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2024年04月14日00:16

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宇和島紀行22 来応寺/ かどや駅前本店

 3月21日木曜日は南楽園散策の後、宇和島バス岩松支線線の南楽園1633時発立間(タツマ)駅前行T20系統に乗車し、1657時着の番城(バンジョウ)小学校前で下車しました。運賃は560円です。
 バス停から西北へ向かい、来村(クノムラ)川の橋を渡ると臨済宗妙心寺派真正山来応寺があります。
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 来応寺は、至徳2(1385)年に首宗賢禅(シュソウケンゼン)が開山した寺院で、本尊は薬師如来です。戦国時代には来村西園寺(クノムラサイオンジ)氏の菩提寺となります。
 西園寺氏は太政大臣を極官とする清華(セイガ)家の名門公家ですが、鎌倉時代には南伊予の宇和荘領家職(リョウケシキ)を務めていました。南北朝時代に内大臣西園寺実衡(1288〜1326)の庶子西園寺公良(サイオンジキミヨシ)が宇和荘へ下向して土着し、宇和郡一帯を支配下に置きます。伊予西園寺氏の本拠地は松葉(現;西予市宇和町卯之町)でした。そして戦国時代になると、松葉の左近衛少将西園寺実充(サイオンジサネミツ;1510〜65)の弟である公宣(キミノブ)が現宇和島市南部の領主となり、その子西園寺宣久(サイオンジノブヒサ;?〜1580)が亀ヶ淵城を本拠として勢力を伸ばしました。これが来村西園寺氏です。
 弘治2(1556)年、松葉の西園寺実充は伊予大洲の宇都宮豊綱の猛攻を受け、唯一の男子である公高(キンタカ;1538〜56)が戦死してしまいました。そこで実充は、宣久の弟で来応寺住持だった公広(キンヒロ;1537〜88)を還俗させて嗣子としています。
 天正3(1575)年に来村西園寺宣久は亀ヶ淵城から板島丸串城へ本拠を移しました。宣久が支配した領域は、ほぼ平成17(2005)年合併前の宇和島市の地域と同じです。
 宣久は天正4(1576)年頃に伊勢神宮参詣の旅を行い、その時に和歌24首・俳諧5句を含めた紀行文『伊勢参宮海陸の記』を執筆していますが、それを見ると、宣久が歌道や連歌の素養が深い人物だった事が判ります。三間(ミマ)の仏木寺(ブツモクジ)《https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987356316&owner_id=250900》の文書が兵乱のため奪われたのを宣久が取り戻した記録もあり、文化の保護に熱心だった事が窺えます。『伊勢参宮海陸の記』に載る宣久の代表作には以下の様な歌や句があります。
 「鳰海(ニオノミ)の ほとりを行けば くるる日に 山田やば瀬の 舟よばふ声」
 「花に出て 月にかりねの 都かな」
 「幾仮寝 今宵ぞ萩が 花の宿」
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 宣久の子信久は天正12(1584)年頃に土佐の長宗我部元親の傘下に入り、天正13(1585)年に内大臣羽柴秀吉が四国攻めを行うと来村西園寺信久は降伏しますが、天正15(1587)年に宇和の領主となった戸田勝隆は検地に反対する西園寺旧臣の一揆に遭い、西園寺公広がこの背後にいると疑って謀殺、その際に来応寺は破壊されてしまい、庵主桃林良朔(トウリンリョウサク)が、ただ一人勤行を続けるだけの状況に零落しましたが、江戸時代になって復興しました。
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 山門です。
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 本堂です。
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 鐘楼です。
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 門前には西園寺宣久〔宇和島市指定史跡〕があります。
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 宣久は天正8(1580)年5月18日に病のため死去しています。享年は不明ですが、若年での死だったと伝えられています。
 辞世の歌二首が伝えられています。
 「朝な夕な 何に心を 尽してや いたづら事に けふとこそなれ」
 「世の中は 皆偽りの 其内に 此一言の まことなりけり」
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 法名は「後西園寺殿羽林郎将永桃道宗大居士」で、住民から「後西園寺様」として崇敬を受け、旧暦3月と10月の18日を祭日としています。
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 墓は高さ160cmの宝篋印塔です。
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 宣久の歌碑です。
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 「幾仮寝(イクカリネ) 今宵(コヨイ)ぞ萩が 花の宿」
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 この後、番城小学校前BSへ戻り、宇和島バス宇和島市内線の1730時発の赤松行S20系統に乗車、1749時着の宇和島駅前で下車しました。運賃は190円です。
 この日の夕食は宇和島を代表する和食店である「かどや駅前本店」で摂る事にしました。
https://www.google.com/maps/place/%E3%81%8B%E3%81%A9%E3%82%84+%E9%A7%85%E5%89%8D%E6%9C%AC%E5%BA%97/@33.2249783,132.566046,20z/data=!4m14!1m7!3m6!1s0x35458aa113322363:0x69c1d540bf943ebd!2z5p2l5b-c5a-6!8m2!3d33.204725!4d132.547264!16s%2Fg%2F121hr9f5!3m5!1s0x354f61c92ebaaeed:0x63115a7a8633e4cf!8m2!3d33.2249264!4d132.5660125!16s%2Fg%2F1td7l2zt?entry=ttu
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 昭和30(1955)年創業で、鯛めし・さつま飯・じゃこ天等の宇和島郷土料理の店として知られています。
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 先ずはビールexclamation
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 鯛めし・さつま飯・じゃこ天は既に食べているので「天ぷら御膳1617円也」を注文しました。
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 なかなか豪勢な料理でした。
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 天麩羅はメッチャ美味しかったです。
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 茶碗蒸しです。
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 宇和島ターミナルホテルに帰ってからは、南楽園で購入していた郷土菓子の唐饅頭(トウマンジュウ)を食べてみました。小麦粉と水飴を練った生地で白砂糖の柚子(ユズ)の風味餡を包んであり、底部に胡麻を振った物をオーブンで焼き上げてあります。予想よりも歯応えのある御菓子でした。
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《続く》
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