mixiユーザー(id:20785476)

2023年06月21日05:26

86 view

スタン・ハンセン

先週末、スタン・ハンセンさんがトークショーのために来日していた。
今年で74歳になるハンセンさん。プロレス関係の仕事は、母国アメリカでは無く、日本で人気者になったおかげであろう。

ハンセンの日本での人気が定着したのが、1979年の第2回MSGシリーズ。
速くてパワフルなプロレス。そして、決め技がウエスタンラリアット。
相手をロープに振って、その反動を利用して、左腕を相手ののど元にぶつける技。これが単純かつ破壊力抜群。この技で人気が爆発した。
その後、ハルク・ホーガン、長州力が決め技にし、現代ではオカダ・カズチカが至近距離でレインメーカーと呼称して、決め技にしている。

対アンドレ・ザ・ジャイアント戦。
1981年の田園コロシアムの試合が余りにも有名だが、この時の試合が国内初対戦で、しかも新潟で行われた。
写真には「NST」の文字が見えるが、この当時の新潟は民放2局で、この年の3月までは、この局で新日本、全日本もテレビ中継していたが、全日本の中継が日本テレビで、土曜の夕方に移行したあおりで、新潟では日テレ系のテレビ新潟が開局する1981年4月まで、全日本の中継が無くなった。

この当時の全日本。外国人人気に頼っていて、テリー・ファンクとアブドーラ・ザ・ブッチャーの抗争とミル・マスカラスのアイドル人気が興行の目玉だった。
この3人を集めて、外国人人気の究極を現したのが、1979年の世界最強タッグだった。
この頃の全日本を雑誌だけで、テレビで見れなかったのが歯がゆく、今でも思い出したくない時代で、ハンセンのプロレスが全日本のテレビ中継がない時期の嫌な気持ちを支えてくれていました。

プロレスラーで、70を超えて存命なのは長寿の方。
これからもハンセンさんには、元気で来日してほしいところです。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する