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2023年06月10日05:47

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自分が生まれた頃のテレビ中継

自分が生まれた昭和41年7月のテレビ欄。
東京基準のものであるが、民放では巨人戦に加え、パ・リーグの中継もしている。

この当時は、巨人が連続日本一の最初期の頃だが、やはり、巨人人気が爆発したのが、ボールが消える等の荒唐無稽な魔球を投げる主人公が活躍する巨人の星の影響が強い。
巨人の星の終盤の放送は、リアルに覚えているが、昭和46年、47年辺りでは、公式戦の民放野球中継は巨人絡みだけとなり、パ・リーグが絡む民放のテレビ中継は、オールスターと日本シリーズとなる。
阪急の帽子のつばが赤、南海のユニフォームが緑ってのが衝撃的だった。

6月は交流戦の時期。平成16年の近鉄がオリックスへの合併等球団削減の動きを阻止するストライキ決行を端に翌年から交流戦がスタート。
テレビ中継される人気絶大の巨人と公式戦をしたいパ・リーグ側の希望で実現の交流戦だったが、皮肉にも巨人人気が下火になったが、その代わりにパ・リーグ育ちの選手が多く輩出。力感あふれる投手の誕生が著しい。

今は普通の地上波テレビ中継全国放送は激減したが、衛星波の放送は充実。お金を払えば、ネットも含め、好きなだけ野球中継が見られる。いい時代になったものです。
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