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2024年11月05日05:32

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引き返せた地点はいくつもあった

日中戦争は、日本の侵略や陰謀ばかりが取り上げられますが、日本も被害者だというのも事実です。日本は中国の百年内戦という渦に呑み込まれ、反日侮日の挑発に乗せられたのが、戦争の原因です。当時、中国に住んでいた方は日本が被害者だと考えています。

日中戦争は英米ソなどの列強が中国の内戦に介入し、最終的に南京、重慶、延安の各政府にそれぞれ荷担したことが原因で、日本は中国に危害を加えたというより、近代的な統一と発展に対し、大きな貢献をしていたのです。

盧溝橋事件での日中戦争への拡大は、日本政府も蒋介石も望んでいなかったのです。日本も不拡大方針を決め、和平交渉の道を模索し、蒋介石は共産党を倒して国内を安定させるのが原則方針だったので、対日戦争は避けたかったのです。

中国軍は約5百万人、蒋介石の直系軍は2百万人で、数では日本軍の7倍ですが、それでも対決できる力量ではなかったのです。日本軍で訓練を受けた軍人蒋介石は誰よりもそれを知っていて、実際、戦争突入後、蒋介石の国民党軍の弱さは嫌というほど証明されています。

だが、延安で辛うじて生き延びていた共産党にとって、「抗日」は唯一の活路でした。「抗日」と叫ばなければ、まず共産党が蒋介石率いる国民党の餌食になってしまうからです。蒋介石に滅ぼされる恐れを抱いて、共産党は蒋介石を抗日に追いつめたのです。

ここから先は近衛文麿の優柔不断があり、蒋介石も予想しない日中戦争にずるずると拡大の一途を辿るわけですが、まだ、引き返せたという地点がいくつかありました。それは本当に大事なifです。まずは1937(昭和12)年7月7日七夕の盧溝橋事件の時です。

そこでの戦闘は一旦収まっていたのだから、ここではっきりした命令を出せなかったことは、近衛文麿の責任です。その後は翌8月に起きた上海事変です。陸軍は出兵に消極的でした。だが上海には海軍もいるし、日本の工場もたくさんあるから、と海軍のイニシアティブで戦闘が始まってしまいます。ここでは米内光政海相の責任が大きいです。

さらに上海事変の前に、近衛文麿が南京に行き蒋介石と会うというプランを石原莞爾が立てているのです。これは近衛文麿内閣の書記官長だった風見章も書いています。陸軍参謀本部側は飛行機の手配をして、蒋介石にも話を通すのですが、最終的に近衛文麿は逃げてしまうのです。最後は、12月の南京占領時です。

この前後、参謀本部は中国側に調停案を出し、これに沿ってドイツ大使トラウトマンが日中和平工作をはかります。賠償金は要求しない、華北は非武装地帯にすればいい、満州国は黙認でかまわない、日本が中国に持っている権益を放棄するといった内容です。

蒋介石は1度これに乗りますが、交渉の途中で、南京が陥落したという報を受け、広田弘毅外相と首相の近衛文麿は、突如、条件をつり上げてしまうのです。結局、交渉は不調に終わりました。以上、日中戦争を終結されることが可能だったと思うのです。

実際、異論がある方もいろとは思いますが、この後になると日中問題を解決して日米の対決を避けるのは、かなり難しくなるのです。この大切なポイントを日本はすべて見逃してしまいました。今風に言えば、日本国は中国大陸という巨大な不良債権を抱えていました。攻めるのは簡単ですが、撤退する時には一番勇気がいるのです。

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