリス館より1枚 正月飾り
2回目 5月4日(土・祝)テーマ曲 SARD UNDER GROUND 「空っぽの心」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987662849&owner_id=32437106
写真 上記の日記から 都筑区川和富士公園の夜景
3回目 10月20日(日)テーマ曲 「好きなように踊りたいの」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988700840&owner_id=32437106
上記の日記より アニヴェルセルみなとみらいの夜景
4回目 12月1日(日)テーマ曲「窓の外はモノクローム」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988939091&owner_id=32437106
上記の日記より 山手111番館 南アフリカのクリスマスより
一人で、いなくなってしまった恋人を待ちわび、ひっそりとクリスマスイブを過ごした主人公は、ワイングラスを持ち上げた。イエスが神の子として地上に顕現した日を祝い、新しい年を迎える
写真掲載元
http://blog.livedoor.jp/kato2008/archives/1030249.html

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