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2024年05月19日05:18

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あれから30年

昨日、第31回平安ステークスが行われ、ミトノオーが逃げ切り勝ちした。
31回目ということで、第1回が行われたのが30年前となる。

30年前が1994年となるが、ダートで99%している地方競馬から初めてJRAのダート競走に出走したのが第1回平安ステークスでした。
地方競馬から参戦したのが、新潟のオーディン、名古屋のヒデノデュレン、笠松のトミシノポルンガ、荒尾の元JRA所属ユートジョージの4頭。
トミシノポルンガは、ダービーグランプリを勝っていて、実力の裏付けはあったが、オーディンは勢いで地元で連勝を重ねても、当時は北日本の地方限定だった南部杯でトウケイニセイの2着で通用するかどうかだった。

結果は、オーディンが逃げ粘って、ゴール直前にトーヨーリファールにかわされ2着、トミシノポルンガは追い込んで3着だった。
後にダートで覚醒するホクトベガも出ていたが、10着でした。
また、間接的にトウケイニセイの実力の裏付けも証明されました。

ここで、オーディンが勝っていたら、新潟県競馬の注目度が上がって、赤字で廃止になっていても2001年度でなくて、もう数年、遅くなっていたのではと思われる。
トミシノポルンガに騎乗の安藤勝己は、同年6月にテレビ愛知オープンで同馬を勝たせ、JRAでの存在感を増して行き、後の移籍へのきっかけを作った年だった。

今は、JRAの馬主登録がない地方馬の勝負服は、枠の色に応じた四つ割の貸し服を着せるが、安藤勝己、向山牧の騎手服がJRAの登録服色に無かったせいか、そのまま着用できた。
普段の勝負服で参戦が許されたのが、激アツでした。

30年経った今年。3歳戦を中心にダート競馬が大幅変更。
この間、JRAと地方の実力格差が増し、地方競馬主催者が数多く廃止された。
実力格差を縮める目的もあるのが、今回の大幅変更。
実力格差がどう縮まるかは、見守って行くしかありません。
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