mixiユーザー(id:4380531)

2024年05月14日22:00

168 view

映画『裸足になって』

『裸足になって』(フランス,アルジェリア)
フォト
自国アルジェリアで上映禁止となった『パピチャ 未来へのランウェイ』に続くムニア・メドゥール監督作品。主演も同じくリナ・クードリが務める。彼女は以降も『オートクチュール』『GAGARINE/ガガーリン』『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』と、立て続けに映画出演を果たしておりすっかり売れっ子女優。今作では都合4回披露されるダンスシーンが見せ場で、未経験から約8ヶ月のレッスンでエネルギッシュに挑む姿は埋もれない個性を感じる。
フォト
ムニア・メドゥール監督は今回も、アルジェリア内戦の傷跡が様々なカタチで女性たちの自由を弾圧する社会構造を綴る。史実に沿うため悲劇の結末を迎えた『パピチャ 未来へのランウェイ』と異なるのは、立ち向かう勇気と希望を持ったエンディングで締め括られるところ。手話をモチーフにしたコンテンポラリーダンスによって、肉体表現で想いを訴える終盤は目が離せない。
フォト
清掃員をしながらバレエダンサーを目指しレッスンに励むフーリア(リナ・クードリ)は、母親の自家用車を買うため闘山羊賭博に手を出したことから、テロリストあがりの男アリから逆恨みを買う。絡み合って階段から突き落とされたフーリアは足首を骨折する重傷を負い、バレエダンサーへの道を閉ざされてしまう。ショック性の失語症を患ったフーリアは失意のどん底でもがき苦しむ。そんなリハビリ施設で心に傷を抱えるろう者の女性たちと出会うフーリア。内戦で息子を失った精神疾患の中年女性、敵軍の捕虜となり地獄を経験し自閉症となった姉妹、両親を失った天涯孤独の18歳少女。辛い過去を背負いながらも仲間同志で励まし合い、笑顔を絶やさず生きている彼女たちを見たフーリアは、手話を覚えてコミュニケーションを取ろうと行動を共にし、骨折の回復に合わせて彼女たちにダンスを教えることになる。目指すはこのメンバーでステージに立って踊ること。
フォト
定番的展開を想像すると、このろうあ者ダンスチームが紆余曲折を乗り越え結束し、大会出場を目指して互いの心を通わせるサクセスストーリーを予想するところ。実際フランス映画でもその手の作品は多く、最近では『シャイニー・シュリンプス!』(2021年)が典型的。ところがこの作品の行方はまったく違う方向に展開する。
フォト
夢を語り合っていた親友のソニア(アミラ・イルダ・ドゥアウダ)が、スペイン亡命途中のボート事故で死亡。悲しみに暮れるフーリアの前に、逮捕収監されたはずのアリが再び現れる。元テロリストのアリは「恩赦」と呼ばれる暗黙ルールによって罪を犯しても事実上罰せらない特権を持っていたのだ。この辺の背景は観ていてもよくは判らないが、警察のフーリアに対する横柄な態度を見ていれば、イスラム圏社会事情に詳しい者には解説が不要なのだろう。アルジェリアは1999年制定の市民協約によって、治安回復と引き換えにテロ事件の責任は曖味にされた歴史が残っている。これには頼みの市民派女性弁護士も弱腰で協力を拒む始末。更にはこのアリの仕業によってダンスの練習スタジオが使用できなくなり、フーリアが買った母親の自家用車も目の前で窓を割られてしまう。この国で女性たちが好きなことを自由に行うのは不可能なのか。仲間と再びダンスへ打ち込もうとするフーリアは、もう1度情熱を取り戻すことができるのか。
フォト
この監督は相変わらず寄りのアングルが多く、車中のシーンなどはアップ過ぎて誰が運転していて誰が喋っているのかもよくわからない。今回はダンスシーンでビヨンセの「Single Ladies」が劇中音楽として使われるので現代劇。従って時代背景的に映したくない風景が多かった前作とは違うはず。この監督は敢えてこのアップ撮り手法を取り入れているとしか思えない。陽射しの反射や自然光を取り入れた映像がアップ場面で生かされている効果は感じるが、見せ場のダンスシーンでも引きアングルがないのはストレス。
フォト
とにかくこの監督は役者の顔で語りを入れたいらしく、逃げずに立ち向かう手段も徹底して寄りで表現する。大げさな演技や台詞、音楽などで過剰に盛り上げたり泣かせたりしないところは好感度が高いが、お国事情に疎いこちらとしては、もう少し背景を語ってもらえるとありがたい。
フォト
『パピチャ 未来へのランウェイ』同様に男尊女卑が露骨に描かれるアルジェリアの社会構造は、宗教的抑圧も含めて理不尽極まりない出来事が繰り返される。女性達の生きる環境は常に弾圧されており、自分らしく生きることが許されない実情が、過去ではなく現代の物語であるところに『バービー』で描かれる多様性を問う作品との抜本的な民意の隔たりを感じざるを得ない。精神疾患の中年女性が、息子の形見(?)のネックレスを銅像に掛けるため池に入っていくシーンは涙腺崩壊必至だったが、その理不尽な人々への救いの兆しがないことは如何ともしがたい歯がゆさが募る。
フォト
決して屈しないフーリアは凛々しく逞しい。冒頭のヘッドフォンをしてバレエの稽古をする屋上シーン。画面的には無音の状況で激しいダンスを見せて、ごまかしの効かないリナ・クードリの果敢な挑戦を感じる。トウシューズを脱いだ血まみれの足指描写も含めてバレエにかける思いが強烈にインプットされ、以降の悲痛な展開への繋ぎ方が秀逸。ラストのダンスは冒頭の屋上でのクラシックバレエとは違うコンテンポラリーダンスで、フーリアが踊り続ける理由の変化を表している。彼女たちの問題はなにも解決されていないだけに、闘う覚悟を決めた強い意志を感じるラストカットは鳥肌モノのカッコよさ。リナ・クードリの次回作には期待しかない。

<映画レビューを切通理作さんのメルマガ内にて連載しています>
月2回配信、購読開始から1ヶ月無料
http://yakan-hiko.com/risaku.html
切通理作編集メールマガジン『映画の友よ』
【 料金(税込) 】 660円 / 月
【 発行周期 】 月2回配信
【 最新発行日 】2024年4月30日
映画の友よ Vol.244, 245
<『おらが村のツチノコ騒動記』『マリア 怒りの娘』>
<『iké boys イケボーイズ』『パスト ライブス 再会』『オッペンハイマー』>
15 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年05月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031