<12月1日(日)みなとみらいライド テーマ曲「窓の外はモノクローム」>
前回みなとみらいの旅 2024年10月20日付 テーマ曲「好きなように踊りたいの」
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前年同時期 みなとみらい 2023年12月10日(日)テーマ曲「クリスマスタイム」
・前編 三渓園 馬の博物館 スウェーデンの歴史
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・中編 フランスのクリスマス ブルゴーニュ公国の歴史
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・後編 ベトナムのクリスマスと同国の歴史
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写真=1994年頃の坂井泉水 掲載元 last.fm ZARD窓の外はモノクロームより
紅葉が見ごろを迎えた神奈川県横浜市内を自転車で巡る旅、テーマとなる曲はZARDの「窓の外はモノクローム」、同曲はデビュー10周年を記念して、2001年2月15日に発売された9thアルバム「時の翼」に収録されている。歌詞の内容から、四季折々移り変わる景色を、離れていく若い男女に例えている。作詞家坂井泉水は、一貫して若者に希望のある未来を託していた。1993年5月19日に8thシングルとしてリリースし、売上130万枚を記録した「揺れる想い」は、若い男女が共に語り合い、将来を歩んでいく姿が映った。時には失恋により、心を痛めた若者を描いている。2004年11月24日に38thシングルとして発売された「今日はゆっくり話そう」の2曲目に収録されている{淡い雪が溶けて}は、雪が溶けていく様子と、はかなく散ってしまった恋に重なった。今回、窓の外はモノクロームの歌詞に合わせて、緑豊かな横浜市都筑区湖北ニュータウンの紅葉狩り、中区みなとみらいの様子を描く。第4章では、会期が12月1日(日)から25日(火)まで3週間にわたる山手西洋館世界のクリスマス展2024から、山手111番館の南アフリカの装飾と共に同国のマンデラ大統領を紹介する。最終第5章では、11月30日(土)の川崎市多摩区生田緑地の夜の古民家園のレポート文を公開し、みなとのみえる丘公園の夜景鑑賞で、物語を完結する。
目次
第1章 都筑区の緑道 紅葉が色づく
第2章 鴨池公園からさせらぎ公園 岸根公園へ
第3章 野毛山公園 横浜公園、山手地区へ
第4章 みなとの見える丘公園 南アフリカのネルソン・マンデラ大統領
第5章 夜景 11月30日(土)川崎市多摩区生田緑地「夜の古民家園」で。みなとのみえる丘公園
第1章 都筑区の緑道 紅葉が色づく
写真掲載元 都築区訪問地の地図 ・さざぶねこみち、・ゆうばえのみち・せせらぎ公園の位置関係 YOKOHAMA LIFE 2022年6月1日付
https://yokohama-life.th-yokohama.com/leisure/walking/yokohama-tsuduki-sekireinomichi-w142-20220601/
この日首都圏は、朝から澄み切った青空が広がっていた。最高気温は摂氏16度、最低気温が6度まで下がった影響により、師走らしく、寒暖差を感じた。
朝8時代に訪れたのは横浜市都筑区荏田の住宅地の狭間を流れる早淵川沿いだった。日光を浴びて、腕を振ってウォーキングに励む人々が行き交っていた。ワンチャンを連れて散歩する住民は、一端足を止めて、モミジやイチョウ、メタセコイアの色づき具合を確認する。メタエコイヤは枝先にビッシリと生い茂った葉が、変色している。外から見るとレンガ色、神聖で太古の昔からの息遣いが聞こえるようだった。早淵川沿いのサイクリングロードを進みながら、ふと振り返る。拡張高いオレンジの尖った葉をつけるメタセコイアは、ひときわ風格が漂っていた。

初めての場所へ自転車で向う旅の青年の心情は、「窓の外はモノクローム」の歌詞にも繁栄されている。
曲の方は、キーボードの高音キーから始まり、ゴスペル隊がハモリ出す。さわやかな空気感から、心が弾んでいく。
歌詞:「歩き出す その道は どこかに繋がっているの?いくつもの扉を叩いてきた」
川に沿って進むこと、ひときわこんもりと生い茂った丘の輪郭が見えてくる。目的の都筑中央公園、その周囲には里山の風情を感じる、一軒屋のそばに畑が広がっていた。
歌詞:「移りゆく 人間(ひと)模様 周囲(まわり)が羨むほど、仲が良い二人だったのにね」
確かに、恋に夢中になっていた頃、独り身の立場からすると、羨望の的になっていたかもしれない。今自分が独りになり、一歩外から親子連れやカップルを見つめていた。
散歩している方にお尋ねしたところ、都筑中央公園の脇から東の鴨池公園、西のセンター南駅の方角へとY字型を保つ緑道まで伸びる「ささぶねのみち」が、紅葉回廊を成しているとのことだった。鴨池公園の方角とセンター北方角へ分かれるY字路付近の「心行寺」は、都筑区のモミジスポットとして、紹介されていた。
詳細 さざぶねのみち gooブログ 四季の風景 2018年12月4日更新(訪問時11月29日)
https://blog.goo.ne.jp/masa1128tarou/e/680c2fedf963648421c24c29d504c702
散策路では、三輪車に乗る子供を見守る父親や母親、仲良く寄り添いながら歩く老夫婦、若いカップルが、色づいたモミジを眺め、季節の変わり目を感じている。さざぶねのみちから枝分かれした「ゆうばえのみち」へと進路をかえた。鴨池公園へかけての緩やかな登り道の脇で、周囲の樹木に溶け込むようにログハウスが建てられていた。赤く色づいたモミジ、歩道に散らばるケヤキの葉、遠めに写る木のぬくもりを感じるログハウスが、興趣を添える。その先にも新しい世界が広がっているとの期待が膨らんだ。

歌詞:「ドキドキした あの懐かしいストーリー となりにいる あなたも夢中だった」
ふとブレーキを握って、自転車を止めた。鴨池橋手前の広い円形状の「鴨池公園まんまる広場」で追いかけっこする一組の親子に視線を吸い寄せられた。根元が太く張り出した一本のけや木の木が、行く末を見守っている。ゆうばえの道を住民が行き交う中、親子は広い空間を独り占めしたかのように駆け回っていた。
歌詞:「途切れる言葉 いくつも 埋めるように」
小さな子供には、木の根元付近で精一杯走ることにより、汗をかくことができる。母親に甘えていた自分自身を思い出した。
歌詞:「はしゃいだ夜更けの部屋 窓の外は モノクローム」
自分は、夜更けの部屋から外に出ると、一人ぼっちであることに気付かされた。
<Aメロ終わり>
第2章 鴨池公園からさせらぎ公園 岸根公園へ
鴨池橋を渡って、すぐに石畳の道を下ると、ため池が広がる。聞き覚えのあるカワセミの鳴き声が聞こえた。水色の光沢にオレンジのラインが入った体色とともに、澄んだ鳴き声から「水辺の宝石」との愛称を持つ。優雅な外見から清流の鳥と想像しがちだが、実際淀んだ池にも生息する。様子を確認して、元来た道を引き返した。
訪れたのは、センター南の方角へと続くY字路のやや先にあるお寺だった。背後の林によって、日差しが遮られ、境内は影に覆われていた。年配女性の集団グループが、階段下で足を止めて、紅葉を見上げている。背景の林の奥には、10階建てのマンションが複数塔聳え立つ。ふもとの静寂閑雅な佇まいのお寺は、太古の面影を忍ぶ。

道を進むこと、階段へと上ること、ほっそりとしたモミジが育つ。日差しを受けることにより、影が伸びた。欅の落ち葉に覆われる中、赤みを帯びたモミジが、主役として存在感を放っていた。一人の若い女性をモデルに、一人の中年男性がカメラを向けている。色鮮やかなモミジを背景とすると、モデルの表情がより引き立つ。気品のある切れ長の目をした浴衣姿のモデルさんにカラフルな色合いの傘をもたせると、眉目秀麗な姿から、和風美人として、海外の人々に紹介できる。一年で最後の輝きを放つ常緑広葉樹は、間もなく冬支度に入る。
センター南駅前通りを通過し、新羽荏田線を走った際、ふと緑が目に入り、自転車のブレーキを握った。歩道に乗り上げ、坂を下っていった。横浜市営地下鉄の仲町台駅に程近い、せせらぎ公園は、池の辺にガマが育っていた。古民家の方は、改修工事の影響からか、敷地から締め出されていた。
新羽荏田線にかかるせせらぎ橋を南へと下り、仲町台の方へ続く用水路を散策する。水深はいたって浅く、綺麗に雑草は取り除かれていた。緑のアーチを潜り抜ける中、明鏡止水の境地に浸った。Bメロには、主人公の素直な心が表れている。
歌詞:「ねぇ 例えば 道端に咲く草花(はな)を見て 綺麗だ と 思えるうちは大丈夫」
足元の草花も着実に色づきが進んでいた。欅の葉はすっかり落ちているものの、脇にどけられることにより、道の真ん中は開いている。移り変わる景色を意識したのは、失恋がきっかけだったのかも知れない。隣に彼女がいれば、それだけで心が満たされていた。独りになり、つぶさに身の回りの動きを意識するようになった。Y字路に行き当たると、木々の間から白っぽい建物が姿をのぞかせた。そのまま用水路沿いに進むこと、テラス席に、日傘が設置されていた。お店の名は、イタリア料理を振る舞う「FRESCO」、カフェテラスからは、パスタやピザを口にしながら優雅なひと時を味わえる。緑に包まれると、セラピー効果により、心身共リフレッシュできて、美味しく食事を戴くことができるという。レストランにおいても、来店者は日当たりが良い環境を好む性質から、窓際の席から埋まっていく傾向にある。意識することにより、何気ない日常が見えてくる。

歌詞:「もし雨に濡れたなら やさしく傘をさしてくれたよね。そこが好きだったの」
そういえば、自分は、急に雨が降ってきた際、濡れることを厭わず、傘を広げて、彼女を守った。必然的に一つの傘を共有することにより、体も心も近づいてく。
歌詞:「嘘をつくなら…そう最後まで ずっと ずっと 嘘を突き通して欲しかった」
自分は強がっていたのかも知れないな?色づいた葉っぱを眺めながら、振り返っていた。フレンチレストランから一つ先の仲町台駅を結ぶ「茅ヶ崎164号」は、人の姿がまばらで、商店街は閑散としていた。2列に並ぶ街路樹は、ほぼ葉を落としていた。
建物自体は、店舗兼住宅型、外壁は真新しく、グレーを基調としていた。郷愁が漂う同じ区内の荏田町から一転して、新興住宅が並んでいた。
せせらぎ公園から離れ、自転車で湖北区の県道上麻生線に面した岸根公園へと向う。横浜市営地下鉄の駅のすぐ脇に位置する住宅街の中の長方形の公園、低地の篠原池から瘤状に盛り上がった丘の上に遊具が設置されていた。ひときわ背丈が大きいモミジバブウが、しっかりと葉をつけていた。花言葉は「輝く心」、「非凡な才能」、モミジよりも葉の厚みがあり、色の濃淡がはっきりしている。太陽光に照り映える姿から、他の樹木よりも競争で勝っているように見えた。
岸根公園を一巡りして、上麻生線へと戻り、みなとみらいを目指して、自転車を走らせた。
舞台は野毛山公園、坂の上の公園内に併設する動物園に続く野毛山通を息せき切って登ること、右手に平らにならされた空間が見えた。睡蓮池の辺に聳えるモミジの木が、彩を添える。階段を登り、裏手に回り、岡の天辺に出ること、日差しを浴びた赤色と黄色のモミジが、それぞれ重なって見えた。

裏手の動物園側へと下る道からは、何やら金切り声が聞こえた。正体は外来種として定着した「タイワンリス」だった。茶色の体は、すっかり幹に溶け込んでいた。木の実を口に加え、尾を立ててバランスを取りながら、軽業師のように細い枝先を伝い、茂みの中へと消えていった。起伏に富む園内は、緑の道がアーチ状に続く。適応力のあるタイワンリスは、住宅街のそばの緑地でけなげに生きていた。
つり橋を渡り、展望台側の大芝生広場で一息ついた。テーマパークの様相を呈するみなとみらいから一転して、きつい坂の上にある公園内は、喧騒から離れ、散歩や運動に励む住民達が思い思い過ごしていた。
第3章 野毛山公園 横浜公園、山手地区へ
野毛坂を下り、JR関内駅の北側横浜スタジアムに面した横浜公園の日本庭園を訪れた。江戸の文化らしい、三角屋根を保った入り口を潜り抜ける。格式高い灯篭が出迎えてくれた。都築区のささぶねのこみちと同じく、色づいたモミジを背景に、女性モデルを撮影する中年男性がいた。光の加減しだいで、モデル自体の表情も変化する。耳を澄ますと、ししおどしの乾いた音が鳴った。一歩外に出ると、ビルがひしめき合う近代的な町並み、その一角で江戸の風情を感じる庭園が残っていた。
公園の北側へ足を向けると、真黄色の銀杏並木が続く。忙しいビジネスマンでも、思わず足を止めて、見入ってしまうほど、壮観な光景だった。通り沿いの1角、西洋建築を代表するレンガ造りの建物を背景とするイチョウの写真は、秋の情趣を感じる1枚となる。
サビの歌詞:「ときどき会って、話すことがなくなって、こうして別の人生(みち)探している方が…幸せだね」
確かに黄金色に染まった木のそばで、心も体も吸い込まれるような感覚を抱いた。別の自分になること、つまりは新しい出発点を意味する。
歌詞:「輝ける未来のために 私は泣かなかった 窓の外はモノクローム」
<Bメロ終わり>
人は、方向性が変わることがある。今自分は、色づいたモミジを眺め、真黄色のイチョウの並木を潜り抜け、気分を一転させた。
日本大通から右に曲がり、山下公園に面した「横浜市主要地方道82号」を自転車で走った。神奈川県民ホール、ホテルニューグラウンド、横浜人形の家の先、山下長津田線の分岐点まで、イチョウの木が林立する。人形の家と山下公園を結ぶポーリン橋は、銀杏並木を一望できるスポットとして、撮影者が並んでいた。山下公園からは、モミジバブウ越しに通り沿いの建物を望む。近未来型都市の建築物を代表するほっそりと伸びるマリンタワーと、日本古来の樹木モミジバブウは、異色のコラボといえる。都市の片隅で古きよき日本庭園を残しながら、着実に開発を進めていく。今なお、みなとみらいの町は大きく変わっている。

山下公園から、長さ300m、平均斜度10%(最大12%)の谷戸坂を登り、みなとの見える丘公園にたどり着いた。園内の大沸次郎記念館(入園料200円)を訪問する。季節限定で和室が公開されていた。畳はきれいに張り替えられ、物は端っこに片付けられている。整然とした空間で、円形の窓枠から、モミジと常緑樹が交差する様を眺められる。ゆったりと腰を落ち付けて鑑賞すると、モミジは色鮮やかとはいえ、厚みがなく、刹那的で哀愁さえ感じられる。

館内の大広間のサロンでは、装いが一変する。茶テーブルを濃い赤色の椅子が取り囲む。窓際には、木を編んだ簡素な椅子を並べていた。天井からはシャンデリアが釣り下がり、温かみのある部屋に、彩を添えた。雅やかでモダンな空間は、要人を招くに相応しい、家具をこしらえていた。和と洋が織り成す記念館で、文化の多様性を感じ取った。
第4章 みなとの見える丘公園 南アフリカのネルソン・マンデラ大統領
ここ港のみえる丘公園から、山手どおり沿いに並ぶ西洋8館では、12月1日から25日までの会期で、毎年恒例の「世界のクリスマス展」を開催している。
イギリス館は、毎年イギリス国内の飾り付けを行う。2階の一室のディナーでは、真っ赤なカーベラの下、6人分の皿が用意された。テーブルの端に一つずつ、合計2つのバスケットが置かれ、3つずつりんごが収まっていた。伝統的にイギリスのクリスマス料理はローストが基本で、ガチョウや七面鳥を分け合う習慣があるという。館内は、素朴でナチュラルな雰囲気が漂っていた。
同じみなとのみえる丘公園内の「山手111番館」は、南アフリカのクリスマスである。南半球では、夏に半袖でクリスマスを迎える。1階展示室の、南国の香りが漂う緑の大きな葉を伸ばし、ピンクや赤の花、グレーの種をつけた鮮やかな植物プロテアが、来園者をもてなす。色鮮やかな空間で、初代黒人大統領ネルソン・マンデラ(1918年7月18日―2013年12月5日)の功績を称えたパネルが、立てかけられていた。

彼自身は、南アフリカで根強かった人種差別撤廃に貢献した象徴的な活動家である。若い頃から、国内の人口で15%弱の白人が、黒人を支配する身分性差別を解消するべく、法的に争っていた。1948年に、当時の国民党により、人種を隔離する政策が、正当化された。黒人は、白人地域への居住は一切禁じられ、必要に応じて出入りには許可書が必要になる。選挙権も剥奪された。黒人で始めて法律事務所を開いていたマンデラは、アフリカ民族会議(ANC)にも参加して、権利を訴えたのである。1955年6月には史上初の全国人民会議がヨハネスバーグ郊外で開催され、自由・平等で社会をめざす「自由の憲章」が採択された。黒人への隔離政策アパルトヘイトに対する抵抗を試みたものの、権力を握る政府は弾圧を強める。翌1956年、マンデラを含め、156人が身柄を拘束された。黒人の中には、自ら政府の樹立を主張するパン=アフリカニスト会議(PAC)が、ANCから分離した。PACは、より断固として権利を主張し、白人に対する抵抗を試みていた。情報が筒抜けになっていたのか、1960年3月のことである。PACの呼びかけでヨハネスバーグ郊外のシャープビルで開催された集会で、警察の一斉射撃にあい、69人が殺害された。いわゆる「シャープビルの虐殺事件」は、国連からも弾劾決議が可決された。1961年に当時の国名南アフリカ連邦から「南アフリカ共和国」に改称され、イギリスの影響から逃れた。バンツー(黒人の呼び名)自治法を制定し、それぞれ民族ごとに自治権を与えると宣言して、実質一定地域に閉じ込めた。ヨハネスブルクでは、南郊の一角にソウェトと呼ばれる黒人居住区が設けられたのである。マンデラは黒人を差別化する法案を黙って見過ごすことはできず、武器を手にして対抗した。1962年に逮捕され、64年に終身刑の判決が下った。ロベン島の刑務所を中心に、27年にわたって囚人生活を余儀なくされる。アパルトヘイトは、国際的に撤廃を求める声が高まっていた。1977年に国連は、南アフリカへ武器輸出を禁止する法案を採択する。各国政府も南アフリカへの経済制裁を強めた。1990年に当時の国民党に所属したデクラーク大統領は、他国との協調政策をとった。宗主国のイギリスを始め、他国が求めていた白人の抵抗運動の象徴だったマンデラの釈放を認めた。1991年2月1日に、人種登録法・集団地域法・現住民土地法のアパルトヘイト根幹三法を廃止した。1993年にはデクラークとマンデラが、ノーベル平和賞を共同受賞している。
写真=1994年のノーベル平和賞受賞後の様子 AP通信より
マンデラは人種間の融和を図ることを期待され、南アフリカ共和国の指導者へ上り詰める。1994年4月26日に実施された総選挙でANCが第一党となり、黒人初の大統領に選出された。速やかに差別を無くすために取り組む。1996年には、アパルトヘイトへの抵抗運動が評価され、1984年にノーベル平和賞を受賞したデスモンド・ツツ大司教を、新たに設けた真実和解委員会の委員長に任命した。ツツ氏は、獄中でのマンデラの精神的支えだった。ツツ氏は道徳的に人は皆平等と謡う。「黒人は白人を嫌っているのではない。嫌っているのはアパルトヘイトと不平等、抑圧であり、優しさと正義、平和は大好きなのです。」との言葉を遺した。
マンデラは、ツツ氏の教えに従い、人種間の平等を謡うべく、黒人居住区のインフラ整備にも力を注ぐ。経済に関しては、難しい舵取りを迫られた。白人から弾圧を受けた歴史から、新自由主義を採用し、税の取立ては控えていた。ビジネス的手腕を発揮し、企業家として成功を収める黒人も一定数出たとはいえ、経済格差は残ったままである。差別根絶には一定の成果を挙げたものの、既得権のある白人の地主や会社経営者に富が集中していた。1994年5月16日の就任から、任期満了となる1999年6月14日まで1期5年勤め、政界を引退した。マンデラは、27年の獄中生活を経て、人種の平等を謡い、国際的に名声をえた。彼の功績は、後世へと受け継がれている。
第5章 夜景 11月30日(土)川崎市多摩区生田緑地「夜の古民家園」で。みなとのみえる丘公園
ここで、11月30日(土)に訪れた川崎市多摩区生田緑地の古民家園をレポートする。
信州の村の合掌造りの山下家を彩るようにモミジが聳え立つ。敷地の外の杉林に囲まれた奥の池では、モミジの葉っぱが、池へ張り出していた。日差しが遮られ、淀んだ水辺で、カモ類が羽を休めている。一枚、一枚と花びらが落ちて、冬へと進む。

緑地内の標高84m枡形山展望台では、多くの人々が周囲を眺めていた。南東側の武蔵小杉の駅前タワマンが、沈みゆく太陽光を反射していた。
さらに南南東の房総半島の輪郭と水平線にかかる雲との境界があいまいになるほど、空は透明感があり、クリアに写った。トワイライトタイムでは、麓の町から灯りが浮かび上がる。

東側の東名高速道路のオレンジのナトリウム光がアクセントになった。暮れゆく町並みに思いを寄せるかのように見入っていた。
夜の古民家園は一転して、窓からもれる明かりにより、温かみを感じる。係員に聞いたところ、敷居のない民家の中は、夏間外より10度近く気温が低く、涼しいという。ほのかに明かりが灯る夜の民家園で、山間の集落の暮らしの一端を体感できた。

12月1日、夜景撮影の舞台はみなとみらい公園、展望台からは海沿いのマンション群を望む。海風が吹く中、町の明かりに、心が救われる思いだった。
歌詞:「ドキドキした あの懐かしいストーリー、となりにいるあなたも夢中だった」
カップルが肩を寄せ合いながら、西側のみなとみらいの町、眼下の住宅街、東側の工場地帯まで見渡した。
歌詞:「途切れる言葉 いくつも埋めるように」
人は、それぞれ違いがある。その隙間を埋めるために、同じ景色を共有し、思いを語り合う。若いカップル達は静かにたたずんでいた。

歌詞:「はしゃいだ夜更けの部屋 窓の外はモノクローム」
<終わり>
精神状態によって、窓の外を眺めると、違った景色に写る。茜色に染まった空の下で、生活観が漂う町を眺め、リラックスした。気持ちが一段と引き締まり、谷戸坂を下り、みなとみらいの町を走った。首都圏の紅葉狩りは佳境を迎えている。
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