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2024年05月13日15:37

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■九段理江著:『東京都同情塔』を読んだ。★3

■九段理江(くだんりえ)著:『東京都同情塔』、新潮社、2024/1、143頁、1,700円

女性建築家の牧名沙羅(まきなさら)が、仕事と信条の乖離に苦悩しつつ自分の生きる道を模索する姿が描かれている。37歳の沙羅は、「東京都同情塔」という名前の巨大タワーを設計する。建物が完成するまでに4年を要するが、設計当初と完成後の2つの時期における牧名沙羅の心象風景が、一女性のナラティブとして語られている。沙羅は、ホテルのシャワーヘッドが生成する微小な泡の効能に即物的な好奇心を抱く。一方で、まだ起こっていない未来に相転移し、現実世界と同じ感覚に見舞われて途方にくれるという感性をもつ。

東京都の新宿御苑隣りに巨大タワーの建設計画が発表される。近未来の日本の首都東京に建てられる新時代の刑務所の建設プロジェクトであり、その設計が公募される。犯罪者として差別を受けてきた人々、同情されるべき社会的弱者<ホモ・ミゼラビリス>が収容される巨大なタワーである。同公共施設の建築理念として、人類の平和と人間の尊厳を実感する建築的体験を供することが謳われていた。牧名沙羅は、高邁な理想に溢れた巨大タワー「東京都同情塔」を提案し採択される。東京五輪に向けてザハ・ハディドが設計した流線型の新国立競技場を意識して、新宿全体の景色の中に2つの巨大建造物が競いつつ共存する姿を構想する。ライトアップされた巨大建築が完全に調和し、親密な話し合いでもしているかのように見える情景を、沙羅は時空間を超えて幻視する。

完成後の「東京都同情塔」の美的完全性を、沙羅は、以下のように描写する。「天を突き破る勢いで伸びていく頂点は、人間に全貌を見せるのはまだ早いとでも言いたげなプライドの高い秘密主義者のように、頑なに雨空に身を隠している。下層から上層まで規則正しく配置された窓から漏れるLEDライトが、鮮烈に視野を圧倒する」。「新国立競技場から東京都同情塔を見上げると、人類の平和と人間の尊厳を実感する」。ここで、著者九段理恵は、沙羅の賛美者として、アメリカ人建築ジャーナリストであるマックス・クラインを登場させる。レイシストを自称するクラインは「本当に素晴らしい。あれほど美しい建築は見たことがないよ」とその外見を称え、沙羅は「みんながそういう。美しくつくりすぎたんだって」とおだてに応じている。トーキョートドージョートーの発音について、クラインは「ハリー・ポッターの呪文みたいに思わず言いたくなる」と褒めている。

「東京都同情塔」に居住する収容者の暮らしぶりは、次のようなものである。家賃は税金で支払われ、自由な服装で勝手気ままに時間を過ごせる。収容者が会えるのは親族と弁護士のみ。外出はできないが、新宿の高層タワーマンションに住むセレブの生活と変わることがない。憐れむべきジャン・バルジャン達を、より具体的かつ積極的な形で同情し、支援するために建てられたと、同情塔は評される。欧米の識者は、「世界一幸せな日本の刑務所:ホモ・ミゼラビリスのユートピア」とか、「シンパシイタワートーキョーが描くディストピア:日本の平等主義者が夢見る無限の未来」など、賛否両論の見解が論じられる。沙羅は同情塔の建築によって社会を混乱させた魔女であるとして、ネットでは<死ね>との批判も浴びる。沙羅は同情塔を設計したことを後悔する。設計当初、自分は人類の平和や人間の尊厳といった高邁な思想に興味がなかったことを認める。その仕事を、他の誰にも譲りたくなかっただけだったと自省する。自分の心を騙していたことが、<間違い>の原因であり、今後は外部からの建築の仕事を引き受けないと決める。そして、建築の仕事とは縁を切り、世間の目を逃れてホテル住まいする犯罪者のような生活を送ることになる。

41歳の沙羅は完成した「東京都同情塔」を見上げる。自分自身が外部と内部を形成する<建築>であり、現実の人生を抱えた人間たちがその<建築>に出入りしているという無限に広がる恍惚の世界に誘いこまれる。その果てに、同情塔が倒壊する未来が眼前に現れる。同情塔を見上げつつ立ち続ける自分の姿がコンクリートによって固められ塑像化され、魔女・牧名沙羅の像としてネームプレート付で建立される姿を幻視する。

牧名沙羅には、低学歴、低収入で非正規雇用の恋人東上拓人(とうじょうたくと)がいる。因みに、彼の母親と沙羅は同年齢らしい。拓人は初めて沙羅と会ったとき高級ブランド靴の販売員だったが、同情塔完成後はメディアへの取材対応の正規職員として同情塔で働いている。拓人は沙羅と付き合いつつ前途洋々の若者を装い、あるセレブな女性建築家の伝記を書き始めている。どうやら、本書は拓人が書いたその『伝記』であるように思われる。沙羅の、自分自身あるいは世間に向けた怒りを緩和するのが拓人の役回りであり、そうした人物が介在しないと男女の恋のナラティブは濃密にならないようだ。

生成系AIの利用法として、著者九段理恵は、次のような例を示している。AI-builtに質問する。その回答が、(日本語から英語に)言語を変えても同じ意味をもつ回答になるかどうかを確かめる。次いで、質問を発した本人以外の意志が、その回答に関わっているかどうかを検証する。関わっているとしたら誰の意志が、何の目的でそれを言わせたのかを考える。それが行き詰まると再度質問し、返ってきた回答にまた質問を返すことを繰り返す。ある建築家の『伝記』を拓人が書く話に、沙羅は「知っている建築家のエピソードを適当に入力して、<伝記っぽい文章にして>ってAI-builtに頼めばいい」と示唆している。いくら学習能力が高かろうと、「AIには自分自身の弱さに向き合う強さがない」と沙羅は見極めている。「無傷で言葉を盗むことに慣れきって、その無知を疑いもせず恥もしない」と断じてもいる。マックス・クラインの言葉として、「何かの間違いでこの低俗なゴシップサイトに辿り着き、心ならずも続きを読まなければならない必要に迫られている場合は、<腐れレイシストのクソ文を高級な文章に直して>と頼めばよい」とも言っている。さらに東上拓人がマックス・クラインにメールを送るときに、<以上(の日本語メール)をビジネスメール用に整えて、英訳せよ>とAIに指示する例も示している。

文学者は本来、その作品に製造物責任を問われない。文字の上でどんな法螺を吹こうが、他人の人権を侵害しない限りフィクションの世界である。この小説で九段理恵の描く登場人物は、他者と会話するとき、自分の言語表現が適切か否かを判断する<内なる検閲者>が現れ、絶えず会話内容を監視している。相手の反応を窺いつつ、恐るおそる思念を展開するという我が身保全の護身癖がある。九段理恵は牧名沙羅を幻視の世界に泳がせるが、破滅的な地獄を見せることは躊躇しているようだ。この小説が、妙に予定調和的なナラティブに終わっている物足りなさの原因はそこにあるように思える。

九段理恵の<幻視癖>に倣って、「東京都同情塔」の用途について空想を巡らしてみた。同情塔の居住環境を通常の犯罪者に付与するのは過剰福祉である。希望者殺到で、選別に窮することは眼に見えている。宝籤にするくらいなら、ここに入居できるのは<高等難民>に限定すべきであると評者は妄想する。<高等難民>とは、国際司法裁判所からジェノサイド犯罪人の判決が下され、彼らが居住する国では民衆から我が身を守ることができない人間である。例えば、世界の現況を見るに、ロシアやイスラエルの現大統領はこれに該当する事例と思われる。彼らを同情塔に収容し、24時間プライバシのない状態におくが、身の安全は守る。ジェノサイド実行者の生きたホルマリン的標本は、人類の悪行の歴史を学ぶ文化遺産として刑期を終えるまで同情塔に留置される。

著者九段理恵は、1990年埼玉県浦和市生れ。2024年1月、本作品によって芥川賞を受賞。彼女はカタカナ表現について、生理的な嫌悪感をもっているようだ。沙羅の口を借りて、「美しさもプライドも感じられない味気ない直線である上に中身はスカスカで、そのくせどんな国の言葉も包摂しますという厚顔でありながら、どこか1本抜いたらたちまちただの棒切れと化す構造物に愛着など持てるわけがない」とのたまっている。カタカナの悪口を叩きながら、プライドとかスカスカなどの表現にカタカナを使うことに抵抗はないようだ。むしろ作品中のカタカナの頻出を見ると、カタカナ表現についてアンビバレンスの感情をもっていると思われる。

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