夏休み。
娘は帰ってきてすぐから、バラ/サウスバンクマーケットの日本食ストールで夏季バイトを始め、にわかに日本語が上手になっている。それなりに楽しくやっているみたいで、冬休みも来てと言われているらしいので、毎回新しく短期のバイト探しをしなくて良いし、環境の変化を嫌うたちなこともあるし、よかった。
息子の大学の卒業式のためにマンチェスターへ行きました。ナショナル・エキスプレス(
バッババラバーラバラバッババラバーラバラ)で。。なにしろ電車だと一人片道100ポンド超えの3人なので x6ですけどコーチだと一人片道20ポンドですから。しかも電車はストもありますし。
5時間コーチに乗った後、私はオールドファッションなパブでチップスとパイント
がお好みだったのだけれどあっけなく却下され、結局、博多ラーメン、餃子、たこ焼き、アサヒラガーをおいしく頂きました。
マンチェスターは、マンチェスターアクセントのイギリス人がいっぱいで、やたら飲み屋が多くて、人がフレンドリーで、若者のファッションはもっぱら90sで、多くの店からはスミスやオアシスなどの曲が流れてきて、、タイムトリップ感あり。
世俗的な分け方をすると、娘は文系で息子は理数系ということになるのだけれど、バイリンガルという視点でみると、二人には根本的な違いがある。娘は、日本語で会話がすすんでいる時には日本語で思考しているのがわかるけれど、息子の方は、英語で思考したものを頭の中で日本語に訳しているのがわかる。娘の方は、不足しているボキャブラリーがカタカナ英単語で捕捉されようとも、口から出てくる文章は自然な感じだけれど、息子は時々、まるでグーグルトランスレートみたいな不自然な直訳文を口にすることがある。子供の時はそうでもなかったのだけれど、大人になるにつれ、頭の中でそういうシステムをつくりだしてしまったにちがいない。
人はよく、文系の人が言語習得が得意で通訳などにも向いているようなことをいうけれど、同時通訳なんかはシステマティックに情報を処理できる理数系の頭の人の方がむいているのではないかしら。私や娘みたいな思考だと、知人を案内するような、ガイド的通訳はできるかもしれないけど、完全に第三者として、未知の会話をそのまま右から左に即座に訳すなんてことは特訓してもできそうにない。でも翻訳なら時間をかければできるかもしれない。
翻訳といえば、私が読みにくいと感じる翻訳本の人は理数系の脳の人の訳した本で、読みやすいと感じる翻訳本は文系またはクリエイティブな脳の人が訳した本という違いがあるのではないかと思っている。
*****
最近読んで面白かった本はこれ。グラスゴー訛りの会話が発音のまま表記されているので最初はパズルみたいだったけれど、慣れてしまえばぐいぐい読み進むなかなかのページターナーでした。
ログインしてコメントを確認・投稿する