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2024年05月19日04:28

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食べるということ

 
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 昨夕は電気炊飯器でまぁまぁの程度なご飯が炊けた。一合の量で水を内釜の目盛り1丁度に合わせた。いつもは多めになっている。それで柔らかなベトベトだ。何日もおひつに残り固くなるの。それで柔らかめ。お椀に少し盛り付けて鯵フライと頂く。今回は早く食べ終わらないとバリバリになろうて。高齢になり一人暮らしをしてる。衣食住と人が生きてくうえで大切なものがある。昔から身に染みて分かってるつもりだ。自分は日々の暮らしから食事の大変さを実感する。毎朝の目覚め。残り少なくなった人生をどうするかのとてつもない悩みから飯の都合も考える。食べるという収入確保の問題は幸い何とかできてる。老齢厚生年金は確保だ。若い時から少ない月給から天引き保険料は大きかった。当時の物価水準から換算して自分が元を取るためには90歳まで生きなければならないだろう。健康保険料が年金から自動引き落としとなってる。実際の手取りだけで生活はできそうもない。年金が一本化されて公務員らはサラリーマンらの保険料を上手いこと退職者の収入に組み込まれてしまっている。事務所は一応社会保険労務士の看板をあげてる。相談には乗ってる。「年金破綻するのではないか。」と話題が出る。それに対し「マスコミが触れるように少子高齢化でこのままでは年金財源が不足するのは明らか。負担は、本人、会社、そして国の三本柱から成り立ってる。消費税が3%から10%まで引き上げられて来た。目の前で20から50%にと税金あげれば収入は確保される。何の心配ない。」と話す。いくら何でも年金破綻は無くても生活がたまったもんでない^_^。
 二宮尊徳は近代日本で大変尊敬されている。幕末の日本史で一市井民から徳川幕府に重用まで上り詰めた。明治以降も二宮尊徳を見習おうと気運は続く。尊徳翁の言行録を読み実績を見れば感嘆だ。お爺ちゃんがまだ紅顔の少年のころ小学校正門に二宮金次郎の素焼き像があった。毎日眺めながら通学だ。やがて先生から説明がされて畏敬の思いだ。少年時代、二宮尊徳は両親が水害で死に幼いいもうと弟を抱えた極貧生活だった。弛まない勤勉と工夫で一家を起こし地域のリーダー、やがて小田原藩に知れ開墾を任された。傾いた徳川幕府の農業政策を再起している。まさに立派な人生を歩まれた。さて唐突にこの話を上げたのではない。当時の税金は五公五民と称された年貢米献上で藩主に提出だ。実際の取られ方は七公三民とまでいわれている。百姓で米を作っても口には入らない。これが山里になれば元々が米作に適しないのを一生懸命木を切り山を開き水を引いたのだ。貧しい民は臨終の際にせめてと竹筒に入れた米の音を振って聞かせたという。二宮金次郎少年は大人顔向けの考えを次から次に出し実行した。利殖家だ。まず菜種を堤防など公の土地に植えて実れば採取し売って現金を蓄えた。夜の明かりは蝋燭か菜種油の行燈。ロウはハゼの木から。油は確かに鰯など魚からも採取は可能だけど臭いが臭いから当時でも敬遠だ。秋刀魚、鰯、鯖が無性に食べたくなるがやはり昭和三十年代の外で七輪が最高だったなぁ。金次郎少年は他の農家の手伝いをしていた。身体が大きく丈夫だった。よく本を読んでいる。本は借りてた。破れなどあれば丁寧に補修して返した。立派な心掛け。蔵書家はそりゃ本を大切にするよ。今も昔も変わらずに。信用できるわなぁ。堤防など公の土地で栽培された作物は税は取られなかった。お目溢し。米が命の政治だった。あちこちに菜種を植え自然に育ったのを金次郎は集め商人に売っていった。チリも積もれば山。小金ができ始めた。その金を知った農民に貸したのだ。例えば七両を貸す。翌月から毎月一両づつを七回返してもらうのだ。これで元金は終わる。八回目がある。ここで一両を出してもらう。金利になる。たくみだったのは報恩金名目で徴収だ。義理人情に厚い当時の農民は喜んで報徳金を払った。数字に疎い爺ちゃんの計算では年利15%程度になろうか。それが雪だるま式に増えていく。種銭投入も。かくして青年になる頃は自作農地も持てた。これも税を払わないあちこちの栽培からだ。
 消費税という間接税がもっともっとも過重になるのだ。どうすればいいか。明確だ。合法的に払わない方法を取ること。野菜、果物、お米などがこちらの田舎道に無人販売だ。百円入れてもらってくの。零細小規模者にはインボイスは無理だなぁ^_^。免税非課税はどうしても出てくる。法律で全てが規制できるのではないよ。日本は法治国家なのだ。抽象的な言葉では網を全てにかけれない。
 こんな実例をいう。日本の敗戦で全てが混乱を極めた。国民は食べることに死に物狂いな毎日だった。配給制度は戦時中から統制品として続く。東京での暮らしは食事が大変だ。田舎に住みお母さんから警視総監あて投書質問があった。「飢えに苦しむ一人息子に何とか米を送りたい。どうすればいいか。」と。子を想う母親からの切なる訴えだ。警視総監は次の返事を書いた。「お米を餅にして送ってやって。」だ。自分も法律関係の仕事を長年してるが、厳格解釈では餅はコメではないよ。米を原料にして二次的に作られた。年配者が好物な煎餅あられもね。法律論争になろうか。なぜこんな問題が出るのか。根元は「道徳が人としての規律をする。法は道徳の一部にしか過ぎない。」というテーゼを挙げておく。法哲学に誘ってしまった^_^。
 とんだ脱線をお許しくださいませ。消費税は上がるばかり。それじゃどうするか。やはり田舎山里で半農半狩無為自然の生活をオイラは夢見る。
 良い一日を。
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