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2024年04月30日05:40

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九段の母

  九段の母
 明け方、雨が強い。室内にいても家を叩き雨垂れの音で目が覚める。大地を潤す自然の雨には感謝だ。物悲しい気分になる。外に出るに傘がいらからか。歩くにも難渋するのだ。内省。
 昨日は桑名まで長良川堤防道路を走った。信号がほとんどない。片道1時間のドライブだ。大切な渡しものの用事。CDは確認した。万一、音が聞こえなければUSBをすぐに渡す。警戒心は半端でない。異常なくらい用心深いのだ。これに基づき進展するからだ。お茶を呼ばれ楽しい会話をした。帰りは県立図書館へ立ち寄り借りてた山の本五冊を返した。地元に戻った気やすさから一息をカラオケ喫茶店で珈琲だ。自分はまだ上手い人の唄を聴くのが好きだ。マイクを握るのは‥。もしも敢えて歌ってみたい曲がある。それが「九段の母」だ。昭和14年西暦1939年で男性歌手がだした。島倉千代子のカバーは高音で震えがとてもよい。
 この世におぎゃと生まれ、育ち、一人前に、家庭を持ち、そして去っていく。お釈迦さまの説いた生老病死の悩みにどっぷりとつかる身であれば思いは千々に飛ぶ。人生最後は老衰が最も自然だろう。事件事故に巻き込まれてやたら命を落とすことがある。2,500年前孔子の高弟であるある曾子の今際の際「四体満足で親からもらった身体を傷つけず去る。」ことの安堵を述べた。身体を自ら傷つけるなどとんでもない親不孝なのだ。現代は医療技術が進んだ。昔と比較すれば一目瞭然。戦前の田舎では盲腸になっただけで死んだのだ。敗戦後間もない昭和二〇年代自分と岐阜の郊外農村地帯でよく遊んでいた少年が青梅を食べてそのまま腹痛から死んだ。いつもニコニコしていた男の子だった。ときたま思い出す。
 この世は恐ろしい。集団的計画的に人を殺すからだ。戦争という名のもとで。昔でなく今も続いているのだ。人間は殺し殺すことが大好きなのだ。太古から感情は変わっていない。九段の母は戦前の歌で軍歌という。この時代背景はその身を実際に呈したものにしかわからない。昭和三十年代後半我が家にもテレビがきた。、ワイドショーで一般参加の婦人が「息子の一人が戦死した。これで世間に顔向けできた。」と発言。普通の女性に衝撃を受けた。地元書籍でこんな手記があった。母の悲しみだ。
支那大陸で負傷した兵士が野戦病院で治療に当たっていた。同病棟には包帯でぐるぐるに巻かれた重症な若い兵隊がいた。内地送還だ。三重県四日市の陸軍病院に二人とも移された。重傷兵はうめき声をあげる。それも発せられなくなり名誉の戦死だ。最後に立ち会った母親はやおら上着をはらけ乳房を出し息子の名前を呼びながら狂ったように乳房を息をしない息子の口に押し当てた。母一人子一人の家族だった。翌日この陸軍病院から遺体が運ばれた。そばには腑抜け状態の母親がいた。涙で見送る看護婦病院関係者、入院患者らも皆冥福を祈ったという。大東亜戦争で日本人330万人が死んだ。中国人1,000万人、アジア人、戦った敵国兵もだ。どれだけの人が死に人生を終えたか、悲しみの遺族の数は。自分は浅草反対論者だ。このまま高齢で身体のガタが来て朽ち去ることを、幸せとせなければ。単なる自己満足で終わりたくはない。充実した生活のもと最後を迎えたい願いは強くなるばかりだ。避けられない事案が目の前まできた。
 泥沼で老亀は楽しく遊んでいるのだ。
https://m.youtube.com/watch?v=y66KidxC4Ew
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