9月20日の日記に、亡父の軍歴証明書を申請中である事を書きました。
少し前になりますが、この証明書が届きました。
早速コピーを取って、弟に渡しましたが、
今日、今回の一連の話の発端になった、旧第14師団の研究をしている方に会って、
そのコピーを差し上げ、ついでに先日書いたラジオ番組の録音もお貸ししました。
軍歴証明書は、軍歴関係の資料からその中で特にポイントを抜き出したもので、
原資料は軍内部での履歴書のようなもので、そこに細かく実績が書かれていました。
原資料のコピーも群馬県から送って頂きましたが、
内地における履歴書と外地における履歴書の2通りになっていて、
特に外地の履歴書はびっしりと細かい字で書かれていて、
これを読むのは大変な労力だったと思います。
毎年お盆過ぎには、軍歴証明書の申請が多くなるとの事でしたが、
時間が掛かったのも分かる気がしました。
親父は、1914年(大正3年)生まれですが、
群馬県の沼田中学卒業後、東京に出て1年余り勤めた後、
1933年(昭和8年)12月1日に入営しています。
12月10日には満州に派遣されたため大阪港を出帆しています。
翌年5月に帰国し、その後一等兵・上等兵と出世し、
12月1に豊橋教導学校に派遣され、
約1年後に卒業して伍長になっています。
1936年(昭和11年)2月26日に2・26事件が起こりますが、
この鎮圧に派遣された話は親父から聴いていましたが、
その件は履歴に残っていません。
その年の12月に軍曹になっています。
1937年(昭和12年)に中国の河北省に派遣され、日中戦争に参戦しています。
履歴には、河北省・河南省山東省の戦闘に参戦した事が記されています。
その後、1939年(昭和14年)に帰国し、
騎兵18連隊が捜索第14連隊に改編され、
1940年(昭和15年)に満州に駐屯し、
1942年(昭和17年)に捜索第14連隊の准尉に昇進しています。
1944年(昭和19年)に満州からパラオに派遣され、そこで終戦となり、
1945年(昭和20年)に浦賀に上陸して復員しています。
上記が軍歴証明書の内容ですが、
日中戦争の頃はともかく、
満州での駐屯の際などは余り戦闘がなかったようですし、
パラオでは、空襲はありましたが、アメリカ軍との実際の戦闘はなかったので、
運が良かったような感じで、それで無事に帰国出来たような気がします。
だから僕が生まれた訳ですが。
外地での履歴は、前述のように細かい文字でびっしりと書かれていて、
先日帰宅した長男が、よくこれだけ書いたと驚いていました。
この履歴も、その内じっくりと読んでみたいと思います。
昨日買ったハズキルーペが活躍しそうです。
【今日の一句】
平(たいら)でいい 洗濯板の スレンダー
ログインしてコメントを確認・投稿する