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2023年08月30日16:35

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(読書)『同調圧力』(鴻上尚史 佐藤直樹著:講談社現代新書)

この『同調圧力』という本は、2009年に書かれた『「空気」と「世間」』(鴻上尚史著:講談社現代新書)の内容を、その著者、鴻上尚史氏が佐藤直樹氏という対談者を得て、対談の形式で掘り下げることを試みたものだといっていいだろう。特に印象が深かったポイントを2つほど挙げて紹介してみたい。

(1)本書のP35からP50にかけて、対談者のひとり佐藤直樹氏が「世間」というものの特徴的なルールを4項目にわけて解説している。それは「お返しのルール」、「身分制のルール」、「平等主義のルール」、「呪術性のルール」の4項目である。この4項目のうち、最初の「お返しのルール」は「世間」の性質としての重要度はさほど高くはないように思う。このため、考察の対象外としても問題は無いように思う。その代わり、残りの3つの項目、「身分制のルール」、「平等主義のルール」、「呪術性のルール」は非常に重要であるので、ワーディングからしてもっと工夫したほうが良い。

まず「身分制のルール」は、「序列のルール」とでも言ったほうが良い。『日本人はなぜ多重人格なのか』の著者、中山治氏は、その著書の中で、例えば「大蔵キャリア官僚などは、立派な序列執着性人格障害に陥っている」と指摘している(同書P172)。また、「平等主義のルール」は、このような名称の付け方自体が「身分制のルール」というワーディングと矛盾を感じさせる。つまり、「身分制を採用している民族が、なぜ平等主義なのか?」という疑問である。私は、「平等主義」というよりは、「同質性強要のルール」といったほうが適切であるような気がする。

最後に「呪術性のルール」であるが、鴻上氏は「神秘性のルール」と言っている。「神秘性」よりは「呪術性」といったほうがはるかに適切なワーディングであろう。だが、この「呪術性」を説明するための例として、例えば「友引の日には葬式をしない」というような思想を紹介している。私の考えでは、これは「呪術」というよりは、単なる「ゲン担ぎ」にすぎないと思う。日本人の日常に見られる「呪術」とは、決めつけやすり替えのメッセージのことだと私は考えている。特にそういったメッセージの内容の検討を求めても、思考停止に陥ったりしてそれ以上検討や掘り下げが進まなかったりする。そういうメッセージの発信形態のことを呪術といったらいいのではないだろうか。

(2)佐藤直樹氏が挙げている「世間」というものの特徴的なルール4項目のうち、「お返しのルール」は「世間」の性質としての重要度はさほど高くはないと考えられることを申し上げたが、この「お返しのルール」などよりももっと重要な特徴が「世間」にはあると思う。それは、以前に発表した『「空気」と「世間」』についての読書感想文でも触れたが、『「世間」は愛の不毛を生む』という性質である。これは「性質」であって「ルール」ではないので、「ルール」の項目と並列には位置づけにくいかもしれないが、私には非常に重要な性質として意識されてきている。鴻上尚史氏と佐藤直樹氏の2人の論者は、この点をもっと深く堀りさげて欲しかった。

以前に発表した『「空気」と「世間」』についての読書感想文でも紹介したが、福田恒存の『日本を思う』(文春文庫)を読むと、『相手を突き放し、自分と他人との間にあくまで距離を置こうとする西欧の冷酷な個人主義が、なぜ「愛」の思想と道を通じているのか、その反対に、距離と孤立とを恐れ、自他の未分状態のままにとどまろうとする穏和な仲間うちの道徳観が、なぜ自衛本能にしか道を通じていないのか』という問題提起をしている(同書P81)。そして福田自身も、この問題提起にたいして明確な解答は提示できていないように思える。

だが、鴻上尚史氏と佐藤直樹氏との対談の内容を踏まえると、次のようなことが言えると思う。佐藤氏は「日本人は他人を信用できるかどうかを、どういう世間にその人が属しているかということによってのみ判断してきたんです。その人間がどういう人間なのかということを考えてこなかった。だからそもそも判断できていなかった。名刺と地位、つまりは身分以外で人を判断する眼力がなかったんです」と述べている(P156)。

一方、そもそも「愛」とは何であるか。いろいろな定義の仕方はあると思うが、ひとつの定義の仕方として、「信じ合うことの中に宿る甘美さ」といってもいいのではないだろうか。そして、「信じ合うことの中に宿る甘美さ」は、どういう世界の中で育まれるのか。他人を信用できるかどうかを、どういう世間にその人が属しているかということによってしか判断できない、そんな未熟な判断力の持ち主ばかりがうじゃうじゃいる世界の中で育まれるのか、それとも、個々の人間が人を信じられるか否かを自己の孤独の中で勇気をもって判断していかざるを得ないような世界の中で育まれるのか、いったいどっちだろう。私はもちろん後者だと断定したい。

【関連項目】

(読書)『「空気」と「世間」』(鴻上尚史著:講談社現代新書)

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