湾内に浮かぶ二百数十の島々、それだけでも驚いてしまうのに、島のひとつひとつが何かを連想させるような奇異な形をしているのです。こうした松島の絶景は、平安時代から京にまで噂が届いたといいます。
松島紀行関係は中世から書かれており、松尾芭蕉以前に松島を喧伝したものには、宗因の「松島一見記」、大淀三千風の「松島眺望集」などがあります。三千風は「日本行脚文集」の巻頭に本朝十二絶景をあげ、第一に富士山を見る駿河田子、第二に奥州松島をあげています。
1643年に出版された「日本国事跡考」に、松島のながめを日本三景の一つにしています。これらにより松島は知られるようになったのですが、当時の交通事情からして奥州は遠い国であり、わざわざ風景を見るために旅立つ者などはいませんでした。
しかし松尾芭蕉の「おくのほそ道」が出されると、移りゆく湾内の景色を映した名文に影響されて、是非一生に一度は見たいと訪れる俳人が現れるのです。松尾芭蕉の弟子・各務支考がいます。彼の目的は門弟獲得のためというところもありましたが、桃隣や青房、北華など、純粋に松尾芭蕉を慕って奥州へ旅立った俳人も少なくないのです。
時代が過ぎると、俳諧の宗匠たる者は、「おくのほそ道」を辿って松島は見ておかないと示しがつかないという風潮さえでてきたらしく、多くの俳人たちが次々と松島を訪れています。文人で画家の中山高陽は1772年に仙台を訪れたときに地元の俳人五城から聞いた話として次のようなことを書いています。
「仙台は奥に松島を控えているので、遊覧客が多い。また近年は無類の輩が松島一見の行脚人とし称してやって来て、いろいろと悪いことをするので、仙台の人は懲りて、こうした者を快く思っていない。だからちゃんとした理由があって来た人とか、姓名が知られている文人だけとしか、親しみ交わらない」(奥遊日録)
俳諧宗匠がやってくると、地元の俳人達はこの宗匠とともに連句の座に連なる事を楽しみに、宿泊、食事はもちろんのこと、名所旧跡の案内にいたるまですべてが無償で行う。自称宗匠は毎日遊び暮らし、連句会がいつ開かれるのかと聞かれれば笑って一日延ばしにし、いつの間にか姿を消してしまう者が紛れ込むほど、松島を訪れる俳人は多くなったのです。
五城のこの話は、仙台に限ったことではなく、俳諧を楽しむ者が多くなると、作品を作るのにも欲が出て、きちんと宗匠に添削してもらいたいとか、ともに歌仙を巻いて高度な遊びを体験してみたいと言う者は、地方に行けば行くほど多かったと言います。
俳諧宗匠はこうした人を相手に俳諧を教え、その教科書でどこまでも旅を続けることが出来たのです。ニセ宗匠に一杯食らわせられたという話は、全国的にありました。松島が今も観光客を引き付けているのは、「おくのほそ道」のおかげ、といっても過言ではありません。しかし「おくのほそ道」には、松尾芭蕉が松島を詠んだ句は載っていません。
載っているのは芭蕉と一緒に旅をした曾良の「松嶋や鶴に身をかれほととぎす」だけです。曾良はこの奥州行脚で芭蕉が詠んだ句を書き付けていたが、旅日記には芭蕉の松島の句は記されていないのです。「松島やああ松島や松島や」という句をよく聞きますよね。
芭蕉はこの絶景を前にしてあらわす言葉を失い、ただこう言って口をつぐんだと言われていますが、これを作ったのは相模の田原坊という俳人と言う事が分かっています。いつの間にか、芭蕉でさえ絶句してしまった風景という話が作り出されてしまったのでしょう。
松尾芭蕉が句を作らなかったはずがないという思い込みもあったのだろうか。松尾芭蕉に松島を詠んだ句がないことを知って一番残念に思ったのは、地元の民だったに違いありません。(笑)
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