今年から、note記事を有料にした。
『夜の大捜査線』→ズーミング→カメラマン・ハスケルウェクスラー→ヘンリー小谷→グリフィスシステム→DWグリフィス、ときて、
ただ今、1900年代初期の頃頃の、映画の歴史に関連して、映画的な文法について執筆中。
クローズアップ、カッティング、移動撮影、フェイドイン&アウト、モンタージュ、編集、等々。
しかるに、映画とは?映画的物語とは?
、といったことどもを考えてみたい。
ベースには、私は、どういうわけで、物語を必要としているのか?と。
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今まで、自分のことを卑下する様な気持ちが大きかった。
自分で自分のことを否定的に考えるのは、もうよそう!と思ってからも、ずいぶんと、その気持ちはあったし、今もなくなっているわけではない、けれど。
思いを逆転した方がいい、と思った。
例えば、合気道を教えることにしても。
こんな私が教えていいのか?と思っていた。
勿論、今も思っている。
けれども、それは承知のうえで、そういう思いをもって、教えてみたい!と思っている。
せっかく?教えることができる機会が目の前にあるというのに、そのチャンスを、どうして掴まないでいられよう、と。
そうして、教えだして、しまったのだ。
そうしたら、案外に?できるじゃん、という思いがわいた。
勿論、それでいいなんて、思っていない。
ただ、これは続けねば!と思っている。
そういうことと同じ様に、書くことにも取り組みたい。
今の私の文章力のままで、お金がもらえるものだ、とは思っていない。
けれども、単なる趣味で、Facebookやnoteにアップしているだけでは、いつまでも同じことの繰り返しだと思った。
逆に、お金をいただくかぎりは、それに応じたものを提供しなくてはいけない、という気持ち、それで書くべきだ、と。
そう。
今年になって、今年の1月の誕生日で私は68歳になる。
2024年. ´25.´26、この三年。
2026年に、私は70歳になる。
この三年間、より精進しよう!
自分の思いを、現実化していくべきだ。
と思っている。
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