ここでは、主に高校の先生の批判をしますが、予備校や大学の先生も同じことです。
名門中高一貫校というものがあります。
学力も人柄も素晴らしいです。一人娘さんをその上の大学(高校は公立名門校)に入れた友人も言っていました。「下から上がってきた友人は、家に茶室がありお抱え運転手がいるような大金持ちだが、人柄がよく娘のいい友達になってくれた。」
実はわが娘もそこに入れようと思いましたが、お母さん同士の付き合いが大変そう(ちょっとお茶飲んでも一流店の豪華なケーキセット)なのでやめました。
名門中高一貫校は、親がいいという共通点があります。
だから、何も教えなくてもいいという部分があります。
そこから、東大に入っても高校のせいではなく、親のせいです。だけども、自分のおかげだと思ってしまうのでしょうね。そうではありません。学校で教えないところが解けるのは彼ら。学校以外で学力を養成している部分が多いということです。
親がどうであれ、いい教育をしているのは、旧制七年制高校、成蹊、成城、学習院、学習院女子、武蔵です。
名前は伏せますが、全然ダメなところもあります。アッと驚くような名門国立のひとつです。
一般に、学校の力は衰退しています。
たとえば、
「…ではあるいはあるまいかとの戦きを覚え、心も虚ろだ。」
を
1 朗読せよ
2 大意を述べよ
という問題を毎年課していますが、今年は受験学年ですら、全滅に近いです。
解けるのはいいところのお嬢さんだけです。
前半は、「彼が犯人ではあるいはあるまいか」という文を作れば、「疑っているのだ」とわかります。
「戦き」は「センき」とは読めません。音読みは原則としてサ変になるからです。訓読みです。
では、訓読みとは何かというと、一種の 日本語訳です。意味を探ることから出発しないといけません。漢字の意味を探るのは、連文を作るのが一番です。「戦慄」これでわかるのですが。
このようなことを、学校では教わっていないですね。親兄弟と中身のある会話をしているうちになんとなく身につけるのでしょう。
今や、レベルの中の上くらいの子どもは、
日本語ができません。
評論が読めないなどと言う生易しいレベルではなく、日本語ができないのです。
ちなみに、成蹊小学校という名門は、
小学生に「昨日起きた出来事」を原稿用紙三枚、毎日、書かせるそうです。
書くことがなくなって。お母さんの見ているドラマの筋を書く子も出たということですが、そういう子はものすごい要約力と口語の運用能力を持っています。
素晴らしい。
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